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記事 14件
  • 田原総一朗 安倍首相は本当は何にこだわったのか?

    2014-07-31 20:00  
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    今月1日、集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。早速、僕はその文書、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を読んでみた。読んでみて最初に感じたことは、「あんなに大騒ぎをしてまで、解釈改憲で集団的自衛権行使の容認、という閣議決定をする意味があったのだろうか」ということだ。公明党が強く反対をしたため、政府・自民党は大きく妥協。さまざまな条件をつけるなどして、当初の案を大幅に変更した。その結果なのだろう。できあがったものは、「個別的自衛権」で十分やれるのではないか、という内容なのだ。その文書を一部、引用してみよう。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断する」よく読んでみてほしい。「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」なのだ。それなら、個別的自衛権で十分に対応できるはずではないか。それなのに、なぜ安倍首相は「集団的自衛権の行使容認」にこだわったのだろうか。簡単に言えば、「これまでの日本とは変わったのだ」というシンボルが、安倍さんはほしかったのではないか。僕はそう考える。つまりは、安倍さんが言うところの、「戦後レジームからの脱却」のひとつなのだ。とはいえ今回の議論が、結果的に国民が安全保障について考える契機になったことは間違いない。 

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  • 長谷川幸洋コラム第56回 現実主義の安倍政権に置いていかれるマスコミの「思考停止」

    2014-07-18 20:00  
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    安倍晋三政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに伴う自衛隊法など関連法の改正審議を来年の通常国会に先送りした。当初は改正内容が整った法案から随時、今秋の臨時国会に提出して審議を仰ぐ予定だった。ここへ来て、先送りしたのはなぜか。改正が必要な法案はぜんぶで15本以上ある、といわれている。まず、これらの改正案づくりが大変な作業で時間がかかる、という事情はあるだろう。安倍首相は日本経済新聞との会見で「全体を一括して進めたい。少し時間がかかるかもしれない」と説明している。中身は相互に密接にかかわっているので、法案を1本ずつ審議するより、まとめて審議したほうが効率的で議論の密度も濃くなるのはたしかだ。だが、本音は「ここで一息入れて、じっくり国民の理解が熟成するのを待つ」という政治判断ではないか。解釈変更を閣議決定してから、マスコミ各社の世論調査では内閣支持率が急落した。たとえば解釈変更を支持している読売新聞(7月2~3日)でも、支持率は57%から9ポイント下落し、48%と初めて5割を切った。肝心なのは閣議決定ではない
    安倍政権は解釈変更を急ぐ理由を「12月に米国との防衛協力指針(ガイドライン)の改定作業が控えているので、それに間に合わせる必要がある」と説明していた。だが、専門家によれば「ガイドライン見直しに間に合えば、それに越したことはないが(日本の政策方針変更と法整備の方向について米国が確信できれば)すべての法案が見直しまでに成立している必要は必ずしもない」そうだ(森本敏『日米同盟強化のための法整備を急げ』「Voice」8月号)。森本によれば、現行ガイドラインも策定後に「おおよそ3年ほどかかって一連の有事法制を整備していった。ガイドラインの前に1本の法律も成立していなかったのである」という。そうだとすれば、ガイドライン見直しの話は、公明党の妥協を促す方便の1つだった、ということになりかねない。このあたりはプロ同士は分かっていたのだろうが、報じるマスコミ側を含めて、政府の話はあまり鵜呑みにしないほうがいい、という例の1つではある。それはともかく、あれほど大騒ぎした解釈見直しを受けて、肝心の法改正は先送りとなると、これをどう受け止めるべきか。まず強調しなければならないのは「肝心なのは最初から法改正であって、閣議決定ではない」という点だ。閣議決定は所詮、政府内の話である。それで物事が決まるわけではない。日本は法治国家であり、実際の政策はあくまで法律に基づくのだから、法改正されなければ、何一つ事態は変わらない。極端に言えば、政府がいくら閣議決定しようと、国会で関連法案を否決されてしまえばそれまでだ。そこを、大々的に反対論を展開したマスコミは勘違いしているのではないか。国会は衆参両院とも与党多数なので、国会で関連法案が可決成立する見通しはたしかにある。だが、たとえばその前に衆院解散・総選挙があって与党が敗北したり、あるいは与党の中から採決で造反が起きて可決できなければ、何も起きない(もっと言えば、法案が可決成立したとしても、その後に政権交代が起きて、見直しに反対する勢力が法律を元に戻してしまえば同じである)。安倍政権はだから当たり前の話だが、法改正こそが主戦場とみていた。「閣議決定は政府の仕事だから、本格的な国会審議は法改正のときに」と説明していたのは、そういう事情である。そう考えると、そんな大事な法改正を先送りしたのは、別に本質的な理由がある。私は「安倍政権が現実主義を身に付けてきた証拠」とみる。 

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  • 田原総一朗 リアリティがない朝日新聞や毎日新聞、それでも存在意義があるこれだけの理由

    2014-06-20 20:00  
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    集団的自衛権の行使容認に向けた議論が、繰り広げられている。政府は、集団的自衛権の行使を容認しなければ、実行できないと考えられる事例など15の具体的な事例を示し、国民の理解を得ようとしている。さて、集団的自衛権に対するメディアの反応はどうだろうか。「読売新聞」「産経新聞」は賛成、一方、「朝日新聞」「毎日新聞」、そして「東京新聞」は反対だ。はっきりと分かれている。僕は、「中立」報道というものは不可能だと思っている。だから、新聞各社が立場を鮮明にして、自由に意見を戦わせているいまの状況は、健全であると見ている。そんななか、月刊誌『WiLL』が、目を引く論文を掲載した。「日本を悪魔化する朝日新聞」。書いたのは「産経新聞」の古森義久さんである。古森さんは、「朝日新聞」の報道は、「外部の要因はすべて無視、脅威や危険はみな自分たち日本側にあるとするのだ」という。すなわち「日本は悪魔だ」という理念のもとに、主張を展開していると指摘しているのだ。たしかに「朝日新聞」の報道は、一貫している。たとえば、「集団的自衛権を行使できるようになる」ことを、「戦争をする」と報じる。「首相の靖国神社参拝」については、「軍国主義賛美」だから「反対だ」と論じている。それでも各社が立場を鮮明にして、報道することは健全なことだ、というのが僕の考えだ。とはいえ、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」のこうした報道姿勢が、日に日にリアリティを失っていることもまた事実である。「集団的自衛権の行使は国際法で認められています。どうして日本だけが勝手に『禁止』だと自国を縛り、行使できる国に変えようとする政治家を悪者扱いするんでしょう。こんなに国民が国を信用していない国は、他にないんじゃないでしょうか」戦争を知らない世代の僕の番組スタッフが、こう言っていた。彼の意見はよくわかる。そして、彼のような人が、いまの「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」にリアリティをまったく感じなくなっているのだろう。だが、「けれど」と思うことがある。僕たち戦争を知っている世代は、国家が平気でウソをつくのを目の当たりにしてきた。戦争に負けた瞬間、コロっと態度を変える大人たちを見てきたのだ。そのような経験をしてきた僕たちにとって、「国を信用」するのは非常に難しいことだ。 

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  • 長谷川幸洋コラム第52回 集団的自衛権の見直し問題が触媒となる「与野党再編論」の現実

    2014-06-12 20:00  
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    〔PHOTO〕gettyimages
    ようやく野党再編の動きが出てきた。みんなの党と日本維新の会の分裂が引き金になったが、政策的には集団的自衛権の行使容認や憲法改正問題への対応が背景にある。日米同盟を基礎に国の安全保障体制を整えながら、与野党ともに深入りを避けてきた問題が再編を後押している形だ。この流れは今後、さらに加速する可能性がある。集団的自衛権の行使容認について与党が閣議決定すれば、早ければ今秋の臨時国会以降、遅くとも来年の通常国会から自衛隊法をはじめ具体的な関連法の修正作業が始まるからだ。そのとき野党はあいまいな態度ではいられない。国会で関連法の改正案に賛成するか反対するか、選択を迫られる。憲法解釈の見直しは政府の問題にすぎないが、法律の改正となれば国会の仕事であり、まさしく野党の存在意義がかかっているのだ。参院の議席数がどうなるか
    鍵を握るのは、民主党である。民主党は減ったとはいえ衆院で衆院56、参院59の計115人の議員を擁する野党第1党である。自民、公明の巨大与党に対抗するには、維新やみんな、結いの党といった野党が結集するだけでは、あまりに非力なのは言うまでもない。民主党が大分裂し野党再編に合流するか、それとも独自路線を歩むかどうかで情勢はまったく違ってくる。民主党は集団的自衛権の見直しについて事実上、分裂した状態だが、いつまでも中途半端ではいられない。具体的な法案審議が始まるであろう来年にかけて、事態は大きく動くのではないか。まず、足元の動きを確認する。分党する日本維新の会は橋下徹、石原慎太郎共同代表がそれぞれ結成する新党の勢力が6月5日、決まった。橋下側が37人、石原側が23人で、残る2人が無所属で活動するという。橋下側は江田憲司代表が率いる結いの党(14人)と夏に合流し、この「橋下・江田新党」はいまのところ総勢51人になる見通しだ。加えて、橋下側も石原側もみんなの党(22人)に働きかけを強めている。最近、私が会った安倍政権幹部は野党再編について「参院がどうなるかですよね」と言った。自民党は参院で115議席を確保しているにすぎず、議長を除くと過半数の121に7議席足りない。万が一、公明党が集団的自衛権をめぐって連立を離脱するような事態になった場合、だれが不足分を補うかが安倍政権の生命線になるのだ。 
  • 田原総一朗 集団的自衛権問題から考える真の「保守」とは?

    2014-05-29 20:00  
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    5月15日、安倍首相の私的諮問機関、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が開かれ、座長の柳井俊二さんから報告書を受け取った。そして安倍首相は、集団的自衛権の行使容認へ強い意思を示したのである。僕は、集団的自衛権の行使容認について、全面否定するつもりはない。いま、日本を取り巻く世界情勢は大きな変化を迎えている。長い間、「世界の警察」を自任してきたアメリカが、その役割を辞めようとしている。一方、お隣の中国は、経済的に急成長を遂げ、軍事的にも急拡大し、東アジアにおける安全保障上の重大な脅威になっている。僕たちはいま、安全保障について真剣に考えざるを得ない局面にあるのだ。もちろん、国家的な議論を尽くすことが大前提だ。また、集団的自衛権が行使できる条件を明確にすることも不可欠である。そのひとつの答えが、安倍首相がいう、「戦後レジームからの脱却」であろう。ただ僕は、このような時にあって、危機感を覚えることがある。それは、安倍内閣の動きに呼応するかのように、いわゆる「保守」層が「原理主義」化していることである。彼らが目指すのは、次の4つの変化だろう。つまり「憲法の改正」「靖国神社の参拝」「東京裁判否定」「アメリカからの自立」だ。ひと昔前なら過激と受け取られていたのだが、保守系メディアで日常的にこれらの主張を目にするようになった。いまや「タブー」ではなくなったのである。こうした「保守原理主義」層がなぜ増えたのか。ひとつは、先にも述べた世界情勢の大きな変化によるものだろう。しかし、それに加えて、戦争を知らない世代が日本人の大部分を占めるようになったことと大きく関連するように思われて仕方がない。僕のように戦争を知っている世代は、「もう戦争なんてこりごりだ」という強い思いを抱いている。実体験がともなっているから、「戦争を憎む」気持ちも強い。だが、戦争を体験していなければ、「戦争はいけない」と頭でわかっていても、実感がわかないのではないか。繰り返しになるが、僕は集団的自衛権を否定しない。「憲法改正」「靖国参拝」「東京裁判否定」「アメリカからの自立」といった4つの変化についても、頭ごなしに否定するつもりなどない。僕は以前、明治維新以来の日本の近現代史を徹底的に調べた。そこで感じたのは、「東京裁判」はインチキだということだ。たとえば、「平和に対する罪」である。太平洋戦争末期まで存在しなかった罪名を、連合国が勝手に作ったのだ。そして、満州事変までさかのぼってその罪状を適用したのである。 

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  • 長谷川幸洋コラム第49回 砂川事件の最高裁判決「自衛は他衛、他衛は自衛」という相互依存こそ防衛の本質

    2014-05-22 20:00  
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    極東有事を想定した米韓軍事合同演習には沖縄の海兵隊など在日米軍も参加した photo gettyimages
    「日米安保条約で米軍に基地を提供したときから日本は集団的自衛権を容認してきた」という論点を、5月2日公開コラムで紹介した。今回はその続きを書く。米軍基地と「戦争巻き込まれ論」
    まず1960年に改定された日米安保条約を確認すると、第6条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」とある。ここで条約は「日本の安全」とともに「極東における国際平和と安全」にも寄与する、と定めている。とはいえ当時、日本側の主たる関心は「日本自身の安全」だった。一方、米国側は日本はもとより、極東の平和にも重大関心を抱いていた。米国は韓国、台湾と相互防衛条約を結んでおり、西側自由陣営の盟主として韓国、台湾が共産勢力の手に落ちるのは絶対に阻止しなければならなかった。日米の関心のズレが明確になるのは、その後、沖縄返還交渉が始まったときだ。波田野澄雄・筑波大学名誉教授(外務省の日本外交文書編纂委員長)が2013年12月に外交史料館報に書いた「沖縄返還交渉と台湾・韓国」という論文によれば、当時の佐藤栄作首相は「極東防衛と日本防衛のバランスについて発言のぶれが目立つ」という。つまり、韓国と台湾という極東の安全が日本にとって重要と認識しつつも、国内では「日本防衛以外の目的で基地が使用されれば、日本が戦争に巻き込まれる」という国民感情が強かった。そこで、佐藤は政府要人や外務省幹部に対して「(沖縄の基地は)『日本の安全のために必要』という考え方の徹底が必要なり」と説いていた、という。「戦争巻き込まれ論」はいまに始まった話ではない。沖縄返還をめぐる交渉時にも「日本が戦争に巻き込まれる。だから基地は日本だけのために使え」という議論が起きていたのだ。ちなみに、当時の巻き込まれ論は「基地は日本だけのために使え」論だったが、いまの巻き込まれ論は「武器は日本だけのために使え、友邦のために使うな」である。両者はどこが違うかといえば、使用する武器弾薬は日本の基地で補給されるのだから、戦う相手側からみれば、本質的に違いはない。さらに言えば「基地や武器を日本だけのために使え」論なら、日本防衛のために使う基地や武器という話になるから個別的自衛権で説明できる。ところが友邦のためにも使うとなると、集団的自衛権でないと説明できない。沖縄返還時には極東防衛のための基地使用を容認
    脱線した。本論に戻す。日米の関心は当初、日本だけか、それとも極東をどう含めるかでズレていたが、結局、日本は極東、すなわち韓国や台湾にも沖縄の基地は重要と認めて、沖縄返還交渉をまとめる。それが先のコラムでも触れた佐藤首相のナショナル・プレスクラブ演説だ。つまり、朝鮮半島有事に基地が必要になったときは「前向きに、かつすみやかに態度を決定する」と表明した。事実上、基地の使用はOKと米国に譲歩したのだ。極東の範囲についても議論になった。日本は朝鮮半島有事を想定していたが、米国は当時、台湾や戦争中だったベトナムも含めるべきという立場だった。結果的に日米共同声明や佐藤演説で言及されたのは韓国と台湾だけだ。とはいえ、日本は沖縄返還後もベトナムに出撃する米軍に基地使用を認めてきたのは事実である。極東の範囲には過去の議論で想定されていた韓国、台湾、フィリピンのほか、ベトナムも周辺地域として含めることを事実上、容認していた。つまり何を言いたいか。日本は日米安保条約で日本だけでなく極東の平和にもコミットしたが、沖縄返還時には具体的に一歩踏み込んで、朝鮮半島有事でも基地の使用を認めた。認めなければ、沖縄が戻ってこなかったからだ。先のコラムで紹介した岸信介首相や内閣法制局長官の国会答弁(1960年3月31日、参院予算委員会)は、目的を日本防衛に限ったうえで「米軍への基地提供は集団的自衛権とも考えられる」という内容だった(東京新聞の署名コラムlも参照)。だが、それから10年以上を経た72年の沖縄返還のときには、日本防衛だけでなく極東、とりわけ朝鮮半島の防衛にも基地の使用を容認したのである。そうであれば、ますまず集団的自衛権の容認にならざるをえない。繰り返すが、波田野論文にあったように佐藤首相は当初、日本防衛が主眼である点を強調しようとしていたが、それはあくまで国内向けだった。最終的には、演説で述べたように韓国防衛にも基地の使用を認めた。韓国防衛が日本防衛につながるからだ。 
  • 田原総一朗 改憲ではない、「解釈」を変えるだけで、「できない」を「できる」にしたい安倍政権

    2014-04-25 20:25  
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    ここのところ、「集団的自衛権」に関するニュースが増えている。集団的自衛権とは、同盟国などが攻撃されたとき、その国と協力して攻撃できる権利だ。具体的にいえば、アメリカがある国(A国)から攻撃されたときに、日本がアメリカを支援して、ともにA国と戦える権利、ということだ。この集団的自衛権の行使容認へと安倍政権が動いている、として論争になっているのだ。集団的自衛権は、日本国憲法では認められない。戦後一貫して、そう解釈されてきた。明確な「違憲」ではないが、憲法の解釈として認められてこなかったのだ。逆をいえば、「改憲」をしなくても、解釈を変えれば集団的自衛権を行使できるようになるわけだ。この解釈をするのは内閣法制局という機関である。集団的自衛権の行使容認をめざす安倍首相は、だからまず内閣法制局の長官を、「容認派」の小松一郎氏に代えた。あとは閣議決定さえできれば、日本は集団的自衛権を行使できる国になるのだ。この変更は日本という国のあり方を、大きく変えるはずである。それにもかかわらず、閣議決定だけで決めていいのか。 

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  • 長谷川幸洋コラム第44回 他国への攻撃を日本への攻撃とみなし反撃する根拠が「集団的自衛権」である理由

    2014-04-17 20:00  
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    かつて議論を呼んだ自衛隊によるインド洋上での給油活動 〔PHOTO〕gettyimages
    安倍晋三政権が目指す集団的自衛権の憲法解釈変更にからんで「集団的自衛権を行使しなくても、個別的自衛権の行使で対応できる」という意見が与野党から出ている。日本周辺で起きた有事の際、米軍を守るのに集団的自衛権の行使は必要なく、従来から政府が合憲としてきた個別的自衛権の拡大解釈で対応可能、という主張である。この意見は与野党だけでなく、集団的自衛権の行使容認に反対ないし慎重な新聞などマスコミの間でも根強い。いずれ国会で本格的な論争になるだろうが、ここでは議論を一段と活性化させるためにも、ひと足先に考えてみる。「日本が攻撃目標になっている」と"みなす”ケース
    たとえば、公明党は米艦船が自衛隊艦船と並走している時に攻撃を受ければ、日本は個別的自衛権の行使で米艦船を防御できると繰り返している。山口那津男代表は私がコメンテーターとして出演した4月5日放送のBS朝日「激論!クロスファイア」でも「集団的自衛権の行使はリアリティがない」と強調した。日本共産党は4月10日付「しんぶん赤旗」の「主張」で同じようなケースを挙げて、次のように書いている。〈 元内閣官房副長官補(安全保障担当)の柳沢協二氏は著書で、第1次安倍政権時に『公海上で米艦が攻撃された場合の自衛隊の対応については、日本近海であれば、そのような攻撃は通常、日本への攻撃の前触れとして行われ、日本有事と認定できるため、・・・個別的自衛権によって米艦の護衛が可能』と説明していたことを明かしています(『検証 官邸のイラク戦争』)。高村氏が挙げる事例は個別的自衛権で対応できるのに、無理やり集団的自衛権行使の類型に入れ、それを正当化する口実に使っているだけです。 〉ここで「高村氏が挙げる事例」というのは、同紙によれば「A国が日本を侵略するかもしれない状況下で、日米安保条約に基づき日本近海で警戒行動をとる米艦をA国が襲った。日本は集団的自衛権の行使になるからといって米艦を守らず、米艦は大損害を受けた。A国はその後、日本を侵略してきた」というケースである。もう1つ、例を挙げよう。結いの党の江田憲司代表の主張だ。江田は近著『政界再編』(角川ONEテーマ21)でこう言っている。〈 今、問題とされているケースは、本来「個別的自衛権」の範疇に包摂されるべきものであり、これまで認められてこなかった「集団的自衛権」をわざわざ持ち出すようなケースではない。 〉〈 太平洋で米軍の艦船と自衛隊の艦船が並走していたところ、たまたま敵国のミサイルが米軍の艦船に命中した。それに対して反撃した場合、集団的自衛権の行使にあたるのではないかというのですが、これなどはまさに机上の空論です。そういう事態というのは、実際には既に日米に対して開戦している状況でしょうし・・・もしかしたら自衛隊の艦船を狙ったものかもしれない。そうなら即座に反撃する、それが現場の常識、感覚ではないか。 〉(同書、41~42ページ)これらは、いずれも完全に同じケースとは言い切れない。だが「日本が攻撃目標になっている」と「日本がみなしている」点で山口、柳沢(日本共産党)、江田の3例は共通している。具体的に言えば、たとえば北朝鮮が米艦船を狙ってミサイルを発射したとしても、日本は「日本艦船に対する攻撃」とみなす、というケースである。 
  • 長谷川幸洋コラム第43回 クリミアめぐる国連決議でわかった「G20の分裂」「冷戦に逆戻り」「集団的自衛権の必要性」

    2014-04-10 20:00  
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    ハーグ核サミット会場では、潘基文・国連事務総長とオバマ大統領がウクライナ問題について話し合う光景が photo gettyimages
    ロシアによるクリミア併合問題で国連が3月27日、総会を開き、併合に先立って実施されたクリミアの住民投票について「なんの正当性もない」と批判する決議案を採択した。住民投票について、決議は「クリミア自治共和国とセバストポリの現状変更を認める根拠にはならない」と断言している。
    国連総会でクリミア併合問題の「住民投票は無効」
    決議は「ロシア」と国名の名指しこそ避けたものの、明確なロシア批判である。

    3月20日公開のコラムで書いたように、国連は当初、安全保障理事会で住民投票を無効とする決議案を採択しようとした。ところが、ロシアが拒否権を行使したために、それは否決されてしまった。
    今回は安保理ではなく総会の決議である。だから住民投票を無効と断じたところで、国連憲章の上では、現状を改める実効的強制力はない。
    あくまで象徴的なものだ。とはいえ、クリミア併合問題に対する国際世論を推し量るうえでは、それなりに意味がある。
    棄権が58ヵ国
    まず、評決結果である。決議案に賛成したのは、米国やカナダ、日本など100カ国に上った。これに対して反対は11カ国だった。棄権が58カ国である。この数字をどうみるか。
    反対した国を挙げると、当事国であるロシアのほかアルメニア、ベラルーシ、ボリビア、キューバ、北朝鮮、ニカラグア、スーダン、シリア、ベネズエラ、ジンバブエの11カ国である。もともと親ロシアや反米だったり、北朝鮮やシリアなどテロとの関係が濃い、あるいは政情不安や崩壊寸前の国々である。
    これらは「まあ、そんなものだろう」と思う。
    新興国はそろってロシアの肩を持った
    興味深いのは棄権した国々だ。58という数字を多いと見るか、少ないと見るか。私は「意外に多い」と感じる。たとえば、中国やブラジル、インド、アルゼンチン、南アフリカといった20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議(G20)のメンバー国も棄権に回った。
    ちなみにG20を構成する国と地域の中で、賛成したのは日本とカナダ、米、仏、独、伊、英、EUのG7メンバー国・地域と豪、インドネシア、韓国、メキシコ、サウジアラビア、トルコである。ロシアはもちろん反対だ。
    つまり、G20の中でも中国、ブラジルなどBRICsを構成する有力な新興国はそろってロシアの肩を持つようにして棄権に回り、残りの新興国が賛成したという構図である。はっきり言えば、G20も分裂気味なのだ。
    今回の事態でロシアは事実上、G8を追放された。日米欧はG7の枠組みの下で結束を保っているが、国連以外でロシアを加えた国際的枠組みといえば、G20しかない。ところが、そのG20も結束していないことがはっきりしたのだ。
    そういう事態が今回の国連総会決議によって浮き彫りになった。
    ほかにもアルジェリアとかアフガニスタン、エチオピア、イラク、エジプトといった政情不安の国々も棄権に回っている。反対と棄権を合わせると、実に69カ国に上る。国連加盟国全体193カ国の35%強である。 
  • 長谷川幸洋コラム第41回 ウクライナ危機が突きつける「集団的自衛権の行使容認」の核心

    2014-03-20 08:00  
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    クリミア自治区シンフェロボリのウクライナ軍基地を警備するロシア軍兵士 photo gettyimages
    先週に続いて、今週もウクライナ危機について書く。先週のコラム「ロシアのクリミア侵攻は『ヒトラーのズデーテン侵攻』の繰り返し!? 国連が機能しない"規律なき世界"はどこへ向かうのか」で指摘したポイントは次の通りだ。つまり(1)今回の危機で国連は機能しない(2)中国が尖閣諸島に両手を伸ばす誘惑にかられる可能性がある(3)日本は当面、集団的自衛権の下で日米同盟の強化が必要だが、将来的にはアジア太平洋地域の集団安保体制を視野に入れるべきだーーの3点である。「戦争反対」の読者からの思わぬ反響
    同じ論点は「クリミア侵攻の意味」と題して、東京新聞のコラムでも指摘した。ちなみに、この新聞コラムは「私説」という欄であり、社説ではない。本文中でも「社説の論調とは違って」とわざわざ断ったのだが、読者からは「東京新聞の社説とは真逆で許されない」といった意見をいくつもいただいた。そこでこの欄を借りて、ひと言言っておきたい。社説というのは論説委員が互いの意見を戦わせた結果、でき上がっている。当たり前だが、論説委員の意見が最初からすべて同じであるわけがない。議論の末、社説の論調がまとまったとしても、それに異論をもつ、たとえば私のようなジャーナリストが別の意見や主張を発表しても何の問題もない。だから、私は自分の意見をこのコラムでもテレビでもラジオでも雑誌でも明らかにしているし、東京新聞だって「社説」ではなくて「私説」なのだから、それは当然だ。もしも社説の論調に反対する記者が自由に意見を発表できないとしたら、それは全体主義である。どうも戦争反対とか左翼がかった人たちの中には「言論の自由」を根本から勘違いしている人たちが多いのではないか。そういう勘違いが、かえって全体主義を招いてきた事情をまったく理解していないようだ。ほかにも、私の意見にツイッターで「一方的な見方だ」とか「無知」とか言う人もいる。何を言おうと勝手だが、中身の議論をせずに「レッテル張り」だけで批判したつもりになっているのは、言論と思考の貧しさの証明である。私はこのたぐいを相手にしない。最初からいきなり脱線した。つまらない話はやめて、本題に戻る。「地域分裂世界」が到来する
    国連が機能せず「規律なき世界」に突入する、という先週のコラムを書いてから一冊の本を思い出した。国際的な政治コンサルタントとして著名なイアン・ブレマーが著した『Gゼロ後の世界』(日本経済新聞社、2012年)だ。この本で、ブレマーは今後の世界を4つのシナリオで説明してみせた。まず米中による「G2」、それから実際に機能する「G20」。この2つは米中協力が前提になっている。逆に米中が対立した中で新たな冷戦に入る「冷戦2.0」という状態、最後がグローバルなリーダーシップが存在しない「地域分裂世界」である。この4つの中で、ブレマー自身は地域分裂世界シナリオが「もっとも実現の見込みが高い」と指摘している。つまり米国も中国も圧倒的な力で世界をリードするプレーヤーたりえず、せいぜい地域のリーダーとして自分の勢力圏内で、ある程度の求心力を発揮するにとどまる、という世界である。今回のウクライナ危機で、ロシアは国際法を真正面から無視してもクリミアを実効支配しようとした。それに対して国連が機能せず、米欧も有効な打開策を示せないでいるのを見ると、まさに世界はブレマーが指摘したような「地域分裂」に陥ってきたのではないか、と実感する。ちなみに、本の原題は「Every Nation for Itself ~ Winners and Losers in a G-Zero World」である。つまり「どの国もそれぞれ自国のために行動する」という趣旨だ。それは当たり前なのだが、圧倒的なリーダー不在の下で、各国がそういう行動をする結果、地域分裂世界に陥るというのである。では、分裂した地域世界は秩序なき混沌に陥るのだろうか。あるいは世界全体の秩序が失われるのだとすれば、日本は今後、どうふるまっていけばいいのだろうか。これが先週から引き続く、今週のテーマだ。