新型コロナウイルスへの対応で、世界中から批判された日本政府。
その一方、シンガポールや台湾は、的確な対応によって感染拡大を食い止めつつあるとして、賞賛されています。
日本の官僚は難しい試験をくぐり抜けた、まぎれもない「エリート集団」。
実際に、かつての高度経済成長を指導したのは彼ら官僚たちであるのは間違いありません。
ですが今やその存在が「上級国民」と揶揄(やゆ)されるなど、庶民の間に不信感が広がっています。
優秀なはずの日本の官僚はなぜ危機対応に失敗してしまうのか。
元外務省情報局長として官僚組織の実態に向き合ってきた孫崎享氏は、「もともと日本の官僚は『未知領域の地図』を描くのが得意ではない」と語ります。
書籍『日本国の正体』(孫崎享著、毎日新聞出版刊)からの一部抜粋をおとどけします。
ニューヨーク・タイムズの記者が「日本の失敗」を予言していた?!
―ー『(1990年代には)
コメント
コメントを書く検査数が日本が遅れているといって、テレビで批判している人が多く、この人たちの考え方が少しくるっていると実感しないわけにはいかない。
例えば、韓国が検査が進んでいるといっても、7~8万単位であるが、総人口で見ればわずかである。確かに、日本は1万に満たないので、検査数が何分の一かであり、感染者数に大きな差が出るのは当たり前である。だからといって、日本の医療体制が遅れていることにはならない。9日現在の死亡者を比較すると、韓国は51名、日本は9名であり、日本が圧倒的に少ない。人口を加味したら極めて日本は少ない。検査数が多いから韓国の死亡者数が多く、検査数が少ないから死亡者が少ないといえるだろうか。そんなことはあり得ない。現時点では、日本の医療体制が整っているから死亡者数が少ないとみるべきでしょう。検査数の比較をするのに、人口から見ればわずかな検査数であり、今後どのように展開するかは、世界全体で見なければわからない。日本が遅れていると単純に批判するのは間違っているのではないか。
ジャパン アズ ナンバーワンと書かれた1980年頃、一番顕著な日米の差は、量産現場における作業者の質の違いと考えていました。技術者に関しては、日本は職種間での差がなくチームワークを重視し、米国は職種間で能力及び給与の差が大きく情報の共有が難しい状況にあった。マネージメントに関しては、明らかに日本は劣っていた。また冷戦中とのことで、日本が米国の技術を使うことに対して寛容であった。その後、アメリカは謙虚に日本を研究して、技術の共有化やチームワークの導入をはかり、量産ラインへのロボットの導入やアジア移転、そして特許請求権の行使が始まっていった。日本は、QCチームの導入までは良かったのだが、TQCの導入と言った愚かなシステムの導入で、マネージメントがますますダメになっていった。1990年代になると、海外は「選択と集中」との名目でM&A・企業の再編が活発に行われたが、日本は首切りの代名詞としてリストラが使われ、水平分業や企業の再編がほとんど行われず、国際競争力を徐々に失っていった。総務省と経産省の縄張り争いで競争力を失った携帯電話、ハイビジョン放送による競争力が無くなったテレビ業界、シスコルータ導入における通信事業の壊滅と、その後は政府・官僚の無策というより邪魔によって現状の日本になっていると思っています。
「未知領域の地図」を描くのは、日本の官僚に限らず、誰にも苦手なのです。
しかし韓国や台湾などが、中国の武漢でコロナウイルス肺炎が発生した直後に対応できたのは、「歴史に学んでいた」結果ではないでしょうか。
日本では、災害が発生しても収まると同時に、それは「過去のこと」として忘れてしまいますが、国によっては、同じような事態か発生した場合に備えて、被害をもっと少なくする方策を考えていたようです。
日本人でも、災害の再発に備えて対策をしようと考える人はいますが、国会などで野党が追及しても「仮定の質問にはお答えしません」という答弁がまかり通っています。こんな答弁が通用しているから、毎年発生する台風や風水害、土砂くずれ、地震などで同じ被害が繰り返されています。
日本の政治家は「安全保障」という言葉を、軍事力強化と同じに考えていますが、感染症や自然災害なども、国にとって重大な「安全保障」なのだということを理解すべきなのです。
サンガーは日本の発展を恐れた米国がさまざま手を使ってその行く手を妨害したことを全く無視している。例えば、鉄鋼製品、工作機械などの日本からの輸出に関してはVRA(voluntary restraint agreement)という、前年度輸出額以上に輸出することを禁ずることに同意を強要したし、自動車については、米国内で生産することで輸出を抑制することに同意をきょうせいした。すなわち、日本の自由を奪ったのである。また、半導体(メモリー用)生産で日本が米国をはるかに追い抜いた時は、日本を見習って米国政府が米国の民間企業を指導し、国営企業を立ち上げることまでして、日本を押さえつけようとした。一方、日本が経産省を主体として国家として輸出を伸ばそうとしたのは事実である。日本の官僚は新規産業の可能性は十分意識していたし、「未知の脅威」を無視していたというのか、サンガーの無知に過ぎない。
そのような本を推薦する孫崎も全く事実を知ろうとしない無知な人間であろう。
先生ご提供のジョークは全て的を得ていて腹を抱えて笑いたくなりますね。
官僚も会社員も勿論のこと、日本人全体がジョークの通りです。日本にとってのイノベーションとは今後100年かけてでも、この傾向を治していくことだと私は思いますが。でも、ここに登場する安倍氏擁護の文章から察するに「このままでええのよ」と結論が出ているように聞こえて来ます。日本はこのまま自滅へ限りなく近づいて行くことでしょう。
「フルシチョフはバカだ」落書きしたら、11年の懲役、という1960年代のジョークは圧巻です。今の安倍氏の時代にもピッタリ当てはまる。驚きですね。日本全体が1960年代のソ連を超越して1940年代の国防婦人が大活躍した時代に逆戻りしつつあると感じざるを得ません。
>>1
シンガポールや台湾が立派だと先生はおっしゃっていて韓国とは比較されていません。何か勘違いがあるようですね。或いは、韓国の外務大臣が日本を非科学的だと非難したことを恨んでいらっしゃるのかな。
死亡者が9名で韓国の51名より圧倒的に少ないから日本の医療が上だと自慢するのも何だか非科学的だと思うんですよ。韓国は大邱でエピデミックが発生した。日本は幸い大邱みたいなエピデミックは発生してない。その違いに目をつむるのは如何なものかと思いますよ。
>日本人は地図が与えられた時、上手に歩む。
その昔、京都大学に本庶佑という新進気鋭の医学者が
いました。
その頃からノーベル賞が有力であると言われるほどの。
その頃の彼の発言を覚えています。
昔の記憶なので細部は違うかもしれませんが、概ねこんな
内容でした。
京大の学部に同じ高校から5人以上入れてはいけない。
彼は医学部の人なので医学部での実体験からの発言とみなす
べきで、わたしは興味深く聞きました。
そして考えました。
そもそも京大医学部は難関中の難関で、ここに5人以上を
当たり前に送り込がことができる高校など関西の某高校しか
考えつきません。
この本庶という人は、その高校からやってくる超秀才学生たちに
不満を持っているのだな、そうわたしは考えました。
その高校からやってくる超秀才たちに共通する属性は何か。
他人がこしらえた問題に回答を見出す抜群の能力。
本庶さんはそれしきの能力が優れているくらいで医学部内を
闊歩するそれらの学生に不満を持っている。
そうわたしは推測しましたね。
京大を役所、某高校を東大に置き換えて考えてみれば、日本の
役所が東大法学部卒でしめられるのは大変危険なのでは。
役所内に必要なディバーシティのために東大法学部卒の採用は
各役所に5名までとしてみては。
>>5
そのアネクドートはあまりにも有名で、わたしも
よく知っていました。
ただ、そんなに関心はしませんでした。
そもそもフルシチョフってそんなにバカ?という
疑問が強くありました。
当時のソ連人にとって、フルシチョフに対する感想は
いろいろあろうが果たしてバカって言いたくなる対象だろうか
と思ったものです。
当時のわたしは、米国CIA製のアネクドートが西側マスコミに
持ち込まれたのでは?と疑ったものです。
ところで安倍をバカと言っても国家機密を漏洩したことには
ならないでしょうね。
それはもう誰でも知っていることだから。
>>8
なるほど、CIA性ジョークですか。フルシチョフとケネデイーに当時私は親しみを感じていたので、CIA性と言われれば、そこには私には否定出来ない要素があります。
安倍氏に対して官僚だけでなく経団連のメンバー、お笑い芸人、テレビ従事者、新聞記者、一般国民に至るまで「バカだ」とけなすのはご法度のようですね。まるで国家機密みたいな扱いです。ただ二人例外がいらっしゃって、籠池さん夫婦ですけど、彼らは安倍夫妻をバカを超えて詐欺師だと今も抗議しています。馬鹿マスコミが一切取り上げないのは「国家機密」扱いだからでしょうね。
>>9
みぞゆう、だの、でんでん、なんて言ってたら、
昔だったらテレビでコロンビアトップライトあたりに
さんざんおちょくられたでしょうに、いい時代に
生まれたものです。
麻生も安倍も。