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1994:その28(1,629字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2週間前
昔は「なぜヤンキーが生まれるのか?」などということは考えたこともなかったが、今なら、それを構造的に読み解くことができる。彼らには時間がなかった。中学あるいは高校を卒業すれば働かないといけないという枷があり、遊べる時間が限られていたのだ。だからどうしても遊びは過激な方向へ流れた。同級生には大学に進...
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1994:その27(1,641字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 3週間前
ぼくはバブル時代というのは1994年に強く影響していると思う。バブルはだいたい1985年に始まり1991年に終わる。約6年間の狂騒だった。そしてその終焉は、ある日突然起こったわけではない。段階的、なし崩し的にずるずると終わっていった。そのため、1994年にはまだその残像、残響、残滓というものが多数あったのだ。社会...
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1994:その26(1,698字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 4週間前
1980年代後半に「おニャン子クラブ」ブームが到来する。これはぴったりバブル経済とシンクロしている。おニャン子クラブは1985年4月にデビューし、1987年9月に解散する。たった2年半の活動でしかなかった。しかし時代に強烈な爪痕を残した。おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』というテレビ番組を母体としている。...
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1994:その24(1,601字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
1080年代のはじめに女子大生ブームがあった。これはバブルの始まりで豊かになった親が自分の娘を女子大に入れ始めたのがきっかけだろう。これに呼応して女子大もまたいっぱいできた。1970年まで女子大はあまりなかったが1970年代になって急に増えるのだ。団塊の世代で女子大に行った人はあまりいない。女子大に行ったの...
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1994:その23(1,620字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
1994年、日本の中心は渋谷だった。渋谷が文化の発信地で、けっして大袈裟ではなく老若男女にとって注目の的だった。中でも若者にとっては一種の聖地だった。当時の社会における若者に対する注目度はきわめて高く、経済も若者中心に回っていた。だから若者の街渋谷は「経済の中心」でもあったのだ。1990年代は渋谷が最も...
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1994:その22(1,749字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 1ヶ月前
なぜ1994年のことを書こうと思ったかといえば、それが1995年の前の年だからだ。1995年はなにしろ阪神淡路大震災とオウム真理教事件があったので、人々の記憶に今も鮮やかに残っている。ここが日本社会の一つの転換点だった。ここから失われた30年が本格化した。最も景気が悪かったのが1997年頃だ。出版界の売上げのピー...
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1994:その21(1,633字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
桑田佳祐と松任谷由実という二人のシャーマンの存在で、1980年を境にした日本の恋愛事情の急激な変化というものが見えてくる。松任谷由実に『埠頭を渡る風』という歌がある。ユーミンの代表曲の一つだが、この曲が全く売れなかった。発売したのは1978年10月である。『勝手にシンドバッド』が1978年6月だから、その半年後...
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1994:その20(1,752字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
桑田佳祐はやはりすごいと思う。「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、彼こそはまさに時代を先取りしたシャーマンだった。ユーミンが「世に連れた歌を歌う存在」ならば、桑田佳祐は「世を連れさせる歌を歌う存在」だった。桑田佳祐が歌った歌を追いかけるように、世の中が変化していくのである。桑田佳祐は時代を完全...
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1994:その19(1,620字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 2ヶ月前
桑田佳祐は「弱い男」だった。それも、単なる弱い男ではなかった。その弱さが格好良かった。だから、時代のシャーマンたり得た。桑田佳祐がデビューした当時、世の中にはまだ「弱くて格好いい男」あるいは「その弱さこそが魅力になっている男」は存在していなかった。巷には存在はしていたかもしれないが、エンタメ界に...
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1994:その18(1,722字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 5ヶ月前
ユーミンは1954年の生まれだ。1946-1949年に生まれた団塊の世代より少し遅れてきた世代だ。遅れてきたからこそ、団塊の世代の喧噪を横目に、クールな生き方を選択、実践してきた。それが、団塊の世代以降の人々に圧倒的な支持を受けることになる。団塊の世代はあらゆる意味で特別なので、他の世代の共感はなかなか得られ...
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1994:その17(1,536字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 5ヶ月前
1994年は今から30年前である。1984年はそこからさらに10年遡った、今から40年前である。その時代に、ユーミンとサザンがシャーマニックな働きをなし、日本の文化の方向性を、ある種決定づけていった。あるいは、すでに方向づけられた社会の動きに、彼らが言葉を与えていったということもできよう。「歌は世に連れ世は歌...
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1994:その16(1,679字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
桑田佳祐は1994年につながっている。彼がデビューした1978年からその数々の流行り歌を通じて紡いできた日本の恋愛における空気感が、そこから16年が経過した1994年においてもなお、男女の恋愛観に決定的な影響を与えている。では、桑田佳祐はどのような空気感を紡いできたのか? それは一言で言えば「撤退戦」である。...
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1994:その15(1,737字)
コメ3 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
松任谷由実は1954年1月19日生まれ。団塊の世代から5歳ほど下である。東京都八王子市出身で、1971年、17歳でプロの作曲家としてデビューする。また、翌年の1972年に、今度は歌手としてもデビューする。最初はなかなか売れなかったが、一方で業界内での支持者も後を絶たなかった。秘めたる可能性を感じさせる強烈なカリス...
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1994:その14(1,728字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 6ヶ月前
1980年代を語る上では、あらゆる意味でユーミンとサザンが欠かせない。荒井由実(松任谷由実)とサザンオールスターズだ。特に「時代を読み解く」ということにおいては、この二組が最重要となる。この二組……というより二人(荒井由実と桑田佳祐)は特別である。彼らはまさにシャーマンで、時代の空気をすくいあげ続けた...
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1994:その13(1,737字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
1994年を語る上では1980年代がだいじになってくる。ところで、ぼくは1980年に12歳になり、1989年に21歳になっているから、ティーンエイジャーの青春時代を丸々80年代で費やした。そして、当時は分からなかったが、そのときも歴史は動いていたのだ。抗いがたい力が社会に作用して、人々を右往左往させていた。当時ティー...
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1994:その12(1,602字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
「恋愛」というのは、60年代には存在していたものの一般大衆からは遠い存在だった。映画の中だけで起こる憧れのようなものだった。それが70年代になると、一般大衆にもゆっくりと広がり始める。ところが多くの人にとって不慣れだったため、上手くいかないケースが多く、四畳半フォーク的な悲しい結末に終わることが多か...
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1994:その11(1,790字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
1994年の男女関係、男女交際はどうだったのか?男女の恋愛が大きく変化し始めたのは1980年代に入ってからで、柳沢きみおの『翔んだカップル』に、その傾向が象徴的に見られる。若者が恋愛に悩み、新たな形を模索し始めたのだ。それまでの恋愛は、面白いことに型が決まっていた。だから、新たな形を模索するということが...
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1994:その10(1,721字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
2024年の今年、株高になったが「庶民にはその実感がない」ということが話題となった。これと同じで、1994年当時、バブルはすでに崩壊していたが、庶民はまだそれを実感していなかった。それを実感――いや「痛感」するのは、1998年になってからだ。長銀や山一証券が破綻して、給料の目減り――というより「増えなさ」が顕著...
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1994:その9(1,551字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 7ヶ月前
宇多田ヒカルは1983年生まれなので、1994年には11歳だった。人間にとってさまざまなものを吸収するとてもいい時期だ。それを1994年で過ごし、ミュージシャンとして大成したのだから、この年にも何か魔力があったのだろう。パッと思いつくのは、日本は音楽業界が空前のバブルを迎えていたので、その活況を肌身で感じたと...
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1994:その8(1,568字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
1994年に17歳の子供は、1977年生まれである。3歳のときに1980年代を迎え、13歳のときに90年代を迎える。そんなふうに、子供時代がそのまますっぽり80年代だ。3歳から13歳のさまざまなものを吸収する時期に、80年代という異常な時間・空間の中で過ごすことになるのだ。その結果、1997年の子供たちはチョベリバルーズソッ...
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1994:その7(1,638字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
80年代に日本社会は人知れず「ブラック」になっていった。理由はバブル経済だ。バブル経済というのは不思議なもので、最初はそれが起こっていると気づかれなかった。というか、その最盛期でさえ、それがバブル経済だとは誰にも分からなかった。それがバブル経済だったと気づいたのは、完全に弾けきった後だった。そもそ...
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1994:その6(1,844字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
前回、金属バット殺人事件が『金八先生』の第1シリーズ放送中に起こったと書いたが、正しくは第2シリーズの放送中に起こった。誤りだったので、ここに訂正します。ただ、第2シリーズは校内暴力がテーマなので、当時の学校状況が反映されていることは確かだ。また金属バット殺人事件も、何らかの影響を及ぼしたと推測され...
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1994:その5(1,909字)
コメ5 ハックルベリーに会いに行く 8ヶ月前
1994年の若者を象徴するものといえば、まずは「ルーズソックス」である。次に「渋谷」であり、「援助交際」だ。「テレクラ」ブームもあった。いわゆる「女子高生ブーム」だった。渋谷の街をルーズソックスの女子高生たちがポケベル片手に闊歩していた。1994年に17歳ということは1977年生まれである。小学生の頃にバブル...
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1994:その4(1,678字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
1994年は地味な年である。政権は非自民系の連立与党が担った。首相は村山富市である。このときの連立与党の失敗が、自民党の再生を促したといってもいいだろう。1996年から、自民党が再び政権に返り咲き、橋本龍太郎が首相になる。そう考えると、1995年の阪神淡路大震災は村山内閣だった。また、2011年の東日本大震災は...
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1994:その3(1,594字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
1994年最大のヒット曲はMr.Childrenの『innocent world』で、売上げ枚数は193.6万枚となっている。リリースは6月1日で、「アクエリアス ネオ/アクエリアス イオシス」のCMソングだった。ミスチルは同年11月10日に出した『Tomorrow never knows』もミリオンヒットさせている。この曲は翌年にかけて276.6万枚も売れた。ア...
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1994:その2(1,745字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
この連載を書くのにあたってなぜ「1994」年を選んだかというと、その次の「1995」年がなかなか印象深い年だからだ。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件があった。音楽では小室やミスチルがブームで、CDは史上空前の売上げを記録した。出版界も盛り上がり、やはり史上最高の売上げを記録する。テレビもまだまだ上り調子で...
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1994:その1(1,767字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 9ヶ月前
「歴史をどうとらえるか?」ぼくは今、それを考えるのが一番面白い。最初は歴史書を読んで満足していたが、次第に自分でも考え、書きたくなった。たとえていうなら、それはジオラマ作りに似ている。最初はプロモデラーの作品を見て満足していたのが、次第にそれでは物足りなくなって、自分でも作ってみたくなった。ある...