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われらがオンちゃんは、あのアメリカに連戦連勝しつづけた英雄だった。
地元のコザでも、島の全土を見渡しても、ふたりといない豪傑だった。
焼けつくような暑さのなかで、オンちゃんはいつだって皆の先頭を走っていた。
あの夜もそうだったよな。
地元のさとうきび畑を突っきって、夜の天幕がひろがるヤラジ浜まで。
奪ってきた〝戦果〟をどっさり抱えて、四人そろって海辺へと出てきた。
濡れた砂は太陽の余熱を残していて、島の子たちの蜂蜜色の皮膚を汗ばませる。海岸線を下ったところにとっておきの場所があって、砂浜が高い岩場に囲まれたそこでなら、すぐそばの米軍基地からも見つからない。抱えてきた〝戦果〟には照明弾や信号拳銃が交ざっていて、オンちゃんがまっさきに撃ち上げた。シュボッと着火した青色の照明弾が、魚のように尾を振りながら頭上の星座めがけて駆け上がっていった。
雄々しい眉毛、角張ったあご、その美らになびく黒い髪。
夜空の高みで弾けた閃光が、オンちゃんの相貌をまばゆく照らしだす。
この島の最良の遺伝子で創られたウチナー面が、燃え上がるような喜色を浮かべていた。
オンちゃんだって浮かれもするさ。自分たちだけが世界一の軍隊をおもしろいようにきりきり舞いさせていて、周囲を見渡せば、親友のグスクも、弟のレイも、それからヤマコもそろっている。あざやかな青や赤や黄色に彩られた海景には遮るものがなくて、たえまない潮の満ち引きが心地よく血中にこだましている。
毎日の食いぶちも、故郷のゆくすえも、確実なものはひとつもない。約束されたものなんてなにもなかったけれど、それでも照明弾がその一瞬一瞬で照らす海と陸のすべてに祝福されているような、最高に誇らしい夜だった。
「おれはこれで、十分だけどさぁ」
オンちゃんは照明弾を撃ちながら、はしゃいでいるヤマコの肩を抱き寄せた。
グスクもレイも、かたときも砂浜に座らずに、競うように照明弾を放っていた。
銀の砂粒をまぶしたそれぞれの肌にも、オンちゃんとおなじ光の模様が浮かんでは消えた。長い口笛のような音をまとって上がっていく火の箭が、熱いグリセリンの飛沫をばらまいて、幾筋もの光の残片となって夜空で燃え散った。
「こうして毎晩、アメリカーに吠え面をかかせて、命びろいの宴会でくたくたになるまで踊ってさ、こいつの汗のにおいを嗅ぎながら眠る、それで言うことなしだけどねえ」
たっぴらかすよ、羞じらったヤマコがオンちゃんを肘で小突いた。
あーあー惚気ならよそでやらんね、グスクは片頬をもちあげて苦笑をにじませる。
われがちに照明弾を上げるレイは、興奮しすぎて話を聞いてなかった。星のどれかひとつを撃ち落とせると本気で信じていたのさ。
「だけど、こんなの長つづきするわけないさ」
オンちゃんの豊かな黒髪が、潮まじりの風に梳られる。
「ずっと〝戦果アギヤー〟ではいられん、お頭を弾丸に貫かれたらそれまでさ。地元の連中にもてはやされても、とどのつまりは泥棒でしかあらんがあ」
おれたちはただのコソ泥やあらんと、グスクは言い返した。だってこの島でアメリカーから戦勝をもぎとれるのはおれたちだけやあらんね。
あたしらみんなの暮らしが上向いたさとヤマコがつづけた。オンちゃんの〝戦果〟がどれだけ地元を助けてきたか。奪ってきた医薬品で病気が治った年寄りがいる。資材庫からせしめた木材で小学校も建った。それがどんなにすごいことか!
「だけどなあ、そのときどきですきっ腹を満たして、足りないものをちまちまと集めてるだけじゃ、肝心なところはなにも変わらん。おれたちも命を張るなら、もっとここいちばんってところで張らんとなあ」
ここいちばんってどんなとき? ようやく話に入ってきたレイが訊きかえす。
三者三様に見開かれた瞳が、オンちゃんへとまなざしをひとつに結んだ。
「おれたちの島じゃ戦争は終わっとらん」とオンちゃんは言った。「あの日、アメリカーがぞろぞろと乗りこんできて、あちこちに星条旗をおっ立てて、そのまま五年も十年も居座ってるやあらんね。おやじやおふくろの骨が埋まる土地を荒らして、ちゃっさん基地を建てくさって。だからわりを食った島民が報われるような、この島が負った重荷をチャラにできるような、そういうでっかい〝戦果〟をつかまなくちゃならん」
あごを上げたままオンちゃんは、過ぎた日々を想うように瞳を閉じた。
海鳴りの響きが高まった。照明弾の光がひらめくたびに、あの日の悲鳴が、逃げまどう家族の姿が、〝鉄の暴風〟に荒らされた土地の傷痕が、振りはらえない数多の記憶が一瞬一瞬ごとにあらわになるようで、グスクもレイもヤマコも胸を温い熱にあぶられる。三人とも息を凝らしてオンちゃんの言葉のつづきを待った。静脈の透けた瞼の裏でオンちゃんの眼球がうごめいて、そこにないなにかを見つめているのがわかった。
「だっておれたちは、命がけの綱渡りしてるんだから、泥棒の一等賞じゃつまらん。アメリカーがのたうちまわるほど悔しがって、歯ぎしりして日本人が羨ましがるような、故郷にとっての本物の英雄になれるような勝負を張らんとな」
そこまで言うとオンちゃんは、片腕に抱いたヤマコを引き寄せた。「いまのところ、おれのいちばんの戦果はおまえだけどねえ」と声を弾ませながら、恋人の汗ばんだ首筋にはぐはぐと唇を押しあてた。
たっぴらかすよ、人をものみたいに言ってえ! ヤマコが信号拳銃の先端をオンちゃんに振りかざしてやりかえし、グスクとレイはそのさまを囃しながら、あてられっぱなしの傍観者の連帯感を分かちあう。故郷の将来を憂うような熱い演説をつづけるよりも、ところかまわずいちゃつくほうがオンちゃんは照れずに自然体でいられるんだよな。
たとえそれが過去の傷を、この島の宿命を呼びさますものであっても、その言葉はどんなときでも風通しがよかった。掛け値なしに純粋で、無謀で、生命力にあふれ、破滅的な脆さも秘めていた。そんな男がいまさら〝英雄〟なんて言葉を口にするものだから、おかしなことを言うやつもあったもんやさ、とグスクは首を傾げさせられた。
だれもが食うや食わずの毎日を送るなかで、オンちゃんは奪ってきた〝戦果〟を身内だけじゃなく地元じゅうに配ってまわった。病んだおじいやおばあがいれば包帯や医薬品を届けたし、指一本につき五十匹のハエにたかられる貧乏所帯には、食料はもちろん衣類や毛布や運動靴を運んでいった。おかげでコザの女たちは、乳歯の生えそろったばかりのお嬢ちゃんから白髪だらけの後家さんまでオンちゃんに恋していた。男たちにしてもごろつき嫌いの教員や役人、立場からしたら取り締まらなきゃならない警察官ですら、うちの娘を嫁がせるならああいう男のところがいいさあと熱っぽい視線を送っていた。だからケチな泥棒なんかであるわけないのさ。コザでいちばんの戦果アギヤー(と、島の言葉で呼んだ。【戦果をあげる者】って意味さ)は琉球政府の行政主席よりも拳闘のチャンピオンよりも尊敬と寵愛を集めてやまない、地元にとって代えのきかない存在だった(われら語り部のあいだでも、そこだけは異論の余地がないところなのさ。オンちゃんのような大器でもまだ〝英雄〟と呼ぶには足りないんだとしたら、この沖縄のどこにそんな名誉にあずかれる人間がいるのさ?)。
この時代の、この島ならではの申し子ってわけさ。世の中のあらゆるものは深いところでつながっていて、歳月や距離を越えてたがいに共鳴しあう。魂のきれはしが風に乗り、照明弾の明かりに浮かされて海の祖霊も踊りだす。たぐいまれな荒々しさと、息を呑むような神秘をそなえた島の中心には、オンちゃんがいたんだよ。
グスク、レイ、ヤマコ、三人にとってもオンちゃんは唯一無二の存在だった。
それぞれが自分のなかに、自分だけのオンちゃんの居場所を持っていた。
砂浜に立ちつくすオンちゃんの面差しは、海と陸を照らす光に映えて、見るものの胸が痛くなるような輝きに包まれていてさ。
「そろそろこの島は変わるぞ、おれたちも寝ぼけちゃいられん」
頭上をふり仰ぎながらオンちゃんはその瞳を見開いた。まばゆさの強弱が一瞬一瞬で変わる黄金の面差しから、グスクもレイもヤマコも目を離せなかった(ああそうさ、それはこの島で生きるすべての沖縄人にとっても同様だった。われら語り部としても、念を押しても押しすぎるということはない。コザでいちばんの男から、オンちゃんからその目を離すべきじゃない)。
それはアメリカと日本が、あの条約をかわす前の年のこと。三人の記憶にあざやかに焼きついた一夜の情景だった。だれよりも烈しく世界に挑みかかり、戦果アギヤーの先頭を走っていたオンちゃんは、たしかにそのときそこで、またたく夜の天幕を見上げていた。
親友の、実弟の、恋人のまなざしをその身に浴びながら。
雄々しく呼吸を深めて、オンちゃんはこう言ったのさ。
「さあ、起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた――」
第一部 リュウキュウの青 1952-1954
一 嘉手納の戦果アギヤーたち、鉄の暴風ふたたび、聖域
すばらしく元気の出る音がとどろくたび、眉間や首筋で痛いほどに鼓動が脈打った。
視界に映るなにもかもが帯電している。発火している。
ビート。ドラム。地震でもないのに足元が強く揺れている。
細やかな闇の模様がひらめき、移ろい、砕けた断片となって飛び去っていく。
その年の精霊送り(旧盆の最終日におこなわれる慰霊の儀式)の夜のこと。彼らはそろって米軍基地のなかにいて、響きわたる発砲音に追われていた。遠くからはエイサーの音も聞こえていたけれど、合いの手をかえす余裕はだれにもなかった。
ぱかぁんと音がした。グスクの隣を走っていた仲間の頭がデイゴの花のように咲いた。撃たれたヨギが前のめりに転倒して、担いでいた木箱をぶちまける。あがひゃあ! とばっちりの血を浴びたグスクはなりふりかまわず叫んで、走りながら瞼を閉じていた。
追いかけてくるのは、無数の足音、警笛、異国の言語、あとからあとから米兵たちが湧いてきて、威嚇射撃をすっとばして実弾を見舞ってくる。窮地のなかでオンちゃんだけが、走りながら仲間への鼓舞をたやさず、魚の歯の首飾り(硬い歯に穴を開けて紐を通したそれは、ヤマを踏むときのオンちゃんのお守りだった)を右に左に揺らしていた。
「起きらんね! 目を開けとけ、転んだらそのままあの世行きやがぁ」
オンちゃんに発破をかけられて、グスクは両目をひんむいて叫んだ。
「オンちゃん、ヨギが撃たれたぁ!」
「あがひゃ、兄貴、くるさりとんど、くるさりとんど」
すぐそばではレイがひっきりなしにわめいていた。
「あいつら、この場で全員、たっくるすつもりやがぁ」
「オンちゃん、どうするよ、どうするよ」
「怖じけちゃならん。拳銃の弾なんて二発も三発も当たらん」
「だけど兄貴、アメリカー、ちゃっさん湧いてくるよう」
「このぐらい、心配さんけえ!」
オンちゃん二十歳、グスク十九歳、レイは十七歳になったばかりの夏の夜だ。遠くではエイサーの音色が、すこしずつテンポを速める締め太鼓と片張り太鼓のつるべ打ちが、たえまない大地の鼓動のように響いている。寿命を一年ずつ削っていくような銃声のこだまは、戦果アギヤーたちに過ぎた日々の記憶をよみがえらせた。
これじゃあまるで〝鉄の暴風〟さぁね――
身をもってあの地上戦を体験した十三歳が成人を迎えたこの年、満を持してオンちゃんが標的に選んだのがここ嘉手納空軍基地。キャンプ・カデナ。かつてないほど大きなヤマだったので、コザだけじゃなく那覇、金武、浦添、名護、普天間からも腕自慢の戦果アギヤーたちが参集していた。たくましい肝っ玉のつわものを集めて計画を練り、怠りなく準備をして、持ちきれないほどの物資を盗みだしたところまでは首尾も上々だったのに、いざ脱出というときになって警笛を吹かれ、米兵たちと鬼ごっこするはめになっていた。
「たいしたことあらん、逃んぎれるさあ!」
オンちゃんの叫びが、だだっぴろい空間にこだまする。
ここはとにかく広い。キャンプ・カデナ。なんといっても極東最大の軍事基地だから。
五百の野球場がすっぽり収まる敷地は、都市そのものだった。英語だけで記された標識や警告板、三千メートルを超える滑走路が一級河川のように東西を走っていて、そのまわりに大小の兵舎や格納庫や整備工場、将校クラブ、売店、緑地や教会、家族の住宅街がひしめいている。なにしろまるで土地勘がないので、抜け道にも飛びこめない(おかしな話だよな、コザ組にとっては地元のどまんなかなのに! グスクやレイにとってそこは陸続きの外国、アメリカ合衆国の何番目かの州都と変わらなかった)。
腹のなかの食べものの残りかす、足の裏ではじける小石、枝分かれしながら顔を流れる汗、それらのひとつひとつが生々しく感じられた。グスクとレイは、戦果をつめこんだ袋を揺すりあげながら、争うように、競りあうようにアメリカの土地を走った。
急く足をもつれさせたレイが、グスクの服をひっぱって体勢を立てなおし、後方に追いやった反動で前に出る。すかさずグスクはレイの後ろ髪をつかんで追いすがる。共倒れに転びかけながらふたりで罵声を浴びせあった。
「おまえが悪い。前の日に散髪するわ、豚足なんて調達してくるわ」
「おまえだって舐ってたやあらんね、グスク」
「知らんわけ? 普段にないことをするのは縁起が悪いのさ。しかも豚足なんて、逃げ足がちょん切られるやあらんね」
「豚足は悪くないさ、豚足はごちそうやさ。こんなときにいちゃもんつけて、おまえなんてさっき銃の音で目ぇつむってからに」
「おれがなぁ? はっはっ、つむるわけあらんがぁ」
「つむっていたさ、この腰抜け。むさ苦しい寝癖おったててえ」
こんなときでもグスクとレイは、罵倒合戦の火花を散らす。洟たらしのころから直らない悪癖も、好きになった女の数もたがいに知っている間柄だけど、アメリカーへの恨みつらみも浜遊びの楽しさも、拾った金で買ったコーンドッグも分けあってきた幼なじみだけど、コザでいちばんの男の親友として、はたまた実弟として、そのすぐ隣を走る〝最高の相棒〟の座は譲れなかったから。このときもオンちゃんが割って入らなかったら、後方の米兵たちめがけて相手を突き飛ばしかねない【仲の良さ】だった。
「かしまさんど、いまは寝癖も豚足もどうでもいいさ」オンちゃんがまくしたてた。「もたもたしてたらヨギの二の舞さぁね。このぶんじゃアメリカーは降参もさせてくれん。生きてようが死んでようがおかまいなしに一網打尽にするつもりさ」
大声でたしなめるオンちゃんも困惑を隠せていなかった。いったいどうなってるのさ! ほかの戦果アギヤーたちになじられても答えられない。だってこんなふうに追われているだけでもありえない。軍作業のトラック運転手になりすましたり、不良米兵を抱きこんだり、そういう不測の事態をまねきかねない計画は立てていない。どんなときでも〝金網破り〟の正攻法を崩さないのがオンちゃんで、単純なぶんだけその計画は崩れづらく、これまでに警笛や銃声に追われたことはただの一度もなかった。
それなのに、いったいどうして――
敷地のどこかで姿を見られたか、それとも基地への侵入経路が見つかったのか?
強奪計画を立てるとき、オンちゃんは〝生還〟を最優先にしてきた。破った金網を見破られないことにはそれこそ最大限の注意をはらってきた。
ところがこの夜にかぎってはどうだ。わけもわからないうちに追いたてられて、生死の瀬戸際を走らされている。まばたきひとつするかしないかのうちに、尻の穴をもうひとつ開けられても不思議じゃなくなっていた。
だだっぴろい基地のなかにいるのに、エイサーの響きがやまない。よくよく考えてみれば外の音がここまで聞こえてくるはずもないのに――グスクやレイの鼓膜の残響なのか。それとも精霊送りの夜に、あの世の門が開きつつあるのか?
銃声と呼び子、ブーツの音がつらなって、数方向からはジープやオート三輪の音も聞こえてきていた。十人強でつるんだ戦果アギヤーたちは、分散したり合流したりをくりかえしながら逃げつづけていたけど、標識はひとつも読めない。目安になる建物もない。広大な基地のなかはどの方位にも陸地が見えない大海原のようなもの。海図も羅針盤もなしに遭難しかけたグスクは船酔いのような眩暈をおぼえた。ほとんど吐きそうだった。
建物の角を曲がったところで、前方にあらたな追っ手が見えた。
あわてふためいて方向転換して、建物の反対側へと回った。
ところがその先の、分画網の向こうからも数台の車両が走ってくる。これじゃ挟み撃ちだ、戦果アギヤーたちはいよいよ足をすくませた。
だけどオンちゃんはちがった。こっちやさ! と叫びながら左手の格納庫へ走りだす。一行もあわててあとを追いかけた。閉めきられていないシャッターの隙間に滑りこみ、全員で内側から手動式のシャッターを下ろしにかかった。追いついてきた米兵たちが足や腕をねじこんでくる。服の裾をつかまれて、銃口が挿しこまれたところで、折り畳みナイフの刃を出したレイが米兵の手足をしゃこしゃことめった刺しにした。
最年少のちびすけながらそこはレイだ、子どものころからの拳闘ごっこのおかげで喧嘩は負けなし、手先が器用なのでナイフでも持たせたら無類の凶暴性をむきだしにする男さ。まんまと米兵たちを退けたレイは「いいこと思いついた」と航空機を指差した。「こいつをぶん奪って基地を出るのさ、兄貴!」
「このまぬけ、こんなものだれが操縦するかね」
「おまえ、なけなしの脳みそまでどこかに落としてきたなあ」
すかさず兄とグスクに一蹴されて、むー乗りたかったな、とレイは未練たらたらで航空機の翼の下を抜けた。反対側の通用口から飛び出しても、眼前にひろがるのはどこまでいっても異国の土地だ。故郷のまっただなかで遭難しかけたグスクとレイは、帰巣しそびれた伝書鳩のようなまなざしを漂わせるしかなかった。
「このぐらいまだまだよ、万策つきたわけやあらんが」
だけどオンちゃんはちがった。こんなのなんでもあらんと檄を飛ばし、それぞれの肩を叩いてまた先頭を走りだす。エイサーでいうなら旗頭を引き受けながら、地謡も太鼓打ちもいっぺんにこなしているようなものだ(ありえない離れ業ってことさ!)。オンちゃんのあとをグスクもレイもがむしゃらに追いかけた。オンちゃんの足は速かった。あまりの速さで、首にさげた魚の歯の飾りが後ろになびくほどだった(物心ついたころからそうだったよな、グスクもレイもその速さには目をくらまされっぱなしだった)。
地元でもいちばんの宴会好きと、はしっこい直情の荒くれもの、そんなふたりがこれまでの危難を〝なんくるないさ〟で乗りきってこられたのは、いざとなったらオンちゃんについていけるのはおれだけだという自負があったからなのさ。だからふたりとも、オンちゃんと自分のあいだに割りこんでくる悪友や愚弟に後れをとれなかった。もたつかずに並走して、尻ごみなんてしないことを証明し、走りながらおしゃべりだってできることを証明し、自分だけはどこまでも一緒に行けることを証明しなきゃならなかった。
「ここからはひとりも欠けずに基地の外に出るさ、いいなおまえたち!」オンちゃんが高らかに叫んで、並走する戦果アギヤーたちに視線を配らせた。
「おおっさ、このぐらいなんでもあらんがあ」グスクも叫びかえす。
「急がなきゃならん、あいつが待っているさ」
「あいつよ、待ちきれんでむくれとるねえ」
「ヤマコが待ってるど!」レイも鼻息を荒らげた。
あとどのぐらい走ったら、基地と故郷とを隔てる金網が見えてくるのやら。
目指すはヤラジ浜の方角だ。外の世界との境目で、男たちの帰還をヤマコが待っている。
最後にその美ら瞳を見たのが、遠い昔のことのようだった。
※1月16日(水)17時~生放送