15日新宿シアタートップスで劇を見た。
椿組2023春公演『まっくらやみ・女の筑豊(やま)』
2月9日(木)~19日(日)
作:嶽本あゆみ(メメントC)
演出:高橋正徳(文学座)
主題歌:山崎ハコ
会場:新宿シアタートップス
まっくらやみ 女の筑豊
参考(1)東京新聞<行ってみたら>炭鉱「女も同じごと」 「劇団椿組」の新作「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」 新宿で9日から
炭鉱労働に従事した女性への聞き取りを通して、男女の性差が生み出すさまざまな問題を炙(あぶ)り出す新作舞台「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」が9日から、新宿シアタートップス(東京都新宿区)で上演される。炭鉱で激化した労働争議、思想対立の実相も女性の視点から描かれ、現代に問いかける。 (稲熊均)
昨年95歳で亡くなった作家森崎和江さんのノンフィクション「まっくら」や、ともに筑豊に移り住み労働運動や文化交流を牽引(けんいん)した詩人谷川雁さんの
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
>ストーリーの舞台は1958年の筑豊
この頃が舞台というと、アタマに浮かぶのはやはり「総資本対総労働」というフレーズ、あの三池争議である。私の勝手なイメージでは、イデオローグ向坂逸郎九大教授に指導された戦闘的労働運動。
若かりし頃、勿論、私は同時代ではないが、向坂氏の「資本論入門」(岩波新書)を手にしながら、革命がある種信じられた古き良き時代を儚く想いを馳せる気分であった。
しかし、三池争議から60年以上経て、ある意味で総労働側は敗北し続けてきた。
1975年のスト権ストの敗北により、以後、春闘期のストそのものも退朝傾向に陥ったと思う。さらに10数年後、1987年国鉄分割民営化により国労が解体され、これにより組織労働者による戦闘的労働運動の時代は完全に終焉したと考えている。
これと並行しつつ、バブル経済が出現し、世は狂喜乱舞、軽佻浮薄の拝金主義に流されていった。
労働組合は絶滅危惧種の道をたどり始めた。
1995年、経団連は「新時代の「日本的経営」」を発表し、アメリカ帝国流の新自由主義を輸入して、「終身雇用」幻想が粉砕されて、非正規労働者が激増し始めた。この頃から、メンタルを病む仲間が増え始め、私は組合役員として対応を迫られるようになった。
それ以後、格差社会は今も続いている。非正規労働者の組織化に失敗した労働組合は組織率を低下させ続けて、社会的影響力は風前の灯だ。
一方、働く女性達の生きづらさは増すばかりだ。コロナ禍で若い非正規女性達の自殺が激増した。この社会の弱者の一群は、未だに女性なのだ。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221014-OYT1T50253/
コロナ禍を煽り、上から目線で自粛、自粛と社会を締め上げ、ヒトビトを「窒息」させてきたヤブ医者達、ジジイ専門家達に罪の意識はないだろう。私個人として、カレらに天罰が下ることを内心で祈っている。
私は四半世紀、組合活動家のハシクレだったが、振り返って何が出来たか考えてみたが、娘に対して、雇用における女性差別、年収、昇任、学歴、正規、非正規、結婚、出産というあらゆる社会的場面での、女性であるが故に直面する様々な理不尽を教えてきただけであった。
現実を踏まえて、自分のアタマで考えて、生き抜けという思いであった。
>嶽本さんは「危険から守るという名目のもとに女性を労働の場から遠ざけ、自由と選択肢を奪う一面もあった」。女性が家庭に縛られたことによる労働運動の限界、問題点も作品では示唆される
ただ、男女平等を言うとき、国防や徴兵も男女平等に、という議論にフェミニズム(特にアメリカで)が絡め取られていったことも無視はできない。私はジェンダー平等よりも、戦争や暴力を拒絶し、そこから逃げ出すことのほうが大事だと考えている。
炭鉱労働から思い浮かぶのは その過酷さだ。昔、高校教科書だったか、日々16時間扱き使われる「中世欧州 炭鉱労働少年」の挿絵があった。十数年前にはチリの炭鉱で坑道崩落が発生、33名が2ヶ月以上も閉じ込められた。
>『太平洋食堂』について、このニコニコチャネルでも出演してもらったことがある。
孫崎さんは劇終盤の「弁護士」が良かったとコメントされていたが、その通りだった。大逆事件の本質が殆ど分らないまま観ている観衆が、最後になって係る弁護士が問題の核心を突く場面に遭遇する...だが、これは もしかすると、そう配慮せざるを得ない事情があったのでないか。劇序盤から徐々に問題の本質を把握できるような展開にすることもできたはずだからだ。しかし、そうすると何処からともなく横槍が入る━やはり日本は そういう国だ。
>「男女が協力し助け合わないと危険も伴うし、効率も悪い。対等にならざるを得なかったんです」
かつて、職場での英会話クラスで受講者の一人が「所詮、男と女では体力的にも対等になど なり得ない」と発言したところ、若い米国人女性講師が無言でホワイトボードに書き始めたのが「2+2=4」「1+3=4」「2×2=4」であった。係る発言者は狐につままれた だけのようだった。
ボリビアのフォルクローレに「鉱夫」という名曲がある-
悲惨な夜を過ごす洞窟での暗い日々
絶望と悲嘆に打ちのめされる
私の人生はこんな風に
鉱夫であるべく過ぎていく
私は鉱夫、母なる国によって
自分の全てをこの仕事に捧げている
しかし、報われない日々を
受け入れねばなならい
私の大いなる悲劇は
ここより遥か彼方で終わるだろう
聖なる空で生きる定めなのだ
いい鉱夫として死ぬよう
神に頼んだのだから
・・・
>>1
訂正 「経団連」は間違いで、当時は別組織「日経連」により発表されたのが、「新時代の「日本的経営」」でした。お詫びします
男女平等の社会は、男も女も自立しなければならない。自己責任を自覚しなければならない。
言葉でいうと簡単のように聞こえるが、本質的に考えていくと乗り越えられる人はほとんどいないというより、特別な人は別にしてほとんど難しいといえる。
人生どのように生きるべきかが根本にあり、自分で人生の問題を解決できる人は少ない。多くの人は生き方を教えてくれる人とか団体を求めなければならない。
西欧は、キリスト教が日常生活の中に入り込み、皆が教えを信じ敬虔な生活を等しく営んでいる。自立しているのです。
日本の場合、無宗教であり、人生を生きていく教えを持っていないので、何か問題があれば不必要なことに悩むことになる。
男は男の単身生活、女性は女性の単身生活、結婚しての生活と様々な生き方がある。
根本の自己を追求していないし、信じるもの(宗教)もなく、最後は自分しかないという極限を経験していないので、一人一人が自立していない。
男女平等もよいが自ずから生き方に確信がなくては、行政のお世話になる人が蔓延するのでしょう、さもなくば病院で医者のお世話になることになる。
嶽本あゆみさん。
山崎ハコさん。
森崎和江さん。
とくれば、やはり石牟礼道子さんが出てまいります。
私が女手一人で生み育てられたせいか、男の人生には全く興味ありません。遊び半分に小説をいくつか書きましたが、主人公は全部女性です。
東南アジアを歩くとカラユキさんのお墓がたくさんあります。涙がぼろぼろ出て来ますよ。
>>6
男女平等と行政のお世話とどう関連するんでしょうね。消費税取って政治行政やってんだから生活に困った人を助けるのは政治行政当事者の筆頭の義務ですよ。政治行政担当は生活困った人の公僕じゃないですか?それが基本じゃないですか?
>>7
戦争未亡人のお子さんの一人ですか。
数人同級生の仲間に同じ境遇の人がおられます。
戦争でお亡くなりになった父親が韓国人の方もいます。
大学の夜間を卒業し一流の会社に就職しました。
コロナで3年間お会いしていませんが、小学校から高等学校まで一緒に学んだ友もいます。
>>9
で、質問に答えない貴殿は他に何を言いたいんですかね?
>>10
私が話題にしたのは、「人生に対する悩み」であって、金銭的なことではないのです。行政における「人生相談」であって的外れのことを言うから答えようがないのです。いくら言ってもわからないだろうな。
>>13
誤解があるようですが、私が取り上げているのは、退職した高齢者の話ではありません。
働いている人たちの競争社会ですの問題です。
競争が激しい経済社会の中で、自分の力を発揮していく時、他の人たちとの競争になりますが、自分より能力のある人はたくさんいます。あるゆる場面で能力不足を噛みしめなければならない。挫折を味わい孤独が深まりますが、自己を見つめることをしていないと、自己嫌悪に陥ります。自立して競争のただなかに置かれるということは想像以上の圧力がかかります。
このような時、相談する人がいれば、友達などに相談することもできますがいなければ行政の相談室に行かざるを得ないといっているだけです。他に相談するところがあればこだわるものではありません。他に医者に相談することも加えているのです。
株については基本的に資本主義社会の根本です。理解しようとしないより、「醜い」といって根本的に認めない人に話しても無駄であり話を控えます。