26日、NHK放送大学で「認知的不協和」を説明していた。現在の社会現象を見る上で参考になる。ただし放送大学ではこの論は最近関心が低いとの説明を行っていた。
「認知的不協和」を簡単に説明しているものに次のものがある。
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認知的不協和の意味と例http://ronri2.web.fc2.com/hanron17.html
人は自分の信念や、それまでの行動内容とは矛盾する、"新しい事実"を突きつけられると、"不快な感情"を引き起こします。その結果、自分の信念や行動と、"新しい事実"のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。これを認知的不協和と呼びます。そのとき、信念を変えることが困難な場合、人は"新しい事実"の方を否定しようとします。
代表的な例がタバコで、タバコを吸うという行為に対して「タバコを吸うと肺が
コメント
コメントを書く「自我と真実のあり方」、生きるということの意味「存在性」を問うた永遠の課題でしょう。
解決できる人は簡単に解決できますが、解決できない人はいつまでも解決できない。
物事の解決方法は、いろいろあるが、時と場所を間違えると、失敗することが多いので、新しい考え方を取らず、今までの考え方を踏襲することが多い。物事を見る目が豊かになり、深く遠く見られる人は、新しい味方考え方をとることに違和感を覚えない。逆に現状にとどまることの危険性を感知するのではないか。
原発の問題は新しい視点、真実なる「環境、命」と効率的「経済性」の評価をどのように考えるか。自衛権の問題は、「個別的」か、「集団的」かの問題もあれば、「専守防衛に徹するべき」か「同盟国との攻撃できる態勢の構築」など、日本を守る新しい見方考え方は、複雑に絡み合い、皆の意見を聞いていれば永遠に解決しない問題でしょう。どこかで決めなければならないが、決め方がフェアでなければならない。はっきりしていることは、原発も集団的自衛権も国民の多く「NO」と言っているのに、国会議員だけで決めるという独善的考え方は避けなければならないことでしょう。
認知的不協和。とても勉強になります。
タバコの例は良く分かります。私は天の邪鬼だから、更に発展させました。
例えば、国是となったスローガン(開戦前は特にひどい)に異を唱える集団ないし個人に「国是」を良しとする集団が不快感を抱き異に対して誹謗、中傷はおろか、暴力を振るったり、大マスコミまでが不快感を露わにし表現の機会を与えないことが日本のみならず世界中で多々見られます。この現象を集団的・認知的不協和と名ずけたいのですが、やっぱりちょっと違うのかな、みたいなことを考えています。
「認知的不協和」、確かにと納得します。でも良い悪いは、そして自分の人生にどんな意味付けをするかは、結局本人の意思にかかっているし、本人のみに許されている自由なのだと思います。僕はそれがどんな人生であれ、何か肯定的なものを見つけられるのであれば、否定する必要はないともいますね。僕自身も、「お前の人生は無意味だ」といわれれば、それは正しいかもしれませんが、自分の人生を否定するつもりはありませんし、自分の選択を後悔するつもりもありません。現在世界を席巻している国際金融資本も、その行いを自ら否定は決してしないでしょうし、確かに世界を開発し発展させたという側面はあるずです。善悪というのはあまり意味はないのです。本人が何を望むかです。
恵まれた人間にはわからないことはあると思います。心理学者などが「善悪」を振りかざすのは、屁の突っ張りにもなりません。
「認知的不協和」興味深い内容ですね.単純に受け止めれば「知識」と「知力(脳力)」の違いに似ているようです.知識はたくさん持っているが公式や定型通りの理解が優先し,色々な出来事の現象が筋道立って結びつくような論理的理解にならない.もしくは結びつかないようなトレーニングをされていた事に気がついていない.さらに年齢とともに薄々とは気がついていても関わらないよう避ける.この現象はやはりその人の生き方と密接に関わるので,参照説明の通り年齢とともに強固になって頑固になっていくようです.過日にそのような例にも遭遇しています.
やはり出来るだけ若い年齢時にネット上だけではなく,顔と顔をつき合わせる場での口角泡を飛ばすような討論の機会や,異なった意見を持った相手意見の論理的咀嚼・理解など経験を得て,論理的かつ柔軟に物事を理解・対処するような機会・経験が大切と考えます.
さらに,社会周囲からの信頼性高く理解しやすい多くの情報の提供,情報の発信が大切なことは言うまでもありません.その上でマスメディアなどからの情報受け売りだけではなく,出来るだけ多くの方々が品質の高い情報に接してそれを吟味して,自分の頭で論理的に考え判断していただくことを望みたい.孫崎さんの興味深い話題の提供ありがとうございます(2014年7月27日).
コメントが大切な部分でひとつ抜けていました.「認知的不協和」ですが,なにやらその症状が「安倍晋三」首相にとても良くあてはまるように感じます.「安倍首相(政府)」 と 「日本の多数の人々(国民)」 との関係に酷使している.「認知的不協和」(2014年7月28日).
だいぶ前の話ですが、偶然耳にはさんだのですが、「福田屋」が売りに出しているそうです。
それで隣接する上智大学が買いたいと思っていたらしいのですが、その後どうなったのでしょうか?