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「水着審査をなくすミス・アメリカ」小林よしのりライジング号外
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(号外 2018.6.12発行)
第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」
わしは「美」も才能だと思っている。美人は天才なのだ。人は努力に関係なく、生まれつきのものを与えられる場合がある。絵を描く才能、曲を作る才能、速く走る才能、知識を吸収する才能、笑わせる才能、肉体で戦う才能、美しさで人の目を楽しませる才能。これらのどれもこれもがまず才能ありき! それから努力で磨きをかけていくものである。頭のいいやつはちゃんと受験という学力コンテストを受けて世の中に認められていくが、「東大の入試は頭脳差別の集大成だ!」…と言って抗議するやつはいない。
(ミスコン反対論者が、人を外見で判断するな、「大切なのは人柄よ」と主張しているが、)何が「大切なのは人柄よ」だ!モーツァルトに向かって「大切なのは人柄よ」なんて言って曲を認めないというのか? 音楽家にとって大切なのは曲の質だ! 美人にとって大切なのは顔とプロポーション。人柄など関係ない!最近ではおそるおそるやってるミスコンなんか「うちでは教養とか礼儀、性格も見てます」なんてバカなこと言っとるが…それだともう人間コンテストになって、総合的に質の良い人間と質の悪い人間に分けるという、おそるべき差別を犯してしまうぞ!美だけ! あくまで美だけで競うから良いのだ。
この資本主義の中で人はいろんなものを消費されて生きてゆく。漫画を描く才能を…球を蹴る才能を…ブスであること、ブ男であることを消費されるやつまでおる。なんで「美」だけは消費させてはいかんとのたまう?差別だ! 美の才能だけはこの世で認めんという才能差別だ!人は誰しも己に与えられた天賦の才能を利用していく権利があるはずだ。これは人権侵害である!美は才能。美人は天才。顔とプロポーションを品評するミスコンは女性差別ではない!
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
号外配信ありがとうございます!
一戸
配信ありがとうございます。
毎週楽しみにしています。
感想を書き込む余裕が無いのが、残念です。
2番?
ゴーマニズム宣言第ニーハオ号ありがとうございます。
4ばん
ミスアメリカの件について、私も全く同じ意見です。妙な違和感、というか、はき違えてしまっている世の中のなんと狭量なこと!ちょっとひどいです。
6番?
配信ありがとうございます。
今週は忙しいから質問なしですか?
だれか記事一覧のコメントのとなりのファイルのアイコンの意味を教えてください
そうそう、NHKで夕方に人形劇をやってましたね。懐かしいなぁ。
台湾では民間芸能を現代風にアレンジした、ピリ人形劇というのが人気らしいです。一昨年、日台合同で「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」という剣劇をやってました。すごくクオリティが高くて面白かったなぁ。日本でもどんどんやってほしいな。
号外配信お疲れ様です。
私は以前から「左翼イデオロギーは表現の敵になる」と思っていましたが、今回のゴー宣を読んでそれを確信しました。
女性の美は努力の賜物です。そして水着の美しさはデザインの結晶です。その二つが合わさったモノを見れば、男女問わず「美しい」と思うのが普通です。水着のデザインに女性が関わっている事も普通にあるのです。普遍的美しさを目の前にして、「差別だ!」としか思えないようなら、その人は間違いなく歪んでいます。
水着女性の存在を差別とするフェミニズムこと左翼イデオロギーは、言うなれば弱者の怨念を拗らせた結果であり、彼ら彼女らの言い分のほとんどは「自分のコンプレックスを刺激するものはこの世から消したい」という「甘え」です。カルト思想と言っても良いでしょう。ただ、その弱者カルトがネットで監視社会を作り上げているのは由々しき事態ですが。
ともかく、美しさを否定することは、文化だけでなく人間の存在意義まで潰してしまう行為であり、私は到底受け入れることは出来ません。ということで、よしりん先生の意見に賛同します。
配信乙です
たまーに勘違いした似非フェミニストが「男は女性を性的に消費している!」「女を売り物にするな!」と喚いてますが…
「売り物になる」って素晴らしいことなんだけどなあ。多くの人々を楽しませ経済活動さえ起こしてしまう。上手い料理に「これは店の味だ(売り物になる)」というのと同じ称賛の証なのにね
作家とか物書きは自分の筆でそんな女性を「表現」して観客の金玉掴むことに躍起になったりもする。挑戦の対象となる程に尊くて重く大きいものが「女性の性的な部分」なのにね
こうも圧迫だらけになると文化どころか人間の生命活動さえ禁止されて文字通りの「絶滅」を迎えるか、
あるいは巨大な揺り戻しが来て本当に「女性を性処理道具とする」社会や時代が訪れるのではと不安だ
配信、ありがとうございます。
まさか、アメリカ発の「文化大革命」が生きている間に見られるとは思ってもみなかったです。舶来物コンプレックスの日本でもきっと右ならえでしょうね。でも日本のミスコンの事務局は右ならえする前に、24年前の先生の意見に答える義務があると思います。
早いうちに深田恭子の写真集をゲットしておこう。下手すると将来、発禁処分される可能性があるな。
おお、号外。お疲れ様です。
そうそう。このニュースを聞いたときに、このゴー宣の話を思い出してました。
しかし、24年も前ですか。。。年取るわけだ。
先見の明というかなんというか今の話としてもまったく違和感ないですね。
このときも人格コンテストなんてむしろとんでもないわー。と思ったのに
MeeToからこうなっちゃいますか。かわってないどころか悪化してますね。
そういやF1でもレースクイーンなくすとかなんとか。
いったい何をしたいんだかなー。エロも芸術もセクハラとの区別がつかなくなるか?
そんな世界はいやだなー。
配信ありがとうございます。
水着審査をなくすって、何言ってんだろう?といった感じです。え、そもそもそれが目的で始まったコンテストではないの?コンテストの存在意義をひっくり返すような方針に、驚くしかありません。私は女なので、対岸の火事とも言えますが、いずれ他のことにも飛び火しそうで恐ろしいです。
ところで、今回は九州ゴー宣道場開催ありがとうございました。
小林先生始め師範方、ゲストの方々、スタッフの方々に感謝申し上げます。
道場ではとても良いお話を聞くことができました。日本の国を良くするルール作りは、学者や政治家の方々任せにするのではなく自分も参加せねばと考えさせられる議論でした。
また、当日は設営隊として手伝いをさせて頂きましたが、関東、関西設営隊の方々の結束力を目の当たりにし、素晴らしいなあと思う事頻りでした。
ジュゴンは絶滅危惧種
セクハラだ!セクハラだ!セクハラは悪なんだ!潰してしまえばいいんだ!はあくまでも忖度で、
ホンネはそうしないと運営も出来ないし、内面とか言わないとスポンサーもお金出せないんですよ、でもコンテストが伝統化してるから半永久的に続けないという行けないんですよ、
と、ハッキリ言えばいいのに、本音と建前を分けてるつもりで配慮してるつもりで、実はダダ漏れ。あほですね。
セクハラ全体主義シンドロームですな、どーしよーもない。
女が女に生まれて、何で女を使っては駄目なんだろう?
それも天から与えられた才能なのに。
以前、ぶりっ子をする女子をみて陰口をたたく女子たちがいた。必ず、「男子って単純よね、あんなぶりっ子を見抜けないなんて。」というようなことを決まって言っていた。
「いや、騙されているなんて男は百も承知。しかし、そこまで努力しているのをみるとかわいくて騙されてあげたくなってしまう。悔しければあなたたちも努力してみればよい。」と若気の至りで反論して、その後、痛い目にあったのは言うまでもない。
昔の運動と違い、今回はあのアメリカ様で水着審査中止と言われているのだから、今度はより強固に日本でも水着審査中止がイデオロギー運動としてすぐにでも復活しそうな予感。
日本人の良質な常識に期待(できるかな?)
今週も配信ありがとうございます。
もー、ミスコンとかやめてしまえ!
その一言につきます。
ところで、今日のトランプ・金正恩の会談ですが、
理由わかりませんが、ちょっと背筋がぞぞっとなったのは、私だけ?
19ボックス
球体関節人形って昔、イノセンスと言う映画で取り上げられてましたね。
当時それと平行して、東京都現代美術館でも企画展として開催されてましたけど、実際に観に行って人形の佇まいに不気味さを感じました。
でも最近、アレを中止しろとかコレを中止しろとかと言う声が大きすぎますね。
あるだけで「加害性」とか言う始末。
最近でもグリッドガールを中止にしたと言う話を聞きますし、グリッドガールが女性差別だとか言って圧力をかけてF1が結局折れちゃったんですよね。
あの時、F1は組織が変わってグリッドガールの必要性を感じないとして止めてしまったようですが、それで現役のグリッドガール達が怒って抗議したことがあるんですよね。
「私達の職業を奪った!」
「差別だとかポリコレだとか言う人達は私達を守ってくれなかった!」
グリッドガールとレースクイーンは雇用関係において少し立場が異なるので名前として区別が付いているようですが、ぐりっぢガールはF1で雇った人達でレースクイーンはモデル事務所に所属している人が各レース場に派遣される人達のことですね。
これも一種のMeToo運動みたいな感じで単なる娯楽だったものがそういう攻撃に晒されて止めちゃうというケースが至るところで。
わが国でも馬鹿みたいに被れた連中がレースクイーンは女性差別だとして訴えたのがいましたね。
自分が関わることないのにそう言う文句を言う人達ばかり。
自分達の好む世界に変えたいだけなんでしょう。
なんという独裁者だと思います。
こんばんは 後藤です
小林先生の
<過剰なフェミニズムは左翼イデオロギー>
毎回ですが ガツンときます。
頭でっかちでは 人間は滅びますな。
木蘭師範にも がつん、というか
ぐさり、ときました。
<不快感や不健全さ、危うい偏執性を感じさせるものの奥には、
人間の狂気をえぐって見せる精神が宿っていることがある>
奇しくも 小林先生の 言葉と 表裏一体なのでしょう。
・・・、ただ、 消化しきれません。
水着抜きミスコン、当然、ナンセンスです。
日本は日本でやればいいのに影響されるだろうし。
昔ミスコンが次々に中止になっていたことを思い出しました。
よしりん先生が反対したのもよく覚えてますよ。
他の才能と並んで「私は美人よ」という女の人を描いていて、
美人も才能だというようなことを書かれていて、
なるほどと納得したものです。
ようやく大学のミスコンやその地域ゆかりのネーミングにしたミスコンなどで、ミスコンが復活してきているところなのに。
残念と言うより切ない気持ちです。
これもよしりん先生が警鐘を鳴らしていたとおりになっていますね。
オウムのことも例に出されていましたが、「純粋まっすぐ君」と言って批判していたこととも通じるのではないかとも感じました。
今日は休みだったので週刊新潮の記事をツイッターで探し、
よしりん先生のブログ・ライジングゴー宣・オドレら正気かを
ずっと読み直し、セクハラ問題について考えていました。
ツイッターによると、7時間くらい読んでいたようです。
考えすぎて、頭がパンクしました(笑)。
よしりん先生の個人ホームページで調べたら、
4/12の週刊新潮発売以降、先生は28回セクハラを主題に
ブログを上げています。(ま、今も続いているわけですが)
これを連続して読むと、かなり理解が深まりました。
これをバラバラに読んでいた時とは、かなりの差です。
それでも、まだ時々頭の中にクエスチョンマークが残りますが、
なかなか言葉にまとまりません。
セクハラって、なんて論点が多いんでしょうか。
明日も考えようと思います。
とりあえず、今後のゴー宣道場で、セクハラをテーマにしてほしい
と思います。
先月の「オドレら正気か」でセクハラの論点を全部挙げられなかったと
おっしゃっていたので、今月もやりませんか?
あと、ふと思い出したのですが、昨年、先生、『男女論』を描きたいって
おっしゃってましたよね??
セクハラもこれだけ複雑なのですから、
『セクハラ論』? もしくは、何だろう・・・『全体主義論』?
『男女論』の中に入れてもいいです、まとめてほしいと思います。
明日も書き込めたら書き込みます。
頭がパンク状態なので、ちょっと冷やしてきます。
先生のセクハラ論をもっと理解したい方、
ブログを順番に読み直すといいですよ。
ライジング号外の配信、ありがとうございます。
グレッチェン・カールソンにカーラ・マントも、とても知性ある意見を
述べているとは思えませんでした。彼女らの意見を真っ当とするなら、
コンテストに出場する資格があるのは、私の知る限りでは美智子皇后陛下か
雅子様、故・マザーテレサぐらいになるんですけど。
ミス日本コンテストの事務局長も恐ろしいこと言ってると思います。
美も一律に基準が決まっているわけではないのに、更にあやふやで曖昧な
内面と行動を測る基準を設けたら、その人間だけが真っ当で他はダメだと
弾く差別の温床になりかねません。
木蘭さんが紹介されたハンス・ベルメールの作品は、与勇輝氏の人形の
リアルさに腰が引けた自分には更に不気味でした。でも、どこか惹きつけて
止まない、怖いもの見たさとは違う感情も浮かびました。
こういう一見不気味なものに宿る美を見いだせなったときが、
人間の文化がなくなったと同義になるのかなと朧げに感じました。
水着なしでのコンテストだとっ!!!
よしっ!
遂に素っ裸コンテストになったか!!
よしっ!
ナイスアメリカ!
違う?
本当は水着もやめて全裸審査をしないと
ちゃんと美しいかわからないのでは?と思っていました。
もくれんさん、先鋭的な芸術家を教えていただきありがとうございます
今回の人は全く知りませんでした
ふと思いましたが、障害者はミスコンに出れないのでしょうか?
障害者は美しくない、という部分では合意が出来ているということならば
水着以前にそれが問題になっていても良さそうなものですけどね
アメリカのミスコンで水着審査が無くなったなんて、初めて知りました。日本でさえ女優やアイドルが、写真集で水着や下着姿を披露する機会が増えているというのに。
最近AKBグループでも18歳未満、高校生以下のメンバーの水着グラビアを自粛するようになりました。欧米では未成年者が肌を露出する事がタブー視されており、グループの海外進出に支障をきたさない為という事が、理由の一つに挙げられています。
ちなみにハロプロは全く気にしていないようで、AKBグループもポリコレに毒されはじめているのかな、と思いました。
水着はファッションだよ。芸術だよ。女の子は、ウキウキランランで水着買いに行くし、それ着て海に行って自撮りして、次の日、学校なり職場なりで自慢するじゃん!
わたしは男ですけど、水着審査とかファッションショー見て、まじかっけー女性に生まれればよかったなーと思うことさえある。
でも、だからって、女性を外見だけで判断することはない。
フェミニストって、バカなのかなー
ライジング配信、お疲れさま~~☆
最近はあまり時間がないのですが、急いでコメントを。
ミス・アメリカの話、『サンデージャポン』(だっけ??)で見たから知ってるけど、アメリカもどんどん変になるな~~と思いました。1つのことを、あまりにも細かく細かく突き詰めていくと、こんなことになってしまうのかな~~??
「些細なことまでセクハラ認定」から始まり、ついにここまで。。
私もイケメンの皆さまを目の保養にしてるけど、こういうのもダメになっちゃうのかな???? 私は容姿が優れていることを重要視するタイプなので、この先非難されるかも。。(逆セクハラするな、お前はセクハラされても我慢しろと言われるかもしれない)
最近はとにかく極端なので、深く考えると疲れてしまいます。大事なのはバランスなのだと思うけど、非常識だったり善悪の区別がつかない人が多いのだろうか。。
今週も配信ありがとうございます。
水着審査なし、の報道をみて、
そんな看板掲げただけで正義気取るとかバカなの?
と思ってしまった。
内面云々とか言い訳だろ?そんなに広く世間一般に媚売りたいなら、
一定の側面からのみの価値観で優劣つけて人を選ぶ事そのものをやめればいいじゃん?と思ってしまう。
男女問わず、美しい、は立派な才能ですよ。
残念ながら美しく生まれなかった事が全ての原動力になっている私は心の底からそう思う。
号外配信有難うございますm(_ _)m
日本でも安倍が先導して文化を死滅させつつあると感じます。
そのうち「パリコレ」改め「ポリコレ」になって、マネキン人形がベルトコンベアに乗ってランウェイを流れて行くようになるのでしょう。
配信ありがとうございます。
ミスコンで内面による審査ってセクハラ全体主義も末期ですね。
女性の持つ美しさは、どんなに男が着飾っても叶いません。同様にどんなに女性が鍛え上げても真の男性の力強さには勝てないでしょう。
どちらも性特有の強みであり、男性がグラビア等女性の外見的価値を消費するように、女性も力仕事を男性に任せたりして、その物理的エネルギーを消費しているのでは?(男性である自分はそれを差別とは思ってません。)
男女同権ではあるけど、男女同質ではない。これに尽きると私は考えます。
多忙な中での号外配信、ありがとうございました!!号外でもすごいライジング、実に振れ幅の大きい知のジェットコースターでした(笑)
24年前のSPAゴー宣も、全く色あせてないどころか、ますますその輝きを増していますね。
ミスコンにおける女性の格好良さや美しさは、ある程度は分かるつもりですが、好みの容姿が全く選ばれないので、すっかり関心を失っていました(^^;。こんな事態になっていたのですね。人間審査とか、おぞましすぎます。(´・ω・`;;
そして、その端緒が、フェミニズムの暴走(#MeTooのイデオロギー化)だったとは!!イデオロギーや各種の論理思考ってのは、突き詰めればベストなものを1つしか選ばないので、よしりん先生の仰る通り、多様性を消滅させてしまいますね。優生思想や粛正との親和性がかなり高くて、怖ろしくなってきます。
美の価値順序や美意識、それを培う文化は本当に大切だと思います。それらがイカレたヤツは、キモいです。(x_x;;
あったらいいなをカタチにするカワイイもくれん先生の『トンデモ見聞録』、球体関節って、すっかり詐欺の話かと思ったら、全く違ってましたf(^^;。今回の芸術家もすごすぎます!!
早速、ハンス・ベルメールを画像検索してみたら...それにはもう、圧倒されてしまいましたΣ@@!!
ベルメールの生き方にも感銘を受けました。「“有用性の認められる、均整のとれた人間”だけを求めて、そぐわないものを排除していった社会風潮」に対しての強烈な抵抗だったのですね。
「ドイツ国家に対して有用な労働はしない」めっちゃ、かっこええ(*´艸`*)..oO 拙者の場合、安倍政権や自民党がいくらゴミ糞生物の塊でも、その奴隷と化した行政からの仕事を拒否(しかも明確に理由を示して拒否)するのすら、なかなか勇気が要ります。
最後の「■不愉快・不気味なもの、有用でないものは不要か?」以降の文章表現にも圧倒されました。「美」ではないものに対する拒絶も、度が過ぎてイデオロギー化すると全体主義になってしまいますね。
九州ゴー宣道場、大成功おめでとうございます!!ありがとうございました!!
配信お疲れ様です。雨にまつわる曲は名曲が多いと思う、今日この頃です。
ミスコンに関しては、24年前のゴー宣が全てを物語っていますね。そもそも、分け隔てするなというなら「コンテスト」そのものを全部廃止しなければなりません。プロポーションを評価するのだけが差別的で、他はいいのだなどという発想こそ、差別的でしょう。
私は文明とは差別の別名である、と考えています。何に価値を認め、何に認めないかの判断こそ、人間の知性と感性の為せるわざではないでしょうか。無論、尊属殺人や姦通に対する罪が法典から消えたように、時代が変われば何が妥当かそうでないかの基準は変わります。杓子定規は良くない、もっと人間の知性と感性を信じて議を尽くすべきではないか、ということです。
議を封じて、有用と自分たちが認定したものだけを通用させる、それがナチスドイツの優生思想でしょう。ある意味究極の「差別」です。それに対し、ベルメールが行ったのは、人間の感性を信頼することでしょう。球体関節人形に不具の美を見出してしまうのが「人間」だ、と。無論、人形は人体を模したものですから、不完全な肉体にも美は宿る、五体満足健康なだけが価値なのか、という痛烈な社会批評にもなり得ます。
そして、人間の奥底には、こうした冒涜的なものに耽溺したいという浅ましい感性もある。しかし、その浅ましさこそが、己の正義を信じて疑わぬ偏狭な知性の対極にあるものではないでしょうか。健全な自己相対化を果たすためには、自他の持つ浅ましさや不完全さへの共感が必要不可欠だと思います。それが出来ないと、目的の為には手段を選ばない、己の正義の外にあるものへは残忍苛烈に振る舞っても構わない、同じ人間とさえ見做さない邪悪にはまり込むことになる。許されざる差別とはこうして生まれるものかもしれませんね。
芸術、文芸、いや「芸」と称されるもの自体が、人間社会が硬直して壊死しないためのバランサーの役割を果たしてきたのでしょう。では、現代は何処へ向かっていくのでしょうか。
今回のよしりん先生の記事、泉美師範の記事を読んで、きちんと見ることを教わりました。ミスなんとかで女性の写真などを目にするたびにどこを見ればよいのか戸惑っていました。自分の中でロダンの彫刻も同じです。
たとえ写真でも、よくわからないけれど、とにかく恥ずかしくて、目を逸らしてきました。考える人は男なのに、それでも恥ずかしくて見られませんでした。これは今思えば、心を開いて見てしまったが故に、見方を知らなくて直視できなかったのではないかと思います。こうして見方を教わると、なるほど人間や芸術への理解が一段と深まった気がします。ロダンのバルザックに至っては、もう、ロダンに抱きついて感謝したいくらいです。ついでにバルザックが気になってゴリオ爺さんを買って読みました。
また、イデオロギーとも関連していたと知り、勉強になりました。
いつもは色々と考えているうちに書き込む時間が無くなるのですが、今回は勢いで…。
球体関節人形。
実は昔から好きです。(もくれんさんと同類?)
源流は幼い頃にドラマで見た四谷シモンさん。まさに暴力的な美しさ。長じて他の作家さんも観るようになり、可淡ドールには痺れました。早世されたのが残念。ベルメールも知ってましたが、優良思想への反発とは知りませんでした。
完全なモノに惹かれるから、不完全なモノに心騒ぐ。「美」とは、そういうものではないでしょうか?
ミスコンも同じ。完全な美を求めて凌ぎを削る。その闘いを見て、感じて、楽しむのではないでしょうか?
以前テレビで、ミスユニバース日本代表をかけた最終候補者たちの選考合宿の様子を見て、そのスゴさに感動しました。
ミス・アメリカに選ばれた方たちは、「どうせ中身はカラッポ」とかバッシングを受けて、傷ついたりしたのでしょうか?
色々と残念です。
こんにちわわ。
よしりん師範のゴー宣を読みまして。
そうなんですか、ミスアメリカコンテストから水着審査がなくなるとはまったく知りませんでした。
それならばいっそのこと、髪型も顔も体の形も一切わからない大柄のマントを着せて、声も変成器で変えて、匂いも同じ香水で差がないようにし、身長もわからないようにして、とにかく個性という個性をすべて消去した上で審査すりゃあいいのに。
そのうちアメリカではブルカ着用が義務付けられたりして…
さて、日本ではどうなりますことやら。
配信ありがとうございます。
ミスササニシキとか、江ノ島海の王子みたいなローカルな規模の代表や、それこそ各種グラドル大賞だとまだ基準や役割がわかりやすいと思ってます。
でもミス日本、アメリカといったナショナリズム色や、ミスワールド的な地球基準なグローバル的なミスコンはそのうち淘汰される気がします。
優勝者は勿論才色兼備だろうけど、他のファイナリストと比べて何がどう優れていて、より美しく、世界に、地球に貢献していく資格があるってゆうの?
途上国でボランティア活動をしたり、象徴的な存在として仕事をしているそうですね。そっち方面詳しくなくってあまり反応出来てないっす
今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
最近、ゴー宣読者の友人と、過去のゴー宣シリーズについて
「あれは凄かった!」「20年以上経っているのに今の時世を予言しているかのような内容が凄い!」というような話をすることがあったのですが、
「ミス・アメリカが水着審査を無くす」というニュースを知った時に、
過去のゴー宣シリーズの、今週のライジングでも取り上げられている話が私も脳裏に過りました。
確か、教条的フェミニズムのおばちゃん達が、男性のイチモツに物差し(定規)を当てて測ってやろう、
ミスコンで審査員の男共が女性に対してやっていることは、そういうことなんだ!
みたいな、変な歌みたいなのに合わせて主張している図が狂っていて滑稽だったのを思い出します。
あくまで「美だけ」で競うミスコンやイケメンの審査がダメだっていうのなら、
他にも「漫画の才能だけで」競う漫画賞や、「歌唱力だけで」競う歌のコンテストや、
「大食いの実力だけで」競う大食いコンテストや・・・様々なものが極論、ダメになってくる筈です。
何故、ミスコンだけが槍玉に挙げられるのか・・・いや、
「禁酒法」を生んだことがある「お国柄」ですし、
これが過剰なポリコレの行きつく先の一つの現れだということだと思います。
そして「反リベラルのマグマとなって、いつか爆発する時が来る」・・・という、
よしりん辻説法での小林先生の予言が当たって欲しくないのですが、
当たってしまいそうな恐ろしさがあります。
左派の自虐史観が世を席巻していた時代から、
ネトウヨ本が売れて、ネトウヨ系まとめサイトがアクセス数を伸ばす時代になってしまったという現実があります。
極端から極端に振り切れてしまう恐ろしさがあるのが、今の日本だと思います。
過剰なポリコレが全体主義化していけば、その反動がやってきてしまうと思います。
現に、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)は侮蔑のスラングが普通に飛び交い、感覚が麻痺して、
差別の温床のようになっていっていると思います。
ネトウヨ系まとめサイトも、SNSを利用する人がリンクを貼ったりすることが多いので、
その入り口に普通になっていっていると思います。
年配層だってそうです。
自称保守論壇誌を頻繁に読む年配層の情報源は、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)と似たような劣化した情報になっていますし、
50~60代の高齢のネトウヨ層も形成されつつあるようです(ネットで情報に触れた際の警戒心が、若者よりも希薄な人が多いのかも・・・)。
その一方で左派・自称リベラルはどうなのかというと、
あまり変わらないというか、同じような蛸壺化を辿っているので、
そこからまた極端に振り切れる人達が出て来ると思います。
右派も左派も、大きくバランスを欠いていると思います。
というか、どうして、どっちかにしかポジション取りが出来ないのでしょうか。
小林先生がギャグ漫画を描く時の精神のバランスの話をされていたゴー宣のエピソードが印象的でした。
常識の柱に命綱をつけて、そこからどれだけ飛べるか、という話だったと思います。
右に左に、極端から極端にブレる「大衆」は、常識の柱がグラグラしているのだと思います。
その常識の柱とは、自らの生活の現場に根差した柱だと思います。
共同体の繋がりから断ち切られてしまった者が、獣性を染み出し、殺人鬼や犯罪者になっていくということとも繋がりがあると思います。
最後のごーまんにあった、「男女平等」イデオロギーの危険性も、そのあたりにあるのだと思いました。
「トンデモ見聞録」読みました。
日本の人形文化というのは、確かにありますね。
リカちゃん人形とか、男の子の玩具の人形とかにも、その文化の影響が色濃くあると思いました。
「新八犬伝」「真田十勇士」「三国志」などのNHK人形劇は大好きでした。
私の世代ですと「紅孔雀」とか「新諸国物語 笛吹童子」とか「ひげよさらば」とか「プリンプリン物語」とか「地球防衛軍テラホークス」とかありました。
「サンダーバード」も再放送で見ていました。民放だと「Xボンバー」とか好きでした。
「球体関節人形」については、ヒーローもののフィギュアとかは好きで幾つか持っています。
他の人形についても、詳しくはないのですが、浅い知識としては知っていました。
私の個人的な趣味嗜好の話ばかりでスミマセン(汗)。
「ハンス・ベルメール」については、詳しく知りませんでした。
画像を見て、ギョッとしてしまいましたが、
しかし、物凄く背徳の気持ちがある一方で、そこに畏怖と共に不思議なものを感じてしまう自分も一方ではいました。
また、ベルメールがこうした作品を生み出すに至った背景を、泉美先生の文章で知って、
狂気の表現の奥に潜む「深さ」の一端のようなものを感じました。
こういう、人間の狂気をえぐってみせる表現を、悪しき表現として規制して、
それが最後にいきつくところに、のっぺりとした、表面上は誰も傷つかない(ようにみせた)ディストピアに世が変わっていってしまうことが恐ろしいです。
内面の自由を縛る「共謀罪」と共に、
過剰なポリコレに対する警戒心も持ち続けることが重要だと改めて思いました。
泉美先生の連載に、再び「お笑い砂金すくい」みたいな連載(「小説・わたくしの人たち」のような)が出来るようになることを密かに希望しつつ、
しかし、表現・芸術・芸術家の内面を抉ることで、人間の深淵に迫るような今回のような話も好きなので、
また楽しみにしております。
駄文を書きます。号外の感想で無く失礼。
(1・2・3と有ります。ウザい方、当然スルーして下さい(汗)。)
〇「ゴー宣道場・初参加・レポ」・(その1)
先日のゴー宣道場。
初めての一般参加。
先ずは、腹ごしらえ。地図で目にした裏通りのお店へ。お約束の豚骨ラーメンは美味。しかし大盛にしなかったのを後悔。
その後、会場の区域へ。開場はまだかなり先。予報の雨は無く、日差しが強い。コーヒーショップやファミレスを当たるも、何処も満席。
仕方なく駅に戻る途中、会場近くの曲がり角に、案内板を手にした女性を発見。目が合いお声がけして頂く。まだ早いが、一階ロビーには入れるとの弁。
ロビーでは、何人かの設営隊の女性が。50人限定・茶魔サブレ整理券・6番を勧められるも有難いが辞退。コアなよしりんファンにお譲りした。しかし、特注サブレの効果は絶大。自分より早い方がいらっしゃったのが凄い。
開場になり受付へ。担当の女性の方に当選メールを示し、参加者名簿で確認を頂く。セキュリティーは堅い。
前列は空いていたが、全体を見渡せる後方の席を確保。書籍売り場を覗くと、師範方のサイン入りの本が平積み。その他、普段目にしない本も幾つも有り。今回の為に描かれたのであろうか、昭恵夫人・イラストが接客中。
席に戻り全体を観察。あの方たちが設営隊の方々か、、後方カメラ機材辺りの方が、よしりん企画の皆さんか、、と想像。ゴー宣に登場する絵は、特徴を良く捉えつつ、キャラ化されていると感心。
段々と満席に成るが、自分の見た範囲では、20〜40代の方が多い印象。しかし老若男女多彩で、多くは個人参加の方の模様。
感じたのは、皆さん普通の学生・社会人と思われる事。少なくとも、小林よしのり・一派の決起集会とは明らかに違う印象。また、お子さん連れの方もいらっしゃった様子。
>>44
〇「ゴー宣道場・初参加・レポ」・(その2)
道場開始前。
配布頂いた、九州大学・井上武史准教授のレジュメを読む。気が付くと笹師範がいきなり登場。前説開始。
ゲストのお二人・師範方がご登壇。議論の途中、会場全体を度々見回す、高森先生の視線の圧力が凄い。
そしてこれが、日本中・世界中に、ネット中継されているのかと思うといささか緊張。
会場の雰囲気は始めやや硬い感じも。九州道場は、ニコ生で見た関西道場とノリが違うのか?と思っていたが、段々と熱が入り、爆笑も頻発し盛り上がり終了。
印象的だったのは、以前師範方・ブログ・動画でも取り上げられていた、アンケートを一心不乱に書いている方が多い事。
休憩中も終了後も、皆さん集中されている。思うに、これは超真面目な方が集まったのでは無く、あれだけ知的好奇心を刺激されたら、感想を書かずにいられないのではないかと。
普段のニコ生視聴では、3時間の議論では物足りない時も有るが、会場参加するとこれは適当な時間だと体感。これ以上続いたら、自分の容量の少ない脳は、オーバーヒートすると思う。終了後、用意していたチ〇ルチョコを食べたが、脳には糖分が必要と実感。
今回、道場の開場から撤収開始まで拝見していたが、設営隊の皆様の働きは凄いと感心。有難うございました。
しかも、手慣れている所と、手作り感ある所がミックスされ、程良い感じ。何か、学生時代の模擬店でもしているかの様に、皆さん楽しんでいらっしゃる様に見受けられた。
この集まりは、師範方で成り立つのでは無く、一般の普通の方の手で回っているのだと認識。更に設営隊員は、女性多数なのが印象的。
所で、道場はニコ生視聴で無く、是非会場参加すべきとは、このコメント欄でも耳タコな話。実際参加してみると、好きなアーティストのDVDを見るのと、ライブに行く事との、同様な違いがある事に気付く。
何故違うのか考えて見たが、今回、一発勝負・撮り直しなし・予定調和なし、の場を目撃。そのハラハラ感が魅力の源泉では。勿論、その一発勝負には、一般参加者の反応も大きく寄与しているものと思う。
今の所、全国での開催はまだ3か所。これからどう展開するかは不明。
道場終了後の設営隊募集呼びかけに対し、問い合わせの方が何人もいらっしゃった様子。今の3カ所がより充実するか。第4の開催場所が実現するか、興味深い。
道場参加は、時間・金銭的に、そして心理的にもハードルが高いかも知れない。しかし今回参加して、おすすめ出来ると実感。可能であれば、一度参加してみる価値は有ると思う。交通費等の方が高くつくかもしれないが、参加費1,000円は安すぎ。費用対効果は高い。
次回は8月5日(日)とか。参加の可能性が少しでもある方は、是非スケジュールのご確認を。
よしりん先生から、「このところギリギリに申し込む者が多く、こちらに身にもなってみろーー!」との弁有り。
皆さんご検討を!!
以上。長文失礼しました。
>>44
>>45
〇「ゴー宣道場・初参加・レポ」・(その3)
・・(完全な余談)・・・・・。
道場前に、市内某所で、高森先生を先頭とする師範方4人にバッタリ。もちろん想定外。
高森師範の、明るい笑顔に目が行き、思わずこちらから会釈。その横には倉持師範も。
しかし、高森氏に気を取られ、背後の笹・泉美両師範を拝見するのがおろそかに。その距離わずか数メートル。今後まず無い機会を逃し、一生の不覚。
その際。高森先生の、危険人物・寄せ付けないオーラを感じる。こう書くとセクハラかもだが、女性師範方をエスコート&ガードしている様にも感じられた。その上でなお、不届き者が現れたら、倉持氏が実力行使されると思う。
それにしても、今回。師範方や山尾議員が、実在の人物である事を確認出来た事は、大きな収穫。参加したかいが有りました。
皆様、同室させて頂き有難うございました。
・・(追記)・・・・・・
>地方ゴー宣道場推進隊長 様
折角なのでご挨拶だけさせて頂きましたが、
私の公式設定は、年齢・性別未確認、極東の何処かに棲息では?となっておりますw。
当コメント欄では、その旨宜しく。
では失礼します。
泉美師範のブログに触発されまして、自分の考えが少し進んだので恥ずかしながら本日2回目投稿します。
美に触れ、圧倒された感覚を痙攣(筋肉が収縮して不随意運動すること)と表現することに唸りました。具体的、身体的で美に対する濃い経験を感じました。さもなくばそこに美はないというのも厳しい。例えばピカソでもロダンでも夕陽でも、自分にとって当てはまるような気がします。圧倒される感覚を筋肉の収縮に例えるのにはやられました。では女性の体はどうか。圧倒される時は多々ありましたが、これが美だと今まで気づいていませんでした。
自分の中に、女性の体を性的に搾取するものという考えがあったことがこの度判明し、自分でも驚いています。
美に圧倒された気持ちの行き場を男尊女卑に求めていた可能性もあるかもしれません。きちんと見る目を持ち、真実を直視することは大事だと思いました。
みなさま上手く書かれますね。
私などは言いたいことが上手く書けずに・・・・・・。
もくれんさんとトッキーさんもさすがです。
>あと、ミス・アメリカに優勝までした者が、
「自分の価値は容姿だけじゃない!」
とかいうような変なコンプレックスから、
今回のミス・アメリカ破壊行動を起こしている
というのも、実に呆れた話ですねえ。
おっしゃるとおり。
自分が優勝したのは容姿のせいでなければ
水着審査があっても容姿でなく選ぶことができる?
容姿で選ばないために水着審査をやめたのならば
水着審査をしていた頃は容姿で選んでいた?
主張に矛盾も感じます。
1人だけタイムスリップしたように遅れた話してて申し訳ありませんが、
セクハラの件の話を続けます。トロいのは自覚してます。
少し羅列させていただきます。
1、テレ朝の女性記者は、結局どうしたら良かったのか?
https://yoshinori-kobayashi.com/15625/
取材対象である財務事務次官に、そんなに気を使わないと
いけないのでしょうかねぇ?
絶対に機嫌を損ねちゃいけないと。
やはり、安倍政権のせいなんでしょうかねぇ?
忖度。放送法圧力。上層部との会食。番組や放送への上からの圧力。
大事な仕事の話してメシ食い終わった後、
LINEで連絡とって、飲みの席へ行くと。
取材というか、まるで接待だなぁ。
「セクハラやめてください」と、面と向かって言った事が
一度でもあったのだろうか?
それすら言えない、そこまで機嫌をとらなきゃいけない関係性なのか?
録音機を置けない関係?
会社が「今後の取材でセクハラ発言を止めて頂きたい」と書を提出する
というのも、できなかったんでしょう。
女性の上司に行っても、結局採り上げてもらえなかったわけですから。
「文書で正式な抗議を相手に出す」という、アドバイスを
誰かしてくれる人が居ればよかったのに、とは自分も思います。
2、『たしかに『抱きしめたい』とか言いますけど、口先だけで、本気で
触ったり口説いたりする気はないですから。安心して会える人です。地位
を利用して女性記者に関係を迫ったというような話も聞いたことがありま
せん。』
この福田氏と飲んだ事のある女性の発言(日刊ゲンダイからみたいですが」
)、これを100%信用していいのか、分かりません。
この女性が財務省内の人で身内だったり部下だから口説かなかったのかも
しれないし、年齢がわりと上で、口説くようなタイプじゃなかったのかも
しれないし、たまたまこの女性が福田氏の事を深く知らないだけかも、
とか、いろいろ勘ぐってしまいます。自分は、情報の洪水にのまれて、
判断できなくなっているのでしょうか?
本当に言葉のセクハラだけだったのか?
それ以上に進展しそうな感じはなかったのか?
この女性記者以外で、言葉以上のセクハラを受けた人はいなかったのか?
言葉以上を受けた人が居ないなら、居ないと言ってほしい。
居たなら、居たと出て来てほしい。百歩譲って匿名でもいいから。
3、この女性記者に関する疑問も多々ある。
セクハラが嫌なタイプの女性はいるだろう。下ネタが全く言えない空気を
出すタイプの女性は居る。特に若い人は。
なら、なぜ異動を申し出なかったのか?
福田氏が嫌で、異動を申し出た記者も前に居るらしいのに。
自分は最初の記事が載った号を買っていないが、
なぜ記事では福田氏だけを責めて、自社や自分の上司を責めなかったのか
?責めたらクビになると思ったのか?
クビになるのは嫌なのか。
新潮にリークして、ここまで大ごとになると思っていなかったのか?
なぜ新潮にリークしたのか?
朝日系列の他の所は無理だったのか。
新潮はその女性記者が自社も責めたけどそれは書かずに、
福田氏だけを悪く書いたのだろうか?
4、今の今までその女性記者は出て来ない。
ネット上で出ている名前も、堀田喬とかいう記者が名前を出したのが
キッカケで出たようだが、本当に彼女なのか?
なぜ彼女は出て来ない?
ハニートラップとか言われるのが嫌なのか。
安倍応援団のネトサポから、陰謀論のように、在日だの反日だの
言われるのが嫌なのか。命を狙われるような事があるのだろうか?
しかしもうネット上で名前を出されている彼女がこの女性じゃなかったら、
彼女はもうすでに可哀想な状況に置かれていると思うが。
この女性記者は伊藤詩織氏を尊敬していて、
自分も訴え出るべきと思ったらしい。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/05100557/?all=1
伊藤氏は身の危険を感じて、海外に住むようにしたらしい。
5、彼女が伊藤詩織氏のように名乗り出たら、
どのようになるというんだろうか?
どのような「セカンドレイプ」(そもそもレイプじゃないけど)になるの
か、誰か教えてほしい。
もうネットではネトウヨに書かれ放題書かれている気がするけど。
伊藤氏みたいに、命の危険とか、感じるようになるんだろうか?
6、彼女が訴え出なかったら、どうなっていたのか?
誰かが泣いていたのだろうか?
でも、彼が辞めた今でも、他に名乗り出る人は居ない。
そもそも、最初の彼女が名乗り出ていないからか?
彼が居なくなっても名乗り出られない程、安倍政権の圧力が強くあるのか
?
それとも、財務省との取材に対する「信頼関係」を壊せないのか?
7、会社は今後どうすべきなのか?
これはテレ朝に限った話ではない。どこの報道機関・出版社などでも、
取材先と記者の間でセクハラ事件が起きないように考え、対策を練るべき
なのだ。
すべての会社であるはずだし、そもそも社内でもあるんだろう。
風通しを良くするにはどうしたらいいのか?
そもそも、女性を容姿で採用している感覚が強いと思う。
日本には容姿が良くなくても、アナウンス力や機転が利いて面白い、
司会ができる女性アナウンサーなど、居ない。
ベテランになった女性キャスターは居るが、基本美人だ。
女性はただ単なる補助の「お花」なのか?
8、よしりん先生は、この女性記者を責め、そして福田氏を
「有能な官僚」、麻生氏を「大雑把な喋り方は麻生太郎の個性であって、
そのくらい一般庶民なら分かってるんじゃないか?」と擁護している。
正直言って、やはりココが、当初ゴックンと素直に飲み込めない人が多い
んじゃないか、多かったんじゃないかと思う。
自分は女性じゃないから本当のところは分かってないのだが、
女性で下ネタが本当にダメな人は居る。
そういう人からしたら、天才的に下ネタを繰り出してくる福田氏のような
人は、ホントにウンザリする、のかもしれない(推測)。
そもそもの被害者は彼女である。
どうしても彼女が弱者に見えている。世の中では。マスコミ報道で。
そこに彼女を責めるよしりんの言動は、やはり最初は
「彼女をそんな責めていいの?」という感覚を、どうしても持ってしまっ
たと思う。少なくとも自分は。
しかし結果、福田氏を辞任に追い込んだのだから、
これからは彼女を責めていいのだと、思えるようになりました。
麻生氏はたしかにおかしな事は言っていない。
しかし、言葉が雑というのは、政治家にとって致命傷な気もしますが…。
もっと言葉を足してほしい。何個も、いくつも。
テレ朝はセクハラ対策をどうするのか?
マスコミの先頭に立って、改革を先導してほしいと思う。
こういう事態になってしまった以上。
ただただ指が動くままに、羅列させていただきました。
よしりん先生に怒られるのが恐いですが。(^^;)
まだ論点あると思いますが、思い付いたら、追加します。
とんでもなくお忙しい中、
今週も配信ありがとうございます。
ミスコンに「知性」が導入されてから?
全く興味が無くて全然見ていませんでした。
もう弁論コンテストでいいですよね?
ネット社会なんだからツイッターで発言だけで
「良い」意見のコンテストで良いのでは?
手間が省けていいと思いますが。
どうも女性の足を引っ張っているのは女性、
という感じがしてなりません。
社会進出云々の時も一部の名誉男性のおかげで
かえって女性が活躍するのを妨げているのでは。
ミスコンから水着審査が消えて喜ぶ男性が、
そんなにいるとは思えません。
自分の価値観と合わないものは排除していく。
自分もタバコは排除してほしいとは思いますが、
公に向かってあえて言ったりはしません。
友人には吸う人が多いですし。
左翼・フェミニズムとは戦わなければならないのですね。
身近にいるのでぼちぼちと戦っていきます。
日本の人形は母(76)が好きで、集めていました。
子供の頃は人形の髪が伸びる、とかの怪談話で
ちょっとビビりながら見てましたねー。
今では引っ越しなので全て処分されてしまいましたが。
でも今回の人形のお話は初めて聞きました。
球体関節人形、昔の超合金ロボットってこれか!
なんて思ったほどに不勉強です。
初めて見たので感想は途中までもくれんさんと一緒ですが、
「写真集、買おう」とはならないです。
そこが凡人との大きな違いですね。
しかもナチスに対する反抗という話が出てくると
俄然興味が湧いてきます。
父親がナチス党員になったというのに反抗とは。
とても興味深い思想だと思いました。
そして最後は「不要か?」の問い。
今回の重要なテーマですね。
自分は漫画を取り上げられることがあるなら
徹底的に反抗します。
が、タバコとなると・・・どうだろう?
毎日これは考えてますね。
本編と違う内容で、失礼致します。
今、NHKのニュースを見ていたのですが、米朝首脳会談について、米韓日各国の外交責任者の記者会見の様子が流れていました。終わった後、解説員の一人が、『安倍首相が金委員長と会談する意向がある…』と言いかけた時、半ば強引な様子で打ち切られ天気予報になりました。
天気予報が終わった後のNHKニュースでは、男性アナウンサーが、『安倍首相に、金委員長が会談に応じても良いとの意向がある事を、トランプ大統領から伝えられていた』などと、初っぱなから唐突に報道(?)していました。
木蘭師範の「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」拝読しました。
ハンス・ベルメール、なんてロックな人なんでしょう。
デイビットリンチ、フランシスベーコン等々この手の所謂グロテスク系大好きなのですが
アーティストのこういった反骨精神って本当素敵。
作品で表現できる才能を持つ人はつくづく羨ましいなぁと思います。
所謂何かテーマがあるコンテスト等と大きく違うのは
最近話題になっている旧優生保護法とかもそうですが、
何を基準に優生とか不良とか決めるのか?
人の身体や精神、存在そのものにに対して正しく優劣をつけられる人間なんて
果たして存在するのだろうか?と思ってしまいます。
連投、失礼致します。
高森先生のブログを読みまして、ウスビ・サコ氏、なんだか日本の未来に一条の光が射す気が致しました☆♪
どうか、日本の若者を宜しくお願い致します、と言いたいです。
m(_ _)m
読むたびに可愛らしい似顔絵が見られて、ブログを読むのが、とても楽しいです♪♪
(*^o^*)
こんにちわわ。
もくれん師匠のトンデモ見聞録を読みまして。
今回の見聞録を読むまで、ベルメールも球体関節人形も四谷シモンもなぁんにも知りませんでした。
本編を読む前にグーグルで画像検索しましたが、「!!!」。
電車内だったので周りの人に見られたらヤバい奴だと思われる!
と思いました。
おどろおどろしくってエロちっくで背徳的…心がざわつき、思わず目を逸らしてまう。
しかし本編を読み、ベルメールがこういった人形を作る動機が明らかになると、また見方が変わってきます。
ナチスの優生思想への反抗と言われれば確かにこういった表現は「アリ」と思います。
表現の自由を狭めさせるもんかという芸術家の矜持を目の当たりにした思いです。
芸術に限らず、報道や言論など表現の自由が狭まりつつある現在の日本でもこういった気骨ある芸術家は存在しているとは思いますが、
芸術方面でのアンテナがビンビンではない僕のような人間のためにも、今後も続けて欲しい連載です。
マット・デイモン可哀想ですね(;^ω^)
最初にアメリカのミスコンで水着審査が無くなると知った時は驚きました。
そして直ぐに24年前(!Σ(・ω・ノ)ノ!そんなに経ってたのか・・・)のゴー宣が頭に浮かんで、
皿うどんボンバーさんが書いていますがフェミニズムのおばちゃん達の変な歌と踊りも浮かびました
( ´∀` )
とっくの昔の24年前によしりん先生が論破していたのにな~アメリカにゴー宣あればな~
アメリカの#Me Too運動に参加している方の中にも「いやいやいや・・・なんか変な方向に行ってるで!!思てたんと違う!」っていう人達もいるんでしょうけど、言えない感じなんですかね。
木蘭さんの「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」を読みまして。
四谷シモンて人形作家だったんですね。昔映画で見たぞと思って調べたら吉本ばなな原作、森田芳光監督の「キッチン」(1989年上映)という映画に出ていました。やっぱり!
(すみません。最近人の名前がなかなか出てこない事がよくあるのですが、昔のこういうことはよく覚えているな、となんだか嬉しくなってしまいました。)
俳優のされているんですね。その方がこんなにすごい人形を作っている。芸術を理解出来る感性を持ち合わせていない私でも、素敵だなと思います。
ハンス・ベルメールさんの人形は、ギョッ!となってうおーっとなってざわわってなるけど、嫌じゃないです。
不愉快になんてならないです。
作成に至った理由が優生思想とファシズムに対しての反骨精神と知って納得しました。カッコいいです。
ご本人の写真も、しぶっ!カッコいい( *´艸`)
少しお邪魔します。配信有難うございます。
木蘭さんが『未來のイヴ』を話題にするとは思いませなんだ。
あの本は、本屋で一目見て、内容も何も考えないで購入しました。いつかよまなければ、と思っていますが。「攻殻機動隊」の映画の元ネタでもあるそうですし。
それはさておき、セクハラ原理主義ですが、
あまり進みすぎると、アニメのマクロスみたいな事態が起こるのではないか、と。
則ち、ゼントラーディー軍みたいになって、キスを見ただけで「プロトカルチャー!」と叫び出すのではないか、と。
私はマクロス第一作は実はあまり好きではなく(作画もひどいし、ストーリー展開も唐突)、どちらかというと映画版や「マクロス+」・「マクロス7」などの方が好きなのですが、ある意味、時代を先取りしていたのではないか、と思わされます。
文字の方に話を戻します。今、漢字の勉強をしていますが、なぜ山本有三たちは略字体を造ったのだろう、かえってむづかしくなってやしないか、と感じます。
つまり、その文字が常用漢字であるか否かで、しんにょうの点が二つか一つかで、悩んでしまったりするのです。「辻」とか「道」とか。しめすへんの場合なども。
そもそも、「吾一」が「五助」になって、ショックだった、というのは『路傍の石』に書かれていたことではなかったのか、と。
私は漢字は誤字脱字があって、しかるべきだと思います。勿論、正確に書けるにこしたことはありませんが。
しかし、文字を記す場合、スピードが要求される場合があり、その際には後で判読できるかどうかが大事だと思うのです。とりわけ活字にする場合など。今はパソコンもあるし。
あと、かなづかいと漢字の違いですが、漢字の場合は環境によって出せない文字がたくさんありますし、漢字は自己流のものをいくらでも無尽蔵に作り出せますが、かなやアルファベットの場合は基本的にそういうことはないです。
中には「ワ゛」とか「ヰ゛」という文字もあったりするのですが(よみかたは「ヴァ」、「ヴィ」です)、
このように工夫すればできますし、変体がなのようなものなので、使わない方が良い文字でもあります。
要は私の記憶力が悪いので、漢字を覚えられない、というだけのことです。ちょっと気晴らしに、話のついでに、こんなことを記してみました。
ライジングの感想は、また改めて。
今、よしりん先生のブログを読んだけど(「マット・デイモンの受難」)、アリッサ・ミラノの名前がマリッサ・ミラノになってます。念のため、お知らせ。。
マット・デイモンは聡明な人だから、こういうハリウッドの風潮に懸念を感じているのかもね。
お邪魔致します。
「ネットフリックス」社内でのセクハラ防止ルール
俄かには信じがたいルールばかりで、本気なのだろうかこれは?と思わずに居られません。
既に、こちらで幾人の方が述べておられますが、行きすぎた左翼イデオロギー、フェミニズムは
文化どころか、人間活動の活力を無くし人類そのものを滅ぼしかねないと思います。
配信、ありがとうございます。
水着審査が何なのか、調べないと解らなかった自分です。
画像を見る辺り「美」の競い合いだと思っています。なぜか、ウィキが出て来なかった。
アメリカでどういう問題があったのか解らないですが、美の競い合いがいけない事になると、ボディビルもダメだと言う事になるのか。
ボディビルは力の競い合いではなく、あくまで肉体美です。
また、アメリカも肥満社会であり、水着審査やボディビルなどで肉体美、あるいは美に影響を持って、ダイエットやトレーニングのキッカケや励みになる事を思うと、有益だと思う所です。
マットデイモン、ここまで来ましたか。
文化の危機です。
「デートに2回誘われた」や「5秒見つめられた」と、
「レイプされた」とは同じだと言うのでしょうかねえ。
こういうことは全く言わないか、とことんまで言うか、
とことんまで言う場合には論理的で説得力があり、
そして影響力というか、主張しきるだけの力が要ります。
よしりん先生はその道を行っておられ、
「ただしそれは小林よしのりが強力すぎて、触れられない
存在になっているからかもしれない。」とおっしゃるとおりかと思います。
そこまで行かないと世間や権力には立ち向かえません。
これまでも見事にその道を貫いてこられました。
私も及ばずながらそれを手本に行動してきましたし、
今後も理不尽な圧力は屈せずに、誤っていることは訂正し、
正しいと思うことは主張しきっていきたいと思います。
こんばんは 関東設営隊の後藤です
私も トロツキスト?さんの<道場レポ>
楽しく読ませていただき、また 新たな気づきをもらえました。
haiseさんのように、未参加の方にも 道場前の設営のようすや、道場本編の雰囲気が
伝わり <いつかは…>と思わせてくれますね。
同志は 日本中にいるんですね!
気のある相手の誘いも敢えて一度断るって、木蘭さ
ん、諸葛孔明の三顧の礼ですね。
偏差値の低い、文学性に欠けた交渉しか知らんあーしにとってはめんどいかもって思ってしまった。
勿論2度以上誘うの禁止に反対には賛成です。
私にとって恋愛のいざないの段階は何度か顔合わせする営業よりも、市場の競りに近いのです。
マグロの尾っぽのみしか見えない段階で一瞬で判断、逃した魚とはもう縁はなし。
短編小説にもならんですな。
フランス革命を批判した人の名はエドモンドバークではなくエドマンドバークではないですか?
水着審査って左のみならず右からも批判あったような・・・・・。
まあ、理由は「あんなはしたない恰好は女性の伝統的な恰好じゃない!!」みたいな感じですね・・・・。
彼らに言わせれば「女性はもっとおしとやかな恰好しろ!!それこそ女性の伝統的な格好だ!!」みたいな・・・・。それこそ西洋ではロングスカート、イスラム圏ではブルカ、日本だと着物みたいな。実際、現代の水着は登場時、そういう批判があったそうな。
見ようによってはロックが登場した時と同じような批判が右から。
当然、日本でいう「皇統は男系絶対!!」「相撲の土俵は女人禁制絶対!!」みたいな感じですね。
話題になったミートゥー運動が、こんな変な方向へ走り出していたとは全く知りませんでした。
水着審査NGにするとか、女性を性的な目線で見ることを徹底的に排除する動きは、もう、何かが壊れている…
まるで思想教育のような恐ろしい流れが、急速に作られているようです。
こんなことしていたら、性的要求を聞かないと仕事をクビにするぞと脅されたりするような深刻なセクハラ被害を防ぐためには逆効果にしかならないと思ってしまいます。
私の周りでも、「髪切ったねとか、セクハラになるなんておかしい」という意見が大半だし、行き過ぎたルール化や女性を性的な目で見ることすら排除しようとする動きは反発を生むだけで、かえって深刻なセクハラ被害を温存させる結果となるような気がしています。
間接球体人形。私が思い出すのは兄が大切にしていた「鋼鉄ジーグ」の超合金ですね。おさがりで私のところに回ってきたときにはブームは過ぎて遠く、鋼鉄ジーグもまるでベルメールの人形の如く、胴体と頭、右腕しか残ってませんでしたけど(笑)。
ベルメールの作品は子供の頃(それこそジーグの残骸で遊んでいたころ)、週刊美術が何かで見た記憶がありましたが、それが何を意味するのか全く分かっていませんでした。ジャガーバックスの「世界の妖怪大図鑑?」に載っていた「逆さ男」に雰囲気が似ているかなとは思ってましたけど(笑)。あの作品が当時のドイツの「優生民族アーリア人種の純血保存」や極端な健康志向に対する批判であるということを木蓮さんのトンデモ見聞録で初めて知りました。
それと同時に、健全であることが果たして人間にとって幸せなのか?と考えさせられました。やたらと体育会系の若手を欲しがる企業とか公共団体を見るにつけ、健全さを求めるあまり、多様性を失ってかえって不健全な状況になっていないかと思います。水着審査をなくしたミス・アメリカもしかり。
球体関節ってボールジョイントと違うんだろうか?
「ラブ上位」って(笑)。
まさか、よしりん先生のブログに「ラブ」の二文字が
出てくるとは思わなかったので、その字面だけで
笑けてしまいました。ラブてw 「ラブ注入」っていう
芸人居たなぁw
門弟、門下生、いろいろ人間付き合いが増えると、
めんどくさい事も起こりますねぇ。
頭がいい人が、もったいない。
もし別れたら、どちらか戻って来てほしい、なんて(^^;)
それもめんどくさいか。
「人間ってめんどくさい」に辿り着いてしまうんですよね…。
むか~し、木蘭さんがツイッターやってた時に、
何かのリプライでつい、最後に「結婚しません?」って付けてしまったら、
「ええっ!」の一言だけ返事が来て、それで会話が終わった事が
ありました。(笑)
なんかすいませんでした木蘭さん。(^^;)
なんとなくそれを思い出した。
いちおうセクハラの件に関連してなんですが、
麻生氏の事を。
前にココに書いたんですが、「麻生氏のキャラが分かりました」と。
正直それまで、麻生氏の発言にずっとムカついていたんですが、
麻生氏が、
「あの見てくれの悪い(北朝鮮の)飛行機が無事シンガポールまで飛んで
いってくれることを期待するが、途中で落ちたら話にならん」
と発言したことがありました。
この件を、毎日新聞のサイトの見出しタイトルでは、
『麻生財務相 北朝鮮専用機「落ちたら…」』
https://mainichi.jp/articles/20180517/k00/00m/010/106000c
共同通信の見出しタイトルは、
『北朝鮮専用機「途中で落ちたら」米朝会談、麻生財務相が言及』
https://this.kiji.is/369456587724850273
と付けました。
これを、「不吉な事言って!」とか「失礼なことを!」とか「失言だ」と、
香山リカや江川紹子とか、左巻きの人たちがけっこう怒ってるのを
ツイッターで見ました。
(江川紹子はたま~に良い事言うので嫌いではないけど)
その時、「こんなのでも麻生氏を怒るの?」と、思ったのです。
『マスコミの見出しタイトルの切り方次第で印象変わるし、
たしかに北朝鮮の飛行機、相当ボロいらしいし。
そもそも、大した事言ってない、
ポロッと出た麻生氏なりの軽口だったんだろうに、
これくらいのジョークで叩かれるなんてな。
逆に面白いじゃん、この軽口。』
と思って、
コレから、麻生氏を見る目が少し変わりました(笑)。
まぁ、分かってて何度も切り取られて、言葉狩りされる、
それはそれでダメな気もしますが(^^;)
この時に同じく言った、
2012年の自民党総裁選、安倍を支持した経緯の話で、
「暗いやつ(注:石破茂を指してるらしい)を選ぶか、あまり頭の良くな
いやつ(注:石原伸晃を指してるらしい)を選ぶか。だったら、おなかの
悪いやつ(安倍晋三)を選ぶのが一番良い」
という言い方も、らしいというか、
石破を支持してる以上笑えないが、キャラが出てるなぁと思った。
最後にこの新潮の記事、置いておきます。
『記者を「あんた」呼ばわりする男 麻生財務相は なぜ人を不快にさせ
るのか』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180515-00542008-shincho-pol&p=1
Metooの末路は、私憤で当たり散らすことの空しさを教えてくれますね。小林先生がくだんの女性テレビ局職員に嗅ぎ取った違和感は正しかった。あれはやはり私憤で公憤ではない。私憤で数を恃めば世の中を動かせるというのは、やはり良くない。戦術としてはアリかと考えないでもありませんでしたが、人の激情は容易に制御できるものではない。そして暴走した復讐心は、常に生贄を必要とする。こうなったら話すだけ無駄だから、マット・デイモンもやれやれとジェスチャーしたのでしょう。アンタッチャブルというやつです。
こうして、腫れ物となったMetooは既存の左翼思想にめでたく回収され、社会を良い方向へ動かす歯車と成り損なう。大衆の怨望を商売の糧にする卑しい輩はどこの国にでもいる。怨みや怒りに支配されないためには、やはり個人として強くなければならない。そういうことでしょうか。
小林先生のブログの「ラブ上位」を見て、昔流行った楽しんごのギャグ「ラブ注入」を思いだしました。
ブログで紹介されていた、ゴー宣道場の「おっさんズラブ」ならぬ、「門弟ズラブ」には困ったものですね。
凡人はラブマシーンの宿命を背負って生きていかねばならないのかもしれないと、よしりん先生のブログを読んで思いました。
よしりん先生の「ラブ上位」を読みましたけど、選民意識を育てているのはよしりん先生ですよ。
みんな、先生への承認欲求は強いですから。
以前も書きましたがニコ生のコメントを見ているとハシゴを外された時、反小林よしのりになりそうといつも危惧しています。
戦争論2で梯子を外された多くの読者のように。
高森先生が「もうカラオケは遠慮する」と書いたのはよしりん先生への警告だと思いました。
またまたお邪魔じょどれみで~す。
よしりん先生のブログをよんで、非常に大変なことが起きているのかな、と心配になりました。
梯子を外されたとかいう話ですが、人はそれぞれ異なるのだから、意見の同意者を求めるようなことはしてはならない、と思います。
そういいつつ、この場に投稿していますが。
漢字・かなづかい問題では、確実によしりん先生とは意見が異なるのでしょうが、これは仕方がない、と思っています。このことで、散々廻りの人からあれこれ言われていますから。少し愚痴を言うと、漢字とかなづかいは違う、文語と歴史的仮名遣いは異なると言っても殆どの人は分かろうとはしないですね。
とはいえ、同じじゃないから、楽しいのではありますまいか。自分以外の人はこのことにこう感じるのか、という発見があるのだから。
自己の意見を通そうとするのは、我儘です。
昔、戦隊もので、駆け落ちをして主役が交替になったという話を聞いたこともあるのですが、恋愛も良いけれども、周囲に迷惑をかけるようなことはしてはならない、と思います。こんな幼い意見しか書けませんが、何かの参考になれば幸いです。
今週もライジング配信、ありがとうございます。
いつも楽しく拝読しております。
小林先生の読者であることについて考えを述べたいと思います。
私は初期ゴー宣より小林先生の作品をずっと愛読しています。その間、脱正義論での学生との確執、戦争2でのいわゆる保守論壇との対立、天皇論における皇位継承への問題提起、男性絶対主義者との論争など、私は小林先生の意見が素晴らしいと思い、購読を続けてきました。最近では山尾議員を世間からのバッシングから守り抜いた言動に感銘を受け、立憲的改憲については全面的に支持をしています。
承認願望が話題になっていますが、私はゴー宣ファンですが、そのことを小林先生に承認して欲しいとは全く思っていません。私が承認願望を向ける先は、私が所属する共同体に対してに限られます。
なので、小林先生の作品や意見に対して反論するとか、「梯子を外された」と失望することもありません。
このような感覚を持って、これからも小林先生の作品に触れ、私を支える共同体(家族、会社)を豊かにしていきたいと考えています。
イタいとしか言いようがない「ラブ上位」についてですが、今後も間違いなく起こることでしょうね。道場もこのコメント欄も、結局、「自分探し」のために来る人が後を絶たないでしょうから。
ちなみに、似たようなことは、一般の職場でもよくある話。恋愛至上主義で周囲に迷惑をかける。本人たちにそれを注意しても、「ロミオとジュリエット心理」が発動して逆効果。結果、自覚は生まれず、同じことを繰り返す。まったく質が悪い。
もうひとつちなみに、「よしりんが選民意識を育てている」と仰っている方もいらっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?距離感が近くなりすぎることが、ちょっとはあるかもしれませんが、自己を肥大化するなよと、いろんな作品を通じて、これまで読者に十分な警告を送ってきた(今も送り続けている)と個人的には思います。むしろ、「選民意識」をかなり減らしているんじゃないでしょうか。世の中の他のコミュニティーの長の中には、「選民意識」を意識的に生み出したり、利用したりしている人も多いと思いますよ。
ゴー宣道場のブログに取り上げられているような文章は、とても勉強になりますし「同じゴー宣読者でここまでレベルが高い人がいるのか」と敬意を抱きます。
選民意識、「自分は特別に選ばれた人間なのだ」という無意識は、まるで「ドラえもんの道具で調子にのってしまうのび太くん」みたいなもので、ものの見方によっては人間的だと思います ^^
「失敗を晒してしまった時にどう振る舞うかに、その人間の器が問われるんだと思います」
これは確か、みなぼん編集長がライジング返信コーナーで述べられていた言葉だと思います。
人生の教訓として、戒めておきます。
みなぼんさん素敵です!!
今度お茶でも・・・(笑)
私も、ゴー宣道場で取り上げられている読者の方々のブログを読むと、
勉強になることが多いです。
「とても自分には書けないことだなあ」と思う一方で、
小林先生の数々の作品や、小林先生と泉美先生の記事が読めるライジングや、
他師範の方々の本、ブログ記事、
或いは道場に纏わる記事など、
読者の方々の感想を読めることが楽しいです。
私がライジングを購読するようになったのも、
ライジングの記事の内容に惹かれたということがまず最初にあるのですが、
他の読者の方々の反応をコメント欄を通じて読みたい、と思ったから、ということもあります。
私も時々拙文をブログで取り上げて戴いたりすることもありますが、
その時は、恥ずかしさと共に、嬉しさもあります。
「のぼせもん」の気質もありますので、
調子に乗りやすいところもあり、
そこから「選民意識」や「謝ったら死ぬ病気」に罹る罠もあることだな、と、
これまでの細やかな人生での経験を振り返ってみても思う事があります。
人間、誰しも「私心」がありますから、
自分で「公」のことを考えているつもりでも、
「私」とのバランスが取れていなかったり、
客観的に見たら「私」が「公」より上に来てしまっていたり、
私憤と公憤を履き違えてしまっていることもあると思います。
人は間違いをおかすものだから、
そこで過ちを認めて初心に帰る、身の程を知る、ということが大事なのだと改めて思います。
文章をブログで取り上げて貰ったからと言って、目をかけられたからと言って、
そこからプロの表現者の土俵に上がれたり、一端の言論人・表現者を気取れる訳もありません。
ネットやスマホの普及で、誰も彼もがお手軽にモノ申せるようになってしまった御時世ですが、
まず、庶民としての自らの生活の現場がある筈です。
恋愛もそうですが、病気をしたりとか、生活環境が大きく変わったりとか、
自分を客観視出来なくなったり、精神のバランスを崩しやすくなる局面は誰にもあると思います。
調子に乗ったり、天狗になってしまう時もあり、
そこで自分を省みて、また立ち上がる、
大した人間でもない自分が偉そうに言うことじゃないと思いますが、
人生って、そういうことの繰り返しなのかな、と思ったりもします。
どうしても長ったらしくて固い文章になりがちですね(汗)。
カレーさんのようにスパッと簡潔に書くべきでした。
私なりにブログを読んで思ったことを書いたつもりです。
先程、昨日の先生のブログ読んで…絶句(苦笑)
なんだかなぁですね、いや、上の方でも書かれている型おられますけど、確かに先生が選民意識を持たせている側面は有るんですけど、それはある意味仕方無しですよ、
これも他の方々が書かれてますけど、其処で如何に本人達が、
「距離感」
を保てるか否か?でしょうね。某アンチやポエマーにしても同じ様な事で離れて行った訳だし、出会い系みたいにしてしまうのは本人達の自覚の無さだし、距離感の喪失でしょ、
その事を突かれたり、また先生に否定されたりすると、突然発狂してアンチに回り、匿名で罵詈雑言を撒き散らす訳で、
良き読者で居られなくなる訳ですよね、じゃなきゃ、此処にもおられますけど、2ちゃんねるで、とある期間、2、3人で男系カルトに回って毒を撒き散らして、
今や逆にライジング読者の代表的な存在になった方々もおられる訳ですからね、まあ誰とは書きませんがね。
兎に角距離感の喪失だけは何としても避けるべきでしょうね、道場は後1年くらいで終わるから設営隊に参加してみるかな?とか自分に理由を付けて、なんだ終わらないから否定批判してやるぜ、とかみっともないったらありゃしない。
離れたんなら知らん顔してりゃいいんです、支持したなら批判もしないといけないとかそれが義務がだとか勘違いにも程がある。
先生が立ち上げた道場やライジングなんだから、どちらも続けるのは小林先生次第なんだと思います、それに関しては、他の誰にも決める権利も無く指図する権利もありゃあせんのですわ。
そう言やベイダーも暗黒面に堕ちたのはアミダラとの仲をシディアスに利用された挙句でしたからね、おぉ!怖!
承認欲求を満たしてくれるパルパティーン(シディアス)と、一人前と認めてくれないジェダイマスター、なんだか意味深だすなあ。
アメリカ様に言われるがまま、北にいくらでも金を出すのは当然とポチ加減全開の安倍
先生のブログ、読みました。
コメント書こうと思ってもなかなかいい文章が書けず、5回直しても納得できず諦めました。ただ、次の二つのことは言えます。「親しき中にも礼儀あり」「汝自身を知れ」…極々、当たり前のことなんですがなかなかできない。自分もできていないときが多々あるし…。人間関係って難しいですね。
しばらく仕事が多忙で、ライジングから遠ざかっておりましたが、
小林先生のブログ読んで驚いた。
凄いな~!選民意識と自我の肥大。
私は元カルト宗教の信者でしたが、一般人と違うんだよっていう選民意識植え付けられて
有頂天になって教団に洗脳されましたが、教祖と同格だの教団トップと同格だという
意識は生まれなかったですね。
俺ら、元カルト信者からすると、ラブ上位の方って小林先生をなめてるんだろうね。
同格だと思えませんもん。
おいらみたいな元カルト信者って恋愛より、彼の世での幸福が上位概念になるから
実はラブ上位にもなりません。
だから宗教っておっかないんだけどね。
そんなおいらを、こっちの世界に引っ張ってくれたのは小林先生の作品読んだことが
切っ掛けなんだけどね。
AKB総選挙、今日やってると知らなかったのですが、
テレビつけたらやってたので15位ぐらいから見ました。
さすがに4位からは知ってましたがその下になるともうあやしい。
(なるべくネタバレにならないように書きます)
3位の人は総選挙卒業ですか。
来年1位になって総選挙卒業すればきれいなのに、とは思いましたが、
皆さん話が長い。
1位の話が2分で最後入らない。
あふれる思いで毎年長いのですが、今年は聞くのに苦労しました。
1位の人に「みんなスピーチが寂しそう」とか言われていましたが、
今までは現場の盛り上がりと世間というか、テレビの前の盛り上がりの温度差みたいなものが気になりましたが、
今年は現場もあまり盛り上がってなさそう。
スピーチの内容もそうですが、観客に拍手を求めてもまばらで。
ファンの方、あまり良い感想でなくてすみません。
ぐだぐだと書きましたが、みなさまはどのように感じられたのでしょうか。
「カルト」だと思うコメント欄に延々と粘着するって不思議。。。
佳子様が帰国されましたね
女性宮家にもう一度力を入れてください
コメント途中で切れるんですけど・・・なんででしょうか?
3回削除してます。すみません(;^ω^)
よしりん先生にはよしりん先生の考えがあり、自分には自分の考えがある。
考えが同じであれば支持するし、違えば態度を保留しつつ勉強し、それでも違えば反論する。
という姿勢で今後も道場にコミットして行くつもりです。
父が昔、嫁である私の母に
『俺がワガママなのは母ちゃんが甘やかしたからだ』と言ったそうで、母は
『結婚して子供もいるいい大人がいつまでもバアちゃんのせいにしてんじゃねーっ』
と言ってやったそうです。(言葉遣いはもう少し上品ですが…)
今回の事、よしりん先生のせいと言っている人はジェラシーからじゃないかな?
『ほれ見たことか!先生が甘やかしたから!』みたいな。と、意地悪く見てしまいました
(* ̄∇ ̄)ノ
よしりん先生が意図的に選民意識を持たせようとしたはず無いので先生に責任は無いです。
他の方も書いてますが先生は度々警告もしてましたし。
去って行ってしまった門弟さんは、『だまって』去って行ったって事は、
きっとどっかで間違いに気が付いているのではないでしょうか。
このまま『嘘を抱きしめて生きて行く』のかもしれないし
『謝ったら死ぬ病気』が治ってパワーアップしちゃうかもしれないし…
人なんてどうなるか分からないですよ。
読んだ方も多いかと思いますが本のソムリエ清水さんとの対談本『孤独を貫け』の
あとがきに門弟さん、特に女性の門弟さんに対しての感謝が綴られています。
大先生なのになんて容赦なく謙虚なんだろう~も~
(^з^)-☆
今度は切れなかった(^ω^)
◆《新番組》【5/3第72回拡大版ゴー宣道場おさらい会】
2018年5月13日に行われた「5/3第72回拡大版ゴー宣道場おさらい会」の動画です。
道場の設営にも関わったゴー宣道場門弟が集まって語ります。
●#1 自己紹介 前編
https://www.youtube.com/watch?v=f7ysp3VNlA8&list=PLWOOmgQXPZkz0qh6dopNFrf4gKfPX_Eb6
ゴー宣道場の門弟っていったいどんな人達?
公の精神にあふれたすごい人達?
それとも普通の人達?
もしくは変な人達?
これから始まる憲法談義本編の前にこの動画を見ると、いったいどんな人達が憲法を語るのか?
そして憲法は誰のものなのか?
それがわかるかもしれません。
●#2 自己紹介 後編
https://www.youtube.com/watch?v=d7IkjS-b1G0&index=2&list=PLWOOmgQXPZkz0qh6dopNFrf4gKfPX_Eb6
ゴー宣道場はどのように設営されているのか?
いつもと違う拡大版の苦労とは?
関東臨時隊長とカレーせんべい氏の確執とは?
ゴー宣道場当選の秘訣とは?
●#3 国民がよくわかっていないままで国民投票するのは怖くないですか?
https://www.youtube.com/watch?v=3sV-T8vRjH8&list=PLWOOmgQXPZkz0qh6dopNFrf4gKfPX_Eb6&index=3
おさらい会の参加者の希望で、山尾志桜里議員のお話と枝野議員のお話のところをみんなで見直しました。
この道場のことを記事にしたマスコミの話を封切りに、情報の伝達について議論が始まります。
国民は正しい情報を得られているのか?
情報を受け取って、考えることができているのか?
参加者の議論をお聞きください。
◆【ザ談会SPECIAL ーゴー宣道場 師範・門下生 合同語らいタイム ー】
・第6回 「なんで門弟に遠慮してしまう?」
https://www.youtube.com/watch?v=x7CYIpCCG6c&index=6&list=PLWOOmgQXPZkx9ZZFnLJDkbkA2dXpWKjVi
3月11日第4回関西ゴー宣道場の終了後、
ゴー宣道場師範と門下生合同の語らいタイムの最終回。
ふぁんたん隊長の「豆大福」がここでも登場!
小林よしのり先生がカレーせんべいに対してダメ出し!?
「門弟制度の意味」と「門弟制度の無い関西設営隊の意義」について語ってくださいました。
そして関西ゴー宣道場の『直訴』の様子も特別公開!!
まさにゴー宣道場の舞台裏です。
・・・
今週から配信スタートした「ゴー宣道場おさらい会」は、ゴー宣道場門弟が集まり『動画の制作』から『紹介文の作成』まで、それぞれが役割分担して作られたものです♪♪
ゴー宣道場の門弟・門下生の間では、「草の根の憲法論議」を実際に行っています。
動画にするのは手間がかかるため、議論におけるごく一部しか配信できませんが、楽しんでいる雰囲気だけでもお伝えできれば幸いです☆
師範・門下生語らいタイムでは「ゴー宣道場の在り方」について、師範・スタッフ・門下生が真剣に議論した様子の一部を特別に公開しています。
まずはゴー宣道場に集う者同士から。「議論を楽しむ」を発信していこうと思っています♪♪
《門下生チャンネルに関する問い合わせ先》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
よしりん先生、いよいよ〆切に追い込まれたら、
いつでもライジング1週休んでください。
文章じゃなくても、漫画で読めるんですから。
木蘭さんだけの二本立てとか、トッキーさんの連載を
一回だけ復活させるとか、みなぼん編集長のコメントコーナーとか、
それだけでも充分楽しめます。
Q&Aの1週休みとかでもいいですよ。
ストックができるまでの期間限定です。
道場を1回休むわけにいかないんですから。
九州道場をタイムシフトで拝見したり、ちょっと忙しかったので遅くなりましたが、
号外配信有り難うございました。
「ハンス・ベルメールの球体関節人形」、この写真を見て、『彼岸島』の「邪鬼」を思い浮かべたのは私だけでしょうか?(*^_^;;)
(あれはただひたすらグロいエグいだけで、エロさはないですが、芸術性はあるかな・・・?)
“グロテスクな美”とか、“ファシズムに対する非難・諷刺”の芸術というのは、
20世紀の音楽、現代音楽とかには結構あります。
こないだ聴いていた、バルトーク作曲『弦楽四重奏曲第6番』もまさにそれ。
いびつな行進曲の第2楽章、シニカルでキレた音楽の第3楽章は、
当時のヨーロッパの不安な情勢、ヒトラーとそれに追従する祖国ハンガリーのホルティ政権に対する諷刺なんだそうです。
他にも、挙げさせて頂けるなら、
ヒトラーへの怒りを込めたという、シェーンベルク作曲『ナポレオンへの頌歌』
(安倍首相への非難として使うには、残念ながら詩に対して安倍晋三が小物過ぎる。)。
どぎつい強姦のシーンがあったり(射精も音化!)、かなり悪辣なストーリーで、
スターリンの時代には「荒唐無稽」とされて粛清されかけたという、
ショスタコーヴィチ作曲『ムツェンスク郡のマクベス夫人』。
あともっとヘンタイチックな音楽・芸術というと・・・
あとは倉持先生に任せますか(失礼!)。
しかし、グロテスクでも諷刺でも荒唐無稽でもない、
ただの健康的な水着姿、官能美・エロスが否定されるような時代が到来するとは…(・皿・;;;)。
「艶子先生」も危うい・・・?(゜▲゜)
それで私が思い浮かべましたのは、
かつて「週刊少年ジャンプ」で連載されていた、
『アウターゾーン』の恐怖のエピソード二つ、
漫画は害毒とされて燃やされ、漫画家も処刑されていった悲劇の世界のと、
生徒の顔が男も女もみんな同じ顔に整形され、
廊下を走ったら校長にスパナで殴り倒されるクレイジーな学校のと。
あれも初期『ゴー宣』と同じく四半世紀位前のものでしたが、
あれも何か予言的な話だったんでしょうか?(゜[]゜)
古い録音を音質改善する“リマスター”、
ノイズを除去し過ぎて、本来の音楽の生気までも失ってしまったなんて話は良く聞きましたが、
人間社会もそれと全く変わらないような…(´…`)。
猛威を振るう左翼イデオロギーとニヒリズムによって、
どんどん世の中がつまらなくなっていくようですがε_(´・・`)、
しかし、最近のゴー宣道場門弟・門下生の躍動ぶり、パワフルな活力を見ると、
まだまだ明るい未来に希望が持てそうで、
ただ観客として学ばせて、楽しませて頂きたい、そのために応援したいだけの私も、嬉しくも羨ましくも思います\(((^▽^)))/。
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」
私も他力本願というのが嫌いな性分なものでして(欲しいものはプレゼントされるより自力でゲットしたいタイプ)、
日本の活性化のためのアイデアを50手ほど鋭意研究中ですが(・p・)、
よしりん先生のお眼鏡にかなった門弟・門下生の方々なら、
もっと仰天、度肝を抜かれるような、腰抜かすようなもの(?)を、どんどん披露して下さるはず!☆=(・▽・)
ワクワクが止まりませんな!Bravo!
人は愛情を求めようとする生き物ですから、承認欲求という若さはなかなか厄介でしょうがε_(´・ω・`)、
ゴー宣道場本体とともに期待・応援していますぞ!\(^_^)(^▽^)(^ε^)9
(以上、もしどなたかこの拙文をご覧になって下さった時のための煽りです。フフフ(`▼´))。
なんだったら、「オドレら正気か」1回休んでもいいですよ、道場の月とか。
先生の心の余裕がないと、面白いブログも書いてもらえないですし。
ライジングの配信、ありがとうございます。
活動内容よりも容姿ばかりが評価されることが不満なら、なぜミス・アメリカに出場したのでしょうか。
活動内容が評価されたければ、その分野でもっと努力すればいいだけのことです。
アスリートの中には容姿や肉体美で話題になる選手もいますが、実績が伴っていればちゃんとそちらが評価されます。
不当に評価を下げられているわけでもなく、自分の望まない部分に注目が集まることに不満を言うのは甘えだと思います。
「公衆の面前で肌を曝すのは不適切」ということかもしれませんが、裸になるのでもなく、下着姿になるのでもなく、バニーを着るのでもなく、扇情的なポーズを取るのでもない水着審査を、性欲を刺激するものという認識で今まで続けてきたのかと、疑問に感じます。
左翼の活動を振り返ってみると、欲望を持たず、他人に迷惑をかけない人畜無害な者こそが理想的な人間像であると彼らは考えており、世論に受け入れられるタイミングを見計らって、その価値観を浸透させてきているように見えます。
しかし、他人の迷惑にならないことだけを気にしていても、他人の気持ちなど把握しようがないし、思った通りに対応しきれないときもあります。
それでは生きてて辛いだけだし、反動で、身勝手に振舞っている(ように見える)連中への憎悪が湧き上がります。
それならいっそ、他人のことは一旦置いて、自らの意志で何かを為す、そしてその時々の状況に自分自身と向き合って対処していく。そうした主体的な態度を持ち続けることが生きることの意義ではないかと感じています。
主体性を持って生きようとすると、常に自分の限界や愚かさに向き合わされます。
その辛さを乗り越えるには、心の底から湧き上がる情熱を糧にする必要があります。
その中に欲望と呼ばれるものも潜んでいます。
だから私は、人が生きる上で欲望は不可欠だと考えます。
欲望を適切に発散させる手段として、エロトークとして気心の知れた友人達と笑い飛ばし合うことはとても有効だと思います。
それに異性が付き合ってくれるなら、その効果はますます強く発揮されるでしょう。
(先月の「オドレラ正気か」、めちゃくちゃ面白かったです。)
性欲とは離れて、酒やたばこ、車の運転といった趣味に興じるのも同様です。
また、欲望という醜悪な内面を原料として「美」に昇華させたものが、芸術なのではないかとも思います。
だとすれば、文化とは人類が欲望と正面から向き合ってできた産物ともいえるでしょう。
しかしこれらも左翼は、他人への迷惑という点を強調して攻撃対象とするでしょう。
酒・たばこは既に目をつけられているし、芸術活動も当たり障りの無いものに限定される。車の運転も、自動運転が普及すればいずれ…。
欲望を否定し、欲望を健全に発散させようとする行為まで排除しようとする左翼の取り組みは、人間本来の姿を否定するものです。
だからこれらの活動が、人類のためになるとはとても思えないのです。
セクハラ問題について、よしりん先生はなにも「エロトークぐらい我慢して付き合えよ。」と言っているのではなく、「嫌なら嫌と自分の意志で断る主体性を身につけよ。自分に都合のいい同調圧力に守られようとするな。自分の感覚がすべてだと思い込むな。」とおっしゃっているのだと思います。それは男女を問わずそうあるべきだと思います。
あらゆる立場の人たちが共存していく上で、価値観の対立は必ず生じます。そのときに一方の価値観だけを正として、他方の価値観を刑罰化してしまうのはアンフェアです。男女が対等に扱われるために変えていくべき部分はあるでしょうが、今の流れでそれが実現するとは思えません。
セクハラ問題を解決するために必要なのは、
・自分の意志をしっかり示す
・お互いの感覚を尊重しあう(断るときも、断られるときも)
・権力を笠に着た態度には厳しく対処する
という意識の浸透だと考えます。
ライジング、毎週楽しみにして感謝しておりますが、
締め切りを優先していただいて、
いつでも休みにしていただいたらと思います。
作品を見られることが楽しみですので。
私の連投ということになってしまい失礼します。
門下生動画チャンネル、見させていただきました。
作成に関わった方々お疲れ様でした。
雰囲気が伝わってきます。
語らいタイム、最終回。
カレーせんべい氏がこれはと言う人に声を掛けて
設営隊も増えているというようなことが言われていました。
思えば私もこのコメント欄で門下生チャンネルの感想を
書かせていただいたことがきっかけでカレーせんべい氏に
道場で声を掛けさせていただいて、関西新規設営隊になりました。
「設営隊に新旧の違いなし。実際は新規の人は緊張もするだろうし違いはあるんだけど」というようなことをカレーせんべい氏が言われていましたが、
このような態度が新規を生んでいる要因なんだろうと思っています。
おかげさまでたくさんのゴー宣読者と出会い、話させていただくことができています。
このような動きをすごいと思う一方で、
道場参加者が「読者と話すのは初めて」と言いながら話をされていたり、
以前の私のように道場に参加しなくても動画を見て、先生の作品を読んで影響を受けている読者もたくさんいたりするのだと思います。
上手くまとめられませんが、長文にもなってきたのでこのへんで。
しかしまあ選民意識が生じるのであるならば放っておけばよいでしょう。
どうせ自滅するだけですから。
その後に先生を恨むとなると全く手に負えませんかね
私は時々「ドールショウ」に行くくらいお人形さんが好きですが、ハンス・ベルメールについては全然知りませんでした。写真を見た瞬間、ドキドキ・ザワザワして惹かれました。エロティックな身体の曲線に惹かれつつ、怖さも感じて、心臓をギュッと掴まれたような感覚になります。そしてナチスへの抗議という深い意味もあるんですね。
心地良いものだけが芸術ではない、と再認識させられました。
そして、
「水着審査中止」に唖然としました。
このままいくと、芸術って無くなるんじゃないかと恐れています。
私は女性の身体の曲線が好きで、たまたま女性に生まれてきたので、自分の身体を使って、その美しさを表現できないかと、写真作品を作っています。この私のやっている活動も許されない事になってしまうのかな…。ここ数年、作品を素直に作れなくなってきています。とても息苦しいです。
私は自分のことをフェミニストだと思っていました。エマ・ワトソンの言葉「フェミニズムの本質は女性に『選択肢を与える』ということなのです」に共感しますし、「フェミニズムは他の女性たちを叩いたりする棒のようなものではありません」という言葉にも納得します。
でも今はフェミニストと名乗りたくなくなりました。
過激な人達にフェミニストという名を乗っ取られた気持ちです。
本当の意味で女性の問題を解決しようと活動しているフェミニストはフェミニストの名前を捨てて、新たに「ネオリブ」と名乗りはじめています。
過激な左翼フェミニストは迷惑でしかないです。
すみません(^_^;)また途中で切れてしまい削除しました。今日2回目(~_~;)
今号の感想です。
まとめていうと、先生のおっしゃっている、綺麗と美しいは同じではない、という話と一脈相通ずるところがあるのかな、と思いました。
1. ゴーマニズム宣言・第280回「水着審査をなくすミス・アメリカ」
一言。これでは本当に、「アタックギャルギャル」は無理ですね。そのコーナーを担当していたかたは失業していたと思います。たいしたコーナーではなかったけれども。
しかし、美しいものを美しいと言えぬ世の中は、ディストピアではないのでしょうか。ここは、美=綺麗でしょう。またマイナーなアニメを出しますが、「戦国魔神ゴーショーグン」のブンドールさんがなげいてしまいます。わけのわからない話はさておき、私たちが絵画鑑賞や仏像を古寺で見かける際に感じるものも、性的なものではないのだけれども、やはり「美しい」だろうと思います。ミスコンを禁じるのは、それらのものを否定することにほかなりませぬか。
あっ、アメリカはイラク戦争でイラクの博物館の収蔵物を見て驚いてるのだから、そうした美術品の価値など分からないんだ。納得!
いずれにしても萬田久子さんはデビューできない世の中になる、と思いました。大切なのは、水着審査などのミスコンを形骸化させることなしに、真の美を追究する実体のあるものにすることだろうと思います。毎度のことですが、ミスコンの美人さんが素朴に「綺麗」だ「美人だ」と感じられないことをこそ、何とかするべきでしょう。これなら話は分かります。
2.泉美木蘭のトンデモ見聞録・第84回「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」
これもまたマイナーな話をして宜しいでしょうか。江戸川乱歩の『盲獣』という小説の結末を思い出してしまいました。というと、知ってるかた、食事前でしたらごめんなさい。私もあの話は結末名作であり、その過程は「気持ち悪い」以外の何物でもない、と思っています。乱歩三大駄作の一つにあげていました(ほかの2つは『恐怖王』・『地獄風景』)。しかし、あの作が最終的に芸術として導いたものは、価値があると認めざるを得ません。あの当時、乱歩は連載をかかえてスランプに陥っており、それが三大駄作の時期と重なってもいるのですが、乱歩も何か綺麗を超越した美を求めていたのだろうと感じざるを得ません。私はそういうものも「綺麗」の一種であって、決して作家や漫画家の先生の腕が未熟とかそういう価値判断のみで見てはいけない、と思うのですが。何か引きつけるものがあるものは、下手ではない、と思います。
でも、比べる対象が間違っていたら、すみませんでした。乱歩は『妖虫』という小説も描いており、あの話にのみ登場する三笠という探偵、かなりお気に入りだったのですが、1作で終わってしまったのが残念です。ついでに述べておきます。
それにしても、『新八犬伝』・『真田十勇士』・『笛吹童子」、懐かしいです。浄瑠璃の人形の美も、いわゆる綺麗ではないですが、独特の魅力があります。現在、これらのNHK人形劇のフィルムが散失(上書)されており、もはや記憶の中でしか再生できないことが残念でたまりません。
それはさておき、別のかたがおっしゃっていましたが、場合によっては、ライジングか生放送をお休みする週があってもよいかと思います。ライジングはよしりん先生が多忙の時期は木蘭さんのコーナーや、トッキーさんのかつてあったコーナーなどで代替する、というのでも良いのでは。プロデューサーが小林よしのりであることは変わりはないのだから
。個人的には、『わしズム』が読みたいですが、それは難しいのでしょう。先生方が裁判員に選ばれませんように。醤油を飲まれる、というのはいかがでしょうか(冗談ですが。まず、不可能です。気持ち悪くなるし)
それでは、次号を期待します。
木蓮さんの『未来のイヴ』のブログ、『5秒以上見つめるの禁止』のブログ面白かったです。幻冬舎の元ネトウヨさんの記事も。私はネトウヨまではいかなかったけど、『昔の日本人エライ!日本人エライ!』にはなってました。昭和天皇の冨田メモ事件もショック受けちゃったりして…
いやいやお恥ずかしい(>_
7月に出版される二丁目本は二丁目限定販売じゃないですよね?
(;・ω・)
私のような凡人でも読めるのでしょうかね…
人が人の容姿に惹かれるのはしょうがないですよね!
私は恋愛対象は男性ですが、子供の頃から可愛い女性、美しい女性が好きでめっちゃ見つめてしまうクセがあります。5秒以上見させてくれ~
イケメンは5秒以内で済ますから~
m(。≧Д≦。)m
昨日投稿したものどうしても切れてしまうので、分けました…長々駄文すみません。
大阪と付近の皆様大変かと思います。ご無事を祈ります。
今、ニュースで地震を見ました。大阪の皆さま、近隣の関西地方在住の皆さま、どうか、ご無事で。
本震が終わったと思うなよ。
今からでも準備は出来ればしてくれ。
相手は自然だから油断するなよ。
皆さん、無事で。
高森先生のブログ読みました。
実はああいうタイプの女の子たちは、案外、優しい子が多かったりしますよ。ただ、自分のことでいっぱいで周囲が見えていないことがたまにありますけど。15年ぐらい前、地元の駅で行商のお婆さん(最近、見かけなくなりましたね)の荷物を運ぶのを手伝っているガングロの女の子たち、たまに見かけてました。少なくとも、だいぶん前に書いた、バラバラに落としたものをひろってあげたのに「あの人怖い」と陰口をたたいたスカしたOLねーちゃんよりは好感が持てました。
関西の地震、日本は活断層の上にある国だってことをあらためて思いました。大丈夫でしょうか?
urikaniさん、この顔文字使うと、それ以降は
表示されなくなるらしいですよ。
使わない方がいいですよ、ココでは。
表示できる半分だけ書いときますが
↓
(>_
ログインするのが面倒でコメントに書き込みしなかった堕落者のクリリンです。
皆さんは地震の被害には遭わなかったであろうか?
皆さんも自分の事を心配していたに違いない!
ところで高森師範が記事で昔、バスに乗っていた女子高生の胸をモミモミしながら「優先席ではお年寄りに席を譲らなきゃダメじゃないか!」と注意したらしい。
その手があったか!
自分も明日やってみよう。
こんばんは、ライジング配信ありがとうございますvv
ミスコンの水着審査が不快なら見なければいいだけの話です。
日本ではセクハラされたりセクハラを拒んだことによるパワハラによって心を病んで退職に追い込まれ、派遣や非正規でしか働けなくなってしまって貧困に陥ってしまうケースが起きています。
日本ではこの問題に対する法整備はまだなされていません。
ミスコンの水着審査が性差別だと騒ぐ余裕があるのなら、実害が出ているこちらに情熱そそいでもらいたいものです。
自分は読売新聞が嫌いなのだが編集手帳は素晴らしいから不定期購読している。
今朝はサムライブルーの青にかけて青二才の話しだった。
「青は藍より出でて藍より青し」とは弟子の実力が先生を追い越す例えとか。
先生とは格上のチームの事らしいが、自分にとっての先生は「よしりん師範」に他ならない。
サッカーに例えれば自分達が選手ならよしりん師範は永遠に追いつけない「サッカーボール」だ。
自分達は悩み考えながらボールを追うが、その差は縮まらない。追いついたと思ったらそれは錯覚で空振りして転倒してしまう。
それが情けなくもあり恥ずかしくもあり、そして嬉しくもあり。
こんな未熟者の分際で選民意識など持ちようがないだろう。
朝の数分でそう思考させるのだから読売新聞は馬鹿には出来ない。
だから皆さんも読売新聞を購読しよう。
特に千葉の人達は是非!
いや、読売新聞のまわし者じゃありませんよ?
自分は読売新聞の関係者じゃないし。
弟はアレだけど・・・。
先の投稿で今回はおしまいの筈でしたが、やはり地震のことが気になります。
日本で安心して暮らせるところは、どこにもないみたいです。
日本人にとって、地震は日常茶飯事なのだとも気づかされます。
熊本地震も本震があとから来たみたいですし。
細心の注意をして欲しいです。
ライジングの穴埋めをトッキーさんにと申しましたが、時浦さんもよしりん企画の社員で多忙なわけですよね。失礼なことを申してしまい、すみませんでした。
どなたか助っ人コメンテーターを呼べれば良いのですけれども。
木蘭さんのブログを読んでいて、長渕剛の「RUN」というドラマを思い出してしまいました。
あと、上の下らないことを記している、すぐに消されるかたにも申しておきますが、
>>153、>>154
あれは切通さんがやはり悪いのです。たとえ本人が気づいていなかったとしても。
むしろ、あのような措置ですんだことに感謝すべきです。
加えて、誰だって、偉いかたに目をかけて貰ったら、そのことだけで舞い上がってしまうのは当たり前です。
問題なのは、それを自分の実力のすべてだと勘違いすることでしょう。
菊池寬の「形」と同じだと思います。
それと、ブラック・ジャックの「腫瘍狩り」とも(やっとタイトルが分かりました)。
自分が間違っていると分かったら、公にあやまるべきです。そんな当たり前のことがなぜできないのでしょうか。どこかの首相様も。まさしく「裸の王様」です。
一応、ここまで述べておきます。忙しい人の手を煩わせるだけではなく、自分でも考えてみることも肝要でしょう。それでは。
えーと、もう一個、手段を思い出しました。
特別寄稿をいただくのです!
そうすれば、よしりん先生が「ゴー宣」休めます!
前に一度、笹さんに特別寄稿、いただきましたよね。
笹さんや高森さん、切通さん、あと倉持さん!
迷惑かけまくってる倉持さんに、ぜひ書いて恩返ししてもらいたい!(笑)
あとはビッグネームの、
井上達夫先生、伊勢崎賢治先生、そして、山尾志桜里先生。
もし叶うなら、枝野幸男先生!!
こんな方たちから特別寄稿をもらえたら、
ライジング読者も増えるし、よしりん先生も休めるし、
一石二鳥!!(笑)
担当編集者のりか坊さん、志儀さん、オダさんに、よしりん先生はどんな
方か、みなぼん編集長かトッキーさんが、逆インタビュー!
というのも思い付きましたが、
この辺にしときます(^^;)
ホントにいざとなったら、の手段です。
もちろん先生もプライドがあるのは分かってますが、
いろんなパターンを考えとくのは、わるいことではないと思います。
頭の片隅に置いといてください。
よしりん先生にストックを作らせてあげ隊・隊長代理より(笑)。
#よしりん先生がストックを作りやすくなる方法を考えよう
ポカQ氏に丸投げするのです。
ポカQ氏さんのだらしない一日をレポートしてほしいな。
自分は興味があります。
3行で終わりそうだけど。
「辻説法」の感想です。
プロのスポーツ選手は現役寿命が短いですもんね。彼らはトップになるためにムリヤリ限界を超えようとしているのだから、逆に体を壊してしまいます。40代で「レジェンド」ですから。普通の人が健康維持に必要な運動は、散歩くらいが丁度いいと聞いたことがあります(たしか高森ウィンドウズだったかな?)。運動が続かないという、りか坊編集の気持ちは分かります。私はフィットネスジムに通ってます。雨降ったら散歩できないし、「カネ払っているんだから勿体ない!」という軽い強制力が働くから続いています。但し、ゆる~くやってます。一生懸命走っている人の横でダラダラ歩いたり。めっさ重たいダンベル持って「フン!フン!」やってる人の横で、軽~いダンベルでヒョイヒョイ上げたり。現状維持で丁度いいや、って思ってます。
文豪ならぬ「漫豪」よしりん先生の健康哲学、勉強になります。おそらく先生は、人生そのものが漫画道(どう)という超長距離ランナーなのです。ですから漫画家に特化した生活様式(特に食事)を自然に作り出したのだと思います。特に糖分、ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー。人体に於いて、脳が一番の大食いです。先生は思想家としての一面も持っているから余計に大量に必要とするのでしょう。私も先生を見習って、ヤクルトを飲もうと思いました。
ニュース番組なんかで日本は長寿国だと、さも良いことのように言われる度に、私はなんか不快になります。同時に介護の問題を取り上げるので、尚更です。「家族を大事にせよ」という自民党の息でもかかってるんじゃないかと勘繰りたくなります。大事なのは単なる寿命ではなくて健康寿命だろう、と。私の父は80歳ですが、酒飲みで、しかも年々酒量が増えてきてるので、非常に心配になります。ある日突然、寝たきりになったらどうすんだ。ボケたら捨てるぞ!とは言ってますが、これからは寝たきりになったら捨てるぞ!と付け加える必要があるのではないかと思う今日この頃です。かく言う私は、自分で自分の面倒が見きれなくなったら(つまり働けなくなったら)自死せにゃならんなと思ってます。
ですんで、先生の唱える安楽死の制度化に賛成です。
長文失礼しました。
トリプルよしりんDAYとは!なんだかグランドクロスのような特別感です!
今朝の高森師範のブログが消えている…
特に問題があるようには思えなかったのだが…
(昨日の方がよっぽどw)
今朝の高森先生のブログ、消えていてビックリしました。
確か共産党系の本屋と、神社本庁の本屋が近くにあるとかいう内容だったと思います。