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記事 10件
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.10 「海兵隊削減」(琉球新報提供)

    2014-03-29 10:00  
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    海兵隊削減 10月21日。米ワシントンでの講演で、海兵隊の配置計画を担当する少将マッケンジーが危機感を吐露した。国防長官ヘーゲルが海兵隊を現在の約19万5千人から最小15万人まで減らす可能性に言及したことについてだ。「15万人なら危険なほど小さな力になる」 ヘーゲル発言に先立つ6月、海兵隊は自ら18万人4千人にまで削減すると説明していた。だがこの日マッケンジーは「15万人」には反対する一方、国防総省の事務方が検討している17万4千人案を受け入れる考えを示した。 国防費削減に伴う米軍の兵員削減計画に基づく海兵隊への圧力がさらに強まり、踏み込まざるを得なかった形だ。 米政府関係者は海兵隊は15万9千人にまで減らす選択肢もあるとしている。最終方針は決まっていないが、大幅な削減案が実施されれば、在沖海兵隊の再編にも大きく影響する可能性がある。 普天間飛行場の県外・国外移設を求める多くの県民にとって、海外基地の検証を含む海兵隊の削減・再編の流れは大きな好機だ。だが日本国内では政府が沖縄に「辺野古が嫌なら固定化」と二者択一で移設容認を迫り、米国内でくすぶる移設計画の「プランB」(代替案)の可能性をかき消している。  10月、日米のシンクタンクなどが 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.9 「海兵隊の影響力」(琉球新報提供)

    2014-03-28 13:53  
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    海兵隊の影響力 少し古いが、米海兵隊の政治力を象徴する話がある。 1989年、海兵隊への導入を目指していた開発段階の垂直離着陸輸送機オスプレイの初飛行があった。だがオスプレイは91年、92年に合計死者7人、負傷者2人を数える墜落事故を立て続けに起こす。ヘリコプターと固定翼機の機能を併せ持つ複雑な構造のオスプレイは安全性に疑問がもたれていた。そして、開発費は高額だった。 当時のブッシュ(父)政権の国防長官、ディック・チェイニーはそれらの理由から開発を中止しようとした。 これに対し開発を維持したい海兵隊側は「都合の悪い情報は報告するな」と試験飛行部隊に支持し、計画続行のロビー活動を大展開する。これらが功を奏し、米政府・議会も一緒になった「軍産複合体」は開発の継続を決めた。 チェイニーは繰り返しオスプレイの計画中止を試みるが 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.8 「共同体構想の背景」(琉球新報提供)

    2014-03-27 09:52  
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    共同体構想の背景 米側が敏感に反応し、「米国外し」と強い不信を抱いた首相鳩山由紀夫の「東アジア共同体」構想とは、どんな考えだったのか。 首相就任から13年前の1996年。旧民主党を設立した鳩山は同年11月、月刊誌「文芸春秋」に「民主党 私の政権構想」との題で寄稿する。 当時、沖縄県が打ち出していた、2015年までに全ての米軍基地を返還させる基地返還アクションプログラムと、跡地利用を中心に沖縄を東アジアの交易・交通拠点にする国際都市形成構想に触れた上で、こう述べた。 「沖縄の米軍基地が返ってくることを可能にするようなアジアの紛争防止・信頼醸成の多国間安保対話システムをどう作り上げていくか」 「活力にあふれ、ますます緊密に結び付きつつあるアジア・太平洋全体を、日本が生きていく基本的な生活空間と捉えて、国連、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、東アジア、東南アジア諸国連合(ASEAN)および北東アジアすなわち環日本海という重層的な多国間地域外交をこれまで以上に重視」 後の東アジア共同体につながる考えには沖縄が大きく関係していた。「常時駐留なき安保」の持論も背景に、2009年8月の衆院選で鳩山の口から普天間飛行場の「最低でも県外」発言が飛び出す。 だが鳩山の「東アジア」構想は 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.7 「圧力の裏側」(琉球新報提供)

    2014-03-26 10:45  
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    圧力の裏側米国防長官ロバート・ゲーツの態度は、明らかに日本政府へ圧力をかけようというものだった。日本の民主党政権が誕生してから約1ヶ月後の2009年10月20日、外務省で外相岡田克也と向き合ったゲーツは、報道陣の冒頭撮影が終わる前に、いきなり本題を切り出した。 「われわれは米軍再編の実施を約束している」 会談の約35分間、笑顔は一切なかった。「現行案は日米が長い時間をかけてさまざまな選択肢(オプション)を検討した結果、唯一実現可能なものだ」「日米合意に従い、米軍再編の着実な実施が必要だ。できるだけ早期に結論を出してほしい」。普天間飛行場を名護市辺野古へ移設する日米合意案履行を迫る言葉を繰り返した。 翌21日の首相鳩山由紀夫、防衛相北沢俊美との会談でもゲーツは現行計画の早期履行を要求する。さらには会談後の記者会見で、 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.6「東アジア共同体」(琉球新報提供)

    2014-03-25 11:50  
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    東アジア共同体各国の首脳らが集う国連総会で2009年9月24日、米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長のジェフリー・ベーダー(当時)は一般討論演説を苦々しく見ていた。登壇していたのは、その日が外交デビューとなった日本の首相鳩山由紀夫。 鳩山は高揚感に満ちあふれた表情で「日本が懸け橋となって挑むべき5つの挑戦」を掲げた。最後の一つに挙げたのが「東アジア共同体の構築」だった。アジア太平洋各国にとって安全保障上の危険を減らし、「経済的なダイナミズムを共有し合う」ことは大きな利益になる、と訴えた。 ベーダーはその場で周辺に 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.5 「基準」(琉球新報提供)

    2014-03-24 09:45  
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    基準 会場の名護市民会館のガラス越しに、詰め寄った市民らの怒声が届く。窓の向こうには「怒」の文字が書かれた数多くのプラカードがかざされていた。 2010年5月4日。米軍普天間飛行場の県内移設への方針回帰を伝えるため、就任後初来県した首相鳩山由紀夫は、騒然とする中、名護市長の稲嶺進と向かい合った。 鳩山は直立したままだ。 「県外移設をさまざま模索したが、やはり(ヘリコプター部隊と)陸上部隊の共同行動がどうしても必要との議論が先方(米国)からなされている。あまり遠い所に移設地を求められない」 念頭には、米側から約2週間前に示された普天間を県外移設する場合の距離の「基準」があった。 09年8月の衆院選で代表の鳩山率いる民主党は308議席を獲得する圧勝で政権交代を果たす。沖縄での党公認候補の応援演説で鳩山は普天間移設をめぐり「県民の気持ちが一つならば最低でも県外」と発言、公約として受け止められた。 新政権発足後、県外を含めた新たな移設先を検討するが、沖縄から離れた本土には飛行場と演習場を一体的に移す必要があるとの認識に縛られ、作業は難航した。 鳩山は自ら決着時期と定めた「10年5月末」が迫る中、本土と比べて沖縄の演習場から近い、鹿児島県徳之島への移設案にいちるの望みを託す。 「徳之島を全力で追及したい」。同年4月2日。関係閣僚会議でこう明言し、政府は徳之島を軸に対米交渉と地元調整を進める方針を固めた。だがその半月後、在日米大使館で行われた米側からの説明で希望は打ち砕かれた。 米側の説明について書かれた政府の内部文書には、演習場のある沖縄からヘリコプター部隊を移転する場合の条件として 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.4 「『死んだ』移設案」(琉球新報提供)

    2014-03-21 09:30  
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    「死んだ」移設案米軍普天間飛行場の返還・移設問題に当初から関わってきた元国務副長官アーミテージが、2010年1月に名護市辺野古移設に関して「米国は『プランB』(代替案)を持つべきだ」と発言した翌月。北海道大大学院教授の山口二郎は札幌市内のイタリアンレストランで駐日大使ジョン・ルース(当時)と会談していた。ルースが北海道を訪れる機会に、在札幌米総領事館が民主党に近かった山口を夕食に誘った。 自然と普天間問題が話題になった。鳩山政権の県外移設探しが行き詰ったところで、「米国の本音はどうなのだ」と、山口は尋ねた。ルースは答えた。「『どの党の政権であれ、日本政府として外国の政府と結んだ合意は着実に実行しなければならない』と、鳩山政権ができたときに、言おうと思えば言えた」 山口の耳に「Could have said(言えた)」の句が残った。日本も民主主義の国であり、新政権の言うことを米国は聞く必要がある、との認識をルースは示した。その上で「ボールは依然として日本側にある」とも強調した。〈米側は、結果は別としても、提案があれば聞く用意があるのははっきりしている。こうしたいと日本政府側から米側に伝えていないのではないかと懸念していたが、案の定そうだった〉 山口はそう思った。だが、その後も民主党政権から米政府に県外移設を正式に提案することはなかった。 鳩山政権が・・・・ 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ             第1部米国の深層 vol.3「プランB」 (琉球新報提供)

    2014-03-20 09:55  
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    プランB 民主党政権が米軍普天間飛行場の県外移設を模索していた2010年1月15日、米ワシントン市のウィラード・インターコンチネンタル・ホテル。公開討論の壇上、元国防長官のウィリアム・ペリーらと並んで座った知日派の重鎮、元国務副長官リチャード・アーミテージが、両肘をテーブルにつきながら普天間移設について口を開いた。独特のしゃがれ声が響く。 「われわれは少し深呼吸すべきだ。日本がどんな決断を下しても同盟関係は続く」。普天間移設で日本側のあらゆる決定を尊重しなければならないということを示唆していた。参加者の中に米太平洋軍司令官キーティング(当時)、元国防副長官ウォルフォウィッツらの姿も見える。「長く待っても辺野古に関してポジティブ(肯定的)な結果が出るとは思えない。時間がたつほど状況は厳しくなる。米国は『プランB』(代替案)を持つべきだ」。アーミテージは代替案でも米軍の軍事的要求に応えることは可能だと強調した。 ホテルでは日米両政府の外交、安全保障担当者、軍関係者、専門家ら270人以上が集まり、日米安全保障セミナーが開かれていた。ホワイトハウス近くの同ホテルは 
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ              第1部米国の深層 vol.2 「本音」(琉球新報提供)

    2014-03-19 09:15  
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    本音 9月。訪米した県選出衆院議員の国場幸之助は国防総省日本部長のウィンターニッツと向き合った。米軍普天間飛行場の辺野古移設について意見交換するためだ。面談相手はワシントンの日本大使館が設定した。会談後、国場は「辺野古のプランB(代替案)はないと言われた」と漏らし、落胆の表情を見せた。 移設先をめぐって米議会や有識者の間には多様な意見があるが、米政府当局者に限れば、辺野古が「普天間の継続使用を避ける唯一の選択肢」と固定化をちらつかせて移設を迫る向きも少なくない。沖縄への差別的発言で国務省日本部長を更迭されたケビン・メアのように今も「辺野古に移設しなければ普天間は残る・選択肢は2つだけだ」と力説する関係者もいる。 しかし米国にとっても、固定化は避けたいのが本音だ。十数年間、普天間をめぐる実務交渉の主役の一人だった前国務次官補のカート・キャンベルは
     
  • 日米廻り舞台 検証フテンマ              第1部米国の深層 vol.1「2人の知日派」 (琉球新報提供)

    2014-03-18 13:40  
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    2人の知日派11月中旬。米ワシントンの事務所のいすに腰掛けた前米国務次官補のカート・キャンベルが語った。「われわれは既に、この問題についてさらに前に進もうとするのか、それとも異なる方向の行動を模索するのか、考える局面にたどり着いている」