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  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 8 (6)

    2013-10-23 00:0010
     巫炎にとっては、あるいは、九十九や吐月は、敵側の人間と見られてもしかたのない関係にあった。
     久鬼玄造(くきげんぞう)が、巫炎を保冷車の中に閉じ込め、九十九も吐月も、その久鬼玄造と一緒にこの現場に駆けつけているのである。
     それにしても、どうして、巫炎はあの保冷車の中から抜け出すことができたのか。
     それが、九十九には不思議であった。
     おそらく、今、キマイラ化した久鬼の前に立っている僧衣の男が、巫炎を助けたのではないかと、九十九は思う。
     しかし、それを訊ねている時間は、むろん、ない。
     ツオギェルは、久鬼の前に立って、しきりと身振り手振りで、何やら話しかけているようであった。
     ツオギェルの口が開く。
     声は聴こえない。
     久鬼の口が開く。
     声は聴こえない。
     久鬼は、もどかしそうに、身をよじる。
     そして、久鬼は、時おり、九十九にも聴こえる高い声で叫ぶ。
     それに対して、ツオギェルは、たびたび、自分の両手を合わせ、それを自分の頭上へ持ってゆくという動作をしてみせた。
     どうやら、ツオギェルは、自分と同じその動作を、久鬼にやってみろと言っているらしかった。
     それを、久鬼が理解していないのか、そうではなく拒否しているのか――その動作をいやがっているようでもあった。
     話をしている間に、だんだん、久鬼の感情が、昂ぶってきているようにも、九十九には思えた。
    「巫炎さん――」
     九十九は、巫炎に言った。
    「今、久鬼玄造と宇名月典善(うなづきてんぜん)、それから銃を持った人間たちが、この森の中へ散って、久鬼を捜しています」
     一瞬、久鬼玄造の顔が、脳裏に浮かんだ。
     これは、久鬼玄造を裏切ることになるのだろうか。
     そういう思いが、よぎったのだ。
     その思いを、九十九は打ち消した。
     冷静に考えてみれば――いや、直感的なところで言えば、今の状態の久鬼は、この僧衣の男と、巫炎の手にゆだねる方がよいのではないか。
     それが、この場に居合わせた自分の務めであるような気がした。
    「それは、おれも気になっていた……」
     巫炎は、九十九にそう言ってから、ツオギェルの背へ向かって、
    「おれがやろう」
     声をかけた。
     ツオギェルが振り返る。
    「だいじょうぶですか?」
    「やるしかない。台湾では、コントロールが利かず、たいへんなことになったが、今は違う。もしも、おれがまた、暴走しはじめるようなことがあったら、なんとか、おれを殺してくれ――」
     言いながら、巫炎は、着ていた上着とTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になっていた。
    「このおれでなければ、あれは止められない――」
     言い終えぬうちに、
     めりっ、
     と、額から、角が短く突き出ていた。
     二本。
     めりっ、
     めりっ、
     と、その角が、伸びてゆく。
     バットで、背をおもいきり叩かれたように、
     ごつん、
     という音と共に、巫炎はのけぞっていた。
     背骨が、ごつん、ごつりと、音をたてて変形してゆき、曲がってゆくのである。
     肩胛骨もまた、変形が始まっていた。
     肩胛骨が、膨らんでいるのである。
     肉と皮を突き破って、肩胛骨が外へ飛び出してきたのである。
     その、突き破ってきたものが、成長し、伸びてゆくのである。
     それは、翼であった。
     しかも、その翼は、黄金色をしていた。
     身体が、膨らむ。
     背骨が、曲がる。
     ぞろり、
     ぞろり、
     と、これもまた黄金色の体毛が上半身に伸びてくる。
     そこで、獣化は止まった。
     半神半獣――
     身体が膨らんだとはいえ、新しい食物を体内に取り込んでいないため、まだ、久鬼よりは、ふたまわりほど小さい。
     しばらく前、血と肉を大量に吐き出したとはいえ、まだ、久鬼の方が、その身体が大きかった。
     巫炎が、黄金の翼を振った。
     ふわり、
     と、その身体が、月光の中に浮きあがっていた。


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    画/卜部ミチル



    初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行

    ■電子書籍を配信中
    ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」
    Amazon
    Kobo
    iTunes Store

    ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中
     http://www.amazon.co.jp/dp/4022738308/
  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 8 (5)

    2013-10-16 00:005
     しかし、久鬼は、そこに立ったが、すぐには動かなかった。
     久鬼の本体――人間の久鬼の顔が、半分、もとにもどっていた。
     吊りあがっていた眼尻の角度がわずかに緩やかになっている。
     久鬼は、不思議そうな顔をしていた。
     今、自分に何が起こったのか、それがわからないという顔だ。
     九十九も、久鬼を見つめながら、立ちあがった。
     気という力は、もとより物理力ではない。
     物理力ではないが、今のような放ち方をすれば、体力は消耗する。
     ゆるやかに、全身の細胞に、力がもどってくる。
    「大丈夫です……」
     九十九は、吐月の横に並んだ。
     雲斎に救われた。
     その思いがある。
     石との対話がなかったら、自分は死んでいたところだ。
     しかし、そのいったんは永らえた生命(いのち)も、すぐにまたキマイラ化した久鬼の前にさらされることになる。
     そう思った時、久鬼の表情に、変化が起こった。
     久鬼の眸(め)が、遠くを見つめたのだ。
     天上に輝く月よりもさらに彼方にあるものを探すように。
     その双眸(そうぼう)は、次に、地上へ向けられた。
     その視線が、動く。
     九十九の上を動き、吐月の上を動き、さらに森の奥へとその視線が動いてゆく。九十九や吐月のことを、もう、久鬼は忘れてしまったようであった。久鬼の興味は、何か別のものに移ってしまったかのようであった。
     久鬼の口が開いた。
     その口の中で、舌が動き、唇が閉じられたり開かれたりする。
     何か声を発しているらしいが、その声が聴こえない。
     と――
     動いていた久鬼の視線が止まった。
     その視線は、九十九と吐月の立つ、すぐ左側の森の奥に向けられた。
     そこから、ふたりの男が出てきた。
     濃い、小豆色の僧衣を身に纏(まと)った男――狂仏(ニヨンパ)ツオギェルと、そして、巫炎(ふえん)であった。巫炎は、削ぎ落とされたような頬をしていた。
     髪が長く、双眸が怖いくらいに光っている。
     九十九は、ひと目見て、それが巫炎であるとわかった。
     貌(かお)が、久鬼と、大鳳に似ている。
     しかし――
     巫炎は、しばらく前、銃で撃たれたのではなかったか。
     完全にキマイラ化していない状態で、銃弾を受けた時のダメージは大きい。
     その時、今回、久鬼が受けたほどではないにしろ、麻酔弾を打ち込まれているはずであった。
     なんという肉体の回復力であることか。
    「九十九くんか……」
     巫炎は、足を止めて、そう言った。
     巫炎は、すでに、円空山で、真壁雲斎と出会っている。
     九十九も、そのおりの話は雲斎から耳にしている。
     一九〇センチを軽く越えて、二メートルに迫ろうとする九十九の巨体を見て、すぐに誰であるかわかったのであろう。
     巫炎は、吐月をさらりと見やったが、今は、巫炎も吐月と言葉を交わしているゆとりはなかった。
    「はい」
     と、うなずいた九十九に、
    「ここは、我々にまかせてもらいたい」
     巫炎は言った。
     巫炎は、久鬼と大鳳の実の父である。その人間にこう言われて、まかせないわけにはいかない。いや、まかせることに、九十九は異存はない。
     九十九が、吐月に眼をやると、
    「九十九くん、その方がいい」
     九十九の考えを、肯定した。
    「お願いします」
     九十九は、巫炎に言った。




    初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行

    ■電子書籍を配信中
    ニコニコ静画(書籍)/「キマイラ」
    Amazon
    Kobo
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    ■キマイラ1~9巻(ソノラマノベルス版)も好評発売中
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  • キマイラ鬼骨変 一章 獣王の贄(にえ) 8 (4)

    2013-10-09 00:0015
    「九十九くん……」
     吐月(とげつ)が、何ごとかを察したように、一歩、退がる。
     吐月に声をかけてはいられない。
     今やろうとしていることに、全神経、全細胞、それこそ髪の毛一本ずつまで、使って集中しなければならない。
     肉体が、別のものに化してゆくようだ。
     大地になる。
     地球になる。
     重力になる。
    “石”をやっていてよかった。
     雲斎(うんさい)に言われて、円空山で、石を割ろうとした。
     巨大な石だ。
     とても割れそうになかった。
     かわりに、九十九は、石を見つめた。
     石を見つめながら、大地と対話し、己れ自身と対話をした。
     あの体験が、今、自分がやっているこのことを可能にしているのだ。
     全身を、熱い、高温の気の塊(かたま)りと化すこと。
     しかも、わずかな時間――ふた呼吸で。
     寸指波(すんしは)を全身で打つ――その感覚だ。
     両足を開く。
     腰を落とす。
     両手を拳に握って、腕を両脇にたたむ。
     これが、どの程度、今の久鬼に効果があるのかわからない。
     効果がなければ、その先にあるのは死であろう。
     が、考えない。
     死を考えない。
     生を考えない。
     ただ、今の自分にできることのみに集中する。
     力で、敵うわけがない。
     闘っても、暴風に巻き込まれた木の葉のように、あっという間に自分はもみくちゃにされてしまうであろう。
     どういう武器も、今、身に帯びてはいないのだ。
     持っているのは、ただ、自分自身だ。
     ただ、自分の肉体だ。
     大鳳(おおとり)の顔が浮かんだ。
     織部深雪(おりべみゆき)の顔が浮かんだ。
     いずれも、どれも、これも、それも、わずかな一瞬の間に脳裏に浮かんだ思考の断片だ。
     動いた。
     久鬼が。
     あひいる!
     叫んだ。
     跳んだ。
     なんと美しい。
     眼のくらむような光景だ。
     コオオオオオ……
     息を吐く。
     久鬼が迫って来る。
     もう、眼の前だ。
     いまだ。
    「哈(は)ああっ!!」
     溜めていた気を、放つ。
     全身から。
     両掌を、前に突き出す。
     微細な、気の粒子――
     それをひと粒も残さない。
     気を当てる――これは、石などの無機物には、さしたる効果はない。
     しかし、相手が、生体である場合は別だ。
     生きたもの、さらに言えば、気について修行を積んだ者、気のわかるものには、効果が倍増する。
     ありったけの精気が、全て出ていった。
     自分の肉体が、消えた。
     自分に向かって、疾(はし)ってきた久鬼が、大きく後方に飛んでいた。
     地に転がった。
     全身を、巨大な見えないバットのフルスイングで打たれたように、飛ばされたのだ。
     両掌を突き出した格好のまま、九十九は、久鬼を見た。
     むくり、
     と、久鬼が、動く。
     むくり、
     むくり、
     と、久鬼が起きあがってくる。
     消えていた、自分の肉体の感覚が、九十九にもどってきた。
     その途端に、九十九は、膝をついていた。
     全身の肉が、細胞が、おそろしい疲労感に包まれていた。
     もう、動けない。
     呼吸もできない。
     背が、激しく上下する。
     胸を膨らませて、新しい空気を呼吸しようとしているのだが、肺が動かないのだ。
     やっと、動いた。
     ひゅう、
     喉が鳴った。
     息を吸い、
     がひゅう、
     息を吐いた。
     せわしく呼吸をしている間に、久鬼が起きあがってきた。
     その時――
     九十九の前に、出てきた者がいた。
     九十九の後ろにいた吐月が、九十九と久鬼の間に立ったのだ。
    「九十九くん、逃げなさい……」
     吐月は言った。
    「吐月さん……」
    「あれが、わたしを襲っている間に、きみは逃げるのだ」
     静かな、落ちついた声であった。
    「ここで、ふたりで死ぬことはないよ」


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    画/卜部ミチル



    初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行

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