今集団的自衛権を容認する理由として砂川事件判決での田中裁判長の補足意見を根拠とする動きがみられるが、この判決に言う、自衛権、集団的自衛権は現在自民党が使う集団的自衛権と全く異質のものである。
田中氏は、「およそ国家がその存立のために自衛権をもっていることは、一般に承認されているところである」としている。
「各人が急迫不正の侵害に対し自他の権利を防衛することは、いわゆる「権利のための戦い」であり正義の要請といい得られる。これは法秩序全体を守ることを意味する。このことは国際関係においても同様である」とし、「急迫不正の侵害」に対する自衛である。
田中裁判長の言う自衛権は、「武力攻撃がある」ことを前提としている。
「急迫不正の侵害」を前提としている。
自衛隊法は76条で「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態」と「武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至
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コメントを書く「我が国と密接な関係にある国への武力攻撃」は、特定秘密保護法の時と同じように,抽象的であり、適用される国をその時その時の政府で勝手に判断できる。日本が独立国でなく従属国であると考えても、柔軟性に富んでいるが、一方、国の方向を間違えかねない。きれいな言葉で、そのうちに厳しい具現化が内在しているが、国民全体に認識されることがない。
中東戦争での帰還帰国兵士の実態を日本人のどのぐらいの人がわかっているのであろう。現在の米国民の厭戦気分はかなり高まっています。帰国した人の多くがうつ病に罹ったり、自殺したり、実際に戦死したより、残された人の心の傷が大きいのです。米国のための戦争の傭兵して戦争に赴くことは、米国民米国民の代わりに戦争することであり、米国のエゴのために死ぬとしたら、納得できるのだろうか。理性的に今考えないと、取り返しがつきません。
戦争なんていいことないのに、どうしてそんな風に考えるんでしょうね。僕はもちろん戦争なんてものは知らないから、国家ぐるみで戦争に邁進していった熱狂を知らない。そして死んでいった人たちの無念も残った人たちの傷跡もわからない。最近は遠隔操作でボタン一つで誤爆できるようだから、簡単にゲームのように殺されていく人々も殺す人間の心理もわからない。ただわかるのは歴史に学ばないものは馬鹿だということだけだ。戦争は嫌だといいながら、中国韓国に対する敵対心を隠さない。うまくやっていくにはどうすればいいのか真剣考えることをしない。オバマは日本の軍国化を警戒しているのに、なぜネオコンの方を向いているのだろう。僕には国際情勢はわからないけど、ネオコンと国際金融資本は必ずしも一つではない。そして現状ネオコンの力は弱まっているように見える。日本はこの風に乗るべきなのに、何をしているのだろう?
まずネオコンを乗り越えなくては話にならない。なににこだわっているのかもわからない。距離が縮まらなければいつまでたっても永遠のゼロだ。
孫崎先生の見解に賛同します。
それにしても田中裁判長の文章は法文としてはやはり詭弁だと思います。その詭弁で国民に集団的自衛権を認めさせるやり方は「棚上げ合意はない」「尖閣諸島の日本固有の領土」という嘘を国民に飲ませるやりかたと同じなんですね。恐ろしい国です。
問題は米国が「テロ国家」に成り下がっていることだと思います。イラク、アフガニスタン、パキスタンに戦争を一方的に仕掛けました。今のウクライナなんか酷いもんじゃないですか。米国はCIAとネオコンに破壊活動を仕掛けさせアルカイダとネオナチを投入してクーデタを起こし、内乱を挑発し、米、EC正規軍の投入を真剣に考えている。米国は「ならずもの国家」に成り下がっています。そんな国の三下を自衛隊が何で努めなくちゃならんのでしょうか。しかもですよ、財政が破綻しているというのに。シンガポールのリークアンユーさんとか中国のシューキンペイさんとかドイツのメルケルさんとかが日本を滑稽なものとして見てますが、それはそれとしても、他国人の目を気にしないのは如何なものかと思います。先日の捕鯨禁止命令に対する日本の利権屋と追随者の反応は酷かった。日本が全部奇異になって日本人が孤立した島国で「ええじゃないかええじゃにか」と戯れる状況はまさしく開高健の「パニック」の世界です。