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芥川賞・直木賞の全候補作を無料で試し読み!
2017-01-12 17:30新進作家の最も優秀な純文学短編作品に贈られる、「芥川龍之介賞」。 そして、最も優秀な大衆文芸作品に贈られる、「直木三十五賞」。日本で最も有名な文学賞である両賞の、
ニコニコでの発表&受賞者記者会見生放送も12回を数えます。
なんと今回も、候補作の出版元の協力によって、芥川賞・直木賞全候補作品冒頭部分のブロマガでの無料配信が実現しました。【第156回 芥川賞 候補作】加藤秀行「キャピタル」 文學界十二月号岸政彦「ビニール傘」 新潮九月号古川真人「縫わんばならん」 新潮十一月号宮内悠介「カブールの園」 文學界十月号山下澄人「しんせかい」 新潮七月号
【第156回 直木賞 候補作】 冲方丁「十二人の死にたい子どもたち」 文藝春秋 恩田陸「蜜蜂と遠雷」 幻冬舎垣根涼介「室町無頼」 新潮社須賀しのぶ「また、桜の国で」 祥伝社森見登美彦「夜行」 小学館
候補作を実際に読んで、 両賞決定の瞬間を -
【第156回 直木賞 候補作】『夜行』森見登美彦
2017-01-12 17:30学生時代に通っていた英会話スクールの仲間たちと「鞍馬の火祭」を見物に行こうという話がまとまり、私が東京から京都へ出かけていったのは十月下旬のことである。
昼前に東京を発ち、午後二時頃には京都に着いた。
京都駅から四条河原町に出て少し街中を歩いてから、市バスに乗って出町柳駅へ向かった。バスが賀茂大橋を渡るとき、秋らしく澄んだ空を鳶の舞っているのが見えた。
叡山電車の改札は早くも見物客で混雑し始めていた。待ち合わせ時間には早かったなと思いながら柱にもたれていると、人混みの向こうから「大橋君」と呼ぶ声が聞こえる。そちらを見ると、中井さんが手を挙げて歩いてきた。
「早いなあ」
「中井さんも」
「遅刻はきらいだからね。それに、みんなで集まる前にちょっとスクールを覗いてみようと思って」
「まだあるんですか?」
「あるよ。懐かしかった」
その英会話スクールは、出町柳駅から百万遍交差点へ向かう道 -
【第156回 直木賞 候補作】『また、桜の国で』須賀しのぶ
2017-01-12 17:30
第一章 平原の国へ
1
夜のコンパートメントは静かだ。
シュレージェン駅(現ベルリン東駅)からワルシャワ行きの夜行列車に乗りこんで二時間。乗車してしばらくは一等車内でも通路を行き交う人々の声は聞こえたが、この時間ともなれば静かなものだ。
コンパートメントの寝台は上下二段。下段に寝転がった慎は目を閉じ、全身で列車の振動を感じていた。聞こえるのはただ、車輪がレールの継ぎ目を通過するたびに生じる軽快な音のみ。世界で感じる唯一の音を、全身で聴く。
ごとん、と音がするたびに、無意識のうちに頭の中で数を数える。継ぎ目を通過する音の回数にレール長を掛ければ、だいたいの距離が出る。今はそんなことをする必要はないとわかっているが、これはもはや習性となっていた。列車に乗ると、必ずやってしまう。
中学卒業後に外務省留学生試験に合格し、北満洲の哈爾浜へと渡ってはや十年。移動する際は、徒歩だろうが列車 -
【第156回 直木賞 候補作】『室町無頼』垣根涼介
2017-01-12 17:30
第一章 赤松牢人
1
現世に 神も仏も あるものか――。
才蔵が、この寛正二年(一四六一年)の憂世というものを詠めと言われ、仮に詠む力があったなら、おそらくはそう答えただろう。
まったく愚かな無明の世に生まれてきたものよ、と。
だが、この時わずか十七の才蔵に、そんな語彙はない。あったとしても、そんな達観した心根は持てなかったに違いない。あるいは気持ちの余裕というべきか。
生まれ落ちて以来、ただひたすらに食うことに必死なまま、十七年が過ぎた。
陰暦三月の夜は、じわりと湿気を帯びて静まり返っている。肌への湿り具合からして、戌の下刻(午後八時二十分頃)は過ぎているはずだ。
才蔵は六尺棒を抱え込むようにして、土倉の板間に座っている。背中を心持ち、杉戸に預けている。
六尺棒の両端は、薄鉄で覆われている。若年ながらもこの少年の膂力と技量なら、そのどちらの端を使っても、たちまちに相手の -
【第156回 直木賞 候補作】『蜜蜂と遠雷』恩田陸
2017-01-12 17:30テーマ
いつの記憶なのかは分からない。
けれど、それがまだ歩きだしたばかりの、ほんの幼い頃であることは確かだ。
光が降り注いでいた。
遠い遥かな高みの一点から、冷徹に、それでいて惜しみなく平等に降り注ぐ気高い光が。
世界は明るく、どこまでも広がっていて、常に揺れ動きうつろいやすく、神々しくも恐ろしい場所だと感じた。
かすかに甘い香りがした。自然界特有の、むっとする青臭さと、何かを燻(いぶ)すきな臭さが足元や背後から漂ってくるのに、やはりその中に見逃すことのできない甘くかぐわしい香りが混じっていた。
風が吹いていた。
さわさわと、柔らかく涼しげな音が身体(からだ)を包む。それが、木々の梢(こずえ)で葉がすれ合う音だということはまだ知らなかった。
しかし、それだけではなかった。
濃密でいきいきした、大小さまざまなたくさんの何かが、刻一刻と移り変わっていく辺りの空気に満ち満ち -
【第156回 直木賞 候補作】『十二人の死にたい子どもたち』冲方丁
2017-01-12 17:30第一章 十二人の集い
一 集合場所
その建物は集う者たちの大半の予想に反して、ひどく明るく健康的な色彩を保っていた。
建物の外壁は優しく落ち着いたピンク色で、駐車場に面する方の壁は特に鮮やかな庭梅(にわうめ)色だった。一階部分の壁には、ところどころラベンダー色で親子のシルエットが施されていて、赤ん坊を抱く母親の姿や子どもたちが手を取り合って駆け回る姿が、もとはそこがクリニックであったことを示している。少し前に看板は撤去されたが、そこはかつて医療法人が所有する産婦人科・小児科・内科の総合施設だったのだ。
四階建てで、二階から最上階まで四つか五つの上品な白い格子のついた出窓が並んでいる。レースのカーテンもそのままで、なんとはなしに大きな揺りかごを連想させるようデザインされた窓たちだ。クリニックが謳う「出産と育児をサポートします」という言葉に信頼を与え、ここなら安心して子どもを産むことがで -
【第156回 芥川賞 候補作】『しんせかい』山下澄人
2017-01-12 17:301
「揺れますよ」
と船乗りがすれ違いざまささやいたことに乗船口からずいぶん歩いて気がついた。振り返って船乗りを見た。光る黄色が横へ一本はいった紺の上着の船乗りの背中は広くヘルメットは白い。その向こうは夜だ。そこから次から次へトラックが来て人が来る。しかし船乗りはただ立っているだけで誰にもささやいたりしない。見てもいない。なぜあの船乗りはぼくにだけささやいたのだろう。ほんとうにささやいたのか。ささやいてなどいないのじゃないか。そもそもあれは船乗りか。船乗りだとしてあれはあそこにいるのか。いたのか。
「何かいっつもそうやな」
誰かがそういった。
「あんたの話って何ひとつまともに聞かれへんわ」
天だ。天がそういったのだ。天は高校の同級生で去年の春高校を卒業してからたまに会ったりしていた女で、しばらく遠くへ行くということをきちんと伝えようと昨日会った。何ヶ月も前に遠くへ行くと伝えた気でいた -
【第156回 芥川賞 候補作】『カブールの園』宮内悠介
2017-01-12 17:301
分数の掛け算だ。
ムーア先生はこちらに背を向けたまま、ちらと手元のテキストを見下ろし、問題があっているかどうかを確認した。チョークの硬い響きに混じって、ささやきや小さな笑い声、椅子の軋む音が細波となってクラスを満たす。先生が向き直るよりも前に、威勢のいい数人の生徒が次々と手をあげた。先生はざっと教室を一望してから、わたしが手をあげていないことを確認して、少しだけ落胆したように目をすがめた。ミシェルが指された。
「一と三分の二」
先生はうなずいたが、その顔に浮かぶ一抹の物足りなさをミシェルは見逃さず、こちらを睨みつけた。答えがわかっているだろうに、どうして手をあげないの。男子らは二桁の足し算もおぼつかない。算数の成績は、わたしとミシェルがいつもトップ争いをしていた。それで、一方的にライバル視をされていた。
次の問題が書かれた。
今回は、もう少し難しい割り算だ。しばらく誰も動かな -
【第156回 芥川賞 候補作】『縫わんばならん』古川真人
2017-01-12 17:301
「もしもし。内山さん? 渡辺やけど、今週は何がいります?」
問屋の渡辺から、注文を訊ねる電話がかかってくるのは、夜の九時と決まっていた。
電話に出て、帳面を開き、細かい文字で書かれた商品と売り上げの金額を指でなぞりながら、間違えのないように注文する品の名前を、幾度も高い声を出して繰り返し、また相手にも復唱させて伝えた内山敬子は、傍近く置かれた時計を手にとり、皺だらけの目を細めて時間を見た。
いったい、いつ頃から渡辺が九時ちょうどに注文を訊いてくるようになったのか、敬子には思いだそうとしても思いだせなかったが、どうやら問屋の持つ販路の中でも、敬子の暮らす島が最も遠いことから、注文を訊ねる順番も遅い時間となるようだった。この習慣となった注文訊きは、毎週の水曜日、遅い夕食を終えた頃に、居間の畳に置いた電話の前まで、ここ数年来辛い仕事となっている歩行を彼女に強いるのだった。
時計の針は -
【第156回 芥川賞 候補作】『ビニール傘』岸政彦
2017-01-12 17:301
十七時ごろ、ユニバで客をおろして街中に戻る途中、此花区役所を通り過ぎたところで右折して小さな運河を渡る橋の上で、若い女がスマホに目を落としたままでこちらも見ずに手を上げていた。停車してドアをあけると、スマホを睨んだまま乗り込んできて、小さな声で新地、とだけ言った。
北新地ですね、西九条から線路沿いにいって、そのまま二号線に入ったらいいですね、と聞くと女は、それ以外になんか方法あんの? とだけつぶやいた。あいかわらず目はスマホを見たままだ。
俺は声を出さず苦笑して、車を発進させた。スマホの画面をいじるたびに、長いピンクの爪がかちゃかちゃと音をたてる。新地の女か、いまから出勤だろうか。新地にしては早い時間だし、まだ二十歳そこそこっぽいので、ちゃんとしたクラブのホステスじゃなくて、さいきん新地にもたくさん増えた、安いガールズバーのバイトかもしれない。此花、西九条、野田あたりは、昔はだれ
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