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記事 11件
  • ドイツの株式会社制度

    2024-08-31 09:57  
    ドイツの株式会社制度は、「労働者による会社のコントロール」が組み込まれているという点で、現代において再注目する価値があると思う。ドイツでは、株式会社の最高意思決定機関が株主総会であることは米国型と変わりはないが、株主総会はそこで「株主代表」と従業員労組からの「労働者代表」を選び、監査役会を任命する。この監査役会のもとで会社の取締役会が選任(解任)されることになる。株主総会↓監査役会株主代表と労組から選出された従業員代表で構成↓取締役会従業員代表から、会社の取締役として不適切とされれば取締役は解任されることとなる。そしてまた、株主と労働者は対等の権利を有し、相互の利益の調整のうえに監査を行っていくことになる。ステークホルダーに配慮する、米国型よりもガッチガチのガバナンスだと評価することもできるし、この体制のもとでは経営者が大胆な意思決定などできないだろう、という評価もすることもできる。なんに

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  • 能渡・伊達(2024)社内の非生産的行動の悪影響は周辺に及ぶ

    2024-08-30 08:12  
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    誠実な良い研究です。いじめやハラスメントは、周辺にどういう影響を及ぼすか。周辺にとってもそれはストレスになるほか、「この組織には公正がない」と認識され、職務への不安、燃え尽き、低職務満足、組織不信、情緒的な関与の低下が起こる。これらの関係をばっちり統計的に検証している論文。いいじゃないですか。***さて本日は兵庫県の齊藤知事・百条委員会。この論文成果に基づくなら、そして内部告発の内容が真実なら、県行政に与えた影響はあまりにも甚大だということになる。

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  • 水戸浩ほか『企業論』超要約。

    2024-08-29 08:43  
    企業には「財・サービスの提供機関」という社会的機能がある。この側面からすれば、財・サービスを改善し、いかに効率的に届けるかが企業としての基本的な責任となる。精力的に生産活動を行い、マーケティングに創意工夫を施す。企業は社会にとっての何が基礎としてあるのか、ということを見間違われなければ、事業活動に全力を尽くすことが全面的に肯定されることがわかる。この点で手を抜いては、企業は存在している意味がない。同時に、企業は「株式会社」という社会的機能を果たしている。利殖を求める資本を受け入れ、創業の意欲に燃える企業家とつなぐ。2者の要求にこたえるためには、利益を上げることもまた肯定され、創業者の夢を追うこともまた肯定される。この2つをバランスすることが、経営者と株主とが向き合う株主総会の役割となる。第3に、企業には「働き、生活の糧を得る場」という社会的機能がある。現代社会の構造の中では、人類の大半は被

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  • 電通創業者に学ぶこと

    2024-08-28 09:55  
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    法政大学特任教授の片山郁夫先生による、電通創業者・光永星郎の事例研究を読みました。ジャーナリズムの事業を成立させるため、広告事業を開始。激動の時代に翻弄されながら、粘り強く営業をしていって、会社の基盤を作った。ストーリーに一貫しているのは、反骨精神とガッツ。極論、本当にそれだけ(良い意味で)。諦めずにガッツを見せて死に物狂いで売り上げをつくる。それだけ。だが、厳しい時代にあって、成功法則とはガッツなのだというのは、現代社会でこそ学ぶべきことであるように思う。

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  • ステークホルダー概念の拡張

    2024-08-27 12:46  
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    関東学院大学長、小山先生は一貫して「企業と社会」の関係を研究され続けておられる方です。明治乳業の食中毒の論稿は私が若いうちに読んで、たいへんに感銘を受けた論文のひとつです。雪印乳業の食中毒は、イレギュラーに対して、「加熱消毒すれば大丈夫」とする、ある種の過信、神話によって起こった。企業事故は悪意だったり、楽をしようとしてだけ起こるのではない、現場でつくられていく神話によっても起こるのだ、と。だから、それを疑う姿勢が大切なのだ、と。さて、今回は『日本経営学会誌』に掲載されている最新論稿「社会的課題解決装置としての企業」を拝読しました。①ステークホルダー概念が、近年拡張されており、かつては企業と直接的な交換関係を取り結ぶ存在だけに絞られていたが、今日では相互の活動がお互いに影響を及ぼし合うすべての対象がステークホルダーとなる。②ステークホルダー対応は基本的には企業にとって「コスト」とみられてお

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  • 若手の「優れた」業績を見るたびに、経営の科学って何なのか、といつも悩む。

    2024-08-26 11:49  
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    日本の経営学の主要雑誌『組織科学』に掲載されている、横国大の横田一貴先生の論稿を拝読しました。(横田一貴(2024)「戦略的撤退がもたらす社内知識の移転」『組織科学』,57(4), 87-100.)同じ研究室(沼上ゼミ)でいうと、現・早稲田大の小阪玄次郎先生が、若き日にやっていた研究によく似ています。特許分析をしながら、各社の行動を記述し、そこから現象として何が言えるのかを解明する研究ですね。横田先生の研究では、「ある事業領域から撤退すると、その知識が他の事業で活用されるようになる」ということを明らかにしています。科学としては、前進した、と言えるのでしょう。こうした命題が一つずつ明らかになって、それが折り重なって、企業経営に関する理解の体系となる。研究人材の育成という意味でも大変重要な意味があります。堅牢な筆で書かれた確固たる学術論文は、オールド・トラディショナルな伝統を固く守るもので、実

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  • 東京はグローバルシティになり切れなかった。

    2024-08-25 08:04  
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    国際経済/都市経済学に、グローバルシティという概念がある。(法政大名誉教授、河村哲司先生の論稿「グローバリゼーション/ディグローバリゼーションのダイナミズムと経済システムの変容」『イノベーション・マネジメント』21, 35-70.先生の論稿を呼んで、その全く要約ではない自分なりの感想まとめ。)戦後に登場した経済は「成長」ということを目的としたグローバルシステムである。これは、実に画期的なことなのだ。それまで「成長」自体が目的とされたことはなかったのだ。「強国になる」とか「豊かになる」という目的は、その目的としての是非はともかくとして、確かに国家として目指す目的たり得るものであった。その「強国になる」という目的に照らして、手段とされたのが「成長」だった。だが、戦後に登場した経済システムは、GDPや株価、あるいは人口規模などが継続的に増加すること自体が目的化されてくる。そのように、仕向けられる
  • 企業はどのような存在として考えられていたか

    2024-08-22 11:01  
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    水戸浩先生。「イエの論理」で著名な水戸公先生の御子息でいらっしゃるのかな?ちょっとわからないですが、なんにせよ水戸公先生が築き上げた「企業論」(企業とは何か、を探求する学問)を引き継ぎ、論理を発展させた方です。そのエッセンスは有斐閣アルマの教科書『企業論』に凝縮されています。その序論にて。企業というものがどのように捉えられ、研究されてきたのか、について歴史を俯瞰されている。19世紀は、①社会に財やサービスを提供する機関としての役割・機能分析と、②株式会社という仕組み・制度について分析考察が軸。20世紀には、事業組織が大規模化するに伴い、③組織としての側面が深く探求されるようになる。また、単に労働を行い、財・サービスを生み出すという以上に、人はその組織の中で生きていくのであるから、④家ーコミュニティとしての企業という視座も生まれてくる。そして21世紀には、ふたたび組織はオープンシステムとして

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  • パナソニックはいかに自社の歴史を戦略的資源に変えたか。

    2024-08-21 08:20  
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    本稿は中園宏幸・長谷部弘道「歴史を資源として使う工夫:パナソニックの歴代奢侈に見る公共性の獲得過程」『組織科学』の中川なりのまとめと解釈です。パナソニックという会社は初代社長の松下幸之助が偉大であったが故に、会社の発展方向性は良い意味でも、悪い意味でも、松下幸之助の言説に縛られる部分がある。それを時代に合わせた戦略的資産にしていくうえでは、時代の要請に合わせた解釈変更が行われていたことを論じている。2000年代に入り、中村邦夫が登場してからの組織改革の中では、大胆な再解釈の中で変わらなければならない理由として創業者の残した言葉が使われ、2010年代以降、この会社がより社会性・公共性を帯びた存在として存続していくために、創業者の言説や過去の歴史のうちから、とりわけ公共的側面が強調されるように再構築が行われいる。これは、文脈は違えども、ドンゼ(阪大教授・時計産業の歴史家)が明らかにした、ラグジ

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  • 不正が行われることに、常に悪意や深い理由があるわけでもない。

    2024-08-20 13:53  
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    グロービス経営大学院の高岡明日香先生の研究。(Takaoka, A. Introducing the Fraudulent Power Model: Unquestioned power behind data falsification crimes. 『組織科学』)35の日本でのデータ改ざんの事例を研究したところ、公式的な会社の上位権力の影響がなくとも、こうあるべきとする規範のパワーや、無視するパワー(見なかったことにする)が作用することで改ざん問題が起こり得ることを示した。上からの圧力だけではない。人間組織においては、あるべき姿や、えもいわれぬ「見なかったことにする」動機すらも、不正を行わせるのだ、ということ。思い当たるところは、皆さんにあるのではないだろうか。不正が行われるというとき、そこには常に、強い悪意や、深い思慮があったりするわけではない。人間とはそういうものだ。面倒であると

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