私が外務省で課長になる直前時代、局の審議官に呼ばれた。
「君は外務省を誤解している。外務省は理学部でない。理詰めで正しいことを主張すればいいと言うものではない。どう動かすかの工学部だ」
外務省の先輩に加瀬俊一がいる。日米開戦当時のアメリカ担当課長、兼外務次官の要職にあった。語学の才能が高く、松岡洋右外相や吉田茂首相が米国の雑誌『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した際のゴーストライターが加瀬俊一と言われている。大変な才子である。彼の著作を読んでいた時、次の記述に出くわした。
「初めて外務省に行くことが決まった際、母は“これから毎日外務省の門をくぐる時、今日一日、貴方のあった全ての人が会ってよかったと思えるように努めなさい。そして一日が終わって門を出る時、貴方にあった全ての人が貴方にあってよかったと思えるように努めたか省りみなさい”と自分に言った」 この文章私が外務省を終えた後読んで
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いい言葉を頂きました。
胸に響くエッセイでした。読後感が深く、静かな感動として残ります。丁寧な解説に感謝。
これは読まねば、と思いました。
自民党内で、腹の中では安倍を嫌いながら誰も楯つかないのは
他人と協調する能力がありすぎるのでは。
そりゃそっちの方が成功しやすいでしょうよ。
世俗的な意味の成功なら。
孫崎さんがこんなことを書くのは意外ですね。
野田聖子も「私のこと怒ってる?」などと言って
協調能力を発揮し始めました。
結論。
EQ能力の高さは自分は出世するが、国は滅びる。
孫崎さんは、外務省の中でうまく立ち回って
もっと出世したかったのかな。
まあ、わからなくないけど。
わたしに最も影響を与えた言葉は、高校生の時に読んだ
バルザックの谷間の百合でこれから世に出るフェリックスに
ヒロインのアンリエットが贈るはなむけの言葉。
「敵を作ることを恐れてはなりません」
「敵のいない男は何もしない男だけですから」
加瀬某のご母堂とは正反対の言葉。
夏目漱石の「行人」の中に次のような一節がある。
父には人に見られない一種剽軽(ひょうきん)な所があった。或者は直(ちょく)な方だとも云い、或者は気の置けない男だとも評した。
「親爺は全くあれで自分の地位を拵えあげんたんだね。実際の所それが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えを纏めたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。唯軽蔑されるだけだ」
>>6
「なし」さんのご指摘に多分に同感します。平素は孫崎先生にいろいろ教えられていますが、今回のは少し、らしくないような気がします。読み方によっては、「八方美人のすすめ」のようにも読めます。
後世の人が見たとき、「どうして皆あんな人の言うことに従って、だれも反対しなかったんだろう」というようなことが、時々起きます。学会のような場ですら、そうしたことがあります。「だって、とても良い人で何となく反対しずらかったんだもの」なんて、後でなります。
何なとなく反対しずらかったんだもの」なんて、後で
助言というより、今の世相に危うさを覚える孫崎さんからの警鐘とも思えます。
いつ頃からか、モノを動かすのは得意でも、人を動かすのはヘタな管理職が目立つようになってきました。そういう職場の部下は少なからずメンタルがやられてしまう。相手に感情というものがあることが分からない。EQなど説いても分からない。あるいは、「いい話だなァ」とウットリするかもしれませんが、翻って自らに問題があるか否か「省みる」ことはない。
背景は違えど件のプリンストン大教授が抗議している警察官にも似たような硬直さを感じます。
また、今日日、一億総「映像メディア漬け」状態も無関係ではないと思います。
9日(火)NHKの「クローズアップ現代」を旅先で見た。樹木希林が出ておられた。最初、国谷さんも、希林さんが相手では、軽くあしらわれるのではないかと想像していました。あらゆる人生の表裏を熟知し、がんに侵され続けておられる現在の希林さん、非常に興味深く見させていただきました。最後の場面で、国谷さんの現在の状況を慮って、優しく励ますような話を持ち出され、こちらも引き付けられた。希林さん、独特の話の中に温かみがあり、国谷さんは、生涯、希林さんを尊敬し、忘れることのできない言葉になっていると思います。それにしても、自然に頭が下がったのでしょうが、国谷さんのお辞儀の仕方は素晴らしかった。心からの感謝がほとばしり出たのでしょう。すさまじい希林さんの人間力に接し、私も素晴らしい感動を覚えました。EQの力は、無限の力を持つということの端的な例といえるのではないか。