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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第28回(1,967字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 87ヶ月前
人が予感を抱くのは、主に二つの方法によってである。一つは「経験」による。「パブロフの犬」は、特定の音を聞かされた後に餌を与えられるよう、習慣づけられた。そうすると、やがてその特定の音を聞いただけで、無条件に唾液が出てくるようになる。それは、餌が出てくることを「予感」してのことなのだが、その予感は...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第27回(1,637字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 87ヶ月前
ヘウレーカの快感を味わうためには、まず「分からない」を通過しなければならない。料理を美味しくする最大のこつはおなかを減らすことだというが、ヘウレーカもこれと同じで、まず「分からない」という煩悶がなければ、快感にはなりえないのである。しかしながら、人はその苦痛になかなか耐えられない。「分からない」...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第25回(1,680字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 88ヶ月前
人は、母親を否定することができれば哲学力が戻ってきて、勉強力を比較的簡単に身につけられる。逆に言うと、母親を肯定している人はなかなか哲学力が身につかない。翻って、勉強ができない。だから、我が子に勉強力をつけさせたいと思ったら、母親は子供に自分を否定させてあげる必要がある。しかし、これがなかなか難...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第24回(1,964字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 88ヶ月前
勉強力とは、すなわち哲学力だ。なんにでも好奇心を持ち、「なぜ?」と問いを発する(発し続ける)哲学力こそが、勉強力の源泉である。しかしながら、ほとんど全ての母親は、すべからくこの哲学力を阻害しようとする。子供の阻害力を削ってくる。そうしてほとんどの子供が哲学力を失い、同時に勉強もできなくなる。だか...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第23回(1,851字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 88ヶ月前
子供の頃は、誰でも純粋な好奇心を持っている。何にでも興味を持ち、母親によく質問をする。しかしながら、多くの母親はその質問にやがてうんざりしてくるので、最後には答えなくなる。そればかりではなく、むしろ苛立つようになり、ときには怒ったりさえする。そういう母親と接するうちに、子供はとうとう「質問をして...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第22回(1,671字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 88ヶ月前
子供には純粋な「好奇心」がある。幼い頃は「なぜ? なぜ?」と母親に質問を連発する。しかし、長じるに従ってそうした質問は影を潜める。好奇心そのものもどんどん減っていき、やがて発露されなくなる。なぜか?それは静かに、しかし深く傷ついているからだ。そして傷つくたびに好奇心が鈍磨し、発露されなくなるので...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第21回(1,669字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 89ヶ月前
勉強をするには、まず言語力が大切だ。そして、その次に大切なのが哲学力だ。「哲学力」とは何かというと、「疑問に持つ力」のことである。自ら、ある事象の中に問いを見出せる能力のことだ。勉強を捗らせる上で、最も重要なのは「やる気」である。やる気がなければ、勉強はできない。逆にやる気さえあれば、勉強など簡...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第20回(1,708字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 89ヶ月前
勉強ができるということは、生きていく上でさまざまな有利がある。というより、今は勉強ができないと生きにくい世の中になってしまった。少し前までは、むしろ勉強はほどほどな方が生きやすい世の中だったのに、これは大きな変化だ。なぜそうなったかといえば、より個人の能力が問われるようになったからだ。また、なぜ...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第19回(1,508字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 89ヶ月前
小説『百年の孤独』はこのような書き出しで始まる。「長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない」この一文の中に、ぼくが一見して興味を引かれた語句が二つある。一つは「銃...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第18回(1,709字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 89ヶ月前
小説『百年の孤独』はこのような書き出しで始まる。「長い歳月が過ぎて銃殺隊の前に立つはめになった時、恐らくアウレリャーノ・ブエンディア大佐は、父親に連れられて初めて氷という物を見に行った、遠い日の午後の事を思い出したに違いない」この文章を見て、みなさんはどのような感想を抱くだろうか?ぼくが抱く感想...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第17回(1,600字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 90ヶ月前
勉強ができるできない、あるいは頭が良い悪いは、ほとんど「言語力」に依拠している。「言語力」は、「語学力」とは違う。語学力というと、多言語を使いこなすという意味だが、言語力は、言葉そのものを使いこなす能力のことである。たとえ母国語でも、それを使うのが上手い人と下手な人とがいる。そして母国語を上手く...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第16回(1,603字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 90ヶ月前
「翻訳言語」とは何か?日本語というのは、その多くが翻訳言語でできている。日本語の伝統的な言い回しのように思えるものでも、意外と翻訳言語だったりする。翻訳言語の象徴的な存在として有名なのは、「事ほどさように」である。もともと英語に「so that's why」という言い回しがあって、それを日本語に訳したのがこの...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第15回(1,915字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 90ヶ月前
日本語というのは、世界のさまざまな言語の中でもきわめて特殊なポジションにある。それは「変化が激しい」ということだ。英語では、400年前に書かれたシェークスピアの戯曲を原語で読める。スペインでも、400年前に書かれた『ドン・キホーテ』を原語で読める。しかし日本で400年前というと江戸時代で、大坂夏の陣が行わ...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第14回(1,990字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 90ヶ月前
「ハチのムサシは死んだのさ」はユニークな詩である。タイトルに直接的に「死」という文字が書かれており、見る者の目を引きつける。また書き出しがタイトルと同じだから、歌でいうとサビがイントロに来ているようなもので、そのくり返しが一種の強調となり、なおさら印象深くなっている。この「ハチのムサシは死んだの...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第13回(1,622字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 91ヶ月前
『ハチのムサシは死んだのさ』という歌がある。ぼくはこれを子供の頃に聞いて、いやに耳に残った。歌詞も覚えた。その絶妙なリズム感と語呂とが、なんともいえず気持ち良かったからだ。今でも覚えているのは、母親がこの歌をよく口ずさんでいたことだ。そういうふうに、人に口ずさませたくなるような、なんともいえない...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第12回(1,937字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 91ヶ月前
この「元二の安西に使ひするを送る」という詩は、身体に入れて音を耳で楽しむのもいいのだが、書いてみてそのビジュアルを目で楽しむのもいい。渭城の朝雨軽塵を浥し客舎青々柳色新たなり君に勧む更に尽くせ一杯の酒西の方陽関を出づれば故人無からんこうして書いてみると、見ているだけで美しい。何が美しいかといえば...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第11回(1,652字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 91ヶ月前
ぼくは昔から勉強ができる人、あるいは頭がいい人に興味があった。理由は単純で、ぼくも勉強ができる人、頭がいい人になりたいと思ったからだ。それで、彼らの話を聞いたり行動を観察したりすると、自分も勉強ができたり頭が良くなったりするのではないかと考えていた。そうした中で、一つ気づいたことがあった。それは...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第10回(1,794字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 91ヶ月前
ここから「身体に叩き込む言葉」を具体的に見ていく。ここでは大きく三つの言葉を推薦する。ただ、身体に叩き込む言葉は必ずしもこの三つでなくていい。名文であればどの言葉でも効果がある。それでも、ここから推薦する三つの言葉は、ぼく自身の人生に大きな影響を与えた。ぼくはこの三つの言葉を身体に叩き込むことに...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第9回(1,807字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 91ヶ月前
ここまで延々と「言葉を身体に叩き込むことの重要性」について述べてきた。それは、言葉がいかに勉強をするために必要か、分かってもらうためだ。また、それを身体に叩き込むことによっていかに勉強ができるようになるか、を知ってもらうためでもある。ところで、言葉を身体に「入れる」というのと、言葉を身体に「叩き...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第8回(1,584字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 92ヶ月前
ある特定の言葉を身体に叩き込むことを「洗脳」だと疑う人がいる。しかしながら、それは実は「洗脳」とは正反対のことである。「洗脳」というのは、いうなれば脳の「バグ」を利用した教育方法だ。一旦思考能力をなくさせ、その上で特定の考えを信じ込ませる。そうなると、以降は信じた考えを追認させれば、強い快感を覚...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第7回(1,867字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 92ヶ月前
言語能力を身につけるためには、言葉を「身体に入れ」なければならない。そのとき、重要になるのは「つまらないの壁」を乗り越えることである。なぜかというと、どんなものにも習得の過程で「つまらないの壁」が存在し、そこにつまずいてしまうと、言葉の習得が覚束なくなるからだ。これが他の分野であれば、習得が覚束...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第6回(1,694字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 92ヶ月前
勉強ができるためには、まず言語能力を鍛えなければならない。「言語能力」とは、「言葉のニュアンスを汲み取る力」のことだ。細かな違いに気づいたり、それが指し示す雰囲気を感じ取ったりすることである。そうした能力はどうすれば鍛えられるのか?それは「身体の中に言葉を入れる」ことである。そして、それをくり返...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第5回(1,963字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 92ヶ月前
ここまで、「勉強ができるためには言葉がだいじ」ということを見てきた。もしかしたら、最も重要かもしれない。その最重要ともいえる言葉をどう覚えたらいいのか?コツは、言葉の「本質」を知ることである。言葉とは何かを知ることだ。では、言葉の「本質」はどうやって知ればいいのか?それは簡単である。ぼくが今から...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第4回(1,899字)
コメ0 ハックルベリーに会いに行く 93ヶ月前
勉強ができるようになるためには、言葉の使い方が上手くならなければならない。逆にいえば、勉強ができない人は、たいてい言葉の使い方が下手だ。ところで、言葉の使い方が下手な人には、ある共通の特徴がある。それは、「言語能力の価値を知らない」ということだ。「言葉なんか上手くならなくても問題はない」と思って...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第3回(2,145字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 93ヶ月前
「勉強ができる」というのは、「物事を習得している状態」だと言い換えることができる。例えば「算数ができる」というのは、「算数というものをよく習得している状態のこと」だ。 だから、算数をよく修得するようになれば、即「算数の勉強ができる」という状態だということができる。要は、算数さえ修得してしまえば、...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第2回(1,502字)
コメ1 ハックルベリーに会いに行く 93ヶ月前
みなさんは「勉強ができる」というと、どういう人を想像するだろうか? まずは「テストで点数を取れる人」というのが頭に思い浮かぶのではないだろうか。 人間の一生にはテストがつきまとう。学校のテストに始まり、入社テスト、運転免許や弁護士といった資格も、テストを通らなければ取ることはできない。 そう考...
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第1回(1,573字)
コメ2 ハックルベリーに会いに行く 93ヶ月前
ぼくはもともと勉強ができたわけではない。記憶力は平凡だし、頭の回転も速くない。 それでも、多くの競争に勝ってきた。合格した大学は競争率二〇倍の難関だったし、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった秋元康さんの弟子になったのも多くの希望者を差し置いてのことだった。 二〇〇八年には、書いていたブログが、はてな...