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随想⑤教育その1.米国、英文学を例、博士課程は二つの大きいテーマ(黒人、環境、理論等)の代表的文献各々百冊を選び。是非が検討され、その本理解の口頭試験後、論文記述。やみくもに自己主張するのでない。論考には基本的ベースがある。日本ではこうした訓練なく論ずる人が多い。
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随想⑤教育その1.米国、英文学を例、博士課程は二つの大きいテーマ(黒人、環境、理論等)の代表的文献各々百冊を選び。是非が検討され、その本理解の口頭試験後、論文記述。やみくもに自己主張するのでない。論考には基本的ベースがある。日本ではこうした訓練なく論ずる人が多い。

2023-12-29 07:25
  • 27

我が家は4人家族、私と妻と息子と娘。年齢はこの順である。年齢上位を敬うという日本の伝統にしたがい、家庭内では何となく、子供たちの就職までは序列的なものがあった。
 だが学歴となると、逆である。私は大学中退、妻は大卒、息子は修士、娘は博士である。博士は当然えらい。娘は時に議論の中で「私はDOCTORだから」という。
 娘は大学四年の時に内村鑑三スカラーシップで、アマースト大学に行き、そこからバージニア大学の英()文学博士課程に入った。
 博士を入手する過程が興味深い。
 まず、文学の主要なジャンルを二つ選択する。シェークスピア時代、黒人、環境、ジェンダー、都市、グローバリズム、文学理論等。
 この二つで各々読むべき本100冊のリストを作成する。その審査を受ける。そして計200冊を読んだところでこれらの本に関する口述試験をうける。試験官達は適当な本を読んで質問すればいい。生徒はそうはいかない。100冊

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他17件のコメントを表示

これは想像ですが、日本は明治以来の仕組みからして、大学よりも役所のほうが偉いので、(最近はかわってきつつありますが)とくにいわゆる文系の分野では、役所が大切な人材は自分で教育しようとしてきたのだとおもいます。たとえば高卒で役所にはいっても、抜擢されて教育をうけることのできるシステムがあると聞きます。また、日本の大学のいわゆる文系学部は、学問と、「踊らされること」の区別がついていない教授陣がかつては(いまも?)多かったので、役所はその点はきらったのではないでしょうか。
なんにせよ、優れたやりかたはマネすればいいとおもいますが、別の視点でいえば高等教育の米国化ということであり、問題点もあることでしょう。

No.18 9ヶ月前

飯山陽はわたしは「イスラム2.0」が世に出たころから注目しています。たしか、ここに「イスラム2.0」について書いたこともあるはずです。斬新な視点であり、ああいう視点を自信をもってもつために、厳しい勉強が必要なんだとおもいます。

池内恵との争いは、あくまでわたしの印象ですが、最初は池内に非があるとみています。しかしわたしは池内も、また飯山がハナシに出す篠田英朗や高橋和夫も、著書は参考にしており、飯山ももうやめたら、と思わぬではありません。

なお、飯山がいう池内と外務省との関係は、まあ「東大教授」の仕事の一環なのでしょう。池内は小泉悠を抜擢したひとでもあり、その前は小泉は外務省に拾われており、結局外務省も池内も日本の役にたっているとおもいます。

No.19 9ヶ月前

>>19
今日配信されているが、
飯山陽いかりチャンネル「5万円報奨金」東大教授「狂ってる」10アカウント5万円を見てください。
飯山氏は池内教授のツイッターをブロックしているようですが、他の人から情報を得ているのでしょう。
東大教授の地位を自ら下げているとしか見えない。
5万円の報奨金をいいながら、べつに寄付金を要請しており、何をやっているのかとしか言いようがない。

No.20 9ヶ月前

 なにより尊敬するのは、孫崎先生の御子息、御息女ともに社会的にご活躍されていることです。一人の親として、社会に名をなし功をなす貢献するように育て上げる難しさは身にしみて分かっていますから。
 孫崎先生の御子息、御息女のご活躍は、ご家族の家族愛の賜物ではないか、と拝察しております。

 それにしても、常々思うのは日本人の横並び思考の問題です。正直に言うなら、凡人には100冊本を読み、内容を理解することは難しい。
 従って、大事なことは、基本的な善悪に関する哲学を身につけるための社会環境、即ち義務教育と、自分の頭で考える思考力だと考えています。私見ですが、日本人は自分の頭で考える能力が著しく低いと見ています。
 自分で考えずに他人の考え、多数派の姿勢に合わせようとする横並び意識です。だから、大本営発表に無批判にコロッと騙されて追従する。
 主流権威筋メディアによる大本営発表を鵜呑みにするのは、自分の考えが基本的にないか、著しく弱い、自分では考える思考力がないからだと思います。

 自分の頭で考えるには、いくつかの前提条件が必要だと、私は考えています。

 それは、私は、物事に接して態度選択が必要になった場合に、①多様な考え方、意見に接する。②事実をシッカリと見極める。この二点です。凡人には、この二点は最低限必要です。逆に、100冊読んで、内容を理解する能力のない凡人は、上記二点すら身についていないと、大本営発表にコロッと騙さるB層にたやすく転落するのです。

 ①②が出来るなら、良識ある市民として、大本営発表に騙されることはないでしょう。

 しかし、B層は①②が欠落している。①②はスマホがあれば、本を買わなくてもある程度は習得可能、即ち容易いこと。私は本を買って、読まずにツンドク派ですが、今や本を買わなくても、情報収集はスマホによりかなり容易に出来ます。

 私は①②の素養は、ウクライナやmRNAワクチンの評価や対処姿勢に関して、如実に問題点として顕になったと考えています。ウクライナでの戦争やmRNAワクチンは人の死を増大させる問題。

 物事を自分の頭で考えることのできないB層は、人の死の増大に加担するのです。

No.21 9ヶ月前

>>21
100%同意します。

No.23 9ヶ月前

>>20
ご指摘の点は、おっしゃるとおりだとおもいます。

No.24 9ヶ月前

なんか、100冊、200冊というのに気圧されているヒトビトが見られるが、想像混じりでいいますが、それ自体は、そこまでのことでは多分ありません。文献が英米語で、受験者が英米語ネイティブ、あるいはそれに近いひとであれば。

日本で考えても、高校生までに近代文学を2、300冊以上読んでいる子は珍しくないとおもいます。もちろん博士過程にはいるとなれば、ただ読んでいるだけでは足りず、内容を細かく理解し、文学史上の位置づけや今までの議論にも通暁し、また対象も、明治以前にまでさかのぼらなければならないかもしれません。中世以前はまた別分野になるのかもですが。
それでも、ほかならぬ本人が文学を研究しようという人であれば、それほどのことではない感じがします。

むずかしいのは、自分の研究テーマを意識しつつ、自分でリストをつくり、その意義を試験管に説明するところだとおもいます。

しかしもっとも難しいのは、実際に論文を書くことです。これが書けた書けないは全然違います。

No.25 9ヶ月前

ところで、過去のコメントを読んでいて、ハークネス法をやったらいいのではないかと思う事例があったので、紹介しておく。

Aさんは「「異民族の善意」などに期待して何かをしてはいけません」と主張する。

Aさんにわりとすぐ追随するBさんは「おっしゃる通り。異民族の善意に期待するなんてとんでもないことです」という。
しかしこのBさんは、かなり以前だが、「中国はなにも悪いことはしないよラララララだって中国には悪いことをする原理がないからねルルルルル」と歌って踊っていたヒトだ。

一方最近「性善説」などと言っていたCさんは、Aさんに「不公正で短絡的な意見です」と反論するが、Aさんに開き直られて、もう何も反論できませんでしたとさ。


「教師」役くらいはやってあげるから、ほんとにこのコメント欄を借りてハークネス法をやったらいいんじゃないですかね 笑
わたしがおもうに、お三方とも、他人(だいたい対象は二名ですが)にすぐ絡んでくるわりには、議論討論が下手。
というより、おもいこんだら、もう自分が正しいと決めつけて議論討論する気がない。こういう態度では、博士論文は書けません。

No.27 9ヶ月前

あ、また消して逃亡されちゃったよ。>>26

ま、27は残しておきましょう。別にまちがったこと書いてないしね。

No.28 9ヶ月前

>>27

 逃亡?意味不明だ。

 下らん書き込みに辟易したが、さりとてからかったり、こき下ろすのも良くないかな、と思い返しただけだ。

 削除してやったのだから、無視しておけば良いものを、いちいち拾うから、こうして再びこき下ろされるのだ。

>こういう態度では、博士論文は書けません。

 博士論文?オマエの下らない、あの小学生並のコメントを棚にあげてよく言うな。オマエみたいなB層の論文、こき下ろしてやるから、ここに書いたらどうだ?

No.30 9ヶ月前
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