しかし、そんな苦境にもめげることなく、誰もが「家ごもり」をはじめた状況の中で「今こそ映画を作るべき時なのでは?」という想いに駆られ、数々の話題作を手掛けてきた映像制作プロダクション「ROBOT」とタッグを組んで一念発起。
完全リモートでショートムービーを製作して、YouTubeで無料ライブ公開するというプロジェクト「A day in the home Series」をスタートしました。
こうして構想から撮影まで数週間という信じられないスピードで制作された第1弾『きょうのできごと a day in the home』と第2弾『いまだったら言える気がする』は各所から高く評価され、いちはやくWeb会議ツール「Zoom」を大胆な手法で取り入れた画期的作品として大反響を呼びました。
教えて、行定監督!『きょうのできごと a day in the home』が、ボクたちに伝えようとしたこと - ROOMIE(ルーミー)
なにげないZoomの会話から始まる「映画」の作法。行定 勲監督が語る『きょうのできごと a day in the home』 - www.gizmodo.jp
映画を観る人がいる限り、行定監督は走り続ける。『いまだったら言える気がする』インタビュー - www.gizmodo.jp
そして、この2作品はあらたに特別インタビューも追加して、オンライン動画配信サービスHulu(フールー)で配信開始されています。
この2つの作品に共通する重要なテーマは「映画への愛情」です。
このプロジェクト自体が、ミニシアターへの支援を表明していますし、映画館へ足を運ぶことができなくなった多くの映画ファンに向けて「今はこうした作品を楽しんで、いつかまた劇場が再開したらまた映画を楽しんで欲しい」という監督と出演者たちのメッセージが散りばめられています。
作中の登場人物たちは、リアルに自分たちの好きな映画について語り、映画をみたときの驚きや感動、そして他の娯楽では得がたい映画ならではの体験の尊さを表現しようと試みています。
まずはHulu(2週間無料)で『きょうのできごと a day in the home』と『いまだったら言える気がする』の2作品をじっくり鑑賞してください。さらに、今回はROOMIEだけの独占企画として、劇中に登場する数多くの名作について、行定監督が特別に解説をプレゼントしてくれました(未見の方はネタばれ注意です)。
これらの映画を予習してから観るといっそう楽しめること間違いなしです。しかも、文句なしに監督がそのおもしろさを保証する、観ておいて損はない名作揃い。もちろん全部観ることができたら、監督の目線をより身近に感じながら「A day in the home Series」を楽しむことができるでしょう。
そして、待望の第3弾作品、その名もなんと『映画館に行く日』の製作も既に決定しています(完成次第、Huluで限定配信を発表)。まずはおうちでこれらの名作を勉強して、“映画館に行く日”に備えましょう。
“偶然”で結びついている2作品
Image: ©2020 SS/ROBOT
——『きょうのできごと a day in the home』と『いまだったら言える気がする』には、共通してたくさんの映画の話が出てきましたよね。今回のインタビューでは作品を観ていただいた方に向けて、行定監督からその映画を改めてご紹介いただきたいと思っています。
「きょうのできごと a day in the home」と「いまだったら言える気がする」に登場した映画一覧
両作品を通じて、ジム・ジャームッシュ監督の作品が目立つ気がしますが、行定監督にとっても、影響を受けている監督なのでしょうか?
僕はジャームッシュの影響を受けていると言うよりは、好きなんです。ジャームッシュって日常の些細なできごとをロックな解釈でリズミカルに、淡々と描いていて、彼の映画を観ていると時代を感じないんですよね。
『パターソン』なんかは近年の大傑作だと思います。僕が以前に高良健吾さんにおすすめして、彼が作中で選んだものなので、もともと脚本にパターソンがあったわけではなかったんです。
詩を書き続けている主人公が、彼女に「詩集をまとめなさい」って言われていたのに、最終的にあんなことになっちゃうってストーリーが、現代社会の状況と重なっているんじゃないかなと思いました。日常の豊かさの中の積み重ねで、すべてがうまくいくわけじゃないんですよね。
あと、実はこの作品を3部作にしようとしたときに、全部を映画の話題で繋げたいという思いが僕の中にありました。
だから1作目で高良さんが『パターソン』って言うと、2作目で二階堂ふみさんも『パターソン』を好きだと言っていて、この2つの話が偶然で結びついているんです。これはマグノリアにも繋がっていきます。
——では、『マグノリア』をはじめとしたポール・トーマス・アンダーソン監督の作品にも思い入れはありますか?
『マグノリア』は思い入れがありますね。『マグノリア』では “映画体験” を表現したかったんです。
人が感動していることは劇場の中で連鎖するんですよ。映画を観たあとに、感動を共有したいという思いが溢れているのを見ると、作り手としてはものすごく幸せな気持ちになります。そういう劇場の中でしか味わえない空気ってあると思うんです。
それにおいては『マグノリア』は最たるものだと思っています。登場人物においても、展開においても、偶然性と人生を描いています。そしてその中で今までの生活が一掃されるような、信じられないことが起こるんですよね。その感じを、二階堂ふみさんと中井貴一さんが見事に演じてくれました。
二階堂さんが「わたし最初に知ってたからなあ」と悔むと、「そりゃあだいぶ違うね。あんなこと起こらないから。俺だって想像もしなかったし、周りが騒然としてるのもわかるんだよ」と中井さんが答えます。あれこそが映画体験だということを、脚本は伝えたかったのでしょう。
前回の作品で、「スクリーンサイズで映画って作られてるからさ」と登場人物が言うんですけど、それが全部に繋がってきてるんです。同時にみんなが観たときの反応っていうのは、その時しか感じられないものです。だから『マグノリア』はどうしても忘れがたい映画で、僕にとっては映画体験を語る上で一番分かりやすい映画なんです。
あとは、作中に登場したピーター・チャン監督の『ラヴソング』にも思い入れがあります。ピーター・チャン監督って、最近では岩井俊二監督の『ラストレター』の中国版プロデューサーをやっていたりする、ラブストーリーの巨匠です。
『ラヴソング』は90年代の香港映画なんですけど、いろんなところで再会しては離れてを繰り返す男女が、10年以上の時を経ても想い合う気持ちを描いた作品です。非常に長い時間をかけてお互いが一人の人を想い合っていたのに、なかなか一緒になれないという、王道のストーリーではあるんですけど、本当に大傑作だと思いますね。
脚本になかった映画たち
——作中に出てくる映画はもともと脚本にあったものもあれば、先程の『パターソン』同様に出演者の方が選んだものもあるとお聞きしました。ここからは、そういった、出演者の方が実際に選んだ作品についてお伺いしたいと思います。まずは高良さんがご紹介された『2001年宇宙の旅』についてエピソードはありますか?
誰もが知ってる映画だけど意外と理解に及ぶかどうか分からない。持論みたいなものに届きにくい映画ではありますね。当時の撮影技術を超越した映像表現で、未だこの『2001年宇宙の旅』に人類が届いてないんですよね。
僕は、『2001年宇宙の旅』が “2001年”という年号をタイトルに入れてしまったばっかりに、人類のテクノロジーとか宇宙開発ってものに失意を感じている気がするんです。キューブリックの予想と反して、とてもじゃないけど20年経った今でもまったく同じことにはなってないですよね。そこはひとつの映画の功罪なんじゃないかなと(笑)。僕の持論ですよ。
作品としては、美術のフォルムからデザインまですごい。ちなみにキューブリックは手塚治虫に宇宙ステーションのデザインをしてくれと依頼していたんです。その頃、日本のアニメや漫画は彼の功績ですごく進んでいたんですよね。でも残念ながら手塚さんは『鉄腕アトム』のアニメーションでとんでもなく大変なときで断ったそうです。音楽も本当はシンセサイザーの巨匠である冨田勲さんに頼もうとしてたって逸話もあるくらいです。
僕はあのモノリスと対峙していると、得体の知れないものがすべてを変えてしまうような、自分の日常のくよくよはどうでもいい気持ちになってしまうんです。モノリスは我々の人生の何かに比喩されている感じがします。
『2001年宇宙の旅』を観るたびに、ミクロとマクロについてよく考えるんですが、僕にはもっと、日常のくよくよを考えている方が合ってるなって思うんです。キューブリックは好きだけど、あまりにもすごい距離がある。
だから彼の遺作の『アイズ ワイド シャット』のほうが理解できます。トム・クルーズが本当に間抜けな男を演じているけど、ああいう話の方が人間らしさを感じるし、自分に近く感じます。
UNOFFICIAL
——では、永山絢斗さんがご紹介されていた『海の上のピアニスト』や『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督に対する思い入れはありますか?
『ニュー・シネマ・パラダイス』はみんながご存知の通り映画愛を描いた映画で、最後は涙なくしては観られないですね。あとは音楽と画があれだけマッチする映画はなかなかないと思います。
トルナトーレは人の情を描くのが得意な人ですよね。彼の作品で『みんな元気』っていう、お父さんが家族のもとを回っていくという、ちょっと小津安二郎っぽいテーマの作品があります。
いちばん若い子どもがなんで実家に帰ってこないのかと思って尋ねると、ガンでもう余命いくばくもないっていう状態で、そういう人間の尊厳とか、亡くなっていった人へのリスペクトを映し出した作品なんです。
トルナトーレは、人の残したものを演出するのに長けている人で、映画を通してそういう語りをすることで、自分の人生を省みることを教えてくれます。
——次に、浅香航大さんが選ばれたミシェル・ゴンドリー監督の『エターナル・サンシャイン』についてはどうですか?
これもすばらしいラブストーリーで、ミシェル・ゴンドリーらしく、映像のアナログ的な合成感が特徴です。映像としても構成としても、非常に入り組んでいておもしろいですよね。
人は人の何を好きだと思っているのか。愛することの本質についての映画だと思いながら、なかなかすごいラブストーリーを作る人だと思いましたね。
出演者たちが紹介していた映画の中でもいちばんおもしろかったのは、柄本 佑さんが選んだ『はなればなれに』の話です。柄本 佑さんは映画マニアで、本当に映画に詳しくって有名なんですよ。それをあまり映画のことを知らないような男を演じさせて、彼がなんて言ってくるかなと思ってたときに、「あん時はなぜかおもしろいと思ったのに、いま観たらなんか退屈なんだよね」みたいな、思い出話の設定にしていたんです。
本当はすごく好きな映画だと思うんです。だから言っていることも具体性が強いし、これを観てほしいっていう思いが伝わってきました。あと、自分の境遇も含めた、みんな今は “はなればなれに” なっているという、タイトルから連想して選んだんだろうなと思いました。そんな中でもこうやって映画の話ができるってことをきっと表していたんじゃないかと。
僕もゴダールで言うと『はなればなれに』は初期以外で一番分かりやすい作品だと思う。トリュフォーが作った『突然炎のごとく』みたいな、男2人女1人の憧れの話で、ジャームッシュの作った『ストレンジャー・ザン・パラダイス』にも影響を与えているような、3人組ものの映画だと思いますね。
——フランソワ・トリュフォーも映画史に残る監督の1人だと思うのですが、監督はなにか影響を受けていますか?
トリュフォーはけっこう受けてると思います。怠惰な生活と、建前と本音みたいなものだけで映画が撮れてしまう人で。すごく設定然としたものも作っていますけど、実は本質的なものを描こうとしているんです。
例えば『隣の女』では、隣に昔の恋人が引っ越してきて、かつてあった恋情を狂わせる話を描いていて。過激にすると危険な情事になるんだけど、それがトリュフォーにかかると、どっちかっていうと恐怖感よりは狂おしい感情のような、恋愛の本質みたいなものが描かれる。トリュフォーのそういうところが好きで、影響は受けていると思います。
すぐにでも観てほしい新しい映画たち
——ここまでの映画は比較的古いものが中心ですが、6月17日先行配信開始の『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』や現在上映中の『在りし日の歌』などは新しい映画ですね。
そうです。だから作中で中井さんと二階堂さんが、最近観た映画なのに「それ以来会ってないよね?」みたいね会話をしているんです。
『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』と『在りし日の歌』は僕が脚本に書き加えたんですけど、この2本はもう今年のベストです。再会したらすぐ観たほうがいいよって思いで入れ込みました。
両方とも3月に観て、『在りし日の歌』なんかは新型コロナウイルスの影響で上映の途中で劇場が閉まってしまったんですが……。
『フリッツ・ホンカ』なんて、シチュエーションもいい意味で好き嫌いを選びますし、劇場で観ると匂いまで漂ってくるような映画なんです。これは実在の殺人鬼を描いてるんだけど、この殺人鬼にもいろいろ理由があってですね。ファティ・アキンはそういう人物にも人間味を描けているのがすごいなと思います。
あと『在りし日の歌』は、ワン・シャオシュアイの作品の中でも一際感動させられます。一人っ子政策の弊害で子どもを失った夫婦の話で、中国にしか作れない映画です。
それから、ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』。まさに緊急事態宣言が出た時期に公開されるはずだった映画で(現在公開中)、よほど私の作品に出ている人たちは『デッド・ドント・ダイ』を観たかったんだなと思います。それは実際僕の気持ちなんですけど(笑)。
しかも『デッド・ドント・ダイ』ってタイトルですから。ジャームッシュのロックなコメディーのゾンビ映画で、死んでも死なねえぞっていうタイトル。みんながそういう気持ちで楽しみにしながら、「いつの日かあれ、観に行けたらいいなあ。」と今の状況を乗り切っていけたらおもしろいかなと思います。
編集・リスト作成:谷田貝