プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは新体制が電撃発表された「NOAHの盛者必衰」! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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――小佐野さん!NOAHの新体制発表には本当にビックリしましたね。
小佐野 いやあ、ビックリしましたよ。まさか内田(雅之、元・全日本プロレス代表)さんが代表になるとはね(笑)。この件はNOAHの関連業者でさえも、新体制発表があった10月31日に聞いたそうですね。みんな知らなかった。
――新体制への動きは表面化していなかったんですね。
小佐野 最近内田さんがNOAHの会場に来てたから「あれ?なんでいるの?」って感じだったんだけど(笑)。内田さんはW-1の会場にも来ていたくらいだから、べつにおかしことではないんですけどね。内田さんは永田裕志と仲が良かったり、プロレスが大好きなわけですから。
――しかし、よく話が漏れませんでしたね。
小佐野 電撃決定なのか、水面下で動いてたのかはわからないけども。発表があった月曜日の東京スポーツには記事が載ったけど、水曜日発売の『週プロ』には載っていなかった。月曜日発表なら締切的には囲み記事くらいはギリギリで入れられたはずですが、『週プロ』は確認作業ができなかったからでしょうね。
――『週プロ』もカバーできないほどの極秘計画だったという。
小佐野 かつて新日本のオーナーがユークスからブシロードに変わったときも情報は表に出ませんでしたが、事業運営の話が外部に漏れたらマズイですよね(笑)。新日本がユークスに買収されたときもそうですよ。業界内では新日本はすでに経営破綻だという噂になっていて“Xデー”待ちだったところはあったんです。「さあ新日本はどうなる?」ってときにユークスが動いた。
――ユークスは株価にも影響がありますから、デリケートな問題ですね。
小佐野 NOAHは発表があったばかりだから今後のことはおいおい動きが見えてくるでしょうけど、NOAHはあくまでも自主再生を目指していくということなんでしょうね。
――2000年6月に旗揚げされたNOAHは一時期は“業界の盟主”の位置に君臨していましたが、00年代後半から勢いを失っていきました。小佐野さんの目からはどう見えていたんでしょう。
小佐野 NOAHは04年と05年に東京ドーム大会を2年連続で開催していずれも大成功させて、あの時期は“業界の盟主”という立場でしたね。一方の新日本プロレスはまだ格闘技路線で揺れ動いていて。
――PRIDEやK−1の格闘技人気の影響されて新日本は迷走してましたね。
小佐野 格闘技に対抗できるのは、NOAHのまっとうなプロレスしかなかったんですよ。とくに小橋建太の鉄人時代の時期。「プロレスがなんでもありでやったらこうなります!」というとんでもない試合をやってたし、それはご存知のとおり全日本時代の四天王プロレスが下敷きにあって、NOAHになってからは全日本では一話完結だったものがストーリー性のある展開になった。
――四天王プロレスにひと味加わったわけですね。
小佐野 その始まりは秋山準なんです。全日本末期からNOAH旗揚げ直後の秋山の言動は、とにかく尖っていて刺激的で。「一話完結のプロレスはこれで終わりです」とキッパリ宣言して「頭が柔軟じゃない人はこの団体では生きてはいけません」とまで言い切っちゃったわけだから。全日本末期はいかんせん行動までは移せなかったんですが、NOAHになって爆発したんです。
――新日本との対抗戦も勝手に動いたから実現したんですよね。
小佐野 そう(笑)。秋山と永田の絡みから新日本とNOAHがつながっていくんですけど、あの動きは秋山のフライングですからね。
――あのときの対抗戦は新日本が完全に手玉に取られてましたね。興行が苦しかったのでNOAH勢に頼るしかなかったのかもしれませんが……。
――猪木さんは「俺が切符を何枚売ってると思ってるんだ!」という言い回しで自分の力をアピールしてましたね(笑)。
小佐野 あの頃の新日本にはマッチメイク委員会という組織があったけど、凄く大変だったと思う。猪木さんの推す格闘技路線と、従来のプロレス路線をどう噛み合わせるかので。
――ドーム大会とかビッグイベントになるとマッチメイクはいつも混乱してましたねぇ。
小佐野 新日本のイッテンヨン東京ドームで秋山vs永田のGHC戦をやったときがありましたよね。
――永田さんが大晦日の『猪木祭り』でミルコ・クロコップに負けたあとですよね。
――そこまでしてNOAHの力が必要だったということですね……。
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