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<菊地成孔の日記 2023年6月6日 午後2時記す>
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<菊地成孔の日記 2023年6月6日 午後2時記す>

2023-06-06 18:00
  • 11


「生まれて初めてづくしの旅の話(1)」

   
  「志摩観光ホテル ザ・クラシック」は、僕が生まれて初めてワイン、厳密には白ワインを飲んだ場所で、尚且つ、美味すぎて飲みすぎ、さすがに自室に戻ってからだが、ゲロを吐いたホテルである。それは1977年のことだ。


 

 「酒を飲みすぎてゲロを吐く」という行為は、日本では法律的にも倫理的にも強くは禁じられていない。なので、これを読んでいるどなたにとっても、見知った光景であろう。そして、概ね「嫌いな(軽く目を背けたくなるような)光景」ではないかと想像する。



 

 今更こんな場所(有料会員制のテキスト&動画チャンネル)で、僕の幼少期の話をするのも、いかに年寄りとはいえ、繰り言が過ぎるという誹りを受けてもおかしくない。僕はヤクザか漁師のゲロから逃げ、ゲロを浴び、かなりの暴力を目の当たりにし(それには「店内」と「店外」という違いがあり、多くの格闘技ファンや、喧嘩にまつわるファンタジーに淫する人々が考えるような、大きな差があった。ウチは春夏秋冬にかかわらず入口を開けていたーー閉めると漁師が暑くて裸体になってしまうのでーーので、いわゆる「路上」と「屋内」は地続きであり、閉鎖的か、開放的か、ぐらいの空間感覚の違いでしかなかったが、そこで使用される、特にヤクザのムーヴには、全く別の競技スキルが存在した)、血液や体(主に顔面)の切片、折れた歯、を始末し、ゲロと血液を掃除して幼少期を過ごした。この時間だけが、僕と実の母の、毎夜の交情の時間だった。



 

 彼女は強く強く、何事かを隠していた。隠しながら、ニコニコしていた。僕と実母は、濡れた雑巾をひと組のワイパーのように動かしながら、その日の終わりの会話を楽しんだ。「お母ちゃん、また歯があったよ。これ、前歯だね」「(ニコニコしながら)奥歯が多いのに、珍しいなナル坊笑」「根っ子がついてる」「おお、折れてねえのが。今日、山岸さんいだあ?」「いたよ」「じゃあ山岸さんが折ったでしょうよ。山岸さんはおっかねえがんな笑」「コーラの瓶でやってた笑」笑いながら母親が陶器の灰皿を差し出す。僕はおどけて、遠くから賽銭のように前歯を投げ、上手く入るとコリン、という音がした。「あら、また当たりだよ。腕上げだな、ナル坊笑」。



 

 東京の人間である義姉と結婚した兄は、のちにワイキキにまでたどり着くが、最初期の親孝行旅行には、昭和の結婚式旅行のコースの定番を選んだ。両親ともに飛行機を怖がるだろうから。それは、京都、金沢を経て、ここ伊勢志摩に決まった。



 

 ミキモトの真珠島、そして何よりお伊勢参りがあるこのコースは定番の一つだったが、(当時まだ)真珠にも、お伊勢参りにも興味がなかった僕が、地産地消の先駆だったリゾート開発事業の一環として、山海の珍味をフレンチのルセットに乗せて供するというのは、想像するだけでよだれが出た。ネットもグルメガイドブックもない時代に、僕は文字情報だけでギンギンに勃起していた。 


 

 のちにこうした職業に就く中坊の自意識過剰がどのようなものであるか、想像していただけたら幸いである。自分で選んだVANのスーツとシャツとネクタイで、リゾートホテルのグランフルコース(現在においても「志摩観光ホテル ザ・クラシック」のメインの食材が、伊勢海老、鮑、伊勢牛、の三種の神器であることは変わらない)のテーブルに着いた、夢のような気分。フォークとナイフは、対称性を持って各々6本づつ置かれていた(エビの細かい部分をせせりだす、二本鉤の手術用組たいなアレ。も生まれて初めて見た。銚子の人間は、甲殻類をあんなものを使って食べたりしない)。

 
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他1件のコメントを表示

どうも、先日は相談回でメールを読んで頂いたyassです。伊勢、楽しそうですね。twitterも復活してガラケー動画の続きを楽しみにしてたのにあっという間に凍結されたますね(;・∀・)そう言えば自分も神戸出身だったので中学の修学旅行は伊勢でした。今では伊勢と言えば藤原ヒロシしか思い浮かばないのですがリニューアルした志摩観光ホテル気になります。家族で外食と言えば母親があまり好きじゃなかったのでもっぱら父親(こちらも健在)主導で出かけた覚えがあります。元町の伊藤グリルとか卒業祝いに行った三ノ宮の高そうな料亭(会社で使ってた?)に行った位の記憶しかないですね。間違っても香港のペニンシュラでホールドアップなんかされた事は無いです(;・∀・)今度こそ出る予定のグルメ本に今回のエピソードが
反映される事を期待しています。

No.2 10ヶ月前

不動産屋に勤めていた頃よくいきました笑
みんなお酌してまわっている隙に、人の席のずっと手をつけられていない料理を食べ回ったのを思い出しました。それどころじゃなかったです笑
腹減ってきました!

No.3 10ヶ月前

1977年だと伝説の高橋シェフ時代ですね。現在の女性シェフも彼に抜擢されたんだとか。

No.4 10ヶ月前

 僕は部屋に戻り、Twitterをやって、心からコレ本当に良くねえな。もうやめよう。と思いながら、冷蔵庫の天然水を一気飲みして、風呂を入れた。

やっぱ、flow、風の呂、口から口、しかも、4穴、呂は8、寝ると無限、生死は静止のようなステップモーション、一っ対の全体、ホールニューワールド、、、

No.5 10ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>1
 
 赤福って、大抵、駅のお土産で買うじゃないですか?あれ一回、半年ぐらい置いてたやつもあるってわかって営業停止になりましたよね?笑。結果、今、駅の土産物の赤福はしっとりしてて、本店と変わらないんですが、僕昔々の、かちんかちんnになってるやつが一番好きでしたね笑

No.6 10ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>2

 いや、あのね、結果として、もうラメールの伊勢海老、アワビのフレンチは旨いけれども、キャンプなんですよ笑。東京の方がうまいです。もう、何もかも。改めてそれを知った、ちょっとビタ〜スイートな旅でしたね。

No.7 10ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>3

 みんな食わないですよね笑。僕も客の食残しを片付けて大きくなったところがあるんでよくわかりますよ笑。腹減ったらすぐ食いましょう!笑

No.8 10ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>4

 そうです。引田天功、藤山寛美。高橋竹山の世界ですね(伝説の初代が二代目を女性にする)。正直、初代とは比べられないですけど(あまりに遠い過去なので)、記憶では初代のがうまかったです。文中にあるように、古い、バターを使ったフレンチなんで。特にアワビはモアバター。と思いました笑

No.9 10ヶ月前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>5

 だんだんよくなってきたけど、だんだん本性が斎藤耕一郎さん(本名笑)出てきたんで、アレかな笑

No.10 10ヶ月前

メルケルは物理学者でした。
いつものサウナ帰りの道すがらが、あの有名な西ベルリンへの検問所が大騒動でオープンしていたところに居合わせたんです。
で、そのまま、生まれて初めて西ベルリンに入り、缶ビールを飲んだそうです。 
「もう、研究者なんてやめる。政治家になる」と決意したんだそうです。

No.11 10ヶ月前
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