すでに本ブログで記載したが、3月14日日刊ゲンダイで郷原信郎氏が「甘利問題なぜ動かず “検察の忖度”指摘」を述べた。
この記事を復習してみたい。
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「政治とカネ」の問題は「政治資金の公開」系、「寄付制限」系、「賄賂」系の3つに大別できます。
「賄賂」系は、公務の廉潔性を損なう「犯罪行為」で、悪質極まりないものです。政治的公務員の職務の信頼性にも関わる問題であって、真相を解明した上で厳正な処罰が行われる必要があります。
詳しく言うと、ふつう、国会議員の場合、直接の職務権限は、議会の質問・表決だから、その対価として賄賂と認められるものの範囲は限られます。そのため、国会議員に収賄罪が適用される例は極めて少ないのです。そんな中で、むしろ、職務権限を背景に行われる、行政官庁への「口利き」で対価を受け取るケースが問題になり
コメント
コメントを書く韓流ドラマでよく描かれる情景の一つは勉強の出来る若者が検事になることを目指し刻苦し周囲がそれを暖かく見守り応援することです。彼らは検事が最も権力をふるえる職業だと認識しているのでしょう。その認識は日本にも当てはまりそうです。
私には日本の今の権力の構造式が次のように見えて仕方ありません。
CIA>東京特捜部>内閣・国会・裁判所・メデイア(注。>の記号は右辺が左辺に従属することを意味します)
CIAは正体を露わにしないことを以ってその存在を主張する組織ですからどうにもなりません。従って、国民は東京特捜部にデモを仕掛けるしかありません。デモで問題の解決が図れるわけではありませんが、国民の意識の向上に寄与することが期待できます。韓国はデモの国です。頻繁に当局の玄関前でデモをしかけているようです。日本人は見習うべきです。
それにしても、刑事訴訟の窓口が検察庁に絞られていることは全体主義そのものの象徴に私には感じられます。腐敗は独占から生まれます。政治を扱う韓流ドラマは検察庁そのものが組織ごと有力財閥の私物になっていることを糾弾し諌めるのをよく描きます。そういうドラマが制作される韓国は日本よりメデイアが健在だと言えましょう。つまり、独占状態は買収されやすい。ですから、いくつかの訴訟のルート(検察審査みたいないかがわしいものでないもの)を持つべきだと思うのです。
韓国ドラマには本当に検事や検事を目指す若者がよく出てきますね。
弁護士よりはるかに多い。
フレディ タンさんと違ってわたしはその点は、かの国の人々に
好感を持つことができません。
時代劇は王様と取り巻きの権力者のくだらないお話ばかり。
要するに権力が好きなのですね。
あの国の人たちは。
司馬遼太郎だけがいて藤沢周平がいない。
日本でもNHKの大河ドラマはそうですが。
おっと、何を言おうとしたのかな。
そうそう、検察なんていうのは今の姿が本来です。
社会正義などとはなんの関係もない存在です。
本来、「正義の味方」であるはずの検察が、わが国では「巨悪の見方」になっているように思う。
かつて三井環氏も、検察内部の不正を告発しようとした直前、不正を行っていた検察に逮捕されてしまった。
09年総選挙で政権交代が確実と思われていた時、首相になれるはずだった小沢一郎氏が、無実の罪で捜索を受けて離党に追い込まれた。トップを失った民主党内閣は、政権運営に失敗して短期間で政権を失ってしまった。検察が、自分たちに不都合な政権を崩壊させることなど、絶対に許されないはずだ。だがマスコミも、野党も、全く非難の声を上げなかった。
甘利明氏は、自民党だから「何をしても許される」らしい。
こんな国が、法治国家とか、民主主義国なんて言えるだろうか。
>>2
全く同感です。