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  • 【サンプル記事】通信時報 《山口組検証》田岡一雄三代目と司忍六代目「徹底比較」

    2013-01-27 18:22  
    山口組検証
    田岡一雄三代目と司忍六代目「徹底比較」
     二○一一年四月九日に現場復帰した司忍六代目は、神戸入りしたその足で、自らが信奉してやまず、現在の山口組の「原点」と位置付ける田岡一雄三代目の墓参を行なった。司六代目はその墓前で何を誓ったのか。田岡三代目と司六代目との比較を通じ、今後の構造改革を占う。
    ●カリスマ性と統率力
    六代目山口組組長司忍

     田岡三代目は、昭和四十年に心筋梗塞で倒れ、以後、昭和五十六年に亡くなるまで、闘病生活を余儀なくされた。山口組の「全国進攻作戦」が一段落する一方、当局の頂上作戦が開始された時期で、田岡三代目が倒れたことでそれは本格化し、山口組は解散の危機に陥った。
     だが、田岡三代目はその強靭な意志と統率力によって、この危機を乗り切り、さらに強固な山口組を築いた。
     田岡三代目は病に倒れる前の昭和三十八年、現在の執行部体制の原型となる「七人衆」制度を設けていた