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■久瀬太一/8月2日/18時10分
2014-08-02 18:10
前方に、深い赤のジャケットがみえた。
――八千代だ。
間違いない。奴はスマートフォンで誰かと電話しながら、悠長に歩いている。
オレは速度を緩めずに走る。目の前に迫った肩に手を伸ばす。
つかんだ。はずなのに。
指先にはなんの感触もなかった。八千代は身を捻ってかわし、こちらをみていた。
「足音。うるさいよ」
伸ばしたオレの腕を、八千代がつかんでいた。その動作が、オレにはまったく目で追えなかった。
腕をつかまれたまま、彼を睨む。
「食事会に出るつもりか?」
「間に合えばね。美味い料理が食えるときいている」
八千代は通話を切り、スマートフォンをポケットに落とした。
「よくわからないな。ならどうして、招待状を手放したんだ?」
「手放したわけじゃない。君の仲間が、勝手に持っていったんだ」
ソルがなにかしたのか? まあ、なんだってできそうな奴らではある。
八千代がオレの腕を離 -
■久瀬太一/8月2日/18時
2014-08-02 18:00
考えろ。考えろ。そう胸の中で繰り返す。
――オレが素直に行動するなら。
まっすぐに、正解のコインロッカーの前に移動する。
もし八千代がその場所を捜しあてられたとしても、多少は時間がかかるはずだ。先回りできることになる。
――なら、八千代はどうする?
オレの後をつける、というのが、正しいように思った。
姿をくらませて、オレを焦らせて、正解のコインロッカーに向かわせる。あいつはそのあとをついてくる。
オレはもう一度、辺りを見回してみる。だがやはり八千代の姿はない。今もどこか、物陰からこちらをみているのか? それとも本当にひとりで歩いて行ってしまったのか? 食事会の待ち合わせ時間までは、あと40分ほどだ。たった40分で、どの駅にあるのかもわからないコインロッカーをみつけだせるものなのか?
――最悪に備えよう。
とオレは考える。
たとえば知識があれば、鍵やタグの形状から -
■久瀬太一/8月2日/17時45分
2014-08-02 17:45
オレは眉間に皴を寄せる。
「話って、なんの?」
「ありきたりな世間話だよ。君、聖夜協会のクリスマスパーティに参加したことは?」
どうして、そんなことを聞きたがるんだろう?
わからない。が、やっぱりオレは嘘が苦手だと、昨夜反省したところだ。オレは事実を答える。
「あります。幼いころに、何度か」
「その会場に、『少年』は何人いた?」
少年?
「それは、いくつくらいまでですか?」
「当時の君と同い年くらいだよ」
「たぶん、いなかったと思います」
みさきとちえりの他には、同年代の子供には出会わなかった。高校生くらいなら、他にも何人かいたような気がするけれど。
八千代がじっと、オレの顔を覗き込む。
「本当に?」
「はい。はっきりとは覚えていませんが」
「いいねぇ」
彼は嬉しそうに笑う。
「君、今、いくつ?」
「21ですよ」
「じゃあ最後の質問だ。12年前――9歳の時にも、クリスマ -
■久瀬太一/8月2日/17時35分
2014-08-02 17:35
八千代は約束の時間に、5分ほど遅れて現れた。
彼は20代の後半ほどにみえる、背の高い男だった。細いストライプの入った、落ち着いた赤のジャケットを着崩している。顎の髭を少し残していて、胡散臭い芸術家のようにみえた。
「やあ」
と八千代は微笑んで、オレの向かいに座る。
店員に向かって、「アイスオレね。氷はいらない」と注文した彼は、こちらに向かってにっこりと笑って名刺を差し出す。
「次からはこっちに連絡してね。家にはさ、滅多に帰らないから」
オレはその名刺を受け取って、眺める。
八千代雄吾。携帯電話の番号とメールアドレスが併記されている。会社名や住所はなかった。
気になったのは、その肩書きだ。――旅先案内人。
「ガイドなんですか?」
「ああ。そう思ってもらっていい。オレはね、君たちの知らない場所を案内するのが仕事なんだ」
八千代の仕事は、別にどうでもよかった。でも、少しでも -
■久瀬太一/8月2日/17時20分
2014-08-02 17:20
八千代が待ち合わせに指定したのは、ちょうど駅と駅の中間ほどの落ち着いた一画にある、品の良いカフェだった。店の前にはオープンテラスもあったけれど、夏の陽射しが強く、そこに座ろうという気にはなれなかった。
店内にはレコードの、レトロな音が流れていた。曲名はわからなかったが、心地のよい音楽だ。
オレがその店に入ったのは、待ち合わせの時刻の10分ほど前だった。店内をざっと見回しても、ひとりきりの男性客はいない。きっと八千代はまだなのだろう。
オレは空いていた席に座り、アイスコーヒーを注文する。
それから、ポケットに入れていた2台のスマートフォンを取り出した。一方は自分のもの。もう一方はソルのスマートフォンだ。この数日、ソルのスマートフォンはずっと「圏外」だが、手放すわけにもいかない。
まず自分のスマートフォンに届いていた、友人からのメールを確認する。飲み会への誘いだ。みさきの誘拐
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