極めて異例の報道がなされた。それも読売新聞によってである。
「在日米大使館は26日、安倍首相の靖国神社参拝について「日本は大切な 同盟国だが、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と批判する声明を発表した。」(2013年12月27日00時09分、yomiuri online)
米国大使館声明は下記のとおりである。
「2013年12月26日
日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者 が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。
米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策 を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。
米国は、首相の過去への反省と日本の平和へ
コメント
コメントを書く安倍首相はある程度米国の思惑通りに動いているのだと思っていたので、アメリカの対応はむしろ意外でした。というより安倍首相は何を考えているのかまったくわかりません。支持率もまた落ちそうですし、単にやりたいことをやっているだけなんでしょうか?狙いがあるとしたら何なのか、全く見当もつきません。とにかくこのことが安倍政権瓦解の第一歩となることを祈ります。
バランス大切ですよね。自分の中でも振れる心が交錯するときは、しばらくそのまま放っておいて時間をかけると、自分が本当に進みたい道が見えることがあります。極端な考え方に支配されると、あとで後悔することが多い気がします。僕は安倍内閣よりバランスのとれた、でもちゃんとしたポリシーをもった政権の樹立を期待します。でも国民のこと忘れないでね。
靖国神社の存在は天皇の存在と似ている。私は霊魂なるものがある建造物に宿るということが理解できないので、靖国神社にお参りするという安部総理の行為は理解しない。私は戦前に父親に連れられて靖国神社に行ったこと、さらに戦後から今日まで2回訪問したが、拝礼したことはない。好奇心が主たる訪問目的であり、付属の戦争博物館である遊就館にほとんどの時間を費やしている。同じ目的で、米国のアーリントン墓地、原爆の模型などが陳列されているスミソニアン歴史博物館や、トルコのアタテュルク廟も訪問した。私は現天皇と同じ歳であり、従って昭和天皇が戦争中に日本軍の最高司令官として軍装で白馬にまたがった写真を何度も目にしている。戦後、米国は天皇を戦争犯罪人のリストから外し、また、中国の習近平主席は主席就任前に現天皇を皇居に訪問している。米中両国が安部首相の靖国神社を、歴史誤認として批判するのは、天皇に対する彼らの態度と比較すると矛盾を感じる。言っておくが、私は天皇の責任を問うべきだ、天皇制を止めよと主張するのではない。日本に周辺諸国を侵略したという事実は消し得ない事実であり、それを日本歴史の一部として日本が今後の行動に於いて自制する上で、歴史を忘れないと言う意味では靖国神社と天皇制は同等である。片方を残すならば、もう片方も残し、日本人はそれを考え続けるべきだろう。ただ、政治家が政治的配慮、負け惜しみてき思考から、靖国神社を訪問するのは、賛成できない。安部首相は、靖国訪問と言う自分の行為の影響について、責任を負う覚悟ができているだろうが、現実的にみると、その行為によって日本国民が利益を得るとは思わない。野田首相が尖閣諸島に関して取った行為が、彼の意向と関係なく、日中関係に大きな影響をもたらしたことと同様なことが起きることを予想せざるを得ない。阿部首相をいまさらとがめても、何の役にもたたない。国家は運命共同体として国民と政府をその要素として持っている。良くも悪くも国民は自己を政府から引き離すことはできない。何を言ってもむだである。今の日本人は、戦争の経験、隣国を侵略し、蹂躙したという歴史的事実が今後の精神的な支えになるどころか、大いなる迷惑として考えている。国家戦略により、戦争に駆り出された軍人たち、その家族にはお気の毒と言うしかないが、一方で、そのために国民全体が物理的な利得も受けたことも否定できない。歴史はあくまでも学び、それによって賢くなるという対象であり、それ以上に持ち上げてはならない。天皇制も同様であろう。
祖父に岸信介氏をお持ちだからの行動だと思う。安倍首相にとっては偉大な祖父だから、元A級戦犯被疑者の汚名返上が大きな志かもしれない。
「国のために犠牲になった人々の霊に、尊崇の念を表する」だけなら、靖国神社に行かなくても、自宅にいてもできるのだ。わざわざ報道陣を引き連れて出かけたのは、中国や韓国を刺激したかったのだろう。
安倍首相が経済再生の柱としている政策に、重大な障害になることに気が回らなかったとすると、この人には「政治に関わる資質」がないのだろう。我が国の輸出産業の中で、最も重要とされているのは自動車である。自動車は屋外で使用するものだから、昨年のような反日運動が起これば標的にされて、所有者には命の危険が及んでしまう。そのため、日本の車がどんなに優れていても、中国国内で買うには、決死の覚悟が必要なのだ。小手先の経済論理ではなく、日中友好こそが経済再生の道だということが、ネット右翼にそそのかされた、世間知らずのお坊ちゃまには、理解できないのだろう。もう自民党内には、世界常識のある人物はいないのだろうか。
安部首相は、彼の意図は中韓など近隣諸国を刺激する意図はなく、平和を守ることにあることを言明している以上、例えば今後どのような挑発的行為が中国から発せられても、自衛隊に発砲させないという、総司令官としての抑制が求められる。それは、例えば、尖閣諸島を巡って、自衛隊員またはその他の日本国民が中国の軍隊或いはその他の勢力によって殺傷される事件が起きても、なお自衛隊に発砲を許さず、外交的に抗議するに留めるということを意味するが、果たして安部首相にその覚悟があるだろうか。もし、それが一旦事実として諸国により確認されれば、それで初めて、彼が言明した日本は二度と外国に対して武力を行使しないという、平和宣言を実行したことになるかと思うが如何。
駐日米国大使館の12月26日のコメントは、日本を友好国と a valued ally (貴重な友好国)という言葉で紹介し、今回の安部首相の行動が極東地域の安定にとって好ましくない行動という批評を加えたのち、この短いコメントをWe take note of ...(過去の歴史(的事実)に対する安部首相の悔恨と平和維持の約束の再確認の言葉に注目する)という言葉で結んでいるので、まずやんわりと「気を付けてくださいよ」、「平和維持の方針は守ってくださいね」という外交的に釘を刺したと読むべきであり、孫崎氏の(事態は)「深刻だ」という表現はover reactionであり、demagogicalであると思う。首相として阿部氏の今後の行動を熟視したい。NYTの論説は、彼らの意見・観点と言うよりは、秘密保護法の制定過程に対する日本国内の(ジャーナリズムの)批判を紹介しているに過ぎない。靖国参拝という事項と秘密保護法に関するニュースをくっつけているのはもちろん孫崎氏の議論上の手法である。
米国だけでなく、EUもロシアも、無用な緊張をもたらした靖国神社参拝に対し、遺憾の意を表しています。
安倍総理流の考え方によると、米国の言うとおり、秘密保護体制を万全に敷いたし、沖縄辺野古移転も進展したので、己の信念に基づく靖国神社参拝して何が悪いと開き直っているような気がします。
米国も、このどら息子のために、「失望した」という中国、韓国を意識した助け舟を出したのであるが、マスコミの報道する本日の安倍総理の行動をみていると、反省しているような様子は全くない。「ゴウ オン マイ ウェイ」、「天上天下唯我独尊」の心境でしょうか。50%前後の支持を得た国民の民度に合った総理であるが、今回の参拝で国民の支持がどうなるか、早くマスコミの世論調査を見たいのであるが、はたしてマスコミは世論調査をするのであろうか。
安部さんと言うひとは、良く分からない。鳩山さんのような学校秀才でないことはわかる。良い政治家になるには学校秀才でなくても良いが、利口ではあって欲しい。彼は利口なんだろうか。国に尽くしたひとたちを崇めるなんていう固定観念を持つ事は困る。本当は期を見て、くるくる意見を変える弾力性のある人間のほうが、現実世界では国民にとって、好都合なんだが。と言うと、小泉のような人間化と言えば、彼は利口でないように思う。まあ、なかなかいい人がいないですね。これは日本人が全般的に抽象論に弱いせいではないでしょうか。諦めましょう。そういう国なんですから。それでも、今の現実の日本国は世界のどの国より、住みやすい、しかも民度の高い国になってるんですからいいでしょう。アメリカが日本を軍事的に抑えていることは大変日本国民にとって幸せなことです。いくら日本の総理大臣が戦争したいと思っても自発的にはアメリカが一言Noと言えば戦争は起こせません。そのメリットと引き換えに、もしかすると、局地戦ぐらいには自衛隊が駆り出されて傭兵として小さい戦争をすることがあるかも知れませんが、以前の日本のように自前の戦争は絶対できない仕組みになっていますから、それくらいの犠牲を払ってもいいでしょう。と言う訳で、中韓がカッカしても知らん顔していることでやり過ごせばいいでしょう。彼らだって、本気に日本がけしからんと思っているのは全く少数派でしょう。安心してお正月をお楽しみください。
「期を見る」は「機を見る」の誤りです。
米国がある程度反発するであろうことは想定内のことかもしれないが、それ以上に己の信条として26日に参拝することには彼にとって重要な意味があったようで、彼なりに「期」をみての対策もしていたように観えます。しかし「機」を観えてはいなかったようです。
安倍首相の愛読書は吉田松陰の『留魂録』だそうです。安政の大獄で処刑されたこの吉田クンですが、罪状は老中暗殺を画策したことにあるのであって、下田で黒船に乗り込もうとしたのではないことは学校教育では教えられないからあまり知られていないようです。
安倍さんも読んでいる
吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) 古川 薫 (2002/9/10)
の解説を読まれたし。
堂々と白状すれば、死罪は確定したとしても聞く者は判ってくれるだろうと思っていたらしい。(江戸時代の刑法では罪を認めないと死罪を執行できなかったし、韓国とは異なり、同じ罪状で何度も処罰する伝統は日本にはないことです。)
対談などで彼が吉田クンに言及する時には「松蔭先生」であり、また彼の名前は高杉晋作の「晋」を採って付けられたもの。長男なのに「三」が付くのは同じく三男えはない金詠三元韓国大統領のように「三」がお慶い数だからなのか?
安倍晋三という人物を理解するには吉田クンを知らなければならない。おそらくは憲法改正を倒幕に準えていよう。
彼にとってはそれが宗教なのだから、抱合い心中に喩えられるひたすらなる対米従属はその為の方便だと思われます。
以下は垂加神道が吉田クンに影響したことを知る上での必読書です。
http://deisui.pepper.jp/category/歴史コラム/山県大弐の生涯/
残念ながらまだKindleでしか出ていないようです。
松下村塾はテロリストの養成期間という面を持っていた。
おそらくは安倍晋三が岸信介のDNAを受け継いでいないことを見抜いておられた孫崎さんを除く多くの人々の理解とは異なり、彼の頭の中にあるのは岸元総理の孫であることではなくて、長州の流れを汲む己を保守本流として位置づけて憲法改正を己の歴史的使命と考えているということです。岸信介氏が対米従属を脱すべく試みていたことよりも日米安保を決めたことによって己を日米安保の家元という意識でいるのだと想像出来ます。また小泉内閣から新自由主義的な枠組みを下駄屋之平蔵(gETAyaNO HEIZOU:竹中)ごと受け継いだ。安倍総理はおそらく竹中の内心にあるもの(日本のグレートリセットによる部落解放)には全く関心を持っていない筈です。衣食住に不自由した経験など全くなく、想像力も欠いているから日本国民の生活にも。つまり彼は地に脚がついていない幽霊だから。お腹を刺激する食べ物を避けるということくらいか。H.ヒムラー長官と同じく本質的に優しくて親切で弱い人間だから、強いという観念に勝手な思入れをする。
岩倉具視の偽錦旗で勝って官軍となった長州藩は水戸学や垂加神道の影響で勝手な思入れをしていた吉田松陰や真木和泉守(水天宮の神官だから一般の武士が到底貰えないような上級旗本並みの官位を貰っていた)に引き摺られて動いていたわけですが、勝手な思入れということは安倍晋三に繋がっている。国民がどう思っているかなどはどうでもよいもです。無論のこと生身の天皇の意思も。
対米従属を盛り込んだ自民党改憲案2012が時の政権を国民と天皇から護る仕組みを備えつつ天皇を傀儡化するといっった不敬極まる代物(もはや謀反の類)であることは国事行為に関する現行憲法の「助言と承認」(平安時代以来の関白の仕事)を内閣の「進言」(それ以外はできない)によるとして執拗に書き換えていることでお判りだと想います。 左翼系の一部で現行憲法を宗教としている人々以外には天皇を「元首」と規定することなど、別に問題でもなんでもないことです。
孫崎さんが指摘しておられるように、安倍総理は天皇の意思を尊重するのではなくして利用しようとしているだけであり、特定機密保護法によって今上天皇を愚弄することは亊ここに極まれりといった状態になってきている。
供養の為にBC級戦犯の靖国神社への合祀を積極的に行ったがA級戦犯には消極的で保留していた故筑波藤麿宮司(皇族出身の元侯爵)が1965年(昭和40年)に戊辰戦争や西南の役の「賊軍」や対外戦争での外国の戦没者をも供養の対象として作らせた鎮霊社というものがあるのですが、これは最近迄「テロ防止」の名目で公開されていなかった施設です(しかし最もテロの対象にならない施設です)。
誰かの入知恵で安倍首相はそこにも参拝したようです。アメリカのご機嫌を損じないようにする方策として勝手な思入れでをしたようだ。そんな小手先のごまかしはたとえ事前に伝えてあっても相手には絶対に通じない。アメリカの正当性を否定することに繋がることでもあるから。
以下もみてください。
http://www.nippon.com/ja/in-depth/a02404/
明治維新で日本を破壊した〔孝明天皇への〕逆賊長州の亡霊が明治維新でも壊れなかった部分を壊そうと蘇って来た構図です。しかし破局をもたらす前に、ひょとしたらあれはムンクの『叫び』のような形相で周囲の人間の中のネズミたちと共にもうじき退場に到るかもしれない。