第190号 2016.8.30発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…先週に引き続き、リオ・オリンピックのメダルラッシュから考察を進めてみたい。先週、今回のメダリストたちにはナショナリズムの感覚が希薄だと指摘したが、もう一つ彼ら・彼女らに希薄…というより、もはや皆無だと感じたものがある。それは「ハングリー精神」である!今のスポーツ選手は貧乏からの脱出のために能力を磨いた者たちではない。逆に豊かだからこそ、恵まれた家庭環境で好きな競技の練習に没頭し、才能を伸ばすことができた者たちである。リオ・オリンピックの結果から分析できる、現代日本の実相とは?
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…NHKのニュース番組で紹介された貧困家庭の女子高生が、「貧困には見えない」とバッシングに晒されている問題。ネット民たちは「多数のアニメグッズを持っている!」「映画・イベントにも何度も行っている!」「1000円以上のランチを食べている!」「NHKのヤラセだ!!」などと生活端々に至るまで難癖をつけて炎上させている。彼らの蛮行と差別心、そして「見えない貧困」の実態を直視せよ!
※復活!著名なる言論人の方々の立派な御意見を思いっきり褒めそやす「御意見拝聴・よいしょでいこう!」。先週金曜日の深夜に放送された「朝まで生テレビ!」にて、竹田恒泰氏が妄言…いや名言を連発!!ということで、今回は竹田氏の大嘘…いやいや素晴らしい超絶技巧の数々をご紹介します!
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第185回「花形満の時代、星飛雄馬も左門豊作もいない」
2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第12回「『見えない貧困』が理解できないネット愚民と片山さつき」
3. 御意見拝聴・よいしょでいこう!・特別編「『朝まで生テレビ!~激論!象徴天皇と生前退位~』〈1〉変幻自在!竹田恒泰流議論の超絶技巧!」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第185回「花形満の時代、星飛雄馬も左門豊作もいない」 先週に引き続き、リオ・オリンピックのメダルラッシュから考察を進めてみたい。
先週、今回のメダリストたちにはナショナリズムの感覚が希薄だと指摘したが、もう一つ彼ら・彼女らに希薄…というより、もはや皆無だと感じたものがある。
それは「ハングリー精神」である。
読者の中に知っている人がどれだけいるか分からないが、60年代後半から70年代の初頭にかけて、『巨人の星』という漫画が大ヒットした。
スポーツ根性漫画の最高峰で、梶原一騎原作、川崎のぼる作画、アニメも大人気だった。
この作品の主人公・星飛雄馬は、父親が元プロ野球選手で今は日雇い人夫の貧乏家庭に育ち、そこから「ハングリー精神」でのし上がっていった。
なにしろ父親が何かというと癇癪起こしてちゃぶ台返しをするシーンが有名になり、息子・飛雄馬に大リーグ養成ギプスをつけて生活をさせるという、今なら児童虐待で放送できないスパルタ教育をしていたものだ。
また、そのライバルには両親を早く亡くし、5人の弟妹を自分一人で養うために、泥まみれで這い上がろうとする貧乏人の左門豊作というキャラもいた。
『巨人の星』が大ヒットした60年代後半は、そういう貧乏から「ハングリー精神」でのし上がっていこうという時代だったのだ。
しかし、今のスポーツ選手は貧乏からの脱出のために能力を磨いた者たちではない。逆に豊かだからこそ、恵まれた家庭環境で好きな競技の練習に没頭し、才能を伸ばすことができた者たちである。
金メダルを取るには露骨なまでにカネが要る。まず中流以上の家庭で英才教育を受け、才能を開花させて、優秀なコーチやトレーナーに託された選手が、オリンピックに出場できるまでに育つのである。
実は過去のデータから、オリンピックの金メダルの数はその国のGDP総額でだいたい決まるということは確認されているのだ。
コメント
コメントを書く誰も死なない殺し合い
やぱり、刀がいるなー
特措法の制定は既定路線となってしまったのでしょうか?
議論は無意味・・・
紹介されていた動画を見て、やっぱりユーモア忘れたらあかん、と反省しつつ、道場に戻ったら、痛切なブログ。
最後の4行に涙ちょちょぎれました。
結果責任という言葉がありますが、田原氏、これ読んでどう思うんだろう?
俺はそんな言い方していない?
たぶん、そう言う気がする。
でも、本質は?
氏の今までの仕事に対するリスペクトがあればこその悲憤慷慨。
いや、そうじゃない。
「天皇陛下の国民を思う気持ちが、無残に踏みにじられたことが残酷すぎて申し訳ないと思う」という腹の押さえが、自分には、まだ、なかったなと、痛感しました。
>>187はじめまして
「東夷」という言葉ですが、覚悟をもっておつかいのことでしょうか?
私たち東北人は、桓武天皇の時代に「蝦夷」「東夷」と言われ
時の、征夷大将軍坂上田村麻呂によって征伐された側です。
また、奥州藤原氏を清和源氏の征夷大将軍源頼朝により滅亡させられた怨念があります。
といっても、そのおかげで、後世において「公」の体現者「天皇」を戴く
日本国民となり、東日本大震災において、天皇陛下より被災地への慰問を
受けたことが、東北の人民にどれだけ勇気を与えられたかはかりしれません。
慶事といえば慶事ですが、複雑な想いが未だにあります。
特に安倍晋三は西国出身者ではないですか?
安倍晋三を指して、「西戎」と例えるならまだしも「東夷」とは
違和感を感じます。
アイヌ問題にも通じますが、純粋な血の東北人はすでにいません。
関東地方や中央の血脈と混血してすでに1000年たち
地方の祭りなどにその痕跡がわずかにうかがえる程度ですが、
征夷大将軍に征伐された阿弖流為たちの想いも我々東北人はどこか忘れては
ならないという思いもあります。
しかし、もう1000年もったって未だに「東夷」などという言葉を
使われると、未だに我々は日本国民ではないのかという疎外感と
服属させられた恩讐が蘇ってきます。
議論をしたくないのならさっさと明治政府をやめて長州幕府でも開けばよかったんですよ。
結局、明治の御一新とはなんだったのかと思わざるを得ません。
安倍政権じゃなくて安倍幕府とでも呼んだ方がいいんじゃないんですか?
安倍幕府には側用人のヤギ染色体とか日本会議家臣団とか竹田恒泰が蟠踞していると考えるべきですね。
国会が開かれる前に終熄させようとする魂胆がミエミエでしたね。
>>194
つぼきちさん。
今は蝦夷だとか熊襲だとか言っている場合ではないと思います。
もちろん私も、東北が夷の地として多大に辛酸をなめていたことは重々承知しています。
しかし今度のことは、日本国内の「遠隔の地」までをも照らしてくださる天皇陛下が、侮辱されようとしている、総体的な危機に直面しています。
今ここで、蝦夷とか東夷とか持ち出すのは、果たして適切でしょうか?
誤解がないように言いますが、私はつぼきちさんの思いを封じようと言っているのではありません。
ただ、今の流れで、東夷とか西戎とか持ち出すのは、私にとっては、あまりに唐突すぎるから、一言いいました。つぼきちさん、気を悪くしたら、ごめんなさい。
しかし、ここまで公論が出て突然私的な感情が噴出してしまうのは、どうしたものでしょうか。
>>197諫議大夫さん、
tosiさんの発言で、冗談と分かりほっとしております。
怒っているわけでも、気を悪くしているわけでもありません。
でも、できれば、「東夷」という言葉を使うには覚悟が必要だ
と私ら東北人は思います。
それか、徹底的に私らを笑わせてくれるか。
きちんとした論理や、覚悟があって「東夷」と発せられるならば
私はきちんと向き合うつもりです。
言葉狩りをしようとしているわけではありません。
ただ、阿弖流為、安倍貞任、奥州藤原氏、九戸政実、戊辰戦争と
5度目ですよ。そのうち征夷大将軍による侵攻は2度です。
とくに岩手が戦場になっています。辛酸をなめたなんてもんじゃないです。
1000年たって民族がまるっと混血しオリジナルの文化の部分もなくなった。
けっして私憤で片付けられる問題ではないでしょう。
天皇陛下の生前退位の問題は日本を揺るがす「公」の大問題ですが、
それと「東夷」の問題は質が違いますが一地方の「公」の問題です。
決して揚げ足とりとか、私憤などではありません。
>>194
つぼきちさん。
地元愛は解るけど1000年も前の事を持ち出して
疎外感を感じるなんてナイーブ過ぎるよ。
正真正銘の外国人から見たらどこからどう見ても
れっきとした日本人じゃん。
1000年間も天皇に祈られてるなんて光栄なことでしょうに。
天皇陛下なら、「東夷」ということばを どう思われるのだろう?
気にしすぎ、気にすんなよ と思われるだろうか?
小林先生のブログを拝読させて頂きましたが、田原総一朗氏という、TVメディアでの討論番組のパイオニアのような人生を送って来た人が、
「結局は議論しても無駄だから」と首相に進言してしまった、ということが、何だかTVメディアで活躍してきた言論人の終焉のようにも見えてしまって、残念な気持ちですね。
TVメディアで名を売って来た言論人・ジャーナリストと言えば、先程都知事選に立候補して落選した鳥越俊太郎氏のことも脳裏をよぎりますが、
鳥越氏は立候補時から選挙活動中まで、終始、支離滅裂でした。
田原氏の方は、これまでいろいろとゴー宣でも批判の俎上に上がることが多く、小林先生と真っ向から対立したこともあり、
逆に、最近では意見が近くなってきているのかな、と思えるような発言もありました。
注目してきた言論人の一人ではあっただけに、何ともやるせない思いです。
それは実際に言論の場で戦って来た小林先生は一層、その思いが強いのだろうなと推察致します。
漫画家として、経営者として、日々を生き抜く道を必死で模索なさっている中で、
御自身の、スタッフの皆様の、読者の生活の延長線上に、国家のことや天皇陛下のことを深く思っていらっしゃる姿勢に、ただただ頭が下がる思いです。