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【第159回 芥川賞 候補作】『美しい顔』北条裕子
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【第159回 芥川賞 候補作】『美しい顔』北条裕子

2018-07-11 13:00
     青年はジーンズをはいていた。青みの強いジーンズだった。ジーンズはそろーりそろりと動き、止まる。そしてシャッター音。また、そろーりそろり、止まってシャッター音。青年の動きが社交ダンスをしているように見えた。ダンボールでつくった私たちの家の通路をゆっくりと練るように歩いている。優雅なダンスだ。ジーンズはけっして音を立てない。ひざをわずかに曲げ、そろーりそろり、ステップ、ターン。また、そろーりそろり、ステップ、ターン。私は青年を見ていた。青年は漆黒の巨大なカメラを顔に貼りつけて踊る。私はその動きを永遠に見ていられると思った。
     私はてるてる坊主のように首から下をすっぽりと毛布で覆ってステージにもたれかかった。辺りを見るとまわりの若い人たちはほとんど出払っているようだった。どこかで炊き出しがあるのかもしれない。残っているのはお年寄りばかりだった。
     ようやく青年は黒い仮面を顔から剝がして、今度はあたりをきょろきょろと肉眼で見はじめた。私はその顔にぎょっとした。青年が優しい笑みを浮かべていたからだ。天使の微笑のようにそれは優しかった。この悲劇を全国のみなさんに伝えるんだという使命感にあふれていた。それはいい顔だった。熱を帯び、生気に満ちあふれていた。肌につやがあった。この青年、震災が起きなくても今日こんないい顔してたのかな。こんな優しい顔。こんな親和的な表情。大学生くらいだろうか。私は青年を見ていた。青年はまた黒い仮面を顔に貼りつけた。そろーりそろり、ステップ、ターン。黒い顔の目はゆっくりとしだいにこちらへ向いてくる。黒い顔のまん丸の目は私のからだを覗いていた。いや、そんなはずはないのだが、シャッターが下ろされるたびに、ぱらり、ぱらりと一枚ずつ服を脱がされていくような気になった。男が私のことだけを撮っているように思った。黒い仮面の下から口元だけが覗いていた。その唇が気持ちよさそうな笑みをたたえていた。私は頭がどうかしてしまったのかもしれない。あまりにも疲れているのだ。不眠のせいだ。わかっている。が、どうしても一つの考えに取り憑かれていった。それは、脱ぐもんなんかもうありはしない身ひとつで逃げてきた私のことだけを男が視ているということだった。身ぐるみはがされ配給された毛布一枚で身を包む私の躰を撮りながら男がマスターベーションしているように思った。パシャリパシャリとやるたびに男がいい顔になっていくように見えた。私はその考えを引き離すことができなくなっていった。きれいなシャッター音が体育館に響いていた。その音が永遠に続くように思われた。時折カメラを顔から剝がす男の顔はたいしてかっこよくもなかった。格好もダサいに分類されるほうでただ汚れてはいないから綺麗ではあるけどセンスの感じられない服装をしていた。もしも同じ高校の同級生だったりしたら私はぜったいに相手になんかしていなかった。携帯の番号だって聞かれても教えてなんかやっていなかった。そういう男だった。そんな男が、今、近くを通れば中が丸見えになる高さ八十センチしかない私のダンボールの家の十五メートル向こうを練るようにして歩いている。ゆっくりと、ゆっくりと。あれだけたくさん揃えたメイク道具も、お気に入りだった洋服も、素敵な下着も、ぜんぶぜんぶ失って、私は今、好きな男にだって見せないこんな眉毛もない素顔のままでここにいるしかないわけだけど、どんなにパシャリから逃げたくてもここしか居場所がないわけだけど、音は止まずに私は真っ黒の重厚で立派なカメラの中に収められていく。私のすべてを失ったみすぼらしい体は、その男の大事に掲げている黒いカメラの中に収められていく。なぜだ? なぜお前なんかに。なぜ私はお前なんかに見せてやらなければならない。なぜお前なんかにサービスしてやらなきゃならない。なぜ私がお前なんかを気持ちよくさせてやらなければならない。プロカメラマンになったような気持ちよさを、なぜお前なんかにくれてやらなければならない。かわいそうを撮るなら金を払え。かわいそうが欲しいなら金を払え。被災地は撮ってもタダか。被災者は撮ってもタダか。どのように持って帰ってもタダか。この男も、マスコミも、みんなそうだ。みんな金を払え。かわいそうが欲しいなら売ってやる。売ってやるから金を払え。タダで明け渡してもらおうなんぞと考えてくれるな。私にタダで気持ちよくさせてもらおうなんて思ってくれるな。かわいそうにかわいそうにって涙流して気持ちよくなりたいなら家でやれ、自分を慰めたいなら自宅でやれ。それとも家でやるのはおかずが足りないってことですか。確かに本物はテレビには映らないもんね。でもそれは、本物が映っちゃったらあなたたちが吐くからだよ。引きちぎられた手や足が、変な方向に曲がっちゃってる腕や足が、画面に流れてきちゃったらあなたたちが吐くからだよ。人間じゃないものみたいに太陽と風にさらされて干されるみたいになった回収待ちの遺体が、助かろうとしてしがみついていたのか流されてきてひっかかったのか知らないけど電信柱に巻き付いて死んでいる人の遺体が、チャンネルまわして映ってきたらあなたたちが吐くからだよ。だから本物は映さない。だけどお前みたいな想像力の足りない男はテレビで放送されてる綺麗な映像だけじゃとても物足りなくって現地にまで来ちゃったってわけだ。電車も動いてないのにわざわざ困難な道のりを経て足を運んだわけだ。「避難所を走り回る被災地の子どもたちの元気な様子が復興への希望を感じさせてくれます!」とか「被災者どうしの助けあい運動はすでに始まっています!」とか「家族みんなで一本のロウソクを囲んで夜を過ごしました!」とか、そういうことだけでは心に訴えるものが少なすぎて自分を満足させられないから来ちゃったってわけだ。編集され切り取られた映像だけじゃリアリティーを感じることができないくらい想像力に乏しいからわざわざ現地に来ちゃったわけだ。こんな冠水した土地に、わざわざ足を運んだわけだ。だけどお前は今こうして私に睨まれて、その重たいカメラを顔の真ん中に貼りつけて顔を覆い隠しているんじゃないか。そのレンズを通してしか私のことを見れやしないんじゃないか。私のことを生で見ることはできずにそうやって機械の目で盗み見ながら、ボクは今こいつであなたの辛い気持ちを汲み取っていますからね、ボクは今この悲惨な現状を何とかしなきゃととても深く考え入っていますからね、とそういうポーズをとってみせているんじゃないか。その黒い仮面を子どもがお祭りで買ってもらうお面みたいに嬉しそうに顔面にくっつけて、ほらボクはこいつでね、と今自分がここにいることの正当性を必死になって私に伝えようとしているんじゃないか。
     ちょん、と軽く肩をたたかれて、私はあまりにも驚いたせいで首筋を痛めた。
     急いで振り返ると、腰を曲げたお婆さんが立っていた。
    「キャンデーあがいん」
     干物屋のお婆さんだった。シミだらけの拳を差し出してくる。
     だがすぐにお婆さんは目を丸くして飴を握った拳をひっこめた。
    「なしたって」
     お婆さんは折り曲がった腰をますます折り曲げて、つらそうな姿勢で私の顔をのぞいていた。
    「あんべ悪い?」
     そう言われて私はようやく、自分がかなり酷い顔をしていることに気がついた。
     あわてて口角をあげようとして、動かなかった。首を振ろうとして、動かなかった。銅像のようにただお婆さんに顔を向けていた。
     お婆さんの家は半壊だったから食料が少しは残ったらしかった。何か秘密のものでもくれるみたいにしていつもこうして甘い物を握らせてくれるのだ。弟のぶんと必ず二つずつだった。
     お婆さんはそれ以上私に何も聞いてはこなかった。かぎ爪になった指で飴の袋の一つをあけはじめていた。お婆さんのきめの粗くひび割れた指が、唇に当たった。突然の甘さが口中から唾液を呼んできた。ありがとう、と言ったつもりだった。けれど自分でもようやく聞き取れたくらいのその声がお婆さんの耳に届いたようには思えなかった。それでももう一度言い直すことができなかった。お婆さんは三度、亀みたいにゆっくりとうなずいて、それから目を細め、もうひとつの飴を私の手に握らせた。そしてまた腰をゆらしながら歩いていった。
     お婆さんは行ってしまい、甘さだけが取り残された。
     久しぶりに人と話した、と思った。
     話しているときだけ、心の歪んでいく音が止まる気がする。だから誰かと話をしているほうがいいのだろう。けれどそれでも一人でいたかった。腕も足もヘドロの中に埋まってしまったみたいに重いのだ。たった今シャッター音が聞こえてくるまで、ほんのわずかな時間だったが眠りに落ちていた。とても浅い眠りだった。またすぐに眠りに落ちてしまいたかった。夜になってしまえば眠ることができなくなる。睡眠薬が欲しい。だがそんなものはない。ようやく入ってきた医師団に、眠れないんですと言ってみようと思ったが、飛び回っている彼らを捕まえる気にはなれない。自分よりよっぽど必要としている人が山ほどいる。職場も家族も家もみんな持っていかれた中年の男性が海に身を投げようとしていたところを(本当にそうしてしまった人もいる)ぎりぎりのところで腕をひかれて留まったりしている。精神がやられ、痴呆が進み、わけのわからない奇妙な行動をする年寄りも結構いる。夜になると徘徊したり、衣類を脱いでしまったり、体の変なところを急に痛がったりする。毎晩少しうとうとし始めても、そういう年寄りの呻き声や唸り声、子どもの泣く声がして眠れなくなる。その声が私の夢の中で、助けて助けてと聞こえてくる。目の前を流れていった広子ちゃんの引きつった顔がくっきりと瞼の裏にみえる。高台にいる私と目があったあの瞬間の広子ちゃんがそこにいて、その顔は幼稚園時代にさかのぼって小学生、中学生、高校生とだんだん成長していって最後に引き攣りを起こして死ぬ。引き攣りを起こして死ぬところまで私は夢から覚めることができない。広子ちゃんは私の夢の中で何度も死ぬ。毎晩あの子は死ぬ瞬間を見せに私のところに会いにくる。鼻の奥に砂利でもつかえたような息苦しさと、ごめんなさいごめんなさいという自分の寝言にハッと目が覚めてようやく飛び起きる。夢だったのだと思って胸をさすりながら毎日同じ誓いをする。私は人生でもう二度と誰かに助けてくださいとか願ったり祈ったりしません私は私の一生分の助けてくださいをあの場所に置いてきましたその言葉は広子ちゃんのものだからです広子ちゃんと目があったあの場所に私はそれを置いて安全な避難所へ一目散に逃げました弟を負ぶって逃げました一目散に逃げましたそして今こうして衣食住を与えられた生活をしています私は誓います二度とそんなことを口に出したり思ったりしませんだから今だけ今夜だけは眠りにつかせてください。――幼稚だ、と思う。そんなことを思うのは幼稚だ。けれどもこの儀式をしなければ目をつぶることが怖いのだ。
     お婆さんの姿が見えなくなって、また、カメラの男が視界に入った。
     男は傍を歩いていた小さな子どもに笑みを向けていたところだった。男はやはり、いい顔をしていた。思いやりと親しみを容易に感じさせる顔だった。
     ふと、自分は今どんな顔をしているのだろうかと思った。鏡もないからしばらく自分の顔を見ていない。
     男は慈悲深い顔にカメラを張りつけて子どもの前で腰を落とした。男の口だけが見えた。口が笑っていた。口が子どもに何か言っていた。男の口元から目を離すことができなくなっていた。
     次に男がカメラを顔から外したとき、ふいに、男と目が合った。あまりにも私が彼を見ていたので視線がぶつかってしまったというほうが正しいかもしれない。男は私に向かって口角をあげてみせた。男はペットショップで小さな透明のケースに入れられた小動物を見るみたいな目をして私を見た。眉を垂らして私を見た。私は笑わなかった。目をそらしもしなかった。男は私からまたそっと視線をそらすと、カメラを胸の高さまで持ちあげて覗き始めた。撮った画像をチェックしはじめたようだった。そしてなかなか顔をあげなかった。ふたたび顔をあげるのと同時に彼は立ち上がり、私に背を向けた。そしてカメラをまた顔の真ん中に構えて今度は他の場所を撮りはじめた。私はその慈悲深い背中に尋ねたくなった。
     ねえ。
     もしもここがパリのシャンゼリゼ通りだったとしたらどうなの。あなたは今とおんなじ顔をしてるの。もしもこの場所がニューヨークの五番街だったらどうなの。あなたはそのおんなじ顔をぶらさげて、その粘り着くような歩調でもって今ここを歩いているの。もしもこの場所が東京銀座の八丁目だったらどうなの。あなたは安い飴玉を舐め回すようなそのざらついた視線をもってして私を見ているの。もしあなたの耳に入ってくる苦痛や悲しみの叫びがこんな訛りのきいた東北弁なんかではなくてフランス語やドイツ語やスペイン語だったりしたらどうなの。ニューヨーク訛りの独特な英語だったとしたらどうなの。あなたはその憎たらしい同情寄りの微笑を含ませた唇を半開きにして被災者に何か声をかけてやろうかと企んだりしているの。
     私はね、けっしてあなたになんか明け渡してやりはしないんだ。情けを施しながらダンボールの縫い目を徘徊する気持ちよさをあなたになどくれてやりはしないんだ。だけどあなたは撮った写真のすべてを東京に持ち帰り眺めればいい。満足すればいい。だけど私たちの心はそこには映っていない。あなたが撮った写真のどこにも映っていない。人々が同情や感嘆の声をあげてくれるかもしれないそれらの写真のどれにも私たちは映っていない。あなたには私たちの心を捉えることはできない。でもどうぞ、たくさん持って帰ればいい。だってわざわざ来たのだから。「テレビで見るのと実際にこの目で見るのとでは大違いですよ、言葉にならないんですから」と取材やボランティアで訪れた人が口を揃えて興奮気味に伝えるのを聞いてきたんでしょう。それならば瓦礫などきれいさっぱり撤去されてしまう前に是非ともこの目にも焼き付けておかねば、だって自分は将来ニッポンを代表するジャーナリストになるんだからって、そんな立派な思いで来たんでしょう。だったらたくさん持って帰ればいい。数が多ければ多いほど奇跡のベストショットにも出会えるでしょう。瓦礫の山に少し夕日が当たって美しく輝いてそこに一輪の花でも咲いててくれれば万々歳だ。そういうおめでたい写真も撮れるでしょう。瓦礫の中でも力強く咲き誇っていた一輪の花に今日見たダンボール生活の少女の凛としてたくましい表情が重なったうんぬん。お涙ちょうだいの解説だってつけられる。でもひとつ言っておきたいのは、この災害をどっからどう撮ったって、誰が撮ったって、ある程度、涙ものの写真が撮れるっていうこと。そんな高価なカメラじゃなくても、七百円の使い捨てカメラでだって、ある程度、心を打つような写真が撮れるってこと。それは幽霊やUFOなんかを撮るのとおんなじで、たとえ小一の私の弟が撮ったってそこに映っているのが幽霊であれば周りはひゃっと驚くし、映っているのがUFOであればみんなが注目するんだよ。誰が撮ったって瓦礫の山は瓦礫の山なんだから。そこに芸術も創造もクソもない。そんなところに。だけどあなたはこの非常時をシャッターチャンスとばかりにパシャパシャやって持ち帰った写真のベストショットを自分のホームページのトップページにでもするんでしょう。まるで自身の渾身の作品っていうように。もしくは編集でもしてYouTubeなんかにのせるのでしょう。あるいはSNSで無料でばらまくのでしょう。自分の優れた行動力、立派な思考、それらをぞんぶんに披露しながらもあえてそれを卑下するようなコメントを添えて。あなたは人に認められていると感じることができるでしょう。人から尊敬されていると感じることができるでしょう。自分には価値があるのだと感じることができるでしょう。ねえ、あなた。震災が起きてよかったじゃん。震災のおかげであなたは今これだけ尊く珍しい経験ができてるわけだけどめったにできない経験ができてラッキーじゃん。あなたみたいな創造性に乏しい人間には何らかの一大事が向こうからやってきてくれれば御の字でしょう。災害時じゃなかったらあなたは人の家の玄関を勝手にあけて土足で入り込んでくることだってできなかったろうし、その重厚なカメラレンズを無言でそこに住む人間の顔に向けることだってできなかったろうし、持って帰ったデータによって最先端のジャーナリストになったような気分だって味わえなかったでしょう。一回でも多く「いいね!」してもらって自尊心を満足させることだってできなかったでしょう。お父さんとお母さんに褒めてもらうだけでは満たされない根深い劣等感をまぎらわすことだってできなかったでしょう。地面がぐにゃぐにゃに揺れて高さ十三メートルの津波がきてよかったじゃん。
     ふっ、と男が視界から消えた瞬間、あ――と、耳の奥に何かが崩れ落ちていく音が聞こえた。男は体育館の出入口から出ていった。
     私は自分をこれほどまでに汚らしく思ったことは、いまだかつてなかった。脳味噌が好き勝手に邪悪な言葉をやすやすと並べ立てていくのをどうすることもできなかった。あふれ出してとまらない卑しい言葉の洪水に溺れそうだった。頭が不潔なものでぱんぱんになって裂けそうに痛い。息が苦しい。お婆さんがくれた弟のぶんの飴玉を手の中で握りしめた。
     絆、希望、助けあい。美しい言葉たちが輸入されてきた。絆、仲間、頑張ろう。清潔な言葉たちが支援物資とともに全国各地から入ってきた。海水が、やさしさを日本全国から運んできてこの田舎町を満たした。波が去ったらまわりがまるきり善の海になっていた。揺れがおさまって私があたりを見回したとき、そこに残っていたのは剝き出しの建物の基礎と、私の浅ましさだけであった。私の醜さ、汚らしさだけだった。それらが浮き彫りになって取り残されていただけだった。尊いものは、みんな波が連れていった。
     私は、はっきりと取り残されてしまった。そう思う。あの高さ十三メートルの津波に取り残されてしまった。波はもう過ぎてしまった。私は連れていってはもらえなかった。波はどんなに重く巨大なものでもいとも簡単にハケでも引くみたいにしてさーっと連れていったのに、生徒会長で人気者の広子ちゃんだって一瞬で連れていったのに、私のようにふわふわと生きていたような馬鹿で未熟で幼稚な人を、さもあたりまえというようにここへ置いていった。こんなにも簡単に憎悪の言葉を並べ立てることのできてしまう私は生き残り、ストーブの焚かれた体育館に住んで、あったかいスープと炊きたてのおにぎりを与えられる。波は、尊い者をみんな水の中へ連れていき、生き残った者を絆や思いやりや希望の境地に連れていった。善で満ちた海の中、私はひとり、こんな醜い言葉を叫んでいる。こんな汚い言葉を腹の中に宿している。毒ガエルを呑み込んだヘビのように、ぱんぱんの腹を抱えて身動きひとつできないでいる。私はあの波に乗れなかった。かといって、やさしい海に降り立つこともできないで、どこへも行けずにまだ漂流している。


    ※7月18日(水)18時~生放送
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