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【ジジ・ブッフォンが語る過去と未来③】「俺にとってチャンピオンズリーグ優勝は見果てぬ夢」
2016-11-28 22:00文=グイド・ヴァチャーゴ(『Tutto Sport』記者)
翻訳=高山 港
──キャリアでの最高のセービング、ベスト3を挙げてくれるかい?
ブッフォン 俺はラッキーにしてセービングに関して多くの心地良い思い出、誇るべき思い出を作ることができた。あえて3つを挙げるとするなら、俺の代表ゲーム2試合目となったイタリアvsパラグアイ戦、ペルッツィに代わって後半からゴールマウスに入ったが、俺のホームグラウンド(エンニオ・タルディーニ)で最高のセービングで失点を防いだこと。まだ19歳の俺が世間の注目を浴びたゲームとして俺にとっては忘れられないものとなった。それから、2000年、パルマvsインテル戦でレコーバのシュートを止めたことも俺の最高傑作と言うべきもの。もう1つは、2006年W杯決勝でジダンのヘディングシュートをセーブしたこと。W杯優勝に直結したセービングだけに俺にとっては今後一生忘れられないもの -
【ジジ・ブッフォンが語る過去と未来②】「“以前の自分自身よりうまくなる”ということが俺の哲学」
2016-11-21 21:00
文=グイド・ヴァチャーゴ(『Tutto Sport』記者)
翻訳=高山 港
──W杯は君のサッカー人生に大きな影響を及ぼしている。君はW杯を見て、GKをやろうと決断したんだよね。そのあたりのことを話してもらえるかな?
ブッフォン 1990年にイタリアでW杯が開催された。俺はTVでゲームを観戦した。いくつかのゲームを観戦した中で強く印象付けられたのはカメルーンのサッカー、そして、GKだった。トマス・ヌコノだよ。俺はヌコノのプレー見て、フィールドプレーヤーでなくてもスター選手になれると思ったんだよ。GKをやろうと思ったんだ。ヌコノは、あの時点で34歳だった。ベテランGKのプレーに俺は夢中になったのさ。彼のプレーはそれまでのGKの常識を覆すものだった。当時のサッカーでは考えられないようなファンタスティックなパンチングを見せていた。イタリア’90が終わり、俺が父に「ゴールキーパーをやりたい」と言 -
【ジジ・ブッフォンが語る過去と未来①】「ドイツW杯優勝は昨日のことのように思える」
2016-11-14 21:00文=グイド・ヴァチャーゴ(『Tutto Sport』記者)
翻訳=高山 港
──ジジ(ブッフォンの愛称)、10年前の夏の日、おそらく君の人生で最も熱狂的な夏の日、君はアッズーリの一員として世界の頂上に到達した。あの時の思い出を語ってくれるかい? どんな気分だった?
ブッフォン 君が想像するような答えになると思うが、あの日の出来事が俺には昨日のことのように思える。あのトロフィーを天に掲げたのがほんの数日前の出来事のように思えるのだよ。あれから10年も経過したなんて思えないし、ましてや、その間にワールドカップを2回も戦っているなんて信じられない気分だよ。俺にはせいぜい2シーズン前の出来事のように思えるんだ。あの時の出来事は鮮烈に記憶しているよ。ただ、俺は今でも同じような戦いを続けている。W杯は単純な過去の話ではない。俺にとってW杯はまだ現実のものだからね。
──ドイツW杯でのことをこれまでに何 -
大きな自信を手にして11月日本代表2連戦へ 丸山祐市に求められるDFとしての真価
2016-11-07 22:36
文=元川悦子「ポジティブな発見は丸山(祐市=FC東京)だ。トレーニング中も安定性が増したし、自分を表現できるようになった」
11月4日に行われた11月の日本代表2連戦(11日・オマーン戦=鹿島、15日・サウジアラビア戦=埼玉)のメンバー発表会見で、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督がこう発言した通り、10月のオーストラリア戦(メルボルン)で初キャップを飾った丸山のここ最近の成長ぶりは著しいものがある。
今季FC東京ではJ1・全34試合出場。リーグ終盤にはセンターバックコンビを組む森重真人とともに安定した守りを披露し、サンフレッチェ広島、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台、大宮アルディージャとのラスト4連勝の原動力となった。このうち失点したのは10月22日の鹿島戦の1点だけ。それ以外は全て無失点で乗り切った。
中でも際立っていたのは10月29日の仙台戦。相手エースFWハモン・ロペスと完璧なマ -
真の成功をつかみ代表復帰へ…ドイツで2年目を迎える宮市亮の覚悟
2016-11-01 19:30
文=元川悦子
宇佐美貴史のアウグスブルク移籍、浅野拓磨のアーセナル移籍と、最近は日本代表若手の欧州挑戦のニュースが目立つ。その欧州で地道にコツコツとキャリアを積み重ね、来季で海外7シーズン目を迎えるのが、23歳の快足アタッカー・宮市亮(ザンクトパウリ)だ。彼が他の欧州組と違うのは、ご存じの通り、中京大中京高校からJリーグを経由せずに18歳でアーセナルの門を叩いたこと。
「渡英したのが2010年1月の高校選手権が終わって2日後くらい。着いたらワールドクラスの選手たちが練習してて、2週間くらい参加してからフェイエノールトへ行きました。当時は代理人もいなくて、アーセナルの契約担当者と2人で飛行機に乗って現地入りしました。着いてすぐサインして『お前はもうここの選手だから頑張ってくれ』と(苦笑)。それでも不安は一切なかったし、楽しみで仕方なかったです」と昨シーズン修了後、インタビューに答えた彼
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