次の参議院選挙は極めて重要な意味を持つ。
自公が3分の2の勢力を確保すれば、改憲の動きに弾みがつく。
現在ですら、安倍首相独裁体制が続いている中で、その悪化に歯止めが全くかからない。
参考は昨年、9月の時点での試算である。その試算は2014年衆院選結果を基に得票を試算したものである。それでも、「野党選挙協力が出来れば、1人区32のうち8選挙区を野党が制し、7選挙区で自民党に得票率10ポイント差以内に迫る接戦となることが分かった。自民党が2選挙区しか落とさなかった前回とは様相が一変する」との結論を出している。
野党が自民党を上回るのは岩手、秋田、福島、新潟、長野、三重、滋賀、沖縄の8選挙区。宮城、山梨、奈良、香川、佐賀、長崎、大分の7選挙区では自民党との得票率の差が10ポイント以内である。
2014年衆院選と言えば、自民党ピークの時である。
それ以降自民党にマイナス
コメント
コメントを書く私にとっての一番大きな問題は、米国従属の日米安保と憲法と天皇の関係であり、複雑化した方程式であり、回答が何通りも出てくる。
天皇に関しては、高齢者は、左翼、右翼とも尊崇の念を抱いた人が多いが、若い人は、そのような念は薄く一つの家族としてみているでしょう。米国従属は、無条件従属、軽減、廃止と別れる。憲法も、賛成、条件付き賛成、反対と別れてくる。簡単に見ても,2×3×3=18通りの見方考え方がある。細かいニュアンスを含めていくと、考え方は無限に広がっていく。
一番残念なことは、体制に対抗するために、どうするかの話し合いがもたれることなく、野合と言われる結集が、安倍政権に対することになる。どうしても安倍政権に対する国民アッピールが弱くなってしまうことになる。TPPも安保法制も原発も、何故安倍政権ではだめなのか、簡単明瞭なスローガンで、皆が結集し、国民の支持を得られるようにすることであり、この基本ができなくては、目的達成から遠ざかる。野党は、集団的自衛権にしろ、TPPにしろ、原発にしろ、国民の体制は反対が多く、民主主義のルール、多数に従って行動してほしい。この目的を支持しない民主党は、切り捨てていくべきでしょう。この党は、敗戦を総括しないと同じように、反省しない同じ過ちを繰り返す愚かな党とすべきであり、それができなくては、国民の支持を得られない。
私の観方は実に単純。
維新は固より民主も曖昧な言葉しか発しない。そういう場合、維新・民主は親安倍だと考えるべきです。もっと煎じ詰めれば、彼らは米国のネオコンの意向に逆らえないのだという風に考えて居ます。
太田元沖縄知事が「沖縄人はお金に弱かった。お金に転んでばかりいた」とインタビューで話してました。私の見るところでは彼らは今お金を卒業している。そしてオール沖縄を成立させた。
私たち本土人はSEALDs等が進める「市民連合」に一縷の望みを託すしかない。困ったことですが、本土人はまだまだ金色夜叉なんです。しかし、この世は塞翁が馬。次の二項目は一触即発の危険性を秘めています。二つとも我が国の指導国の米国が一方の直接の当事国です。
1.ドル暴落:ロシア・中国・ヨーロッパ大陸諸国のドル売り/金買い出動。
2.中東戦争:ISISの存続を図り、米国とイスラエルとサウジが旗幟を鮮明にしてロシア、イラン、シリア、イラクと戦闘を本格的に開始する。
上記の内、一つが大事になれば、「市民連合」への追い風になるかもしれません。フランスのル・ペンがパリ襲撃で票を伸ばしたように。何故なら、米国の無謀なドル印刷と中東に仕掛けた陰謀の嘘と欺瞞が世界的に暴露されますから、日本のメデイアが隠そうにも隠しきれず、いくら素朴でも国民は米国の悪事を知ることになるのです。
リベラルは諦めず粘り強く抵抗を続けるしかありません。
多少でも政治に関心を持っている国民なら、「安倍政権の暴走を止めなくては」と考えているはずだ。
ところが民主党は、多くの国民の切実な気持ちなど無視して、「政権獲得」を狙っている。
ここで野党共闘に乗らないということは、再び国民を裏切ることであり、政権復帰どころか「消滅への道」を選択することだと気づかないのだろうか。
2009年の、あの国政選挙よりあとは、選挙が有名無実化した――選挙以外に、国民が歴史を変える手段はないにもかかわらず・・・という以上に、選挙委以外に国民が歴史を変える手段がないがゆえにである。
TPPは既成事実化され、マイナンバーも勝手に決められ、すでに国民には何の決定権もない。
もはや選挙に勝つ必要も、憲法を変える必要もなさそうに見える。
しかし、アジェンダは確実に履行されている。
だけれども、日本は老人がいっぱいの国だ。アジェンダ作った人々はそのことをどう理解しているのか?
「歴史」から追い出された国民はどこへ?
エンクロージャーで追われた民はどこへ?
帰るべき「山河」である「日本」が今どこに?
NHKは「日本」の文化やら自然やらを特集して、それがさもあるが如くにふるまっているが、実際には、「日本人」が帰るべき精神の故郷は失われつつある。
ディズニーランドやら「スポンジボブ」に共感を覚えることのできない民は精神的難民である。