「私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。今こそ、約束を実現させるために闘おう。」」という台詞が今日の日本に当てはまることは、極めて残念なことだ。
『チャップリンの独裁者』(原題:The Great Dictator)は、チャールズ・チャップリンが監督・製作・脚本・主演を務めヒトラーとナチズムの風刺を主なテーマとしたアメリカ映画である。1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開された。初公開当時ナチス・ドイツと友
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勇気を貰いました。後日プリントし保存します。漢字は忘ました。「死に勝つまでの30日」まついとうる著。小止観物語・から、引用、要約。
「ケチな根性は持たない。微笑める種を播こう。微笑めない種は決して播くまい。」
以上です。
孫崎さんのご投稿を読みながら、民主主義って難しいな、というのが率直な感想です。
みんなで話し合うその工程が大切であるが、時間的制約があり、決められた時間だ決めなければならないとなると、時間を重視した議論が展開されることになる。議論の主題を議論するのではなく、己の宣伝,党派の宣伝になって、本質論が展開されることはない。日本人は議論することが苦手なのであろうか、議論する風土はないのであろうか。上で決めたことは、言葉をさしはさむことなく、シャンシャンと手打ちで終えることが、日常的に習慣化している。若い人たちは諦めているのであろうか。自己実現を図ろうとする意欲が希薄なのであろうか。選挙の時投票に出かけて、自分たちの考え方を実現しようとする気持ちにならないのであろうか。
若いとき、親に反抗し、先生に反抗し、社会に反抗する自己脱出の反抗期を経過してきているのであろうか。反抗期をうまく乗り越えないと、社会を見る目が、敵視になったり、迎合になったり、諦めになったり、鬱的になったり、忍耐力がなくなったり、感情的になりやすく、切れやすくなったりして、自己中心が乗り越えられないのです。今の安倍総理などを見ていると、裕福に育ったのでしょうが、厳しく育てるほうが忘れ去られ、ちやほやだけで育ってきたように思えて仕方がない。総理の発言がどれだけ多くの周辺の国々の人々の心を痛めているか分かっていないし、分かろうともしない独善的思考を多くの国民が支持しており、この国は深くやんでいると思わざるを得ない。しかし、ほんのちょっとしたきっかけで、自分を大切にすると同時に、他人を大切にする風土が湧き上がってってくることを信じたい。
いまでも十分心に響く金言ですね。いくつも心に残る言葉がありましたが、「愛されないものが憎む」というのはその通りなのかもしれないと思いました。ちょっと飛躍がありますが、神の最も愛されていない砂漠の民が一神教を生み出しました。迫害され続けたユダヤ人が金貸し金融を生み出しました。それらが多神教的共同体を壊すだけの力を持っているということに驚かされます。それらを憎しみの力と呼ぶのは語弊がありますが、迫害されたものにはそれだけのものを生み出す力を持っているということはいえるかもしれません。関係ありませんが「田布施町」に関して詳しい人があれば教えていただきたい。本当の所よくわからない。
『ルカによる福音書』の17章の引用も素晴らしいですね。人生を素晴らしい冒険にする。夢のような話だけどそうなのかもしれないと思います。僕らは僕ら自身でそこに内在している可能性を縛り上げている気がします。
よい話でした。
名前だけ聞いたことがある映画ですが、「大演説」はまさに今の日本向けにもピッタリですね。冒頭の抜粋はこの国の現状と課題を端的に表していると思います。ちゃっかりですが、外国の友人に日本の今を伝えるのに使わせて頂きます。
私は中学校で社会科を教えています。授業の中でこの映画の始まりのところと、この演説のシーンは見せるようにしています。訳は映画の字幕を書き取ったものをプリントしてわたしています。
最近の一部の論調を見聞きしていると、教科書(文科省検定済み)に書いてあることをしゃべっただけで、「自虐的」だの「反日」だのと言われかねません。これも私たち社会科教員の責任かとも思ってしまいます。しかし、教えるべきことはきちんと教えていきたいと思います。
政府は必ず嘘をつくーアメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること
堤 未果
この本の「おわりに」のところから一部抜粋させていただきます。
震災の1ヶ月前に出演したNHK総合テレビの「課外事業 ようこそ先輩」を思い出した。私の母校和光小学校の小学生が描いた「幸せな未来」のイメージだ。
自分が将来暮らしたい社会を創造し、その国のリーダーになったつもりで憲法前文を書いてみる。私の出した課題について、小さな後輩たちは一生懸命自分の頭で考え、街に出て大人たちに取材をし、グループで真剣に話し合って彼らだけの前文を書き上げた。
「そこでは、みんなが安心して暮らせ、毎日家族一緒に安全でおいしいご飯を食べ、学校には笑い声が響き、一人ぼっちで寂しい人は一人もいなく、動物が大事にされ、世界から信頼され、知らない人同士が「ありがとう」と言い合える。そんな幸せな国をつくることを、ここに誓います。」
それを聞いたとき、胸がいっぱいになってしまった。
教えられるのは、私たち大人の方なのだ。
引用ここまで
自民党の憲法改正案よりどれくらい崇高なことでしょう。
こんなリーダーにこそ国を託したいと思うのは私だけでしょうか。
9.11以降のアメリカ合衆国が失われた10年と言われているのは、
一例として、2001年の国防費が4000億ドル、2011年の時点で7246億ドルなんと、3000億ドルも増えてしまっているんです。
その分社会保障費が軒並み減らされてしまったわけです。
戦争をすれば一部の人たちは大儲けできます。でも、それは戦費を税金という形で全国民から搾り取り、戦争にかかわる企業にそれを移していくというものです。
日本も3.11以降同じ道をたどっているように思えます。
子供たちに残す「日本」は自民党が取り戻した「美しい日本」ではなく、
子供たちの作った憲法前文の「日本」で有りたいと切に願います。
年末のNHKBSでオリバーストーン監督のアメリカ史を見て、この世界は性悪説で動いているのかと、絶望しました。その中でルーズベルト、トルーマン大統領と交代する時代、アメリカで民主主義の理念を実現しようとヘンリー・フォレスという政治家が存在していることを知り感銘を受けました。絶望してはいけない。大演説(GREAT SPEECH)を私の心の高く掲げよう。