プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はジュニアヘビー級の歴史です!
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――サッカーメディアのエアインタビューが話題になってるのはご存知ですか?(プロレスメディアに「エアインタビュー」はあるのか■事情通Zのプロレス 点と線)
小佐野 知らない知らない。つまり、インタビューしていないのにインタビューしたってことで記事になってるの?
――はい。エアインタビューだと指摘されたメディアは「取材している」と反論したことで泥沼になってるんですけど。エアインタビューの決定的な証拠はなくて。
小佐野 ああ、そうなっちゃうと答えは出ないよね。
――いろんな意見が挙がる中で、プロレスというジャンルはかなり特殊なのでエアインタビューが多いんじゃないかという声もあったんですけど。
小佐野 いや、エアインタビューはないよね。でも、それこそ昔はレスラーもしゃべりがそんなに重要だと思ってないから「適当に書いて」「うまくやっておいて」とかそんな感じだったと思うんですよ。
――マスコミにお任せしちゃうというか(笑)。
小佐野 かなり昔の話になるけど、某誌にスーパーストロングマシン(平田淳嗣)と高野俊二とヒロ斎藤のカルガリーハリケーンズの鼎談が載ったんだけど。そこで毛利元就の3本の矢の話をしてるわけ。
――カルガリーハリケーンズという矢も束になるぞ、と。
小佐野 その記事を読んだ当人の平田さんが「……この3本の矢ってどういう意味?」って(笑)。
――言ってもないし、その意味も知らない(笑)。
小佐野 3人がしゃべってる写真は載ってるんだけど、記事内容は記者が勝手に作ったんでしょうね(笑)。彼らが3本の矢云々言ったところで、毒にも薬にもならないから団体としてもかまわないんだろうけど。
――当時のレスラーたちはそれでよしとしてたんですね。
小佐野 この話の流れでいえば、いま発売中の『Gスピリッツ』で東京プロレス特集をやってるんだけど。東プロ時代の猪木さんが、デイリースポーツで日本プロレスの馬場さんと新春対談をやってるんですよ。「この対談は本当にやってるの?」っていう記事でしょ?(笑)。
――ライバル団体のエース同士がおかしいですよねぇ。
小佐野 しかも記事の中で「寛ちゃん」「正ちゃん」と呼び合っていて(笑)。
――ますます怪しい!(笑)。年齢が上の馬場さんが「寛ちゃん」と呼ぶのはわかりますけど。
小佐野 ところが今回の『Gスピリッツ』でその対談を担当した石川雅清さんを取材したら、なんと本当にやってたんですよね(笑)。
――えええええ!?(笑)。
小佐野 猪木さんも取材したら「ああ、そんな対談やったなあ」と。
――エアじゃなかったんですか……政治的障害が多そうなビッグ対談がよく実現できましたよね。
小佐野 それは日プロが猪木さんのことを欲しかったから。
――ああ、なるほど。唾を付けておきたかった。
小佐野 その頃のデイリーは東プロ派だったから、猪木さんはオッケーだし、日プロに話を持っていったら「ぜひセッティグしてください」となった。そうなったら対談の障害は何もない。当時の馬場さんと猪木さんも仲が悪いわけじゃないから「馬場さん!」「おう、寛ちゃん」と話はできる。
――不思議なのは、どうして文中は「寛ちゃん」「正ちゃん」だったんですかね。
小佐野 猪木さんは東プロのエースという立場だったから「馬場さん」とは書けない。そこは石川さんがうまく作ったんでしょう。実際に対談が実現したことはたしかだけど、中身がどこまで本当かはわからないってことですよね。
――当時の馬場さん猪木さんクラスでも、記事内容はお任せだったんですねぇ。
小佐野 いまの選手や団体は原稿チェックをやりますよね。プロレス界に原稿チェックを持ち込んだのはUインターなんだけど。
――Uインターの若手が取材を受けたけど、宮戸(優光)さんの原稿チェックでしゃべった内容の痕跡がなかったなんて話もあったり(笑)。
小佐野 Uインターになってから、インタビュー記事の髙田延彦の口調が変わったんですよ。それまでの髙田延彦の一人称は「俺」だったんですけど、Uインターから「私」になって、なんだかヨソユキの言葉になってて。それまで高田延彦は原稿チェックしてなかったんだけど、あのときはUインターのすべてを宮戸がプロデュースしたかったんでしょうね。
――宮戸さんは高田延彦をアントニオ猪木にするためのイメージ戦略を担ってましたね。
小佐野 Uインターが消滅して、PRIDEで2回目のヒクソン戦があったときに高田にインタビューしたんだけど、原稿はなんにも直されなかった。高田の高を旧字体にするくらいで。
――じつはPRIDE中期になると、高田の原稿チェックは宮戸プロデュース以上に厳しくなるんですね。馬場さんの悪口が載ったインタビューが発売直後に馬場さんが亡くなったことが影響してると言われますけど……Uインターの原稿チェックには『週刊ゴング』の編集長として抵抗はありませんでした?
小佐野 うーん。こちらが違う受け取り方をしていたり、事実と違って書かれたものを直されるのは仕方ないですけどねぇ。
――口調をすべて「ですます調」で直してくれるのは本当に勘弁してほしいです(笑)。
小佐野 ああ、その人間の口調は活かしたいよね。
――SNSがない時代ならまだしも、いまは関係者や選手のパーソナリティが把握できますからね。原稿チェックでヨソユキにしても違和感しかないと思うんですけど……。
小佐野 たとえば長州さんや天龍さんが「ですます調」だったら臨場感は出ないし……でも、2人ともいまはテレビタレントになってるから丁寧語でしゃべるんですよね(笑)。
――あ、たしかに(笑)。
小佐野 いまの天龍さんたちが不自然だとは思わないですけど、「べらんめえ」口調が懐かしかったりしますよねぇ。
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――今日は日本のジュニアヘビー級をテーマにいろいろとうかがいます。これはクルーザー級の話になっちゃいますが、WWEクルーザー級クラシックトーナメントで脚光を浴びたドラゴンゲートの戸澤陽選手がWWEに移籍します。いつの時代も日本の中・軽量級は世界レベルの人材を輩出し続けていますね。
小佐野 それはいまに始まったことではなくて、一時期はTAKAみちのくがWWEに上がったことがありましたよね。WWEは最初サスケと契約する気満々で、サスケはテストマッチの相手役としてTAKAを連れて行ったら、WWEがTAKAのほうを気に入っちゃった。
――サスケ!(笑)。それはションボリですねぇ。
小佐野 それはサスケがダメというより、サスケのキャラは向こうではヒールに見えるんですよ。
――ああ、たしかに。初見だと凄く気味が悪いです(笑)。
小佐野 一方のTAKAは当時20代で少年のような見た目で、いかにも日本人のキャラなのに信じられないような飛び方をするじゃないですか。それがアメリカでは新鮮だった。ライバルとして用意されたジェリー・ローラーの息子ブライアン・ローラー(当時のリングネームはブライアン・クリストファー)がヒールだったこともあったので、TAKAは最初ベビーフェイスだったんですよね。
――ジュニアでいうとウルティモ・ドラゴンもWWEに上がってますね。
小佐野 ウルティモがWWEに行ったときは多くのレスラーが対戦できることを喜んでいたんですよ。レスラーからすればレジェンド、憧れの人だったわけですから。でも、あの頃のウルティモは手のケガが治ったばっかりで、コンディションがそんなによくなかった。それにドラゴンスリーパーを必殺技にしてたんだけど、WWEではすでにアンダーテイカーもフィニッシュ技として使ってたんです。
――WWEで先にCMパンクが使っていたから、KENTA(イタミヒデオ)がオリジナル技のGo 2 Sleepを使えなかったと同じパターンで。
小佐野 WWEではCMパンクの必殺技として定着してたからね。そこでウルティモはアサイDDTを無理やり編み出したんです。いまのKENTAはGo 2 Sleepを使ってて技の制限もないですし、昔のWWEと比べると変わってきてますけど。
――いまは日本のファイトスタイルやキャラをそのまま直輸入したほうが喜ばれますね。
小佐野 NXTで中邑真輔、ASUKAが日本と変わらないスタイルで大活躍していて、今度は飯伏幸太がKENTAとタッグを組むでしょ(インタビュー収録後、KENTAは怪我により欠場)。飯伏はWWEからのオファーを断わってるのに単発契約で出るんですから。
――それでもWWEが飯伏幸太を使いたいということですね。
小佐野 WWEにとって日本というマーケットが大切なのか、日本人レスラーが大切なのかはわからないけども。戸澤はNXTじゃなくていきなりRAWに出るという話もありますよね。というのはクルーザー級トーナメントで優勝したTJパーキンスがRAWにチャンピオンとして上がってるから、そのライバルとして起用されると。戸澤が活躍すれば、WWEはさらに日本人を獲る可能性があるってことですよね。
――うーん、それはコワうれしい話ですね(笑)。
小佐野 日本のジュニアヘビー級の原点といえば藤波(辰爾)さんだけど、その主役の座を引き継いだ初代タイガーマスクも全世界に影響を与えてますからね。初代タイガーは82年の暮れにアメリカでサーキットしてますし、あの当時のアメリカのプロレスファンのあいだには初代タイガーのビデオが出回って。日本人だけじゃなくてみんなが初代タイガーに憧れていたんです。
――ダビングしすぎて映像が悪くなったビデオテープですね(笑)。初代タイガーの引退後はその座を引き継げるレスラーがなかなか出てきませんでしたね。
小佐野 藤波辰爾や初代タイガーマスクによってジュニアというジャンルが確立されたけど、結局初代タイガーの存在が大きすぎたよね。みんな虎の影に悩まされたというか、誰が出てきてもタイガーマスクと比較されてしまう。それこそ三沢タイガーもそうだし。
――三沢タイガーデビューは初代引退してから1年後のことですから、どうしても比較されちゃいますよねぇ。
小佐野 当初全日本プロレスは佐山タイガーを上げるつもりだったけど、その計画がダメになったことで三沢光晴をタイガーマスクに変身させることになったんです。