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  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第2部官僚の壁 vol.15 「面従腹背」(琉球新報提供)

    2014-04-04 10:08  
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    面従腹背 涙を浮かべ、就任わずか8カ月余りでの退陣を表明してから約3年。元首相の鳩山由紀夫はことし5月、国会議事堂周辺の事務所でくつろいだ様子を見せた。苦悩に満ち、うつろな目をしていた在任終盤の表情はない。 昨年11月、首相野田佳彦が衆院を解散したのを機に、26年身を置いた政界から引退した。今は国内外での講演活動をする一方、自身が3月に立ち上げた「東アジア共同体研究所」の活動として、沖縄の基地問題を含めた外交・安全保障などの分野で積極的に意見を発信している。 鳩山は2010年6月、普天間飛行場の辺野古移設回帰を受けた社民党の政権離脱や「政治とカネ」の問題の責任を取り、首相を辞任した。指導力を発揮できず、場当たり的な普天間問題への対応には「稚拙」「迷走」「失政」などと厳しい批判を浴びた。大きな挫折感を味わった。 だが退陣後は講演会などで首相時代の普天間問題の内幕を明かしている。「辺野古に戻してしまった後悔の念がある。この問題は決着していない」。発言を続ける理由だ。 県外移設を実現できなかった原因に自信の力不足を挙げた上で、外務、防衛官僚らが「県外」の方向で努力しなかったと率直に指摘している。 10年4月。首相在任中の鳩山は自らが設定した「10年5月末」の普天間飛行場の移設先決定の期限に向け、じりじりと追い詰められていた。期限まで2カ月を切っていた。 政権交代を果たした09年8月の衆院選では普天間移設の「最低でも県外」を掲げた。政権発足後、移設先探しを担った官房長官平野博文は、