映画「ショーシャンクの空にーThe Shawshank Redemption(ショーシャンクの赦し)、1994年公開」は、私にとって最も感動した映画の一つである。
たまたま、娘の置いていった本の中にスティーヴン・キングThe Shawshank Redemptionがあった。
作品としては、映画が素晴らしいので、感動するという点では映画の方が上であろう。
しかし小説は単に、あらすじだけが勝負ではない。筋の展開に加え、時々、重い言葉が盛り込まれている。
その中の一つに次の言葉がある。
「監獄では、権威ある立場にある者はみな主人になり、あなた(人々)はすべての主人の犬になる。たぶん、あなた(人々)も犬になったことを知っているだろう。しかし(囚人服の)灰色になっている他のみんなも犬なので、それはあなた(人々)にはそれほど意味をもっていないようだ。」
(In prison、it turns ever
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米国の経済ジャーナリストのNOMI PRINS女史の本を読んでいたら、日本の政治は米連邦準備銀行と米銀の「のど輪攻め」にあって自由が全く許されない状態にあると断定しているのです。
日本の政治家が自覚症状がないのだからそれは重症です。
列島、日本人、政治家も法人も全て、米国と言う看守の犬になっているのです。その犬は飼い主にけしかけられれば、誰にでも噛みつく狂犬です。
わたしは熱烈なスティーブンキング・フリークなのだが゛...
当該作品を読んだのはずいぶんむかしでそのセリフには覚えがない。
たしか中編で原題は、刑務所のリタ・ヘイワースだったような。
それにしても箱根は中央が最後まで息切れせずにがんばってくれて
うれしい。
わたしが逆転優勝を予想した青学は、復路山下りで区間最下位の
みじめな失敗となり、青学復路鬼強いの神話は崩壊。
原監督の高笑いとなるはずは泣き面となり、彼が嫌いなわたしは
うまい酒を飲んだ。
それにしても青学の山くだり走者は2分3秒を追いかけるために
スタートからばね仕掛けのように脱兎のごとく飛び出すかと
思いきや、初めから積極的に追いかける気がないかのような鈍重な
走り。
初めの5キロでもう30秒以上離された。
4年生ではじめて最初で最後の箱根を走るランナー。
体調が悪くてもそれを申告しなかったのだろう。
彼を責めることはできない。
監督がそれを見分けなければ。
チームとその走者の人生はどうなる。
大学運動部の法則
若い学年でレギュラーとなり今は4年生>若い学年のレギュラー>4年生ではじめて
レギュラー。
一番危険なレギュラーに一番大事な区間をまかせてしまった。
若い頃にデモ行進でジグザグデモをして、ワザと機動隊を挑発する行為に違和感があった。
デモ指揮の先輩からは、権力が作ったルールからどう逸脱するか、それが大事なんだ、と言われた。私自身は逮捕されるわけにはいかなかった。就職を天秤にかけていた。だいたい、機動隊を挑発する行為のどこが「革命的」なのか、と考えていた。
新型コロナワクチンへの同調圧力が酷いこの社会にあって、我が家は少数派を選択した。
平々凡々たる人生という意味で「圧倒的多数派」を密かに自認していた自分が、少数派に「転落」した。少数派というのはストレスだな、と実感している。
監獄を社会に例えるなら、真の「囚人」とは、監獄のルールからも逸脱した者ではなかろうか?囚人だとしても、監獄のルールからの逸脱を辞さない自らのルールに従うものは、或いは自由を勝ち取ることができるのかもしれない。
とはいえ、そこで問われるのは、普遍的な哲学だろう、と戒めている。自分のアタマで考え続けることしかない。
このテーマでは、桐野夏生さんの「日没」という小説もおすすめです。
スティーヴン・キングはジョン・レノン → スタンド・バイ・ミーで名前を知っているだけであったが、係る あらすじからも この映画の魅力が十分伝わってくる。
>「監獄」を「日本社会」と言い直せば、まさにそれは今日の日本社会を表しているのでないか。
要するに、日本社会=軍隊である。だから日本社会はカルトとも親和性が高いのだ。軍隊、カルトの構成員に共通する特徴:ユーモアのセンス ゼロ。ユーモアには様々な人生経験、自由な発想が不可欠だからだ。益々ツマラナイ人間だらけのツマラナイ社会にも なっていくのである。
また「監獄」で頭を過ぎったのが日本の入管問題。これを扱った「ボーダー 移民と難民」の著者、佐々涼子氏のインタビューで先日知ったが、日本の入管施設で起こっている事態は正視に耐えないという。まさに日本のアブグレイブ、日本のグァンタナモだ。差し詰め、この「監獄」社会ピラミッド型序列の最底辺でないか。
> 周りを見ると皆隷属している。そして自分が権力に忠実に従う「犬」であることに疑問を持たない。それが今の日本であろう。
そうでない筆頭がプーチンであろう。大晦日、ロシア・トゥデイに「プーチン、異例の新年の辞を述べる」が出ていた-
「この国は、ロシアの完全な主権の達成と社会の重要な統合に向けた重要なステップを踏み出した」
「今年は、私たちの共通の未来と真の独立の基礎を定めた、極めて重要で運命的な出来事の年だった。これこそ、私たちが今日、戦っていることなのだ」
「この紛争は、公平で多極化した世界を目指す他の国々を刺激するものである」
「ロシアは、2014年のクリミアでの出来事以来、制裁の下で生活してきた。しかし、今年、私たちに対して全面的な制裁戦争が宣言された。その背後にいる黒幕は、我々の産業、金融、輸送部門が崩壊することを期待していた。これは起こらなかった」
建て前でも こんな風に国民にアナウンスできる指導者は、100年経っても日本には現れまい。第一、100年後に日本がまだ在るか否か。
スティーブン・キング原作は多数映画化されているので、わたしでも多少はみたことがある。
しかし、これは映画を見たことはなかった(もちろん原作も)。
そこでまず題名を見てみると、
The Shawshank Redemption
だとのことだ。
原作の方は、
Rita Hayworth and Shawshank Redemption
らしい。
ここで考察するに、この
Redemption
が大事で、映画邦題の「ショーシャンクの空に」にはこの視点がまったく欠落している。
redeemは経済金融用語でもあるが、神学用語でもある。
Jesus Christ redeemed us from sin. イエスキリストは我々を罪悪から救った.
つまり、世俗法とは別の原理(神の法)で救われるという意味合いがある。
この場合の救いは贖いと言ったりもする。
ここであらすじをみると、主人公は無辜にもかかわらず刑務所にいれられ、
そこで世俗の法では裁かれていないワルの面々に虐待されたり利用されたりするが、
最終的には(神の計らいもあり)そこから解放され、ワルたちは報いを受けた、
ということなのであろう。
(神の計らいもあり)、と書いたのは、基本的にはキリスト教徒の米国民相手の小説だからだが、
ここを、(世俗法よりも超越的な原理で)、のように置き換えれば、
世界中の一部のヒトビトがお好みの論理になる。
ロシアのウクライナ侵略は世俗法では紛れもなく犯罪だが、ここのブログでも、
ロシア擁護のヒトビトは、孫崎さん自身をはじめ、
「世俗法では紛れもなく犯罪」という点をあまり直視しない。
そして世俗法よりも超越的な原理のはなしをする(話すヒトによって内容は少しずつ異なる)。
正月からくだらない議論はしたくないので、もう深入りはしないが、一つだけ言うと、
アンディはともかくも無辜であったらしい。
だからこそ、超越的な原理でワルのほうが裁かれるという点に、カタルシスがある。
しかし、ロシア(ソ連)は無辜だったのだろうか。
孫崎さんが今年何を紹介なさるか、楽しみにしていました。みてないのにどうこういうことはできませんが、「最も感動した映画の一つ」とおっしゃるわりには、是非ともみてみようとは思いませんでした。もっとも映画はあらすじよりも、細部の表現が大事であり、結局みてみるだろうとは思いますが。
私の中では、数年前にご紹介なさった、日の名残り(カズオ イシグロ)は確かに大傑作だったとおもいます。
>>17
わたしにとって、スタンドバイミーはレノンでなくウォーカーブラザースでした。
オリジナルはベン・E・キング。
それにしても、スティーブンキングが未読とはある意味
うらやましい。
これからたのしみが山ほど残っています。
わたしは数十冊は読んでいますが、彼の作品はホラー・テイストのものと
文学テイストのものがあります。
わたしの評価では前者の最高傑作は、The Stand、後者はグリーン・マイル。
それは強いて言えばであってキングの作品はハズレがなく傑作だらけです。