歴史の流れを見ると、多くの国ではギャンブルを規制する方向に動いている。
戦後ラスベガスでギャンブルを行ってきた政治家を日本国民は冷たい目で見てきた。
しかし今、安倍首相が先頭にたって、日本にカジノを導入しようとしている。
6月24日「ブルームバーグ」は「安倍首相:カジノ含むIRを成長戦略の目玉に-単独会見」の標題で次のように報じた。
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:安倍晋三首相は、ブルームバーグ・ニュースの単独インタビューで、カジノを含む特定複合観光施設(IR)を今後の日本の成長戦略の目玉として検討していく考えを表明した。自民党議員らが議員立法で国会に提出したIR推進法案についても、同党総裁として次の臨時国会での成立を目指す考えを示した。
安倍首相は5月30日にシンガポールのIRを視察したことに触れ、「観光振興や地域振興、産業振興に資することが
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小生は孫崎さんのファンですが、今回は孫崎さんは的外れな、言わば英語で言うナイーブな意見だと思います。ギャンブルをするもしないも個人の自由。英国ではギャンブルは大人の娯楽。博打がダメであるならば、株式投資も保険もFXもなにもかも、ギャンブルではないか。大小は定かではないが、日本の一部の金がラスベガスやマカオに逃げている。外資が多少吸収するも、それを国内で回せるのであるから、それはそれで国内では良いこと。加えて、ラスベガスやマカオは、丁半博打の殺伐とした雰囲気などない。子供や御婦人が楽しめる一大アミューズメントパークだ。ディズニーランドの中に1区画ギャンブル場(決して所謂賭博場ではない)がある感じである。 断っておきますが、小生一切ギャンブルはしません。 コメントを書かれている内容も、どれも非常に英語本来で言うナイーブだ。つまり、世間知らず、幼稚ということだ。
私もカジノ導入反対。(I am very pleased to agree with Mr. Magosaki 's opinion for once.) この春、生まれて初めてマカオへ行き、そこのカジノと一体のホテルに泊まりました。マカオは毎日何万人と大陸から来る中国人のギャンブラーでにぎわっており、市民から税金を採る代わりに、 ギャンブラーから徴収した金の一部を毎年現金で支給しているそうです。しかし、カジノを覗いてみると無気力に故郷で稼いだ金をただ捨てている何千人という中国人の顔を見てもちっとも嬉しそうな顔にはお目にかかることができませんでした。日がな一日、夢うつつにアヘンを吸ってやがて死んでいった何百、何千万のシナ人の姿もこれと似ていたのではないでしょうか。不健全極まりありません。ぜひ、そんな不健全な行動を日本で行わせてはなりません。
カジノ導入を許すことは、金がもうかるからと言って麻薬の売買に手を出すヤクザさんと同じです。日本政府が暴力機関(軍隊)と博打や麻薬に手をだせば、まさに日本国はその辺のヤクザ団体と全く同等になるでしょう。え、また、孫崎氏と同意見だって?いいじゃないの、たまには、似たようなことを言っても。いつも反対ばかりしていようという訳ではないんですよ。
steveさんに同感。
oldjapさんは行ったのがモナコかラスベガスなら
ちがう感想を持たれたかも。
人生最大のギャンブルは結婚。
結婚したやつにギャンブルを非難する資格なし。
とはいうものの今回のギャンブル特区には反対。
自民党やリストの政治家たちの巨大利権になるに
決まってるから。
>>8
「人生最大のギャンブルは結婚。結婚したやつにギャンブルを非難する資格なし。
あなたは結婚しておられるのですか。結婚していなければ、何故ギャンブルなのですか。結婚していれば、何故、ギャンブルである結婚をしたのですか。「結婚」の意味が分かっておられるのでしょうか。己の人生を豊かにする、他人を愛することのできる、己を理解してくれる人がいますか。愛してくれる、相談に乗ってくれる人々があって、己が生かされているのですが。思いやりのない人には、結婚を語る資格はありません。
はい、おっしゃるとおり結婚とはあまりにすばらしいものなので
合計3度もしました。
はい。
old japさんがカジノ反対というのは意外ですね。日系アメリカ人と同じ考え方と思っていました。僕も基本好きなことはやれば?派です。何でも規制は好きではありません。カジノで死んでもいいほど好きなのならスカラカンにされてもやればいいと思います。でもやったことには責任を持ち、なかったことにして違う人間として生きようなどと卑怯なことは考えないで欲しいと思いますね。結婚もそんなに好きならすればいいんじゃない?と思います。僕は基本クールなので、カジノも結婚も考えていません。負けるとわかっている勝負はしないので。でもまあちょっとは考えてもいいかな?
博打は、いいか悪いかは別にして大昔からありました。麻雀、パチンコなど娯楽やストレス解消として大いに役立っている人もいるので一概に悪いとは言えませんが、怖いのは知らず知らずのうちにのめり込んでしまい、依存症になってしまう人がかなり多くいることです。これは快楽ホルモンが介在する一種の病気だと言われます。個人の選択の自由とはいえ、ギャンブルは、こういった病気を誘発する娯楽なのだということも知っておくべきでしょう。多くの人が一度は、ギャンブルにはまった経験をしているのではないかと思います。ギャンブルは必ず胴元が勝ちます。それなのにギャンブルに嵌ってしまうのは、いかに快楽ホルモンが功を奏しているかがわかります。快楽はいっときですが、家庭崩壊、経済破綻は悲惨なものです。ギャンブルはほんとに楽しいものですが、こうした人々のケアを考慮することなしに、果たして金儲けのために政府が率先してやっていいものかどうかは、はなはだ疑問が残ります。大金持ちや自分を律することができる人はいいのですが、いかんせん、ギャンブルは、一般の数多くの不幸な人々を作り出してしまうようです。ささやかな麻雀娯楽とは違い、大賭博場の設置は、利権も絡んでくるので国際観光産業振興議員連盟の連中がいくらきれいごとを言っても信じることはできないですね。
>>8
「oldjapさんは行ったのがモナコかラスベガスならちがう感想を持たれたかも。」
なるほど。それは言えます。実は小生は家族で30年以上米国に住んでおりましたから、その間に自分ひとりでも、また家族づれでもラスべガスには行ったことがあり、その経験は結構楽しみました。違いはべガスには食事とショーが豊かで、博打に興味がない人間にも楽しめるような工夫がしてありますね。モナコも自分ひとりで行ったことがあり、後学のためにと自分に言い聞かせてモナコのカジノにも行きましたが、以外に閉鎖的で、小規模であり、やや特権階級の場所といった感じを受けました。また、オーストラリアのメルボルン市内の川沿いのカジノも行きましたが、そこはオーストラリアにおける中国移民の歴史(金鉱における奴隷的移民作業者)の歴史を引きずっているのか、カジノのフロアにいるのは中国人が大半であり、早々に逃げ出してきました。もしどうしてもカジノを東京に作りたいなら、ラスベガスモデルでお願いしたいものですが、残念ながら近隣諸国のギャンブラーたちが押し寄せ、品の悪い、アヘン患者みたいな低級な、金のないぎゃんブラーで一杯の殺伐としたフロアになりはしないか、また裏手には東洋の悪人がうごめくようなものになりはしないかと、そちらの心配が強く、とてもラスベガスの華麗さを想像することはできません。まあ、止めておいた方が日本国民にとって幸せでしょう。実を申せば、小生は、国防軍も不要、ただし国内治安維持の警察は必要(自衛隊は警察予備隊に戻したらという考えもありますがとりあえずはーすなわち米国が世界のリーダーである限りは、現行の自衛隊でそれに協力し、できるだけその陰に隠れて国際紛争には巻き込まれないようにする)、移民政策においては厳重な戸締り機構を維持、無差別な貿易自由化反対、無軌道な経済競争には不参加、総じて日本をコンパクトで多少閉鎖的で固有の文化遺産を維持育成する平和を重んじる国家に賛成です。原則的に私はどんな政権であろうともその時の日本人の意見の総和として選ばれた現行政権を支持するという立場であり、そうでなくて感情的に現政権の悪口を言い募るのは、馬鹿げており、下品であり、自己否定と自己欺瞞、自暴自棄な行為であると思います。国防は自国だけでは無理であり、米国が求める以上の軍備は決して拡張、開発す劇ではありません。自衛隊はとりあえず米国とあらゆる面で協調するための1つの道具と考えるべきでしょう。人殺しは充分見てしまいました。これ以上は殺すことも殺されることもごめんです。
>>8
「人生最大のギャンブルは結婚。結婚したやつにギャンブルを非難する資格なし。」と仰るが。。。
結婚をギャンブルに類すると言うのは間違いでしょう。結婚は自由意志を持つ一組の男女が、種の継続という人間の遺伝子に組み込まれた欲望に基づき、合意の上で理性的に結ぶ契約です。種の継続という人間の遺伝子に組み込まれた欲望に基づき単に交合し、その結果生まれた子供を殺害あるいは放棄したりする例も最近はまれではありませんが、それらは当然例外的な結婚例か、または単なる野合にすぎません。結婚は必ずしも楽しい結果にならないことは、結婚時に将来起こり得ることを全て予測できない以上当然であり、一方ではまあまあ楽しいい一生を終えることができたと思う人々が多数いることを考えれば、確率論てきにはギャンブルに近いでしょうが、結婚を賭博行為となぞらえることは他の要素を全く無視している点で無理です。たとえば、結婚は明らかに性欲を充たすことだけのためにする者ではなく、一方、賭博は射幸心を満足させるだけが主体であり、自己の財産を増やしたり生活の資を得るのが目的と主張するのも理論的に無理です。したがって、結婚した私のような人間にもギャンブルの可否や善悪を論じる資格は十分あると考えます。