プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「グレート小鹿」です!
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――今回のテーマは大日本プロレスのグレート小鹿会長です!
――おおっと! 「中邑真輔=グレート小鹿」説(笑)。
小佐野 これは私がプロレスファン時代に初めて買った『ゴング』なんです。昭和45年6月号。巻頭グラビアがロザンゼルスで試合をする小鹿さんで、しかも金網デスマッチ。
――ロスではマスカラスのライバルだったんですよね。
小佐野 70年秋に開催された日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦に、吉村(道明)さんとタッグを組んで参加したんですけど。帰国第1戦はフランキー・レイン相手にリングアウト勝ち。それが姑息な勝ち方だったので「あ、やっぱり向こうの悪党はこういう戦い方なんだ」って。でも、コスチュームは田吾作じゃなくて、黄色のラインが入った紫のショートタイツに紫のリングシューズ。かなり垢抜けていたんですね。そういう意味ではかなり毛色が変わった日本人レスラーだったんです。
――ビジュアルインパクトがあったんですね。さすが昭和の中邑真輔(笑)。
小佐野 日本プロレスが潰れたあとは全日本プロレスに合流するんですけど、アマリロ武者修行を終えたジャンボ鶴田と入れ替わるようにアマリロに送られるんです。そのときは中国人キャラのカン・フー・リーになるんですけど、ちょうどブルース・リーのブームが起きてる頃で、それをヒントにしたんでしょうね。それまでのアマリロは大熊元司、マシオ駒、ジャンボ鶴田と日本人レスラーが連続してたから、そのまま日本人としてやってもウケないと考えたんだろうね。
――ちゃんと計算してるんですね。
小佐野 そのキャラでテリー・ファンクと抗争してトップになるんだから先見の明がありますよ。そのアマリロから1年で帰ってきたのかな。そのときの凱旋帰国もインパクトがあってね。小鹿さんは放送席でゲスト解説をやっていて、私服のままブッチャーと乱闘して大流血。そこからブッチャーとの抗争が始まるんですよ。
――話を聞くかぎり、当時からアイデアマンですね。
小佐野 そのときはカン・フー・リーの格好じゃなくて、ジャンパースタイルのガウンにサイケ調のタイツ。髪の毛はパーマじゃないけどウェーブがかかって、当時のアメリカ帰りの雰囲気を醸し出していたんです。「カッコイイ!」と思っちゃったもん(笑)。
――ハイセンスだった。顔だけ見ると昭和の頑固親父ですけど(笑)。
小佐野 流行りに敏感なんだよね。ブログもかなり早い時期からやってるし、スマホもかなり駆使していたよ。天龍さん、カブキさんと鼎談をやったときも「写真を撮ってブログにアップしていいよね」って(笑)。
――日プロ出身でスマホを使いこなす(笑)。試合ぶりはどうだったんですか?