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【第151回 直木賞 候補作】 『私に似た人』 貫井徳郎
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【第151回 直木賞 候補作】 『私に似た人』 貫井徳郎

2014-07-14 12:00
    樋口達郎の場合

     最初は、スマートフォンで見たニュースサイトで知った。
     またか、と思っただけだった。またテロだ。今年に入って何回目だろう。テロが始まったときこそびっくりしてニュースに敏感になっていたが、こう何度も続くとその状況に慣れてしまう。いいことだけでなく悪いことにまで慣れるのは、人間の特性か、それとも日本人の悪癖か。新たに起きたテロに対してこんな反応しか示さないのは、おそらく達郎だけではないはずだった。
     仕事帰りの電車の中だった。吊革にまりながらスマートフォンをいじっている人は、他にもたくさんいる。見慣れた光景。つい数年前まで、スマートフォンなんてものは存在していなかったとはとても思えない。社会の変化はいつの間にか起き、気づいてみればそれが当たり前になっている。スマートフォンもテロも、その意味では同じだった。
     自宅の最寄り駅で降りて、途中のコンビニエンスストアで弁当を買った。夕食なのでちょっと張り込み、四百八十円の唐揚げ弁当にする。体が脂っこいものを欲しているときは、いつも唐揚げ弁当に手が伸びる。奮発した結果が唐揚げ弁当でしかないことなど、もうなんとも思わなくなった。
     アパートに帰り着き、買い置きのウーロン茶をコップに注いで、弁当を広げた。スマートフォンのワンセグを起動し、机の上に置く。テレビは、地上デジタル化された際に処分した。新しく買い替える金がなかったからだ。テレビがなければに受信料を払わなくて済むので、かえって経済的だ。画面は小さいが、単に番組を見るだけならワンセグで事足りる。本当はワンセグでもの受信料を払わなければならないそうだが、テレビは処分したと言っただけで集金人はおとなしく引き下がってくれた。
     いつもの習慣で、まずはニュース番組にチャンネルを合わせた。いきなり、トラックがビルに突っ込む様子が映った。こうして映像が放送されているのだから、ドラマか映画だろうと思いかけたが、実際に起きたことだった。携帯電話やスマートフォンで気軽に動画が撮れるから、今や日本国民の大半がビデオカメラを持ち歩いているようなものである。こんな決定的シーンをたまたま撮影している人がいても、決して不自然ではないのだった。
     去年辺りから頻繁に起き始めた、《小口テロ》だった。世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むような、派手で大規模なテロではない。せいぜい今放送されたような、トラック一台でビルにぶつかる程度の局地的なテロが、日本のあちこちで起きるようになった。犯人同士のがりは、明確になっていない。がりはあると言えばあるが、たいていは当人たちに面識がないからだった。一部の犯人たちが、インターネットでやり取りをしたことがあるだけらしい。それだけでなく、単に尻馬に乗って犯行に走る者までいて、そうなるとがりなどまったくないのだ。
     テロ組織があるわけではなく、指導者の存在も確認されておらず、思想すら特に共有していないのが、《小口テロ》の犯人たちの特徴だった。それでも彼らは、自分たちを《レジスタント》と称している。社会に抵抗するレジスタント。彼らは抵抗するだけで、社会を変えられるとは思っていない。テロの先を見ていない。そんな新種のテロを、人はいつの間にか《小口テロ》と呼んでいた。
     女性リポーターがマイクを持ち、現場の前から実況していた。どうやら犯人は、トラックの運転席で死んでいたらしい。自爆テロならぬ、自損テロだ。だが、数名の人が巻き込まれて死傷したという。テロに狙われる理由などない、ごく普通の一般人が亡くなったり怪我をしたりしたのだろう。《小口テロ》の犯人たちには憤りを覚えるが、さりとて達郎にできることなど何もない。
     日本の至るところで起きている、ごく見慣れた光景だった。異常なことも、日常レベルで頻繁に起きれば、普通のことになる。誰もが電車の中からインターネットにアクセスするようなものだ。かつては映画や小説でしかあり得なかった未来が、今は当たり前の日常になっている。当たり前に起きるテロ。それに恐怖したのも最初だけで、もはやなんとも思わなくなっていた。そして、なんとも思わなくなっていることにも、何も感じなくなっていた。
     犠牲者の名前を、画面上で見るまでは。
     四・五インチの画面だから、表示された文字は小さかった。それなのになぜか、その名前だけが大きくなって目に飛び込んできたかのようだった。かつて何度も呼びかけた名前。相手の名字がいつか・口・になると夢想していた名前。達郎は我が目を疑い、思わずスマートフォンを取り上げて顔を近づけた。じっくり見てみても、表示されている名前は変わらなかった。
     実況しているアナウンサーも、被害者の名前を読み上げた。二番目に呼ばれた名前が、耳から飛び込んで頭蓋の中で反響する。目と耳から入ってきた情報が、何かの間違いだと思いたがる気持ちを否定する。被害者の名は、確かに・香月紗弥・だった。

     紗弥とは高校生のときに知り合った。同級生だった。在学中に一度しかない三年進級時のクラス替えでも一緒だったから、結局高校生活三年間を同じクラスで過ごした。互いに異性に対して積極的になるタイプではなかったから、三年という時間がなければ親しくなることはなかっただろう。一年のときにはろくに話もしたことがなく、二年になってちょこちょこと言葉を交わし始め、三年の学祭をきっかけに決定的に距離が縮まった。だから高校生活の思い出は、極端に濃淡がある。紗弥と親しくなかった頃の記憶は薄く、三年の二学期からいきなり濃密になる。思い出せば今でも、あの頃のやり取りひとつひとつが頭の中に甦るほどだった。
     達郎は当時、美術部に所属していた。といっても絵がうまかったわけではなく、運動が苦手だから消去法で選んだだけだった。音楽のセンスはないし、勉強の延長のようなこともしたくない。何かを創作するなら、文章を書くよりは絵の方がまだまともなものになりそうだ。加えて、美術部は女子部員の方が多く、高校男子特有の噎せ返るような汗臭さがなかったことも入部した理由のひとつだった。達郎はがさつな人が苦手で、おとなしい女子に囲まれていた方が安心できたのだった。
     紗弥も似たような性格だったが、所属していたのは吹奏楽部だった。紗弥は幼いときからピアノを習っていたので、優れた音感を持っていたのだ。後に達郎もピアノを習わなければならなくなったとき、紗弥にはずいぶん助けてもらった。曲がりなりにもいくつか曲が弾けるようになったのは、間違いなく紗弥の指導のお蔭だった。
     美術部と吹奏楽部では接点がまるでなかったが、学祭の準備という場が双方の力を必要とした。達郎たちのクラスでは模擬店を出すので、教室を改装しなければならず、そうなると美術部の出番だった。そしてそこはジャズバーのイメージということに決まったため、ピアノならぬ電子キーボードを弾くのは紗弥の役目となった。仕事内容は違ったが、一緒に居残りを続けるうちに、馬が合うことに気づいた。運動部ではなく文化部を嗜好し、大勢がいる場では決して目立とうとしないが、自分の役割は責任を持って全うする。性格の根本にそうした共通点があることを互いに見いだせば、親しみを覚えるのは当然だった。たまたま帰る方向が一緒だったことも、ふたりの距離を縮める一因だった。何度も一緒に帰るうちに、それぞれがそれぞれの特別な人になった。
     その関係は幸いにも、別々の大学に入っても続いた。達郎も紗弥も、学校の成績は底辺ではないが格別よくもなかった。だからふたりとも、そこそこと形容するのがぴったりの中ランクの大学に入った。基本的に真面目なので勉強はしたが、いくらがんばってもいまさら一流企業に入れないのはわかりきっていた。そこそこであるが故に、夢も持てない大学生活。達郎はそれを特に恨むことはなく、社会とはそういうものだとごく自然に受け入れていた。平凡に生きる道しか自分の前にはなくても、その道こそが最も達郎の望むことだったのだ。
     だから紗弥は、達郎にとっていいパートナーだった。紗弥にも、非凡なところは何もなかったからだ。容姿は、不細工とまでは言わないが目立つ顔立ちではまったくない。一度会っただけで紗弥の顔を憶える人は、よほど記憶力に恵まれているのだろう。達郎自身も、香月という同級生を認識したのは名前が綺麗だったからだが、それがどの人なのかはなかなか憶えられなかった。名前に似合わずずいぶん地味な人だな、などと失礼なことを考えていた。
     しかし、そこがよかった。派手な顔立ちや強烈な個性の持ち主は、自分には似合わない。地味な容姿と前に出たがらない性格こそ、達郎が最も愛する点だった。地味同士でも、ふたりきりでいるときには気持ちが浮き立つ。他の人には見せられない陽気な一面が、心の奥底から立ち現れてくる。達郎と紗弥は、何かというと互いのことを「地味だね」と称して笑った。地味だと言い合うことで、自分たちの距離感を確かめて安心していた。
     達郎は将来、保育士になりたいと思っていた。保育士といえば女性の仕事というイメージがまだ世間では強いが、人と争うことが嫌いで、男性社会に生きづらさを感じる自分にはぴったりの仕事だと思っていた。紗弥もまた、達郎の夢には諸手を挙げて賛成してくれた。
    『達ちゃんくらい保育士が似合う男の人は、世の中に他にいないよねー』
     紗弥はそんなふうに、目を細めて笑った。紗弥は達郎の夢まで含めて、好意を持ってくれているのだった。
    『乱暴なところがかけらもないしさ、優しくて小さい子が好きだし、気配りができるし、ホント、男の人とは思えない』
    『なんだよ、人をおかまみたいに言うなよ』
     達郎も笑って言い返したが、まったくそのとおりだと内心では同意していた。運動が苦手な達郎は体の線が細く、筋肉はほとんどないに等しい。身長も高くないので、女装映えしそうだとよく言われる。性同一性障害の傾向はないが、自分は女に生まれるべきだったと真剣に思っていた。
    『あたし、おかまの人とは気が合うかも』
     紗弥は達郎相手なら、そんな冗談も言った。達郎以外の人に対してでは、たとえ女性に向かってでも紗弥は冗談など口にできない。達郎だけが知る、紗弥の意外な一面だった。
     大学時代のデートはもっぱら、散歩がメインだった。お互いに金がなかったからだ。しかし散歩は楽しかった。紗弥と付き合い始めて、達郎は散歩の楽しさを知ったと言ってもいい。東京は散歩をするのに打ってつけの街だった。見所がたくさんあり、それぞれに表情が違う。毎週のように会って出かけているのに、見たいところは尽きなかった。紗弥も達郎も、賑やかな場所よりは風情のある地域を好んだ。谷中やかっぱ橋、清澄から門前仲町にかけて、それから柴又などがふたりのお気に入りだった。年寄りの街と言われる巣鴨にも、何度か足を運んだ。その他、六義園や浜離宮、新宿御苑、明治神宮などの庭園やそれに類する場所に行くのも好きだった。目黒の庭園美術館、青山の根津美術館、六本木の国立新美術館、それから上野の西洋美術館、東京都美術館などにはたくさんの思い出がある。回想すれば胸が温かくなり、同時に切なくなる思い出だった。
     紗弥の変化は、大学を卒業して社会人になった頃から始まった。社会に出て、化粧がうまくなったのだ。すると驚いたことに、紗弥は美しくなった。女はこんなに化粧で変わるものかと、最初は然とした。社会で揉まれた紗弥はもう、目立たないとか地味だのといった形容が似合わなくなっていた。化粧を落とせば以前の紗弥の顔に戻るのでホッとしたが、日中に一緒に歩いているときは別人のような違和感が常にあった。もっとも、紗弥自身はいっこうに変わらないし、すれ違った男が紗弥にちらりと視線を向けていくことに気づいたときは誇らしくもあった。達郎も若い男である。自分の恋人が美人であることには、恐れよりも満足感を覚えていた。
     達郎は大学在学中に保育士試験に受かり、卒業とともに保育士として働き始めた。男性保育士は必要とされる割に数が少ないので、就職には苦労しなかった。ただ、男性保育士に期待される力仕事や親との折衝ではあまり役に立たないので、当初はかなりがっかりされてしまったのだが。女性主体の職場でも浮くことなく、やがて溶け込めたのは嬉しいことだった。
     保育士の仕事はやり甲斐があった。子供たちは純粋にかわいいし、ひとりの人間が形成される過程に少なからぬ影響を与えているかと思うと、身が引き締まる感があった。元気いっぱいの子供たちの相手をするのはエネルギーを吸い取られるが、逆に寝顔の愛らしさに力をもらったりした。「好き」という言葉の裏に何もない子供たちの愛情表現に、何度感動させられたか知れなかった。
     子供を預けている親の都合で、残業をすることもしばしばあった。紗弥とデートの約束があるときに急な残業になってしまうのは残念だったが、そんなときは保育園まで来てもらった。最初は自分の恋人を職場に呼ぶことに抵抗があったのだが、他の女性保育士たちが強い興味を示して、ぜひ呼べと言ったのだ。その言葉に甘えて紗弥を招いてみると、保育士たちは絶句した。想像よりも、紗弥が遥かに綺麗だったからだろう。化粧がうまいんですよ、とも言えず、照れ臭いながらも自慢に思った。実際、紗弥は単に化粧がうまいだけでなく、もともとの顔立ちが整っていたのだとこの頃には思い始めていた。単に地味に装っていたから気づかなかっただけで、紗弥は最初から美人だったのである。
     ふたりきりのときにそんなふうに言うと、紗弥は顔を赤くして照れた。化粧のうまい先輩に教わったから元の顔立ちを隠せるようになっただけで、あの先輩にかかればみんな美人になる、と言うのだ。紗弥の言葉にはたいてい頷く達郎だが、このときばかりはそれは違うよと内心で反論した。紗弥は、おれの恋人は、やはり生まれついての美人なのだ。そう、誰に対しても言いたかった。
     紗弥の変化に恐れを抱かなかったのは、達郎が若かったせいではあるが、それまでの付き合いが長かったからでもあった。交際期間が五年にもなれば、信頼関係も強固になる。特に達郎と紗弥は性格が似ているだけではなく趣味も共通しているので、互いの考えることは手に取るようにわかった。いや、わかっているつもりだった。昨日まであったものが、明日も変わらずあると決めつけていた思い込み。社会に出て女性が何を感じるのか、達郎は想像してみたこともなかった。身近にいるのが達郎と同じ立場の保育士たちばかりだというのも、想像力を奪う原因のひとつだった。達郎の世界は小さい保育園の中で完結し、他の社会をまるで知らなかったのだ。決定的な変化が起きて初めて、そのことに気づいた。それが遅すぎたことを悔いても、もうどうにもならなかった。
     まずは、保育園に来なくなった。達郎に急な残業が入ると、『じゃあ、また今度』と断るようになったのだ。達郎はそれを、他の保育士に冷やかされるのがいやだからだと解釈した。実際は冷やかされたのは最初だけで、以後は単に客として接してくれていたのだが。
     それから、週末の誘いもたまに断られた。理由は様々で、体調が悪いとか、会社の友達と約束があると言われれば、納得せざるを得なかった。振り返れば、この頃から紗弥の気持ちの変化には気づいていたはずだが、あえて目を逸らしていたのだった。紗弥が自分から離れていくことなどあるわけがないと、頭から決めてかかっていた。
     会っているときにも、言動が少し変わった。将来について言及することが増えた。それは結婚を具体的に考え始めたからだと、達郎は受け止めた。むろん、達郎も将来については考えたい。だが現状の給料では、来年や再来年にというのは無理だった。残念なことに、保育士の給料は仕事内容に見合わず少ないのだった。

    ※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。

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