-
【第151回 芥川賞 候補作】 『マダム・キュリーと朝食を』 小林エリカ
2014-07-14 12:00私たちがスフレの中心温度より、
惑星や太陽の中心温度のほうをよく知っているというのは奇妙なことである。
―ニコラ・クルティ
母たちが街を乗っ取ることに成功したその年に、私はこの世に生まれました。ある日、人間たちは遂に、私たちにキッチンを、寝室を、トイレを、風呂場を、コンビニエンスストアを、レストランを、公園を、学校を、病院を、何もかもを明け渡したのです。それは記念すべき日でした。母たちは勝利の声をあげて高らかに鳴きました。勿論、それまでだって母たちは猫らしく人間たちの家を乗っ取り暮らしておりましたが、いつか街をまるごと全部自分たちの手に入れることを虎視眈々―そうです、実に我らが同胞虎のように!―と狙っていたのですから。
母たちの乗っ取った街は、それは素晴らしいものでした。小さな幾つもの家々、フルーツの実る畑、牛や馬や豚の牧場、ショッピングプラザなんかもありました。街では、私たちは好きな -
【第151回 芥川賞 候補作】 『どろにやいと』 戌井昭人
2014-07-14 12:00わたしは、お灸を売りながら各地を歩きまわっている行商人です。お灸は「天祐子霊草麻王」という名称で、父が開発しました。もぐさの葉を主に、ニンニク、ショウガ、木の根っこ、菊の葉を調合して作っています。
天祐子霊草麻王をツボに据えて火をつければ、肩こり、神経痛、リウマチ、腰痛、筋肉痛、胃腸病、肝臓病、冷え性、痔疾、下の病、寝小便、インポテンツ、生理痛、生理不順、肌荒れ、頭痛、ぼんやり頭、自律神経失調などに良いと、いろいろな効能がうたわれています。ようするに万病に効くわけですが、どのくらい効能があるかは、人それぞれで、父は生前、「信じる人ほど効くもんだ」と話していました。
天祐子霊草麻王を使用して、効果のあった場合は、感謝の手紙をよこしてくれる方もいて、父は、それらの手紙を桐の箱に入れて保管し、行商から家に戻るたびに、届いた手紙を眺めて晩酌をしていました。今でもその手紙は仏壇の前に置いてあり -
【第151回 芥川賞 候補作】 『吾輩ハ猫ニナル』 横山悠太
2014-07-14 12:00本作品には「ルビ」及び「画像」が含まれます。そのレイアウトを含めての「作品」となりますので、以下リンクからPDF形式にてお楽しみください。
[PDF]『吾輩ハ猫ニナル』 横山悠太(1/1ページ)
[PDF]『吾輩ハ猫ニナル』 横山悠太(2/2ページ)[PDF]『吾輩ハ猫ニナル』 横山悠太(3/3ページ)
※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。http://ichiba.nicovideo.jp/item/az4062190648【生放送情報】
-
【第151回 芥川賞 候補作】『メタモルフォシス』 羽田圭介
2014-07-14 12:00一人の愛好家が死んだ。
モーニングセットを食べるついでに喫茶店の棚から手に取った実話系週刊誌を読んでいたサトウは、スツールに座ったまま姿勢を正し、当該記事を読み直す。
「背中にハローキティの刺青!? 多摩川支流で見つかった身元不明男性遺体に囁かれる“噂”」
九日午前八時四〇分頃、東京都西多摩郡奥多摩町の多摩川支流栃寄大滝で、男性が倒れているのを釣り人が発見後、一一〇番通報した。
警視庁青梅警察署の署員が駆けつけたが、既に死亡していたことが確認された。
記事によれば発見時において死後数日が経過していると推定された男性は、黒色ビキニパンツのみ着用、前手に回した両手首には手錠がかけられており、水深約四〇センチの浅瀬にうつ伏せの状態で倒れていた。背中と右脚には特徴的な刺青が彫られており、鼻と口元に粘着テープが貼られていた跡、腹に数カ所の刺し傷があった。近くの山林内に男性のものとみられる服 -
【第151回 芥川賞 受賞作】 『春の庭』 柴崎友香
2014-07-14 12:00二階のベランダから女が頭を突き出し、なにかを見ている。ベランダの手すりに両手を置き、首を伸ばした姿勢を保っていた。
太郎は、窓を閉めようとした手を止めて見ていたが、女はちっとも動かない。黒縁眼鏡に光が反射して視線の行方は正確にはわからないが、顔が向いているのはベランダの正面。ブロック塀の向こうにある、大家の家だ。
アパートは、上から見ると・「・の形になっている。太郎の部屋はその出っ張った部分の一階にある。太郎は中庭に面した小窓を閉めようとして、二階の端、太郎からいちばん遠い部屋のベランダにいる女の姿が、ちょうど目に入ったのだった。中庭、と言っても幅三メートルほどの中途半端な空間で雑草が生えているだけ、立ち入りも禁止である。アパートと大家の家の敷地
を隔てるブロック塀には、春になって急激に蔦が茂った。塀のすぐ向こうにある楓と梅は手入れがされておらず、枝が塀を越えて伸びてきている。その木 -
【第151回 直木賞 候補作】 『満願』 米澤穂信
2014-07-14 12:00夜警
一
葬儀の写真が出来たそうです。
そう言って、新しい部下が茶封筒を机に置いていく。気を遣ってくれたのだろうが、本音を言えば見たくもない。それに、写真に頼らなくても警察葬の様子は記憶に刻み込まれている。あの場の色合いも、匂いも、晩秋の風の冷たさも。
川藤浩志巡査は勇敢な職務遂行を賞されて二階級特進し、警部補となった。気が合わない男だったが、写真が苦手な点だけは俺と同じだったらしく、祭壇の中央に掲げられた遺影は不恰好なしかめ面だった。弔辞は署長と本部長が読んだが、ろくに話したこともない相手の死を褒めるのはさぞ難しかったことだろう。スピーチで描かれた川藤警部補の輪郭はやりきれないほど実像とずれていて、そんなに立派な警官だったらあんな死に方はしなかったのだと腹を立てているうちに、焼香と献花の順がまわってきた。おかげでまた随分、無愛想の評判をばらまいたらしい。
遺族は俺のことを知ってい -
【第151回 直木賞 候補作】 『本屋さんのダイアナ』 柚木麻子
2014-07-14 12:00新しい教室の窓際の席からは、空のプールがよく見える。昨日まで降り続いた雨のせいで、うっすらと底に水がたまり、その上には校庭から吹き飛ばされてきた桜の花びらがふかふかと積もっていた。新学年の一日目がなんとか晴れてよかった。新しい机は滑らかで木のいいにおいがする。三年三組の新しいクラスメイトの黒い頭がずらりと並んでいるのを、一番後ろから眺めるのは壮観だ。四月の風にそよぐカーテンもパリッと糊付けされていて清潔そのものだ。
こんな風に何にも染まっていないまっさらの新学期はむやみに希望を抱かせるけど、それも名前を名乗るまでのわずかな間だけだとこれまでの経験からよくわかっている。自分の番がだんだん近づいてくることが怖くて仕方ない。頭がぼうっとし、みぞおちの辺りがしくしくと痛み始めている。数年後に必ず訪れると言われているノストラダムスの大予言がたった今、本物になればいいのにとさえ思う。朝、大急ぎです -
【第151回 直木賞 候補作】 『男ともだち』 千早 茜
2014-07-14 12:00第一章
色とりどりの泥に埋もれていた。
それが、夢だとわかるくらいには覚醒していた。泥は混じり合いながら模様を描き、私は色の乱れる鮮やかな夢をとろとろと愉しんでいた。
時折、色はくっきりとしたかたちをあらわした。その度にスケッチブックを探すのだが、泥にまかれて手が動かない。もどかしい。でも、このままれる色の渦に沈み込みたい気持ちもある。尿意を我慢する快感に似ている。ぎりぎりのところで浮き沈みを繰り返していると、突然、色が弾けとんだ。
鈍い振動音に意識が引っ張りあげられる。手は反射的にソファの上をまさぐっていたが、指先にはかたい布地の感触しかない。
しばらくしてやっと携帯電話を食卓テーブルの上に置きっ放しにしていたことに気付く。その間も振動は続き、無遠慮なその音は徹夜明けの頭にぐりぐりとくい込んできた。バイブ設定にしているとはいえ耳障りだ。だが、身体を起こす気になれない。
壁時計 -
【第151回 直木賞 受賞作】 『破門』 黒川博行
2014-07-14 12:00
1
マキをケージに入れて餌と水を替え、エアコンを切って事務所を出た。エレベーターで一階に降り、メールボックスを見る。チラシが一枚あった。手書きの下手くそな字だ。
《あなたは奇跡を信じますか――。不治の病がなおった、宝くじが当たった、あこがれのひとと結婚した、仕事で大成功をおさめた。願えば実現します。ぜひ一度、わたしたちの集会に参加してください。奇跡はほんとうにあるのです。ワンダーワーク・アソシエーション大阪支部》
どちらが北かも分からない殴り書きのような地図が添えられていた。どうせなにかのインチキ宗教だろうが、こんな誘いに乗るやつがいるのか。不治の病がなおるのはまだしも、結婚なんぞ誰でもできるだろう――。
チラシを丸めて廊下の鉢植に捨てた。福寿ビルを出る。そこへBMWが停まった。シルバーのBMW740i。わるい予感がする。
「どこ行くんや」
スモークのウインドーが下り、オールバッ -
【第151回 直木賞 候補作】 『私に似た人』 貫井徳郎
2014-07-14 12:00樋口達郎の場合
最初は、スマートフォンで見たニュースサイトで知った。
またか、と思っただけだった。またテロだ。今年に入って何回目だろう。テロが始まったときこそびっくりしてニュースに敏感になっていたが、こう何度も続くとその状況に慣れてしまう。いいことだけでなく悪いことにまで慣れるのは、人間の特性か、それとも日本人の悪癖か。新たに起きたテロに対してこんな反応しか示さないのは、おそらく達郎だけではないはずだった。
仕事帰りの電車の中だった。吊革にまりながらスマートフォンをいじっている人は、他にもたくさんいる。見慣れた光景。つい数年前まで、スマートフォンなんてものは存在していなかったとはとても思えない。社会の変化はいつの間にか起き、気づいてみればそれが当たり前になっている。スマートフォンもテロも、その意味では同じだった。
自宅の最寄り駅で降りて、途中のコンビニエンスストアで弁当を買った。夕
1 / 2