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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『シン・ゴジラ』解説:「シン・ゴジラと核兵器」全編公開」
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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『シン・ゴジラ』解説:「シン・ゴジラと核兵器」全編公開」

2019-09-07 07:00

    岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/09/07

     今日は、2019/08/18配信の岡田斗司夫ゼミ「終戦記念『シン・ゴジラ』特集、「ゴジラと核兵器」全編無料公開!」から無料記事全文をお届けします。


     岡田斗司夫ゼミ・プレミアムでは、毎週火曜は夜8時から「アニメ・マンガ夜話」生放送+講義動画を配信します。毎週日曜は夜8時から「岡田斗司夫ゼミ」を生放送。ゼミ後の放課後雑談は「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」のみの配信になります。またプレミアム会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
     サイトにアクセスするためのパスワードは、メール末尾に記載しています。
    (※ご注意:アーカイブサイトにアクセスするためには、この「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」、「岡田斗司夫の個人教授」、DMMオンラインサロン「岡田斗司夫ゼミ室」のいずれかの会員である必要があります。チャンネルに入会せずに過去のメルマガを単品購入されてもアーカイブサイトはご利用いただけませんのでご注意ください)


    今後の『なつぞら』予想

     こんばんは、岡田斗司夫です。
     8月18日の夜なんですけども、ただ今、僕は、アメリカはロサンゼルスに行ってトイショーに参加しております。なので、これは録画映像でお届けしています。
     今日は、昔やったニコ生の中から、今にちなんだ回の再放送なんですけど。それの前と後ろに、こうやって、ちょっと新作の動画をつけて公開しています。

    nico_190818_00341.jpg【画像】スタジオから

     じゃあ、いつも通り『なつぞら』の話からしたいと思うんですけど。
     ただね、皆さんがこの映像を見てるのがいつかはわからないんですけど、これを録画しているのは8月12日の月曜日なんですね。なので、月曜日の朝に放送された1日分だけを見たところなんですけど。
     まさか、『魔法少女アニー』だとは思わなかったですね。てっきり『サニー』にすると思ってたんですけど、意外でした。
     微妙な部分を突いてきて上手いですよね。
     次回の僕の『なつぞら』語りというのは、8月25日になってしまうんですけど、2週間も開いちゃうんですよね。2週間も開いちゃうのはツラい。
     NHKの公式の発表によると、今やっている『なつぞら』というのは、第20週「なつよ笑って母になれ」なんですけど。翌週は、まだタイトルもわからない。
     全26週放送ということだから、ラストまで、あと7週間もあるわけですね。7週間って、かなりの話数あるんですよ。
     ここからは、僕の予想というか、もう本当に予感だけで喋りますけども。最後の第7週、つまり、9月の第4週は、もう老後というか、50代のなつをやるんじゃないのかなって思っているんですよ。
     「1980年代のアニメ全盛期とか、ジブリ独立くらいまでやるんじゃないかな?」と思ってて。
     最終回の前の26週目は50代で、その前の第25週は40代をやる。
     そして、21週から24週までがなつの30代。つまり、アニメーターとしての仕事が最も充実してきて、なおかつ、もし、このまま子供なんか生んじゃったら、子育てとか、一番色々あるときじゃないかなと思うんですよね。
     まあまあ、宮崎駿の嫁になった人は、結婚して出産することによって宮崎駿から「じゃあ、もう、専業主婦になってくれ」と説得されて、結局、家に入らなければいけなかったんですけど。
     そういうふうに「アニメーターの個人個人が、結婚とか出産によって、どういうふうに人生が変わっていくのか?」っていうのも、30代の頃を描くことで、いろいろと見せることが出来るから、そういうふうになるんじゃないかと思っています。
     現実の歴史で言うと、1970年から1980年の東映動画、および奥原なつ周りの出来事としては、高畑勲が『長くつ下のピッピ』をやろうとして、『ルパン三世』、『ムーミン』、『パンダコパンダ』、『アルプスの少女ハイジ』、『赤毛のアン』をやっていたという、いわゆる高畑アニメ絶頂期の頃なんですよ。
     なんか、いわゆる30代のなつを描く時に、横で旦那がそういう仕事をしている感じが、なかなか面白くなっていくんじゃないかと思います。
     最終回は9月28日の土曜日だそうですけど、まあ、泣いても笑っても、あと1ヶ月ちょっと。
     なので「おじさんは、『なつぞら』を猛烈に応援しているよ!」ということで。僕はまだ見れませんが、皆さんは『なつぞら』を楽しんでください。

    ゴジラと核兵器『シン・ゴジラ』解説の見どころ

    nico_190818_00417.jpg【画像】スタジオから

     じゃあ、今日の放送の説明に入ります。
     今回、再放送するのは、2016年8月7日に放送した「ゴジラと核兵器」という回です。
     今回は、もう、全編無料枠にして、これまでは有料動画として封印していた後半部分を、全部公開しちゃおうと思います。
     見て欲しいのは、やっぱり、この後半の限定枠に入ってからなんですね。

     無料部分から限定部分まで一度に流すので、全部で98分。100分近くあるので、すみませんが、頑張って見てください。
     動画の中で僕が話す「なぜ、アメリカは日本に原爆を落としたのか?」という後半の話とか、「なぜ『シン・ゴジラ』の中に核兵器が登場したのか?」という話は、これは2016年の8月7日に放送したニコ生ですから、『シン・ゴジラ』という映画を見て、本当に2週間くらいの間に頭の中で組み替えて喋ったものなんです。そういった僕の考え方というのがわかると思います。
     反戦とか、核兵器廃絶だけを叫んでも届かないような、『シン・ゴジラ』という映画の特殊性。特に「俳優の演技や、その画面情報をどう構成しているのか?」という部分から……核兵器を扱った映画っていうのは、すぐに反戦映画とかそういうふうに解釈されちゃうんですけど、そっちの方から、ゆっくり見てもらいたいと思いますので、100分の動画をご覧ください。
     普段、岡田斗司夫ゼミというものを、いつも無料で見てる皆さんには、「いったい、有料の会員限定放送部分では、どういうことを語っているのか?」というサンプルになると思いますので、体験してみてください。

     というわけで、これから、3年前の動画を再公開します。
     「これ、もう見たよ」と言う方も、終戦記念ということで……まあ、ちょっと日にちはズレちゃいましたけど。そういう意味を考えながら、もう一度、見てくれれば嬉しいなと思います。
     無料から限定まで一気に流すので100分もあるんですけど、終わったら、また、もう少しだけ解説します。

     あと、『シン・ウルトラマン』に関する現時点での予想というのも、最後にちょっと話します。
     まだ情報が少ないんですけど。まあ、それでも「こうだと思うよ」という話があるので、聞いていただきたいと思います。
     それでは、2016年8月7日の放送「『シン・ゴジラ』のテーマを掘り下げる」という回です。
     再放送の配信、よろしくお願いします。

    日本映画の長所は「役者の顔が面白い」ところ

    nico_190818_01206.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     こんばんは、岡田斗司夫です。一週間のごぶさたでした。
     『岡田斗司夫ゼミ』ですね。
     今日は8月7日ですね。もうフェイスブックとかで予告はしてるんですけども、前回に引き続き、何故か今回も。やっぱりあの後でいろいろと思ったことがあって、「これは語らなければ、いられない」ということで。
     元々は原爆特集というのかな。昨日が広島に原爆が落ちた日だったので、本当は原子爆弾の話をしようかと思ってたんですけども。まるまる90分、そんな話をするというのも、ちょっと流れ的にキツイかなと思ったんで。
     『ゴジラ』を語りながら、後半のほうで限定に入ってからということになると思うんですけども、ちょっと原爆の話をしたいと思います。
     というのも、『シン・ゴジラ』の中で、セリフ的にも結構いろんなことを考えさせるものが入っていたからですね。前回は前半の一般放送が『ゴジラ』を見てない人でも大丈夫な、ネタバレがない『シン・ゴジラ』でした。そして後半が『ゴジラ』を見た人向けの、ネタバレがありますなんですけども。
     今回は、見た人もあんまり考えていない。というか、わりとスッと見逃している部分をやろうと思うんで。それはネタバレになるといっても、許されるのではないかなと思って。ハッキリぶっちゃけて言うと、今回は前回で見たであろうという方を対象にしてやろうと思いますんで。今回は、いちいち「はい。ここからネタバレです」とやらずに、たぶん、90分すべてネタバレです(笑)。
     「明日、見に行くところだ」とか「余計な情報を入れないでおこう」という人は、こんなことは、あんまり言いたくないんですけど、今すぐ視聴を中止していただいたほうがいいと思います。よろしくお願いします。
     よく「面白いですか?」と、聞かれるんですよね。
     昨日も『正義のミカタ』って大阪のローカルの情報番組で。ローカル番組といっても、関東以外は日本全国で全部やってるんで、ローカルでもないんですけど。
     そこに行って『シン・ゴジラ』を見てたのが、高橋先生という。元官僚の安倍総理の家庭教師だったという高橋先生と、あと東野さんは『ゴジラ』を見に行ってたんですね。「見るつもりはなかったんですけどね。『エヴァ』が好きですから」っていうだけの理由で見に行かれて、この二人には凄く評判がいいと。
     そのほかの人を見たら、『ナウシカ』とかを熱く語る宮崎てっちゃんですら、まだ見てない。藤井先生もまだ見ていないということで、「なんていうことだ」と。あんなにアニメとかを語りたがる宮崎哲弥が、まだ見ていないし。
     あと僕は、本当を言えば首相官邸のやりとりとかの正解探しをしたかったんですね。藤井聡先生にぜひ見て欲しかったんですけども、藤井先生がまだ見てなかった。「とりあえず、次回までに見ておいてください」ということで、見るのをお願いしてですね。
     それで高橋さんが前の安倍政権ですね。今の安倍政権じゃなくて、前の安倍政権では政府のメインメンバーにいたので「首相の官邸はどうだったんですか?」って聞いたら、「いやぁ、あれはすごい取材をしてるよ」と。「意地悪な言い方をすれば、ちょっと違うんだけどね」って。「ちょっと違うんだけど、首相の部屋を再現してるのにビックリした」
     何でかというと、首相の執務室というのは、原則的に撮影が禁止で、撮影が許されてるときっていうのは、要人が来て話しているときとかで、決められたアングルしか写真が撮れない。それはテロ対策とかで、部屋の見取り図とかを絶対にわからないようにしてるんだけども、もう『シン・ゴジラ』を見たらほぼ合ってると。
     俺はそれを聞けただけでも「嬉しい! 嬉しい!」ってなっちゃったんですけど。
     まだね、この二人以外は、スタッフとかもほぼ全員見てない状態だったんですね。それで「何が面白いのか?」と聞かれたんで、僕なりに面白いポイントというか、たぶん、それは普通の人と見方が違うんですけども。
     やっぱり『シン・ゴジラ』の面白さと言うのは、顔が面白いんですよ。
     これは僕は、邦画の長所だと思ってる。
     日本映画の長所だと思ってるんですけども、とにかくこの役者さんの層が厚いんですね。
     役者さんの層が厚いというのは、韓国や中国の映画だったら、あんなに面白い顔の中年の男が、いっぱい出せないんですよね。なんだかんだ言っても、イケメンばっかりで。イケメンか、極端に太ったヤツか、極端に痩せたヤツか、極端に背の高いヤツは、中国映画や韓国映画にはいっぱいいるんですけども、メインがやっぱりイケメンなんです。
     日本は大部屋時代でもないんでしょうけども、とにかく面白い顔の役者が多い。
     これ赤井孝美くんが昔から言ってたんですけども、邦画の魅力は顔ですよと。とにかくどんな映画見てもおもろい顔のおっさんが、あんなに出てくる映画は世界中探してもないですと。
     というのは海外の映画では、人種が色々あるもんだから彫りも深いもんだから、顔なんか違って当たり前なんですね。ところが日本人っていうのは、外国の人から見たらほぼ一定の、平面的な無個性の顔をしているように見えて、実は日本人から見たら、すごい多様な顔になっていると。
     その多様な顔がいっぱい見れるということで『ゴジラ』のパンフレット見ても、なんかダッサい背広着た七三分けのおっさんがずらりと並んでるんですけど、ひとりひとりの顔が全部面白いっていうですね、なかなかいい感じの映画でした。

    テロップが情報のポトラッチに

     で、あとテロップが面白い。
     『ゴジラ』って、見た人はおわかりの通り、テロップが出てくるんですよね。
     特に主人公の、例えば、役職がですね、矢口って言うんですけど。矢口の役職が変わるたびに、「お前もなんとかに任命された」って言った瞬間に下にテロップが、新しいテロップが出てくるんですけど。
     このテロップが読む暇もなく切り替わるんですね。
     で、これ僕は情報のポトラッチって呼んでるんですけど。
     ポトラッチっていうのはアメリカの原住民の、遊びっていうこともないんですけど。
     戦争の仕方なんですよね。普通に戦争っていうのは、相手の資産を削るんですけども、アメリカ原住民のポトラッチっていうのは自分たちの資産を削るんですよね。つまり、自分たちが大切にしているものをどんどんどんどん焼き捨てたり、例えば飼っている豚を殺したりして、ほら、こんなことをしても俺は平気なんだぞっていうのを見せつけるのがポトラッチなんですけども。
     庵野映画の、字幕のすごさっていうのはもちろん岡本喜八の日本のいちばん長い日とか、そういうところの影響あるんでしょうけども、それよりも何よりも、どんどん情報を出していって、これ別に見なくても構いませんよ。でも後で調べてみたらちゃんと書いてますからね。ってどんどんどんどん溢れるこの情報の無駄遣いのポトラッチな感じが面白さのひとつじゃないかなと思います。

    アップが作る役者の緊張感

     あと、アップの多さですか。
     これ最初に言った、顔の面白さとあいまってるんですけども、セリフを言う、例えば、柄本明とかそういうキャラクターが喋るたびに、めちゃくちゃ寄るんですよね。これは役者さんに緊張を強いるんですけども、逆に言えば無表情でも様になるんですね。
     みんな中途半端なフレームで撮っちゃうから演技しなきゃいけないと思って不要なことやるんですけども。
     日本人って案外無表情なんですよ。
     で、これをドラマだから映画だからと言って、無理やりな演技付けをすることにこれまでの、映画の僕、演技の失敗があったと思うんですね。前回の僕、ニコ生でちょっと言い過ぎたかなと思っているのがですね、日本人の映画の演技は下手なんです。これもう僕はそう思っています。ここはもう本当に邦画の映画に出てくる俳優の大部分は下手くそだと思ってるんですけども。
     と、同時に、では俳優が下手くそなのかってそうじゃないんですよ。映画に出てる時が下手くそなんですね。同じ俳優を舞台に連れて行って、舞台やらせるとみんなめちゃくちゃ上手いんですよ。
     これ何かって言うと、ちょっと後半で話す演出論にもかかってくるんですけども、まず言っとかなきゃいけないのが、不用意なフレームで撮ってるからなんですね。
     あともうひとつ、日本人が元々無表情で話す民族だっていうことを、見逃してるんですよ。僕らの生活の中で、実は表情をあまり変えずに喋ることが多いんですよ。それは表情がすごく変わって手振り身振りが多いハリウッド映画とは根本的に違うんですね。
     それを無理やり動的に見せよう、つまりダイナミックに恋愛ドラマとか何とか見せようとして、不自然な演出で演技を付けさせてるあまり、演技力が空回りしてるものが多いと僕は思っているんですね。
     なので、アップが多くて画面の緊張感が迫るっていうことと、あと他のフレームに人が映らない。
     例えば、政府の官僚が喋る時に、両隣のやつがもし映っちゃったら、そいつらも演技しなきゃいけないんですよね。でもそれをボーンというアップを撮ることによって、演技しないことによる画面の緊張感。あと余計なものがないっていう、そういう効果が生まれてるんだなっていうのがあります。
     この三つ、テロップがすごいポトラッチ、情報の無駄遣いで面白いっていうのとあと、役者の顔自体が演技者の層の厚みで面白いということ。
     最後は、フレーム、とりあえず喋る時は思い切って寄るっていうあの緊張感と、日本人の無表情で喋るっていうのが案外上手くできているんですね。
     なので、見てる人が読まなきゃいけないんですね。こいつ何考えて言ってるんだろうって。
     「首相、決断を」って言ってる人とか、あと、後半のほうででっかくなったゴジラにいよいよ攻撃する時に、本当に現場にもう避難民で逃げ残りがいないんだろうねっていうふうに首相が確認するんですね。そうすると担当の人が、私は現場の判断を信じますと、現場の判断を信じるのみです、って言うんです。
     これはある種、責任の回避の言葉だとも言えるし、それをもう一回俺に振り直すっていうのは首相の責任逃れなんだよ。お前そんなこと言える立場じゃねえだろっていうふうに返してるとも言えるんです。
     でも、そこで良い者、悪者っていうのを作らずに、もう見てる人にボールを投げるがごとく、ちょっと心配した顔と無表情で、一見忠実そうに見えるおじさんとのやり取りっていうのを、解説なしにトンと見せることによって、見る側が「あ、これ頭絞って俺が解釈しなきゃいけないじゃないか」っていうふうに思わせる、この見た時の知能指数の上がり方ですか。
     そのへんがですね、すごく面白いところだと思います。

    四つの層でできた『シン・ゴジラ』

    nico_190818_01658.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     まあ、その他の面白さはですね、このネットの、『ゴジラ』の評論に対する盛り上がり方ですね。色んな人がやっと見たと言いながら、みんなでエクスキューズを付けながら、つまり、「いや、と言うけど」とか「と、言われてるけど、何とかみたいだけど」って言いながら、全員がややむきになって語ってる口調が、楽しいなと思います。
     映画自体は、何層にもなってるんですよね。
     第一層、第二層、第三層、第四層って仮に呼びますけども。
     第一層は見える通り、映画で見える通りの『ゴジラ』の面白さなんですけども。
     第一層は、ポリティカル・フィクションって言うんですかね。
     怪獣が出てくる政治ドラマみたいなもんです。
     つまり、怪獣が本当に出てきたら、行政はどういうふうに対応するんだろうというようなものがすごく面白く描かれているという第一層があります。
     第二層としては、これネット評論の中でわりと多いんですけども、あのゴジラというのは原子力発電所、もっと言えば、福島原発事故などのメタファーである、そういうふうなものの見方ですね。
     つまり、我々日本人にとって逃れられない問題として、原発っていうのがあるんだっていうようなことを、あの『ゴジラ』っていう映画は言おうとしてる。これがちょっと気が利いた人が語る原発のメタファーとしてのゴジラですね。
     第三層の見方。
     それよりももうちょっと穿って入っていくと、どういうふうに見えるのかって言うと。原爆体験というものを忘れようとしているんですね、8月6日に広島、その次に長崎に落とされた原爆っていうのを忘れて、繁栄っていうのをいつの間にかしていて、そういうふうな過去もあったよね、程度にしている日本人っていうのに対する問い掛けだっていうふうに解釈する人もいます。これ僕は第三層って言うんですけども。
     第四層で、ではなんで庵野秀明はこの映画を撮ったのか。
     『シン・ゴジラ』のパンフレット今売り切れになってるそうなんですけど、見た人はわかる通り、実は『シン・ゴジラ』のパンフレットで監督庵野秀明のお言葉が、最初のほうに載ってるんです。その最初のほうに載っている『シン・ゴジラ』の普通「映画でここを見てください」とか「ここ、ありがとうございました」とか書くべきものを半分が、『ヱヴァンゲリヲン』に対する言い訳なんですよね。俺はこんなにつらくて『ヱヴァンゲリヲン』を作れませんでした。後半のほうが、まあこれからちゃんと頑張って『ヱヴァ』作りますよって言ってるっていうですね。
     実はその文章の半分ぐらいが『ヱヴァンゲリヲン』に関してなんですよ。
     これをですね、本人の焦りっていうこともできるんですけども。パンフレット、公式パンフレットの文章っていうのは実はスタッフの中でも色んな人が読むんですね。編集者だけじゃなくて色んな人が見るので。
     あ、これ、こういうふうになるだろうということは、実はあの言葉にはちゃんと意味があって、『ヱヴァンゲリヲン』のことを半分ぐらい語らなければいけないというような映画であるっていうのが『シン・ゴジラ』の面白いところだと思うんですね。
     第四層は庵野秀明の個人映画としての『シン・ゴジラ』ですね。
     第一層、怪獣が出てくるポリティカル・フィクション、政治ドラマ。
     第二層は反原発映画というか、原発を考える、日本人の問題としての原発を考える。
     第三層としては原爆を落とされた世界唯一の被爆国であるっていう、核攻撃を受けた国であるっていう、第一作の『ゴジラ』と似たようなテーマとしての『ゴジラ』。
     第四層として庵野秀明の個人映画。
     こんだけの層があると思うんです。
     それを今日はゆっくりと語っていきたいと思います。

    ゴジラ映画は子供向け?  大人向け?

    nico_190818_01943.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     昨日も大阪で、DMMラウンジのオフ会やって、昨日は女性の方が多かったんです。そこでも聞かれたし、あとテレビ局でも聞かれたんですけども。
     『ゴジラ』って、わりと女の人で苦手だという人多いんですね。
     男の特にオタクさんの人たち、僕達の友達では大絶賛なんですけども。行ったんだけども、面白くなかったっていう女の人結構いてですね。
     で、意見聞いてみたら、やっぱ誰にも感情移入できないと。
     登場人物たちの家族背景が見えないっていうふうな言い方をする人もいるし。あと、意外だったのが、『ゴジラ』って楽しい映画しか知らないから怖かったっていうふうに言われたんです。
     それは何なのよって思ったら、やっぱ年齢層によっては、いわゆる平成ゴジラしか知らない人もいれば、ミレニアムゴジラしか知らない人もいるんですね。そういうふうな人にとっては、子供と一緒に観に行けるファミリー映画とかモスラとかが出てきて、正義のために戦うみたいな。
     一時期『ゴジラ』って『とっとこハム太郎』と併映の時期があったんですよね。
     なので、『とっとこハム太郎』を見るのと同じような感じで見て楽しめ映画として作られた時代があって、それを子供の頃に見てたとか、それが原体験だった人っていうのは、やっぱ『ゴジラ』をそういうもんだと思って先入観で見ちゃう。
     そういう人にとってはやっぱ今回のはちょっと怖かったとか、あとは街が破壊されてて悲しくなったって言うんです。
     あんま男にはないですよね。
     僕なんか見てたら、「よくやった、よくやった、よくやった」「銀座火の海、よくやった、よくやった、よくやった」「品川火の海、ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ」みたいなもんでですけど。
     やっぱ女性の中にはそういうふうに考える人もいるみたいなんですよね。
     で、そういうので、ゴジラ映画ってあんなのなんですかっていうふうに聞かれたんでですね。
     いや、ゴジラ映画、元々第一作は結構怖い大人向けの映画だよ、で、大人向けの映画だったのが子供向けの映画に、やっぱ怪獣と戦う子供向けの映画になって、大人向け、子供向け、子供だまし、アメリカ、大人向けっていう順番で変化してきたと。あくまで最初大人向けだったのが、段々子供向けになって、次には子供も見てくれない子供だましになって。
     で、その子供だましからアメリカ映画としての『ゴジラ』っていうのがあって、最後もう一回大人向けに戻ってきたって。
     こういうV字回復してるのが、現在の『ゴジラ』だって、ざっとした流れを言ってきました。

    リセットされたゴジラ映画

    nico_190818_02303.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     じゃあ、今回タイトルとして、まあ『ゴジラ』の質問に答えますって。
     別に質問した覚えねえやという人もいるでしょうけどもですね。
     色々、ネットで質問募集したり、あと僕のほうが、ここのところわりと引っ掛かってる人多いんだなあと思ったところで、質問に答える形式で最初の一般放送のほう、いってみようと思います。後ろのほうにいくにつれて徐々に徐々に深度が深い答え方になっていくのでですね、すいませんけど、ちょっと面倒臭いと思うけど聞いてください。
     一番最初です。
     まずですね、テレビ東京でやってる、この月火水ってやったゴジラ祭り、テレビ東京の午後のロードショー、あのゴジラはなんで変なのばっかりなんですか。
     いわゆる1984年の日本のゴジラ。
     次に、エメリッヒの作ったイグアナが変形するゴジラ。
     最後は、『ゴジラ FINALWARS』っていうわかんない映画と。なんであんな変な映画なんですかっていうふうに聞かれたんですけども。
     あれはねえ、絶妙なラインナップなんですよ。
     まずそれぞれの映画が、三作品とも、これまでの映画の歴史をリセットすると宣言して作った映画ばっかりなんですね。
     例えば、84年の『ゴジラ』は、ちゃんと今回の『ゴジラ』でアメリカの核兵器、核攻撃の話が出てきたんで、そんなの初めてだって思ってる人がわりと多いんですけども、まあ1984年の『ゴジラ』ではちゃんと核攻撃出てくるんですね。それどころかロシアが、ゴジラが日本に現れてもうこれで日本政府ではどうしようもないだろう、自衛隊ではどうしようもないだろう、というふうなことで、ロシアがゴジラに向けて核ミサイル撃っちゃうんですよね。
     で、核ミサイル撃っちゃって、「うわー、どうなるか」と思って、日本がアメリカに依頼して、アメリカがそれを迎撃ミサイルで破壊すると。日本の上空の成層圏で大核爆発が起こると。ゴジラ映画でこんなことやってたんですね。昭和の時代。
     で、そしたら、ようやっとカドミウム弾で、まあ薬で眠らされるゴジラも今回が初めてではなくて。カドミウム弾で眠ってたゴジラが、その電磁パルスで起きて、また暴れちゃうっていうですね。
     わりと84年の『ゴジラ』、今回の『ゴジラ』のちょっと試運転みたいなことをやってると。
     で、次のエメリッヒの『ゴジラ』っていうのは、これもこれまでの『ゴジラ』をなかったことにして、デザインを全部変えて、おまけに口から火を吹かないし。マグロを食べるしっていう、わりと動物としてのゴジラですね。巨大恐竜としてのゴジラっていうのをやってた。
     で、最後の『ゴジラ FINAL WARS』っていうのは、TOKIOの松岡とかケイン・コスギが、エビラと韓国で戦うっていう、まあすごい映画でした。
     これあとでですね、『ゴジラ FINAL WARS』と今回の『ゴジラ』、どこが違うのかっていうのを、國村隼さんっていう、すごいやり手、今回の『ゴジラ』でいえば、「仕事ですから」って渋いセリフを言う上手い役者さんが出るんですけど。
     これが『ゴジラ FINAL WARS』ではもう、めちゃめちゃど大根だったという話でですね。演出によって実は役者の演技の上手さっていうのは見え方が全く違うっていう実例で、後で説明しようと思います。

    謎のピー音はなに?

     では、次の質問です。
     自衛隊がゴジラの廃棄物っていうか排出物を調べている時に、途中で「時間だ、撤退だ」って帰る。その「時間だ、撤退だ」って言う前に一瞬「ピー」っていう音が入るんですね。
     これ映画館の中でちゃんと聞こえるようにやってた。あれはなんですかという問い合わせをもらいました。
     あれ何かって言うと、放射線被曝バッジなんですね。
     今回の『ゴジラ』っていうのは、第一作に倣って、ゴジラが通った後に、ちゃんと放射能というか、そういうふうなものが出てくるという設定を忠実に守っています。なので、ゴジラがいた場所にあまり長くいると。原発で働く人みんなここの胸のところにバッジ付けるんですよね。
     簡単な作業をやる作業員っていうのはフィルムバッジです。これが黒くなったら、一日における被爆量の限界なのでさっさと退出してくださいっていう意味です。
     もうちょっと複雑な作業をやる人たちっていうのは線量計っていうのをちゃんと持ってて、それが一定の一日当たりの限界値に達するとピーって鳴るようになってるんですね。
     ただ今回のゴジラ映画は、そういうことをいちいち説明しないんですよね。ピーと鳴って、「よし、時間だ」っていうふうに言って撤退するっていう、大変わかりにくい作りをしてるので、これが冒頭にも言った、そういうことを気にならない人はいいですし、映画すっと見てたらいいんですけども。
     今回の映画、難しくてわかりにくかったというふうに言う人もいるんで。そういうふうな部分で引っ掛かってるんだと思います。

    エラから出た血が意味するもの

     で、次にですね、なんでエラから血が出たんですか? ですね。
     最初に、四つん這いで歩くゴジラが、エラから血をゴボゴボ、ゴボゴボと出すんですよね。あれは何なんですかと、いうのを聞きました。
     これもですね、オタクとしては「え? あれわかんなかったの?」っていうような感じなんですけども。まぁあえて説明するのであれば、水中生物のゴジラが、あれは水陸両生ではなくて、水中生物のゴジラが、エラ呼吸で生きてるものが空気中に出て、エラ呼吸で生きてる生物が肺呼吸に切り替えたと。その時に不用意なエラ呼吸の体内器官ですね。
     つまり内蔵の一部を体外に排出したからなんですよ。
     だから本当はあそこは血の液体だけではなくて、ちょっと組織っぽいものが出たほうがいいことはいいんですけど。そういうふうなしるしなんですよ。
     こういうのもやっぱ気になる人には気になっちゃって、ゴジラが血を出して死にかけてるのかと思ったら、急に立ち上がったというふうに見えちゃうんですね。
     で、後、僕意外に思ったのが、ゴジラが上陸する時に眼があるんですけども。
     あの眼が大きいんですよね。そこに白い膜みたいなものがかかってると。あれは何ですかというふうに聞かれて。あれはいわゆる海洋生物にあるやつでしょ。海の中の生物っていうのは周りが海水ですから、まぶたの必要がないんですね。魚にはまぶたがないので。
     ところが、陸上の生物っていうのは目を守る必要があるから、まぶたがあるんですけど。じゃあこれを、海から陸上に上がってくる時にどういうふうになるのかって言うと、両生類の眼になって、眼に白い膜みたいなものがかかることになるんですね。
     なので、ゴジラがプロトンビームって言われている、いわゆる放射能火炎をバーっと吐く時に、その膜が一瞬取れて、ゴジラの本当の眼が見えるんですよね。
     たぶん、元ネタはスティーブン・スピルバーグのジョーズの第一作の、サメが人間を食う時に、眼が一瞬裏返るんだっていうふうにサメ狩りの名人の船長、グラント船長が言うシーンがあるんですけど。あのあたりがイメージソースになっているんだと思います。
     一瞬だけゴジラの本当の眼がクルッと裏返って見えるシーンですね。
     あれ僕、今回怖くてすごく好きなんですけど。それまではずっと白い半透明の膜がかかっている状態。それは海生生物だったからですね。

    庵野音楽の詰まった庵野映画

    nico_190818_03360.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     で、なんで『エヴァ』の音楽がかかるんですか。
     いやこれはもう庵野の勝手だろ、と言うしか言い様がないんですけども。あえて解説をするんだとしたら、『エヴァ』の音楽っていうふうに考えるのも変なんですよね。
     庵野の音楽って考えればいいんですよ。
     例えば、クライマックス、新幹線が突入するあたりから宇宙大戦争の音楽がかかります。
     タタタタターンターンターンターンタタタタターンターン♪
     あれを聞いて、あ、東宝の宇宙戦争のテーマだっていうふうに考えちゃうんですけども、そうではないんですね。庵野映画ですから。
     あれは何かって言うと、庵野が大学の時に8ミリで作った、『じょうぶなタイヤ』っていうアニメがあってですね、『じょうぶなタイヤ』の音楽なんですよね。
     なので全てが庵野映画なんですよ。
     で、途中でゴジラの口の中に放り込む薬、僕はソルマックって呼んでるんですけども。ラストですね、最後のほうでゴジラがぐてーっと二日酔いみたいに倒れて、口の中にゴボゴボゴボゴボやると、体が凍っていくという薬なんですけど、ソルマックって呼んでるんですけど。
     あれを作る時に、ピャーンピャピャピャーン♪って音楽かかるんですよね。
     それは何かって言うと、『オネアミスの翼』っていう、その昔、山賀博之がガイナックスの第一作の映画として作った映画の、クライマックスの共和国のジェット戦闘機がガソリンタンクを切り離す時からかかる戦闘機の音楽なんですよ。
     それは庵野秀明作画担当の場所の音楽なんですね。
     そんな感じでですね、これまでに庵野秀明がやってきた映像の音楽を全部ぶち込んだって解釈したほうがわかりやすいんですね。
     だからなんで『エヴァ』の音楽か、ではなくて、庵野映画、庵野音楽っていうのがどんどん入ってきて、これまでの庵野作品の集大成になってるっていうふうに考えていただいたほうがわかりやすいと思います。

    「ゴジラが東京に上陸する」本当の理由とは

    nico_190818_03515.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     ではですね、ここまでは、誰も気にしてないかもわかんないんですけども、わかんない人もいるので、初歩的な解説っていうのをやってみました。
     じゃあですね、僕が気になったのが、最初出てくる牧悟郎博士ですね。
     あれ何なんだよ。
     前回の放送でも後半のほうで言ったんですけども、あれ必要ねえんじゃねえかというふうに思ってたんですけども。まあまあ、ちゃんと必要あるわけですね。
     なんでゴジラが出てきたのか。
     これまでのゴジラは実は第一作を除いて全て、ゴジラが出てくる、特に東京に上陸するには理由があるんですね。それは一番つまんない理由としては『ゴジラ対メガロ』のジェットジャガーが呼んだからっていうやつからですね。
     『キングコング対ゴジラ』のゴジラの闘争本能でっていう、そういうしょうもない理由もあれば、それなりの理屈が通ってる、いわゆる84年『ゴジラ』の原子力発電所の放射能を吸収するため、みたいなものもあるんですけれどもですね。
     今回のゴジラはですね、第一作のゴジラ並みに実は陸上に上がってくる理由が何にもないんですよね。
     で、普通に考えるとですね、博士が放したからだと思うんですよね。
     っていうのは、アメリカでずっとそういう新生物の研究をやってた博士がいて、で、船の中に、プレジャーボートの中に靴が揃えて置いてあって、自殺をほのめかせて、でお別れの言葉っぽい、「私は好きにした。お前たちも好きにしろ」みたいなことを書いていなくなって。
     で、それから上がってきたから「あ、わかった。これは『機動警察パトレイバー』の廃棄物13号だ」と。つまりゴジラの幼体みたいなものを持っていて、それを海に返したか、何かゴジラが生き返る陸に上がるきっかけを作って、で、そこでゴジラ復活に巻き込まれて死んだのか。もしくは自殺したんだろうな、というふうに考えるんですけども。
     何か、それだけだったらあんまりすっきりしないんですよね。
     まず、牧悟郎博士っていう人の奥さんです。
     奥さんの死んだ理由がはっきりしない。放射能障害で死んだというふうに言われるんですけども、牧悟郎博士の年齢を考えると、その奥さんの放射能障害っていうのは原爆ではないんですよね。年齢的に考えても。
     で、映画の中で言わないんですけども、これは普通に考えりゃ福島の事故だろうと。いわゆる原発事故だろうと。だからこそ政府に対して恨みを持つっていう言い方をするんですね。もし、原爆で死んだんだったら、アメリカに対して恨みを持つっていうセリフになるはずなんですよ。
     そうじゃなくて、政府に対して、日本に対して恨みを持つという表現。正確なセリフに覚えてないんですけど、そういうふうになっている限りには、日本に対しての怒りなんですね。
     その時、第二次大戦で広島、長崎に原爆が落ちたことに対して、日本に対しての怒りを持つ人ってあんまりいないと思うんです。
     じゃあ何かって言うと、おそらく福島第一原発の事故であろうと。
     で、僕が考えるのはですね、ゴジラ第一形態って言われてるわけですね。
     今、ポスターとかに出てくるゴジラは第四形態です。第四形態っていうふうに言われています。
     その前のようやっと二本足で立ったのが第三形態。
     海の中から四つん這いで出てくるのが、第三形態です。
     では、第一形態っていうのは何かって言うと、映画の中では触れられていないんですね。
     で、しっぽがバーっと上がってくるから、あのしっぽみたいなものとか映画の中に出てくる影みたいなものが第一形態というふうに思われてるんですけど、じゃあその影みたいなものにしなきゃいけない理由っていうのは何なのかって言うと。
     僕が考えるにあれは牧悟郎博士なんですよね。
     本当に全くこれ僕の妄想かもわかんないんですけどもですね。
     人間なんですよ、ゴジラの正体は。
     だからこそ理由もなく東京に上がってきて、自分の奥さんを殺した日本に対して復讐しようとして上がってきてるんですね。
     人間だからこそあのゴジラが東京を襲うシーンが悲しくなるんです。
     そうじゃなくて、ただ単に太平洋の海の底で放射性物質を食っただけの生き物が、日本に上がってくる理由がないんですよ。牧悟郎博士が船の中に残した地図って何かって言うと、ゴジラの出現予想位置と日本に対して上陸する地図が書いてるんですよね。それは牧悟郎博士の予言とか予想に見えるんですけども、そんなもの予言とか予想できるはずがないですよ。生物なんだから。
     そうじゃなくて、俺はこのルートで日本に上陸するよっていう宣言なんですよね。
     だからこそ、人間だからこそあの映画は面白くて怖いんだと思います。
     人間があんな形になっちゃった。だからゴジラっていうのは人間の遺伝情報すら持ってるって今回の映画の中で言われてるんですよね。
     まあ、牧悟郎博士じゃないかもわかんないですね。
     僕考えた可能性は四つで、ひとつは、よく『機動警察パトレイバー』の廃棄物13号と同じく、新種の生物、ゴジラ幼生体だっていう考え方。
     もうひとつは牧悟郎博士自身。
     もうひとつは、あんまりこっから先は嫌な話になってくるんですけど、牧悟郎博士の奥さんの、まだなんとか生きながらえていた部分。または牧悟郎博士と奥さんの間にできた子供。
     この4つの可能性だと思うんですけども。
     たぶん牧悟郎博士自身なんでしょうね。
     だからこそ、あのゴジラは東京を破壊せずにはいられないし、で、体が熱くなったらもう一回海に帰って冷やして、それからもう一回上陸しに来て。それは何のためかって言うと、純粋に破壊するために来るんですね。
     自分を止める時っていうのは、つまり自分を止められるものっていうのは、逆に言えばそれは人類を滅ぼす力かもわからないし。人類に対して無限のエネルギーを与えるかもわからない。でも自分としてはもうそれを制御できない。
     なぜかって言うと、自分は怒りの塊、復讐心の塊って言ったら変ですけれども。そういうふうな化け物になってしまうからだ。人間が神になるっていうことは荒ぶる神になるしかないんですね。人間が善意の神になるっていうのは『まどかマギカ』ぐらいしか、俺は聞いたことがなくてですね。だいたい世界中の民話の中にある人が神になる話っていうのは、荒ぶる神に墜ちていく話なんですけれども。
     首都を破壊する時の牧悟郎博士ですね。
     『シン・ゴジラ』としての牧悟郎っていうのは、なんのために、そしてなんで矢口が戦わなきゃいけなかったのかって言うと。
     今回、矢口がやった作戦考えてください。
     それは自衛隊員達に死ねと命令して、自分たちの命が危険に晒されるっていうのを覚悟して、死んでこいと命令して、前線に立つことだったんですね。
     それは何かって言うと、福島の事故が起こった時に本当は政治家だったら、民主主義を一時否定して凍結させても自衛隊員たちに突入してメルトダウンを防げと言わなければいけなかったんじゃないかっていう、庵野秀明の問い掛けなんですね。
     それを矢口は福島ではできなかった。
     それ別に直接矢口が担当者じゃなかったんでしょうけど。少なくとも政府ではできなかった。だからこそ、奥さんは死ななきゃいけなかった。だからこそ、博士はもう一回それを避けようがない形で持ってくるわけです。
     それに対して矢口が自分の命を危険に晒して。これ後半言います。
     矢口は実は自分の政治的生命を本当に危険に晒して、たぶん彼はかなりやばい状態なんですけども。戦って、そして色んな人を犠牲にした上で勝つんですね。
     それは本当言えば、あの日、3月11日に日本政府がやらなきゃいけなかったことを、矢口がやったからこそ今回のゴジラ映画は人類の勝利として語られるお話になってます。
     っていうのが、矢口が震災の時に、あの場に適切な場所にいれば救われたかもしれない人たちの怨念として、ゴジラが出てくるって考えれば、今回の『ゴジラ』は、なんであそこで牧悟郎博士だっていうことで、すごい納得がいくんです。
     僕にしてみれば、これ別に将来ネタバレ本とかいうことで監督が言うかもしれないし、そん時には僕の予想っていうのは全然外れて、本当につまんない妄想かもわかんないんですけども。
     少なくとも冒頭に船が出てきて、あそこで謎めいたことを言って、僕は「ああ、なんか『パトレイバー』の、『劇場版パトレイバー』の焼き直しみたいなもんなのかな」と思ったんですけども。
     たぶん、それでは済まないはずで、そこまでやってるからこそ、製作者としては口が裂けても言えないっていうのは変ですけども。できるだけ隠しておきたいところなんじゃないかなというふうに思いました。
     帆場暎一みたいなもんだというふうに考えるよりは、帆場暎一みたいに「あとはお前らの好きにしろ」と言って自殺するんではなくて、自分がモンスターと化して、最悪と福音、両方を与える神となって、東京の街に屹立して「じゃあお前らどうするんだ、またあの時と同じように責任逃れをするのか」っていうようなことを問いかける人がいるからこそ、ゴジラが都心を火の海にするシーンっていうのは悲しく切ない。
     だからゴジラは人間の眼をしてるんじゃないのかなっていうふうに考えました。

    庵野秀明の「責任の取り方」

    nico_190818_04220.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     それねえ、『ゴジラ』の最初に言った、パンフレットに書いてある冒頭の、庵野秀明のお言葉っていうのがあってですね。
     そこで半分ぐらい『エヴァ』のこと書いてるって言ったんですけど。
     何書いてるのかって言うと、「これ以上『エヴァ』を作れないと思った。これ以上『エヴァ』を作ったら死んでしまうと思った」っていうふうに書いてるんですよね。で、それは……もうちょっと後半で話しましょうか、そこらへんは。
     で、後ですね、僕が引っ掛かったのは、ラストの変なセリフなんですよ。
     石原さとみが、石原さとみって言っちゃうんですけど、石原さとみが、矢口に対して、ここだけ役名ですよね。
     「辞めないでよ」っていうふうに言うんですね。「辞めないでよ」
     で、「私が大統領になった時、あなたがこの国の首相になってほしい」
     「そりゃあもう傀儡政権だなあ」というふうなことで、ちょっとまあイチャイチャ? ラブラブ?
     これをもって、石原さとみはアスカの役割なんだなっていうふうな人もいるんですけども。
     そこでですね、不自然なセリフのやり取りがあるんですね。
     で「辞めないでよ」って言われた時に矢口が返す言葉が「この国の政治家の責任の取り方っていうのは辞めることだ」っていうふうに言うんですね。
     で、「辞めないでね」っていうふうに「あなたは辞めないでね」っていうふうに石原さとみに言われた時に矢口は返事しないんですよね。
     で、石原さとみが屋上にいたんですけど、屋上から降りて、フレームアウトして観客から見えなくなって、その場にいなくなってからようやっと独り言のように「俺は辞めない。辞めるわけにいかない」っていうふうに言うんです。
     すっごい不自然なセリフなんですよ。恋愛ドラマとして観ても変だし、セリフ繋がらないし。なんでそこで帰ってから喋るのかって明らかに変なんですね。
     それ何かって言うと、さっきも言った、「俺、『ヱヴァ』ちゃんと作るからね」っていう意味なんですよね。
     それは、責任を取ることは辞めることだっていうのは言ってないんですけども、言ってないっていうのは。もちろんセリフとしてはそんなことは言わないんですけども。
     宮崎駿なんですよね。宮崎駿が、「ああもう、ジブリでできることは終わった。俺の、自分の全盛期は過ぎた。だからもう俺は引退します」というのに対して、庵野は「俺は辞めません」って言ってる。
     それは宮崎駿は「お前はだから逃げたんだ」って言うんじゃないんですよ。宮崎駿はベストを尽くしたかもわかんないけど、俺はまだ責任を取りきってない。この国の人間の生き方っていうのは、自分の責任の取り方、つまりもう自分がいるべきじゃないと思ったら身を引くんだけど。まだ俺は引くべきではないと考えてるからこそ、あの『ゴジラ』のパンフレットの最後のほうに「これから『ヱヴァ』を作ります」って書くんですよね。
     『ゴジラ』のパンフレットの冒頭に書くようなことっていうのをちゃんと映画のクライマックスのラストのラストでちゃんとセリフとして矢口に言わせてるんですよ。
     それは庵野秀明のプライベート映画だからできる、ファンの人が「『ヱヴァ』いつ作るの? 本当に作るのか?」っていうのをちゃんとあいつ映画の中で答えてるんですよ。すげえ俺様映画作りやがったなっていうか、個人的な映画作りやがったなと思って面白かったんですけども。

    二世政治家のカップルと放射能の意味

     で、最初にちょっとさっき話した、では矢口は、僕生命を危機に晒して、政治家の生命を危機に晒してっていうふうに言いました。それはどういう意味かっていうと、大変『ゴジラ』は特殊な人物設定してます。
     主人公の矢口は二世なんですよね。つまり世襲で政治家になってるんですよ。
     で、これは、途中で赤坂さんっていう矢口の友達なんですけど矢口より出世してる人がですね、他の大臣と話してる時にアメリカから来る石原さとみじゃないんですけど(笑)、アメリカから来る石原さとみなんだけども。カヨコ・アン・パターソン、パターソン家の令嬢で、「もう金もあれば人脈もあれば本当に何もかも恵まれたんだ。お前には苦手だろ」って言ったら「いやあ、矢口と同じで生粋の政治家タイプですよ」って言うんですね。
     ここでわかるのが、矢口っていうのは地盤看板を継いだ二世の政治家。
     変ですよね。
     普通ね、日本の映画ではこういう二世の政治家を主人公にはしないんです。
     どちらかって言うと、赤坂みたいな叩き上げの、下から上がってきた者が主人公になるんですけど。
     じゃあなんで二世の政治家にしたのか。
     なんで二世同士のカップルにしたのかって言うと、この後半のヤシオリ作戦なんですよ。
     ヤシオリ作戦で、特殊なことに全員マスク被ってるんですね。特殊でもなんでもないです。
     あそこは放射能障害がありますから、で、途中で放射能障害があるから危険です。もう全員マスク被ってるから、もうセリフがくぐもってしょうがないんですよ。
     是非Blu-ray出すときは日本語の字幕を、日本語のセリフに日本語の字幕を入れてほしいんですけれどもですね。
     なんでねえ、何が危険だったのかって言ってると、もちろん放射能障害で直接的な生命の危険はあるんですけども。それ以上に、あるのは実に簡単で、子供ができなくなるということなんですね。
     ここで思い出していただきたいのは、矢口は世襲の二世の政治家でですね、で、カヨコ・パターソンも二世の政治家なんです。
     二世の政治家、家を継いでる政治家にとって最も危険なのは子供ができないことなんですよ。
     それはもう真田丸の、豊臣秀吉の悲惨な老後を見て頂いてわかる通りですね。
     二世の政治家にしたっていう設定は何なのかって言うと、その二世が自分たちの政治的生命。
     これ生命を危機にするって言ったら、視聴者、観客に分かり易すぎるからなんですね。
     それよりは観客にわかりにくい、こいつらは自分の子供ができないイコール自分の地盤看板を継いでくれる存在ができないようになるのを懸けながらやってる。
     命を懸けて戦うっていうのを、別のフィールドで見せてるわけですね。だからこそ、クライマックスの矢口の表情というのは、そこまで決意してる人間だからこそ、他の人間に「下がってください、下がってください」って言われても、あの現場にいることを選ぶんですよ。
     これが、これまでの怪獣映画だったら、ゴジラのビームが届きそうだとか周りの人間が死んでるとか、攻撃を受けてそれで頑張ってる、怪我しても頑張ってるみたいなことを書くんですけど。
     そうではなくて、被爆して子供ができなくなる体になるかもしれないっていう、本当に僕らが日常生活の中で、原子力と共にいるからこその危機をマジでど真ん中に放りこんできた。
     それをクライマックスに持ってきて、おまけに映画の中で、ほとんど全ての人が気が付かなくてもいいやーって感じで出してきてるのが「おお、すげえ、庵野やったぜ!」って思いました。
     たぶんねえ、今回の映画っていうのは庵野秀明にとっての『On Your Mark』なんですよね。宮崎駿にとっての『On Your Mark』っていうのは、これイベントとかでは語っているんですけども。公開放送とかであんまり言ったことないんですけど。
     『On Your Mark』っていう、宮崎駿のアニメがあります。
     それは最後、翼の生えた少女が新興宗教の団体に捕まって、で、警官の主人公がそれを助けだすっていう話なんです。
     で、それは全て妄想かもしれないっていうことなんですけども。
     翼が生えた少女が空へ帰る時に、赦しの表情っていうのをするんですね。
     下を向いて、赦す表情っていうのをして。で、そしてキリスト教のモチーフとなっている手と手が先だけが触れ合っている描写から離れていくというのがあるんです。
     あれは何なのかって言うと、手の平ではなくて甲のほうにキスをする。送り出す男のほうが。
     これら全て、聖なる者に対する表現であってですね。
     赦しっていうのを与えてくれるんです。
     宮崎駿はなんで空を飛ぶ女の子に赦してもらわなければいけなかったのかって言うと、それは彼の作家人生っていうのかかった話で。
     まあそれ今日ここで話すことではないんですけどもですね。
     宮崎駿は逆に『On Your Mark』を作ることでそっから先、『風立ちぬ』に至るまでの自分っていうものを出す映画が作れるようになったんですね。それまでの宮崎駿の映画っていうのは、ちょっと四方八方塞がっていて、例えば、針葉樹文明とか、そういう人から聞いた話みたいなもんで。
     なんか難しいちゃんとした話っていうのをやんなきゃいけないっていうふうなものが、自分個人に対して、今まで自分が作ってきた空を飛ぶ女の子みたいなものから赦されることによって、「ああ、じゃあ、俺の本音の映画作ってみよう」っていうふうになれた。
     同じように今回の『シン・ゴジラ』っていうのは、自殺も考えた、つまりものを作れなくなった、死ぬことしか考えられなくなったって庵野が、なんで『シン・ゴジラ』作ったのかって言うと、それはもう『シン・ゴジラ』の中で赦されて癒されたと思うから次に至る道っていうのが見えた、ということだと思うんですね。
     そういうふうに考えて、個人映画として見たほうが面白いんで、ちょっと後半、原子爆弾の話する時に、言いにくい話なんですけども、庵野くんのお父さんっていうのは、本人もインタビューで言ってるから大丈夫だと思うんですけども、身体障害者なんですね。片足のない身体障害者であってですね。
     それは戦争中に生きてた人ですから、そういうふうな人もいっぱいいたんですけども。
     そういう人との関係で、原子爆弾っていうものを肯定せざるを得ないんじゃないのかっていうふうに思ってる庵野秀明っていうのを、ちょっとそれはあんまり大きい声で話すようなもんでもないんですね。
     後半のほうで話そうと、思います。
     そのあたりの庵野くんの思い、個人の思いっていうのと映画の中のセリフっていうのが重なっているので、後半のクライマックスのヒロインとのセリフのやり取りが見てる人にとって、ちょっとわかんなくなってんじゃないかなっていうふうに思います。

    ゴジラのしっぽから生まれてエヴァンゲリオンへと繋がっていく

    nico_190818_04850.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     で、これも、色んなところネットで書かれているラストのしっぽの中から生まれてくるものですね。
     もうこれ前回の後半でも話したんですけども、基本的に見てみたら、ゴジラの小さいやつなんですよ。人間みたいに見えるんですけども、ちゃんとゴジラの背びれが付いてるんですね。
     ただその背びれが、ゴジラのような、僕が見た限りでは三対ではないんですね。
     つまりセンターに一枚、両脇に二枚ある背びれではなくて、両側に二枚あるようなタイプのゴジラの背びれに見えたんで。
     あれがそのまんま伸びたら翼になるんではないか。
     そうすると本編の中で言われている、「有翼となって大陸間を飛翔する」ゴジラの中には、普通のことを難しい言葉で言うくせがあるのでですね、「有翼となって大陸間を飛翔する」っていうのは、羽が生えてよその島まで飛んでいけるっていう意味なんですけどもですね(笑)。
     そういうふうな存在になると。
     で、羽が付いた人型の生物で、群れをなして口からプロトンビームを吐くっていうのは、俺が知ってる限り巨神兵しかないんですけどもですね(笑)。
     巨神兵として考えてもいいですし、使徒と考えてもいいと思ったので、僕はあれを『ナウシカ0』と呼んでもいいし、『エヴァンゲリオン』の第0話と呼ぶことも可能だろうと。いわゆる『巨神兵東京に現わる』っていうのにこっから先繋がるような話だと思ってもいいし。
     じゃあ、そこでですね、今日ちょっとオフ会で聞かれたんですけど、では『エヴァ』との設定のズレはどうするんですか?
     例えば、ファーストインパクトっていうのはこういうふうなことでっていうふうになってたことがあるんですけどっていうの聞かれたんですけど。
     僕その時答えたのは「いや違う。庵野が前に『シン』と付けたら、前の設定はご破算にするよという意味だ」と。つまり、『シン・ヱヴァンゲリヲン』って言った瞬間に「はい、みんなの大好きな惣流・アスカ・ラングレーはいなくなります。こっから先は式波・アスカ・ラングレーになります」っていう、前の設定はなくなっちゃうんですね。
     と同じようにですね、『シン・ゴジラ』っていうものを作った瞬間に、これまでの『ゴジラ』の設定もなくなると同時に、おそらくこれまでの庵野秀明作品の設定もゼロ設定化されるというふうに考えたほうがいいんでですね。
     別に僕はあのまんま、『シン・ゴジラ』から『ヱヴァンゲリヲン』に繋がってもなんら不思議ではないというふうに思うんですけれども。
     どちらかって言うと、『デビルマン』のラストに近いですね。人類最後の日に神は復活して、天使と共にこの世界を作り直す、滅ぼすはずだったのが、そんな神様を殺してしまったんだ。いわゆる『もののけ姫』における神殺しのようなことを。
     さすが本当にこれまでの作品、総ざらえですね。
     人類は神様を殺してしまった。神様を殺してしまった私たちはこれからどうすればいいんだろう、っていうのが今回の『ゴジラ』のメインプロットだと思うんですね。
     だからその中でゴジラが神として語られるとか、綴りの中に「GOD」と入ってるって何回も何回も石原さとみが変な英語で言いますけどもですね(笑)、それは何かって言うと、今回の話は神殺しの話なんだっていうふうなことだと思います。
     ではですね、一般が終わっちゃいますね。こっから先、長いんですよこっから先、実は限定で話そうと思ったこと。それは何かって言うと。
     『ナカイの窓』っていうバラエティ番組でちょっと前に声優スペシャルっていうのがあったんですけども。
     まあ、めちゃくちゃ見てて痛々しかったんですよね。
     なんで、僕らが見る番組で、別に普通に声優さんが出てるアニメは面白いし、声優さんが声優さん達だけでやってる番組は面白いのに、なんで普通の番組に出てくる声優さんっていうのは、なんか痛いんだろうな、とかですね。
     あと、『シン・ゴジラ』が変えてしまうものですか。
     今回の『ゴジラ』っていうのが果たして名作なのかそうなのかっていう問題。
     で、どういう影響を映画界全体、特にハリウッドに向けて変えていくのかっていうふうなことをですね、後半語りながら。後ろのほうでは原子爆弾の話もしていこうと思います。
     ここで限定に切り替えたら、なかなか酷いと思うんでですね(笑)。
     コメントのほう、ちょっと拾ってみましょうか。

    「それ、まとまるのか?」(コメント)

     いやあ、いやあ、9時半までに終わるかどうかわかんないけど、俺は今恵比寿にいて、早く吉祥寺に帰って真田丸の続きが見たいので、なんとかまとめようと思うんですけどもですね。

    「海外の反応が気になる」(コメント)

     そうなんですよね。わりとねえ、海外では評判がよくないというか、日本で見た、海外の人の評判がよくないという話もあるんで、それはわかるはわかるんですよね。

    「海外で上映した?」(コメント)

     いや、してないです。してないです。日本で見た海外の人の評判が悪いよっていうブログを僕何件か見たので、ああ、なるほどなと思ったんですけども。それも後半でちょっと話をしてみます。
     というわけでですね、じゃあ一般のほうはこれぐらいにしようかな。
     ちょっとさっき話した通り、僕の中でゴジラは、牧悟郎博士というふうなことで、わりとそういうふうに考えれば、全ての筋道がすーっと納得、通るんで、早いことこれを皆さんに発表したかったということで。
     一般放送はこのあたりにさせていただきたいと思います。
     それでは限定のほうに切り替えてください。

    映画にはもう「内面の闇」はいらない

     さて、『シン・ゴジラ』の影響で言うと、前も言ったんですけど、怪獣映画としては、95点、映画としては65点というのが、僕の中の数字なんです。わりと一般映画としては、そんなによくないですけど、怪獣映画としては極めて優れている。
     で、『エヴァ』の続編としては120点。これは前回から言ったのと数字変わらないです。影響力で考えると、わりとはかりしれないと考えています。なんでかっていうと、日本の映画人、プロデューサーにですね、今まで何が足りなかったのかっていうのを考えさせる、すごいいい材料だと思うんですね。
     まずもう『アベンジャーズ』が成立しないっていうのを、言ってしまってる。『エヴェンゲリオン』以降アニメが変わってしまったんです。それは『機動戦士ガンダム』が登場した時に、子供だましのロボット戦争ものが駆逐されたのと同じようなものですね。それまではまだ『マジンガーZ』『ゲッターロボ』のにおいっていうのをテレビアニメ残してたんですけども、『ガンダム』のあと、すぐではないんですけど、徐々に徐々に、昔のようなロボットアニメっていうのがどうしても成立できなくなっちゃった。
     それはなんで、軍事として考えるとか、敵もひとりの人間として考えるとか、あと燃料の問題考えるとか、いろんなリアリティがロボットアニメの中に入ってきちゃったから、昔のようなロボットアニメがもう作れなくなっちゃった。ロボットアニメを終わらせてしまったのが『ガンダム』だと思うんです。
     と同じように、『エヴァンゲリオン』っていうのは、無邪気なキャラっていうのを終わらせたんです。俺は『セーラームーン』を終わらせたのは『エヴァ』だと思ってます。何が違うのかっていうと、『セーラームーン』の中には無邪気なキャラってのが出てくるんです。今もいる気がするんですけど、『セーラームーン』の以外のセーラーマーズとか、セーラージュピターのような、単純なキャラクターがアニメの中で出せなくってしまった。『エヴァンゲリオン』のように、内面がどろどろしてるものでないと、みんな見た気がしないんですね。
     そうすると、セーラーマーキュリーとかが持ってる、勉強が好きでこんなキャラっていうのが、一段うすく浅く見えてしまう。なのでセーラムーンっていうのは『エヴァ』が登場すると、消えてしまって、じゃあ幾原君はどうなったかというと、『少女革命ウテナ』を作るしかなくなってしまった。あそこまでどろどろなものをもってくるしかなかった。
     『エヴァンゲリオン』っていうのが無邪気なキャラクターってのを終わらせて、そのあと萌キャラによってもう一回純粋なキャラっていうのが復活するんだけど、えらい時間がかかってしまいました。で、たぶん『セーラームーン』を『エヴァ』が終わらせて、そのあと『ウテナ』に行って、『ひぐらし』に行って、『ハルヒ』でキャラが踊るようになって『おそ松さん』っていう、ここまでしないと。アニメのキャラって。
     でももう無邪気なものは、失ったものは取り戻せない。『ウテナ』『日暮し』『ハルヒ』で踊る、『おそ松さん』に至るまでのアニメのキャラクターの人格の変容って『エヴァ』が作っちゃってるようで、もう戻れないものだと思います。
     で、なんで『アベンジャーズ』が成立しないのかというと、『アベンジャーズ』の最近の作品、特に『キャプテンアメリカ シビルウォーズ』という、アメリカでどんなに興行成績が上がろうと、やっぱりちょっとおもしろくない。
     それはなんでかっていうと、『エヴァ』の逆だからです。あ、『ゴジラ』の逆だからです。
     冒頭で言った『シン・ゴジラ』の弱点とも言える感情移入できるキャラがいないっていうのは、逆に言えばそんなに感情移入するキャラが必要ですか? って問いかけにもなる。そんなに人間ドラマが、そんなに家族が、そんなに自分の内面が必要ですか。
     『シン・ゴジラ』では、全く見えない牧悟郎博士にだけおそらく内面があって、それ以外のキャラはぜんぶ表面上の動機で動いている。でも、それでちゃんとおもしろい映画ができてる。じゃあそれをちゃんと守って、ハリウッドの映画として成立するようにしたら、『アベンジャーズ』の最近のシリーズとか、マーベルの最近の『スパイダーマン』とか『バットマン』みたいに、おもしろくするのにやたら図体が重たいキャラクターっていうのかな、図体が重たいっていうのは、体重がでかいとか筋肉があるとかそういう意味じゃないんです。内面が重たいキャラクターが、出てきて取り回しがすごい不便なんですね。なので『デッドプール』みたいなアクロバチックなものを出さないかぎり、なかなかおもしろくならない。
     闇はもういらないんですよ。『アイアンマン』くらいでちょうどいいんですよ。
     金持ちだー、武器も売ってる、おお、俺の武器悪いことに使われてる、えらいこっちゃ、アイアンマンスーツ作った、敵もアイアンマンスーツででてきた、戦うぞー。これくらいでちょうどよかったんですけど。
     これを何人も集めて、それぞれの見せ場を作ろうとした瞬間に全員が持ってるトラウマが、もう2トンを超えちゃって2トン車に載らないんですよ、2時間映画っていう2トン車に載るトラウマは2トンが限界なんですけど、全員のトラウマ合計したたぶん10トンぐらいあるんですよね。
     なので、『シビルウォー』がすごく苦しい映画になっちゃった。
     『まどマギ』ぐらいだったらいいですけど、だからといって『ガルパン』は僕はもう無理なんですよ。『ガルパン』に関して面白いと思う、面白いと思うのは後半の戦闘シーンが面白いのかっていうと、『ガルパン』は『ガルパン』で無邪気な時代に戻りすぎなんですよ(笑)、「もうちょっと闇があるだろ」と。闇がなくていいと言った覚えはないです。
     『マッドマックス』を見てみると、めんどくさい闇はないんだけどちょいとあるじゃん、『ガルパン』ちょっと軽すぎるよと、重いの戦車だけじゃんていうような作品になってしまってる。思い切って『マッドマックス』まで振り切れたらOKだから、『ガルパン』は後半の30分があるから大傑作だとほんとに思ってるですけど。その意味では『シン・ゴジラ』と同じですよね。映画としては65点だけれど、『ガルパン』としては120点の出来があの『劇場版ガルパン』なんですよ。
     あとですね、今回の『シン・ゴジラ』が変えてしまった、僕らの認識、って言っちゃったらみなさんに押しつけになって失礼なんですけれども、少なくとも僕のなかでは「押井守はもういらない」っていうことがはっきりしたことですよね(笑)。
     押井守はもう映画評論家でいいじゃないですか、山本晋也さんでいいじゃないですか。山本晋也が出てくるときは「映画監督」ってテロップが出てくるけど、だれも新作期待してないでしょ。で、押井守がどんなにがんばっても、奇跡が起きても、『シン・ゴジラ』を作れないですよ。それがもうはっきりしたんですからね、これから先、押井守は映画評論家として生きていただくのがベストだと思うんですよね。
     そういうふうに押井守ってこれまで、こんなこと言ってるし、こんな企画もあるみたいだから、やっぱり映画監督としていてほしいな、チャンスあげたいな、がんばってほしいなと思ってたんですけど、『シン・ゴジラ』を見た瞬間に、押井さんがいたらやるべきことをもう全部やってしまったから、もうこれ以上彼を追い詰めるべきではない(笑)というか、『ガルム・ウォーズ』ももうあったんだし、もういいんじゃないかと思いました。
     で、最初に言った、日本の映画プロデューサーのものの見方が変わるんじゃないかっていう話なんですけれど。そうだ、副知事がいいですね、押井守さんには東京都の副知事になっていただくのが一番いいでしょう。小池百合子さんよろしくお願いします。
     日本映画のプロデューサーに対して、この『シン・ゴジラ』を見たら変わるだろうなと思ったっていうのが、アイドルが出るマンガ原作映画っていうのはもう終わるだろうなっていうふうには思いました。

    「実相寺アングル」と役者の「演技力」

     で、これがあと『ナカイの窓』スペシャルの話になるんですけど、さっきも話したとおり、『ゴジラ』の演技っていうのは、すごく面白く、演技がうまく見えるんですね。でも日本の、映画に出てる役者さんはみんな下手っていうふうに僕は言いました。それは最初にも言ったとおり、舞台の上では彼らはすごくうまい、ではなにが違うのか。
     ちょっと別方向から説明します。
     「実相寺アングル」っていう言葉があります。これは実相寺昭雄さんっていう、ATGとかで活躍されてた監督さんなんですけど、このひとが『ウルトラマン』とか『ウルトラセブン』を撮った時に実相寺アングルっていうのが撮ったんですね。実相寺アングルっていうのがなにかっていうと、カメラの前にこういうモノ(ペットボトル)があって、カメラの手前、「舐め」っていうんですけど、舐め越しに人物を撮ったり、極端な魚眼レンズで撮ることを実相寺アングルというふうに言うんです。で、なんでそんなことをしたのかというと、実相寺さんはもう簡単で「セットもしょぼければ衣装もしょぼくて、役者もそんなにいい役者撮れるわけじゃないから、画面のなかでたとえば構図を斜めにするとか、魚眼レンズで顔の一部を撮るとか、手前におっきいこんな舐めもの(ペットボトル)で、たとえば電話機を置いてその電話機のあいだから見るとか、そんなふうにしない限り絵がおさまらないよ」というふうに言ったんですね。
     で、今回も『シン・ゴジラ』にそういうふうなシーンがあります。具体的に言うと、放射線線量の異常が確認されたかどうかっていうのを確認するシーン、で、電話かけたら、壁にさげてるヘルメットが手前にばーっとあって向こうのほうに小さく人物があったりとか、あと石原さとみと矢口が歩いてくるときに、カメラがそのままクレーンで上がっていって、向こうのほうにモノレールのレールがどーっと並んでるところがあります。これもある意味、実相寺アングルなんですね。
     なんでそういうふうなものを見せるのかって言うと、役者さんの演技だけではちょっと絵としてもたないので、他にものすごい大きい背景を入れて、端っこのほうで一部見てもらいましょう。それは落語家が面白い話になってきたら、段々段々、今僕がやってるみたいに声を小さくするんですね。声を小さくすることによって、聞いてる人の集中力を上げていって、バンッって声を出すっていうのを落語家さんはよく使います。
     それと同じような働きが実相寺アングルにはあるんですね。
     これですね、最初に話した『ゴジラ FINAL WARS』っていうのに國村隼が出てます。今回の『シン・ゴジラ』にも國村隼って役者が出てます。
     『シン・ゴジラ』の國村隼はですね、自衛隊員です。で、セリフ少ないですけど、すごく印象的で演技もめちゃくちゃ上手く見えます。
     例えば、ヤシオリ作戦の立案で、こういうふうにするっていうの決めた後、矢口に「ありがとうございます。申し訳ありません」っていうふうに言われた後、「仕事ですから」っていうふうに短く言うんですね。
     こん時の國村隼はものすごく自信があり気に見えて演技が上手く見える。
     では、それとそんなに時代が違わない、『FINAL WARS』の時の國村隼どうだったのかというと。
     冒頭ですね、変な外人の役者がSFセットの真ん中で轟天号っていう潜水艦だか宇宙船だかわかんないやつみたいのに乗って、ゴーッと行って、ゴジラが手前にいて、そっからビームとか発射してて、横のほうでグラグラ揺れてるところで手すりを握りながら、「艦長、もう限界です」とばっかり言ってるんですね。
     で、この「艦長、もう限界です」って言ってる日本映画の中の典型的なダメ演技をやっている國村隼と、今回のめちゃくちゃ上手い國村隼は同一人物なんですよ。
     で、國村隼の演技が下手なんじゃないんですね。
     そうでなくて、『シン・ゴジラ』の中での國村隼っていうのは、やることが決まってるんですね。普通の映画、邦画の欠点は何かって言うと、役者にやることを考えさせちゃうんですよ。つまり、役者の想像力ではなくて、空想力に頼っちゃうんですね。
     例えば、世界連邦大統領ですっていって、『さよならジュピター』の中では森繁久彌が出たんですけど、演技しようがないんですよ。世界連邦大統領っていうのがどんなやつかわかんないんですから、森繁久彌には。だから重厚な演技っていうことで、重厚な演技ってこんなんだろうなっていうふうに役者が空想してやるしかないんですね。
     でも、例えばスタンリー・キューブリックっていうのはそういうふうなことを絶対やらないんです。
     そうじゃなくて、徹底的にセットとか小道具とかを詰めて、役者にこれは何なのかっていうのを説明して、なんだったら壁の向こうの映らない物も全部セットで作った上で、役者にこれしかないっていうのを与えるんですね。
     つまり、役者の空想力を一切働かせないようにして、じゃあどういうふうに表現しようという表現力だけを伸ばすんです。
     演技力なんてものはこの世の中にないんですよ。
     演技しかない、表現しかないんです。それを演技力と言って、まるでそういうふうなものがあるかのごとく誤解しちゃうから、普通の監督っていうのは役者に演技力を期待しちゃうんですね。自分たちが説明できない。
     「えーっと、宇宙船みたいなものに乗って、ビームやるんだけど、ゴジラが攻撃してきて、宇宙船がめっちゃ揺れてるから、ここで『艦長、限界です』って言ってください」ってセリフを言ったら、もう空想しかないわけですよ。そんなシチュエーションに会ったこともないし、「艦長、限界です」って何が限界なのかわかんないから。
     でも、少なくとも『シン・ゴジラ』の中でそのセリフを言わせるとしたら、「艦長、限界です」っていうのは何が限界なのかぐらいはちゃんとわかるように作ってるんですね。
     この演技力というのは存在しなくて、表現力があるだけっていうのは、舞台との違いなんですよ。
     舞台っていうのはですね、同じ2時間ぐらいのものでも、なんでそんなセリフ言うのか、これ何なのか、相手そん時何考えてるのかっていうのを役者全員がディスカッションして、1ヶ月とか2ヶ月お互い演技とは何かっていうのを散々議論した上でやるもんだから、役者の中で納得してるキャラの完成度が違いすぎるんですね。
     でも映画の中ではそうではなくて、それっぽいことしか書いてないんですよ。
     『ゴジラ FINAL WARS』ではですね、さっき言った轟天号というところからミサイルみたいなものを撃って、ゴジラが氷の中に閉じ込められます。
     その瞬間、ブリッジの全員が「あ〜〜」って言います。
     特に前列のやつが「おわ〜」って真ん中のやつが言ったら、両側のやつが「うん」「うん」って頷くシーンがあります。
     もうこのへんは役者さんがあうんの呼吸で、俺真ん中で「お〜〜」って言うやつで、お前とお前は「うん」両側でこういうふうにやったら俺たちの見せ場増えると思っているのが丸わかりです。
     で、こうフレームがあったら、この端っこのやつ、ややそれぞれが中央に寄りながら「やったあ」ってやるんですけども、そんなはずないでしょ(笑)、こんなことをやらせちゃうからダメなんですよ。
     つまり役者さんにどういうふうに振舞わなきゃいけないのかっていうのを考えさせちゃうんですね。
     そうじゃなくて、もっと徹底的に役者縛らなきゃだめなんです。徹底的にこれしかできないというふうに縛ればどういうふうになるのかって言うと、『ゴジラ』の会議シーン、なんで面白いのかって言うと、役者がみんな無表情だからなんですよね。
     日本人の役者っていうか、日本人の会議っていうの無表情で当たり前なんですよ。
     官僚の会議っていうのは無表情で当たり前だから、僕達はその無表情から相手の真意を読もうとするんですね。観客が空想力というか想像力を使うのが正しくて、役者は表現力しか使っちゃいけないんですよ。
     でも、役者に空想力とか想像力を使わせて、見てる者が受動的にこういうふうに見ればいいんだ、いいんだっていう正解探しばっかりしちゃうから、日本の演技の幅っていうのは、こと映画においてはどんどんどんどんやせ細っていくんですね。
     で、その分舞台っていうのが面白くなっちゃうから。
     だから良い役者さんっていうのは全部演劇のほうに逃げちゃうわけですね。これですね、『幕が上がる』っていうももいろクローバーZの映画があるんですけど、これが面白いんです。
     それはなんでかって言うと、ももいろクローバーZは演技力があるわけじゃないんですよ。
     そうじゃなくて、『幕が上がる』という映画の作り方は徹底的にその映画外で、演劇のようにシナリオの読み込みをやって、練習をやって繰り返してるんですね。
     なのでももいろクローバーの人たちは全員演技力を使うんではなくて、もうこれをやるしかないっていうキャラクターがわかってた上でそれを表現することだけをやればいいんですね。
     つまり、歌で言えばですね、歌の歌詞の意味なんか理解できなくてもいいんですよ。そうではなくて、どんなふうに歌うのかさえわかってれば、一流のアーティストっていうのは表現できるんですよね。それを歌の心がわかってなきゃいけないって言うんだったら、せめて1ヶ月や2ヶ月は練習期間に時間を与えなきゃいけない。
     でも、映画は現場に入って3日でやれと言うわりに、それだけの内容度のある準備的なものっていうのを与えないんですね。
     そこが無茶してるんですけども。

    リアルな背景と抽象的なセリフの「ズレ」で痛くなる

    nico_190818_10853.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     演技力は存在しなくて、表現があるだけっていうのを間違えちゃったのが『ナカイの窓』の声優スペシャルなんですよ。『ナカイの窓』の声優スペシャル、「トランクスの声でこれをお願いします」とかっていうふうに中居くんが言ったら、まあ声優さんが、ちゃんとやってくれるんです。それを見てめちゃくちゃ痛いんですけども。
     成立しないんですよ。
     なんでかって言うと、声優さんがやってるのは演技じゃないんですよ。表現なんですよ。これをトランクスでやってくれとか、これを悟空でやってくれとか、これをベジータでやってくれとか。
     これを例えばフリーザ様でやってくれと言っても、見てる人間はつらいんですよね。
     それはなんでかって言うと、なんでアニメのセリフを実写の人間がバラエティの番組でやると痛いのかって言うと簡単で、雑音があるからなんですよ。
     表現っていうのは、ある一定で同じ水準でなきゃいけない。アニメっていうのはデフォルメされた絵の世界。背景があって、手前にセルみたいなもの、つまり平面的なキャラクターがあるというデフォルメなので、抽象表現だっていうのが見てる人間にわかるんですね。
     これリアルじゃなくて抽象なんだ。そうすると「愛のためだ」とか「お前を殺す」っていう極端なセリフを言っても、抽象表現の上に極端なセリフだからちゃんと乗っかるんですよ。
     それを周りにセットがあって、観客もいるようなバラエティ番組のスタジオでセリフだけ一生懸命、演技力で言っても、そのセリフのデフォルメさと周りの背景のリアルさが、全然乗っからないんですね。
     だからズレを感じると。
     これはいかにクオリティの高いコスプレとはいえ、コミケ会場で写真撮ってるの見たら、僕達が良いなと思うと同時に、ちょっと痛いなというのと同じですよね。コスプレというのも本来、デフォルメされた絵の中で成立してるもんだから、リアルの人間が着るとやや痛いんです。
     それを現実の埃だらけというか、周りに空き缶とかも置いてるようなコンクリの上で立ってやってたら、痛くないはずがないんですね。コスプレイヤーの持つ本質的な痛さって俺そこらへんにあると思ってるんですけども。
     フィクションレベルっていうのかな、デフォルメレベルは一定にしなきゃいけないんですね。
     リアルな人間がやるからにはリアルなセリフだし。
     で、デフォルメされたキャラクターがやるからにはややデフォルメされたセリフでないと乗っからないんですけども。そこらへんを考えずに普通のバラエティ番組で声優さん呼んで「なんとかさんのセリフやってください」「おお!」とかって言ってるけど、誰も「おお!」なんて思ってませんよ。
     そこは何か痛い空気が発生しちゃうんです。
     演技力なんてないんですよ。
     表現があるだけ、そしてその表現には表現レベルを徹底するという管理能力がない限りやっちゃだめなんです。
     中居くん、二度とあんな番組はやらないでください。お願いします。
     元々日本人の演技論っていうのは、能とか狂言とか歌舞伎見てもわかる通り、セリフ叫んだりしないんですよね。
     ボディランゲージが豊富な民族ではないし、どちらかって言うと、能面みたいなものを付けて、そして観客に読ませるっていう、大変、どちらかって言うと、仕手側と受け手側の、コミュニケーションとしての演技っていう側面が高いんですね。
     それをですね、字を読む能力がない人が見るから映画なんだっていう、大衆文化と、日本の大衆文化の中でもちょっとコミュニケーションが入っているものとをくっつけると、やっぱり不自然になっちゃうんですね。
     ほんとに演技させる時っていうのは、めちゃめちゃ役者さんにデータ与えるとか、もしくは練習時間を与えるとか。ってしないかぎりここから先も不自然なんこと続くと思うんですよ。最初に戻りますけど、それも変わってくると思います。『シン・ゴジラ』のおかげで日本の映画プロデューサーはたぶん、『科学忍者隊ガッチャマン』のようなつらいことはしないと思います。ああいう微妙なことはやらなくなっていくんじゃないかな。と思います。
     ちょっと疲れたので一瞬休憩させてね。

    アニメや映画に出てくる核兵器

     今までのところが、一般放送でやるべきところで。ここから先が、限定放送なんですけど。
     『水爆大怪獣ゴジラ』ってのが1954年の『ゴジラ』の原題でした。
     原爆から水爆の流れって今日しようと思うんですけど。怪獣映画で核兵器が使われたのはタブーなのか、ってよく言われるんですけど。
     タブーでもなんでもないです。
     さっき言ったように、80年の『ゴジラ』やってますし、『ウルトラセブン』の中でも、超兵器R1号っていうのがあるんですね。これは超兵器R1号っていうのを人類が作って、これがあれば、惑星破壊兵器なんですね。これがあれば地球を侵略する異星人はもういないだろう。なんでかっていうと、地球を侵略しようとするとこのR1号で報復される。じゃあそのために、ギエロン星っていうのを木っ端微塵にしてみよう。調査してみたら、ギエロン星っていうのは、誰も住んでないんだ。だから、R1号を発射しよう。
     諸星ダンは反対しますよね。そんなことをしてどうするんですか。そうするとウルトラ警備隊の中でも、なにを言ってるんだと。まず地球がR1号という超兵器をもっている。そして報復力ももっている。ということを宇宙中に知らせないと、こんな兵器持ってる意味がないじゃないか。そんなことをしても、宇宙が戦争に巻き込まれるだけです。なにを言ってるんだ。戦争を終わらせるために、誰も二度と地球を侵略しようという気を起こさせないために、R1号を使うんじゃないかと。といってR1号の発射を強要させるんです。
     もうほんとに、こんなのを1960年代にやっていいのか?
     先週の北朝鮮の話ですか? みたいな。『ウルトラセブン』の超兵器R1号なんですけど。それもですね、核兵器と言わないようにしてるんですね。
     『超時空要塞マクロス』の中でも、第一話で、マクロスがいよいよ発進するとき、ゼントラーディ軍が攻めてきて、それに対してバルキリーって戦闘機が飛んで、空中でパンパンパンって爆発がやったら、反応兵器って言葉を使うんですよ。もうほんとに核兵器って言葉が使えないから、熱核反応ってところから、反応兵器だ、って。えっ、反応兵器を使う野蛮な民族がまだいたなんて、とゼントラーディ軍が驚くというシーンがあるんですけど。
     アニメやマンガの中で核兵器が出てくるというのは、そんなに珍しいことじゃないんです。実際に核兵器自体が、怪獣に対して最後の一手として使われたのは、僕が知ってる限り、『クローバーフィールド』と『バタリアン』です。これゾンビ映画なんですけど。最後ゾンビに襲われた街を核兵器で破壊して終わりっていうすごい映画なんですけど。
     あとは『エヴァ』の第一話ですか。N2機雷って言ってますけど、あんなものどう考えてもニュークリアのNじゃねえか。放射能がでない設定って書いてるんですけど。いやいやいや。核兵器だよね。
     そんなわけで核兵器っていうのは、映画の中で究極の決めもの、っていうのかな、ものとして出てきます。

    原爆を落とすべきだったのか、ダウンフォール作戦をとるべきだったのか

    nico_190818_12142.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     で、笑いながら言う話で連動していうのは申し訳ないんですけど、1945年の8月6日、広島に世界初の原子爆弾リトルボーイが落とされました。これ関西の番組で、ムルアカさんっていう元鈴木宗男の秘書をやっていた、アフリカの方、コンゴ出身の方に聞いたんですけど、広島と長崎に落ちた、原爆の核物質っていうのは、コンゴから取れたそうです。当時コンゴがフランス領で、フランスから流されたってことらしいんですけど、日本とコンゴの縁は深いということで。そんなところにまで縁があったのかと。
     じゃあなんでアメリカは日本に原爆を落としたのか。後半『ゴジラ』につながるので、ちょっとガマンして聞いてください。
     僕らは8月6日が近づけば、そのたびごとに哀悼の意を捧げて、こんなことを二度と起こさないと誓って、誰が悪いのかというのを考える。
     よく言われるのは、アメリカは戦争に勝ってるのに、原爆を落とした。これは東洋人に対する蔑視があるからだ、という人もいますし、戦争を終わらせたって人もいます。
     たしかにアメリカに行くと、原子爆弾に反対するっていうのはちょっと変わり者なんですね。
     なんでかっていうと、第二次大戦っていうのは、そのあとのベトナム戦争とか湾岸戦争とかに比べたら、圧倒的に正義の戦争だったっていうのが一般的なアメリカ人の解釈です。
     ファシズム政権ですね。世界をファシストから救った良い戦争だった。っていうのがアメリカ人の考え方。なんでそんなことになるのかっていうと、もともとダウンフォール作戦ってのがあったんです。
     ダウンフォール作戦っていうのは何かっていうと、日本の本土侵略作戦。アメリカは1943年のカイロ会議ってとこ、その時から覚悟してたんです。これは広島、長崎についで日本本土に、何発も何発も原爆を落として、サリンなどの化学兵器を大量に無条件にばら撒いた上で東京に侵攻しようっていうのがダウンフォール作戦。
     第一段階のオリンピック作戦と、第二段階のコロネット作戦でダウンフォール作戦はできてます。
     第一段階のオリンピック作戦っていうのは、ほんとうは1945年の11月1日に行われるはずだった南九州への上陸作戦、宮崎と薩摩半島の沖に上陸して、大規模にサリンを撒きながら、日本に上陸する、ということで、アメリカの軍部は25万人のアメリカの死傷者を覚悟しました。
     つまり第二次世界大戦の中でも最大級アメリカの兵隊の被害が多いだろうと予想してたんですね。
     次のコロネット作戦というのは、翌1946年3月1日にいよいよ東京の本土侵攻を考えていた。なんで最初にオリンピック作戦で九州を侵略するのかっていうと、九州を巨大な滑走路にしたかった。九州を巨大な滑走路にしてそこに1万機のB29をおいて、そっから本土に、大阪東京などを含めた日本全土に対して爆撃しようと考えていた。
     なんでそんなことを考えなきゃいけなかったのか。硫黄島とかフィリピンのあたりで、日本軍の抵抗がほんとに厳しくて、これは日本人の粘り強さともいえるんですけど、逆にいえば欧米人、とくにアメリカ人を徹底的に恐怖させたんです。
     なので、どれくらいしないと戦争に勝てないのか。どれくらいすると国際的に非難を浴びるのか。ってことで、日本軍は中国の戦線で化学兵器を使った。ならば我々も化学兵器までは使ってもいいだろうということで、サリンをまくことまで決められたそうです。
     で、東京の上陸作戦、湘南海岸から、相模原町田ルート、今回のゴジラ第四形態のルートと同じです。っていう上陸ルートと、九十九里浜からわたってくる千葉ルートとか二方向で東京までを十日間で侵略するルートが考えられました。これは100万人を超える兵隊が参加して、27万人、その四分の一以上が死ぬであろうという、計画が立てられました。で、ここまではアメリカの軍部の計画なんです。
     ところが日本の軍部はそれを探知してたんです。オリンピック作戦のことも、コロネット作戦のことも。つまり、この全般となってるダウンフォール作戦のことを察知してたので、日本は日本で計画を練ってました。どんな計画を練ってたのかというと、一億玉砕というプロジェクト。これ言葉として聞くんですけど、ほんとに計画としてあったんですね。
     それは男子は15歳から60歳。女の子は17歳から40歳。までの国民全員、その時の国民2600万人をすでに陸・海・空軍にいる500万人と合体して、3100万人の軍隊を作ろうとした。こいつらがひとり残らず死ぬまで戦えば、おそらく東京の、いわゆる軍の中心部だけは守れるだろうというのが一億玉砕作戦。アメリカの将兵、いわゆるオリンピック作戦の25万人と、コロネット作戦の27万人、合計52万人の死傷者予想に対して、日本は3100万人くらい、死ぬ覚悟があれば戦えるだろうということで、計画してたんですね。
     ピューリッツァー賞をのちに受賞するデビッド・ハルバースタムは、その著書の中で、その時のトルーマン大統領の側近の政治家たちの、25万とか27万っていう損害をまったく信じてなかったそうなんです。おそらく500万くらいのアメリカ人の兵隊が死ぬだろう。500万人のアメリカ人を犠牲にして、1000万人以上の日本人を殺して、戦争をして、そのあと和平だ、降伏だ、といってなんの意味があるのか。ということで、原子爆弾の使用というのが選択肢にあがってきた。
     で、どうやって日本を降伏させるのかっていうので、アメリカは三つのプランっていうのを常に用意した。
     ひとつ目は何かって言うと、原子爆弾で、日本人の気持ちをくじく、です。
     ふたつ目はダウンフォール作戦です。今言った、50万人かもしれないし、500万人かもしれないアメリカ人の兵隊を殺して、日本の本土侵略っていうのをやる作戦。
     もうひとつはソ連に対して外交交渉させて、ドイツが降伏をしたら3ヶ月後に間髪入れず、日ソ不可侵条約を破って、日本に参戦してくれって言ってたんですね。
     よく日本人は、第二次大戦が終わって、原爆落ちたらすぐソ連が攻めて来たからあれはソ連の裏切りだって考えてるんですけど。
     それはまあ半分本当なんですけども、もう半分はトルーマン大統領、その前のルーズベルト大統領から延々と言われてた、とりあえずソ連は国際条約を破ることになっても日本に侵略をかけてくれっていうような依頼だったんですよ。
     ところが、原子爆弾の成功ですね。つまり、原子爆弾の元になったトリニティ実験っていうのが1947年の7月16日にあったんですけども、このトリニティ実験でアメリカのロスアラモス研究所が、ネバタ砂漠で人類初の核反応に成功しました。
     このニュースを聞いた瞬間にトルーマンは手のひらを返したように、ソ連に対して「いや別にソ連は日本に無理やり攻めこまなくてもいいよ」というふうに言ったんですね。つまり核兵器を手にして、これは日本は降伏するなと思ったので、ダウンフォール作戦必要ないし、ソ連の参戦も必要ないだろうというふうに思って、核兵器の使用に踏み切った。
     ところが、核兵器の使用に踏み切ったら、その翌々日ぐらいにソ連が急に攻めて来ちゃったので、戦後日本っていうのは、ちょっと微妙な歴史の闇に挟まれるようになっちゃったんですね。
     で、こういうことがあったのでですね、アメリカ人はどうしても、日本っていう国はあの時に普通に原子爆弾を使わなかったら、アメリカ人が何人死んだかわかんないし。そりゃあ広島、長崎でいっぱい死者も出ただろうし、人道的かどうかって言われたら言い返す言葉もないんだけども。
     でも、ダウンフォール作戦よりましじゃないかっていう意識が加害者側のアメリカにはどうしてもあるんですよね。
     で、それを被害者側の日本っていうのは、どう受けとめていいのかわかんない。だからといって、広島、長崎しかたがない、とは絶対言えないし、言う気にもならないし、悲しいし、腹が立つし、なんですけども。
     じゃあオリンピック作戦、ダウンフォール作戦がいいのかっていうと、良いはずがない。
     じゃあ、そもそも日本が先制攻撃してきたんだろっていうふうに言われると、もう本当に考えようがないブロックに入っちゃうんですよね。

    『シン・ゴジラ』のなかでの核兵器の意味

    nico_190818_12542.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     で、『シン・ゴジラ』のクライマックスちょっと前ですね、つまりゴジラを凍結させれるかもわかんない、ヤシオリ作戦の少し前に、赤坂官房長官、主人公の矢口くんの親友の赤坂さんと矢口くんの間の会話があります。
     それはヤシオリ作戦があるのはわかるんだけども、もう国連軍、多国籍軍の核攻撃、熱核攻撃を東京にさせるべきだっていう赤坂さんの主張と矢口さんの、いや、そんなことをやらせてはいけないという主張のぶつかり合いですね。
     で、赤坂さんが言うのは、ほとんど普段聞けないような話なんですね。
     我々日本に今必要なのは何なのかわかってんのかと。もうゴジラが来て、こんだけ首都を破壊したんだぞ。もう日本の株価っていうのはどん底にまで下がってるし、日本の国債だって誰も買う奴はいないし、もうこのまま日本っていうのはデフォルト起こすかもしれない。
     デフォルトっていうのは何かって言うと、国家の破産宣言だと。そうなると敗戦よりつらい経済的な終わりが待ってるんです。
     もう日本っていうのは終わってんだよ。その日本をもう一回復興させるには国際社会の理解と同情が必要なんだ。そのための核攻撃なんだって言うんです。
     この赤坂さんの言い草は何かって言うと、もう一回アメリカに罪悪感を与えようっていうことなんですよ。
     つまり、日本に対して戦後、ものすごくアメリカっていうのは優しくしてくれた。それはもちろんアメリカの謀略、戦略っていうのもあるんでしょうけども。何よりも日本に来た進駐軍っていうのもそうですし、日本に対する援助っていうのも、そん時のアメリカ人の優しさっていうのは、ヨーロッパの復興の時の比ではないんですね。
     とにかくアメリカ中の色んな食料業者が日本に対して無条件で食料を送ったりしてた。
     つい、この間まであんなに忌み嫌っていた日本になんでそんなことをしたのかって言うと、どっかに核攻撃に対する負い目とか罪悪感があるからだ。
     そういうふうなものをもう一回利用することを考えること。そういう一般市民だったら絶対に考えられないし、理解できないことを決断するのが政治家の役割じゃないかっていうのを赤坂さん、ガーンと言うわけです。
     どこかに核攻撃に対する負い目とか罪悪感があるからだと。
     そういうものを、もう一回利用することを考えること。「そういう一般市民だったら考えられないし、理解できないことを決断するのが政治家の役割じゃないか!」というのを、赤坂さんはガーンと言うわけです。
     俺もこれを映画館で見たときに「すごいことを言い出したな」と。
     つまり、それはよく悪役が「人間なんて、滅びてもしょうがないんだ!」とか「人間なんてクソだ!」なんていうことを言いますよね。
     でもそうじゃなくて、正義の味方側の友達が悪魔の囁きをするという、すごいシーンですね。
     それは国際支援と国際社会の同情を得るしか、ここまで追い込まれた日本には取れる手段がないという。罪悪感による同情を引くための熱核攻撃の許容ということなんです。

    広島と沖縄、『シン・ゴジラ』で語られる思想

     さて、それは今の日本の繁栄というのは、広島と長崎の犠牲と、その共犯者意識っていうのは変なんですけども、「広島と長崎にだけ犠牲を強いた、残りすべての日本国民の共犯者意識によってるんじゃないのか?」というのが、クライマックスでの、作者・庵野秀明としての発言だと思うんですね。
     それが戦争というのを潜り抜けた世代の中で、身体障害者となってしまったお父さんと、自分との関係。と言うのも変なんですけども。
     なんで広島は日本国民から愛されて、なんで沖縄は日本国民からちょっと憎まれるのか? もう誤解を恐れずに言っちゃいますけど。
     別に僕たちは、沖縄は好きなんです。そして「沖縄の人は気持ちがいい」って言うんです。
     けども「米軍でていけ!」と言っている時の沖縄っていうのは、日本人は正直な話、かなりの抵抗感を持っていると、僕には見えるんですね。
     それは何故かというと、広島は罪を一緒にかぶってくれるからなんですね。アメリカがやった酷いことに関して、オバマ大統領が来た時に「謝罪を要求しません。一緒に哀しみましょう」と言ってくれて、日本人の罪悪感を軽くしてくれるんです。
     でも沖縄は、かつて沖縄で戦争があったことに関して、日本人と一緒に共犯者になってくれないんですね。
     そうじゃなくて、「アメリカに、こんなヒドイことをされた!」「そして今でも沖縄はアメリカに、こんなことをされている!」と、日本人の罪悪感や良心をずーっと突っつき続けるから。
     なので、日本人としては、広島の人たちみたいに「ありがとう。そう言ってくれたから、俺たちは日本人として国際社会で胸が張れるよ」となれない。このあたりの面倒くさい感じっていうのを、『シン・ゴジラ』のあのあたりのセリフっていうのは語ってるんですね。
     赤坂の主張っていうのは、「国体を維持するのが一番だ」と。つまり「天皇制さえ守れれば、いいや」と。「戦後をもう一回、繰り返そう。その為には核兵器も受け入れよう」と、言っている。別に「天皇陛下を守ろう」と言っているわけじゃないんですよ。
     この日本の国というものの、一流国・ちゃんとした国であるという枠組みさえ守られれば、もう一回、日本はやり直せるんだから。「だから核兵器の攻撃なんか、しょうがないじゃないか」という考え方。
     あと、その中の庵野秀明の主張というのは、「たとえ政府や天皇家・皇族が失われても、日本人がいる限り大丈夫なんだ」という主張。
     なので、『シン・ゴジラ』という映画の中では、皇室の移動という、本来語られるべきイベントが一回も出て来ないんですね。
     日本人は何を残すべきかというと、皇室の移動を考えるのではなくて、日本人というのは、誰がいなくなっても大丈夫で、誰かが生きていれば大丈夫だ。
     「その“誰がいなくなる”“誰が残る”ということに関して、優劣をつけてはいけない」ということを言ってるんですよ。
     かなり過激な主張です。
     じゃあその映画のクライマックス。
     僕がさっき言った、ソルマックの注入ですね。バッタリ倒れてしまったゴジラの中に薬を飲ませるやつです。第一班が全滅したら、矢口は第二班をすかさず突入させてるんですよ。それも、これまでの怪獣映画では、あんまりなかったですし。本当だったら、福島原発でやるべきだったと庵野が考えていたことなんですね。
     そこは民主主義がどうであろうと、人命尊重がどうであろうと、人権がどうであろうと、一国のトップというのは、場合によっては前線の人間に「死ね」と命令させて守るべきものがあるだろう。というのを言っちゃった映画だと思うんですよね。
     そこら辺が『シン・ゴジラ』の思想としての凄さだと思うんですよね。
     こういう映画を作られると、後で映画を作る人間が、すごくやり難いだろうなと思います(笑)。

    まとめとコメント質疑

    nico_190818_13931.jpg【画像】DMMラウンジのサロンにて

     僕が今回の『シン・ゴジラ』に対して語ったことの、一番大きな枠組みは何かと言うと、まずは『シン・ゴジラ』の正体自体が、牧悟郎博士ではないのかと。
     そういう個人の復讐の話を、間接的な戦争と原子爆弾の被害者である庵野秀明という個人が、どのように果たして、そして現に、長崎と広島に原子爆弾を落とされたことによって、日本人や日本経済が繁栄してしまって、その結果、アニメやマンガが生み出されて、その結果、その面白さや喜びの中から「オタクの庵野秀明」という生物が生まれてきたのかというのを、すごく正直に語ってるんですよね。
     ひとつの嘘もなく語っているからこそ、ゴジラの設定にしろ、赤坂官房長官の設定にしろ、矢口の設定にしろ、ラストの煮え切らないセリフにしろ、そこまで本音を語る、つまりパンツを脱ぐことが出来たからこそ、次の『ヱヴァンゲリヲン』の最後の作品に、庵野秀明は「こんなに正直なことを語っても、怒られないんだったら」というのは変なんですけど、「OKなんだったら、俺はやりますよ」という宣言が、「政治家は引退することが、やめることが責任の取り方だ。でも俺は今はやめない」と言ったのではないのかなと思います。
     時間を少々越えてしまいましたが。
     それであっても、映画として65点という俺の評価(笑)あんまり変わらないですよ。本当に怪獣映画としては95点で、庵野秀明映画としてはおそらく1万点なんでしょうね。でも映画としては「お前はもうちょっと、ちゃんと作れるはずだぞ!」と、思いますし(笑)。

    「とりあえず、石原さとみがジャマだよな」(コメント)

     石原さとみがジャマなのを解消する方法は、先週に言ったから。
     心ある人は見ておくように、よろしくお願いします。以上ですね。

    「満点は、いくつで?」(コメント)

     いや、満点は100点なんですけど、庵野秀明映画としては1万点なんですよ(笑)。

    「ジェラシーもあるのでは?」(コメント)

     いや、ないない(笑)。
     俺もアニメを作ったことがあるから言えるんだけどさ。たぶん、マンガを描く人間とか、映画を作る人間とか、表現者のジェラシーって、そういうのじゃないんです。だから押井さんが宮崎さんの映画とか庵野の映画をボロクソに言うのは、全然ジェラシーじゃないんです。
     あれはもう押井守の表現なんですよね。
     それで押井守は、もう映画を作るより、あの表現に特化したほうがいいと、俺は本当に心から思ってるんで。別に他の作家の作品を褒めたからどうだ、けなしたからジェラシーというワケではないんですよ。
     現に島本和彦先生は、あんなに「『シン・ゴジラ』に負けた!」と言いながらも、その「負けた!」という口調を聞くと、俺は島本先生のジェラシーをちゃんと感じるという。
     「島本先生、現役、現役」と思って嬉しいんですけどね。
     俺がジェラシーを感じるのは『ゴジラ』を語る人だけなんですよね。そんな人は、自分と同じ戦列だと思ってるから、僕はジェラシーを感じるかもしれないですけども、作る人に対しては、僕のジェラシー感というのはない。
     これは普通はどうなんだろうな? 囲碁部の人は、野球部にジェラシーを感じたりするのかな? ワケのわからない例えをするのは、やめましょう(笑)。

    「島本先生の公開説教は、しますか?」(コメント)

     いやいや。8月14日はアイツは「忙しい」って言って、断ってきやがったからですね(笑)わざわざ助田さんが電話をしたら、「忙しいです」って言われて。よくよく考えたら、コミケの当日の夕方だから。無理かもしれないとは思ってたんですけども、俺の中では「島本和彦は逃げた」と捉えております(笑)。
     なんで「逃げたのか」と、考えるのか。
     というのは、島本くんの中で「なんで負けたんだけど立っていられるのか?」っていうと、「こんな凄いものを作られたら、負けた」「そして、『負けた』と言える俺は、まだまだいける!」という。
     彼がツイッターで言っているとおり、こんな構造なんですけども、そんなことはないよと。「お前もやろうと思ったらやれるけども、最近のお前はやってないだけじゃん!」というのを、俺は言おうと準備してたんですけどね(笑)。
     その辺りの呼吸ではないのかなと。本当に俺はキツイなと思いますけどね(笑)。
     では次回は8月の14日ですね。
     次回は終戦記念日に近いので。ちょっと最近は歴史の話が続いたので、路線変更をするかもしれないんですけど、こういう話をメインで。
     後半のほうが、やや複雑な話をするような感じでやっていこうと思います。
     今日は本当に面倒くさい長い話に。58歳が『ゴジラ』を汗みどろになりながら熱く語るという会に、最後までお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。
     それではまた来週日曜日の夜8時にお会いしましょう。
     それでは、また。バイバイ!

    (本編停止)

    『シン・ウルトラマン』のクライマックス予想

     はい、お疲れさまでした。長かったですね(笑)。
     まあまあ、普段は無料版と限定版と、こんなふうに内容がピッタリくっついて、ギッチリあるわけじゃなくて、無料版の方がグタグタで限定版の方がちゃんとしている場合もあるし、逆に、最近は無料版の方でレジュメを作ってる時に力尽きて、限定版の方がグタグタになる時もあるんですけども。
     だいたいはこんな感じで、ちょっと言いにくい話とか、ちょっと難しい話、あとは「この話題を一般公開するのはマズいかな?」という話は、限定版の方に回していると思ってください。

    ・・・

     では、ここからは、お待たせしました、『シン・ウルトラマン』の話です。

     『シン・ウルトラマン』が正式に発表されました。正直「やっと認めやがったな」という感じなんですけど。
     では、なぜ、ここで『シン・ウルトラマン』なのかというと、実は『ウルトラマン』の海外版の制作権というのは中国に奪われてしまっているので、円谷プロとしては、まあ、困っていると。
     あとは、『エヴァンゲリオン』の新劇場版とか、そういうシリーズ以外に安定的な収入がない庵野秀明の会社スタジオカラーのお家事情というのがあるんですよ。
     そこら辺は、2019年の3月10日版のニコ生の無料部分で話していますので、その辺に興味のある人は、2019年3月10日版のニコ生ゼミを見てください。だいたい、頭から12分30秒くらいのところで、「なぜ、今『シン・ウルトラマン』なのか?」について、今言った、円谷プロとスタジオカラーのお家事情の2つを説明していますので。
     今回の『シン・ウルトラマン』に関して、実は僕は、キャスティングについては、あんまり興味がないんですよ。「誰が出るのか?」というのは、個人的に興味なくて。
     僕が見ているポイントは、どちらかと言うと、スタジオカラーが出した声明文ですね。

     ここでのポイントは2つです。
     まずは1つ目。「樋口真嗣監督率いる樋口組に庵野秀明が脚本・企画として参加」について。つまり、庵野秀明は監督じゃないんですよ。監督はあくまでも樋口真嗣であって、庵野秀明は企画・脚本で参加するだけ……というふうに言ってるわけです。
     そして2つ目。「脚本の検討稿は2019年2月5日に脱稿済み」というところ。つまり、もう完成している、と。そして「庵野は『シン・エヴァンゲリオン』劇場版の完成後、樋口組に本格的に合流する予定」と。
     これが、公式の発表なんですよ。このステートメントだけ見てると、『シン・ウルトラマン』って、まるで樋口映画のように見えるんですね。「庵野君は、あくまで、ちょっと手伝うだけ」みたいに見えるんですけど。

     いや、でも、違う。
     だって、「脚本は2019年2月に出来ている」んだったら、後で合流する必要なんてないわけですよ。本当に「企画・脚本としての参加のみ」なんだったら、もう、庵野君の仕事は終わっているわけですよね。
     つまり、これは「『シン・エヴァンゲリオン』公開までは樋口班に下ごしらえをコツコツやらせておいて、『エヴァ』が完成してから、一気に撮影を進める」というやり方なんじゃないかと思います。

     それと同時に、この声明は「『エヴァ』をやらずに、あんなことばっかりやりやがって!」という、ファンの方々からのキツーいメッセージが、マジでボディブローのように効いてるんだろうな、と(笑)。
     たぶんね、エゴサーチをしてるんですよ。やっぱりみんな、エゴサーチしてるから、案外、そういった声が腹にドンドン効いてるんだと思います。
     なので、その作家の作品を楽しみたいなら、あまりそういうことをバンバン言うのはやめた方がいいんじゃないかなと思うんですけども。

    ・・・

     今、報道でも「庵野秀明は学生時代にも『ウルトラマン』を題材にした実写映画を撮っていて~」みたいに、『帰ってきたウルトラマン』という自主制作映画の、映像の一部であったり、写真であったりがよく紹介されています。
     ご存知の通り、庵野秀明が学生時代に作ったその映画、『帰ってきたウルトラマン』という自主映画の脚本を描いたのは僕、岡田斗司夫なんですね。
     この時、庵野秀明と「絶対にやろう」と言っていたのが、クライマックスを3つ作るということだったんです。
     1つ目のクライマックスは、「映画の中で核兵器を使用するという」シチュエーション。この、核兵器を使用するかどうかという決断を、第1のすごく大きい山場として持ってくるということでした。
     絵面的な見せ場は他にもあるんですよ。「怪獣が登場する」とか。でも、そうじゃなくて、ドラマ的な見せ場はまず核兵器の使用を決断するということだったんですね。
     で、2つ目が、「ウルトラマンと言いながらも、庵野秀明が素顔のままでビルを壊してバーンと出て来る」ということ。
     これも、絵面的なクライマックスであると同時に、ドラマ的なクライマックスの1つでもあったんですよ。
     というのは、ウルトラマンと言いながら、どう見ても人間の顔をしたヤツが出てきた時に、見ているみんなは、一瞬だけ、もう、冷めるわけですよね。「真面目に映画を作ってると思ってたけど、ここで笑かすつもりなのか?」ってなるんですよ。
     だけど、これはもう、絶対に、クライマックスでやると決めていたんです。
     そして、3番目のクライマックスは、「最後、怪獣と戦っているうちに、見ている人間から『これは庵野秀明という人間の顔そのままだ』という気持ちを、徐々に徐々に忘れさせること」。
     いつの間にか、本物のウルトラマンを見ている気持ちにさせるということが、第3のドラマ的なクライマックスだ、と。
     これを、自主映画の時に徹底的にやったんですね。
     この内、「核兵器を出す」というのは、もう『シン・ゴジラ』でやったから、『シン・ウルトラマン』ではやらないと思うんですよ。
     でも、第2、第3のクライマックス、つまり「素顔のままで出る」というのと、「素顔であることを忘れる」というのは、『シン・ウルトラマン』でもやるんじゃないかと思うんですよね。

    ・・・

     そう思うのは、庵野秀明という人は、すごく『ウルトラマン』が好きで、『宇宙戦艦ヤマト』が好きで、『ガンダム』が好きでっていうのと同じくらい、そういう作品に関連したものも色々と好きな人だから、なんですよ。
    (本を見せる)

    nico_190818_14859.jpg【画像】ウルトラマンタロウ

     これは、石川賢が描いた『ウルトラマンタロウ』をコミックにしたものなんですけど。こういうのも、やっぱり、当時のオタク達、ファン達というのは、すごく熱心に読んでたんですよね。
     そうやって、こういう関連作品の中の面白い部分を、自分の中の「俺ガンダム」とか「俺ウルトラマン」に、どんどん入れるということをやってたんですよ。
     僕が、「ああ、これはすごいな!」と思って、当時のマニアの間でよく言ってたのが、ここなんですけど。
    (パネルを見せる)

    nico_190818_14921.jpg【画像】マントのウルトラマンnico_190818_14930.jpg【画像】マスクを取るウルトラマン

     石川賢版の『ウルトラマンタロウ』では、「ウルトラ一族は、遥か昔に地球に来ていた」と。そして「マントを着て出て来たと思ったら、マスクを取る。すると、その下には人間の素顔がある。その素顔から発せられた光によって、類人猿たちを進化させ、人類へ導く」というようなシーンがあるんですね。
     僕ね、これをやるんじゃないかなと思ってるんですよ。
     庵野秀明がウルトラマンを撮るからには、絶対に素顔のウルトラマンをやりたいはず。
     しかし、だからといって、自主映画でやった時みたいに、「ちょっとビックリさせてやろう」というネタでやるのはマズい。
     だったら、この石川賢の「マスクを取ったら中から老人が出てきた」というのを……これは、すごいショックだったんですよ。「僕らがウルトラマンの顔だと思っていたものは仮面であって、その下に人間がいる」というのは。
     実はこれ、『エヴァンゲリオン』でもそうなんですよね。これは、庵野秀明がずっと追いかけている映像的なテーマでもあるんですよ。
     こういうことが、『シン・ウルトラマン』にあるんじゃないかと思います。
     もうちょっと状況が整理されてきて、僕の方がもっと語れるようになってきたら、『シン・ウルトラマン』に関して、もう少し色々と語ってみたいと思います。

    ・・・

     では、一般放送はここまで。ここから先は限定放送に切り替えます。
     限定の方では、もうちょっと『シン・ウルトラマン』の話をしようと思うんですけども。

     次回のニコ生は8月20日、『ガルマ散る』解説の後編をやります。
     8月25日の日曜日は、たぶん……「たぶん」ですよ? 『崖の上のポニョ』をやると思います。

     それでは、限定放送に切り替えてください。


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