1:自民党の杉田水脈)衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張した問題で、きっかけとなった寄稿を掲載した月刊誌「新潮45」が「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」とする企画を10月号で掲載する。寄稿をめぐっては、人権侵害などとして撤回を求める声や批判があがっていた。
18日発売の10月号では、新潮45編集部が、8月号に掲載された杉田氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」について、「見当外れの大バッシングに見舞われた」と説明。「特別企画」とうたった1ページ目に、「主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に」染まったと書き、「LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考」を届けるとしている。論考は、教育研究者・藤岡信勝氏の「LGBTと『生産性』の意味」、文芸評論家・小川栄太郎氏の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」、元参院議員・松浦大悟氏の「
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>>15
私は私の考え方をコメントしています。どちらにもくみしないし、どちらも否定しないといっています。この考え方がわからないようで、日本人なら簡単に理解できることと思うのですが、全く不思議でならない。少数派で構わないのですが、そんなことにこだわっていません。日本民族が、般若心経で唱えている日本人の心と違うものでありません。また、中国で言えば、老子等の思想と異なるものではありません。なぜ、わかっていただけないのか、残念でならない。致し方ないのでしょう。わからない人はいくら説明してもわからないようだ。
>>14
「種の継続性を主張してLGBTを否定する」のは間違いだと言っているのであって、「種の継続性そのものに反意を、、」なんて私は言ってない。どうもあなたは日本語を理解してないみたいですね。言っておきますが、私は種の継続性についてはすこぶる肯定的であるし、LGBTの存在についても同じように劣らず肯定的であるのです。これが正しい生き方ですよ。
杉田氏の問題になった文章は、
「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります」
「しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。
そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
というものです。
これは、
1,LGBTカップルには生殖生産性がない(子供を産めない)。
2,(限られた)税金を使うのなら優先順位として、LGBTのカップル支援よりは子育て支援や不妊治療支援等に使うべきだ。
という主張だとおもいます。1は現代科学のレベルでは客観的事実だし、2は政策の優先順位として、もちろん反対の人はいるでしょうが、ひとつの意見だとおもいます。
また、月刊誌の低迷について孫崎さんは、「リベラル・中道というものはほとんど存在しない」と書き、思想潮流の問題ととらえているようですが、そもそも新聞とおなじく
月刊総合誌などは老人にしか売れない商品です。とくに問題になった小川氏の文章は(わたしも取り沙汰された一部しか読んでいませんが)、非常に低レベルなものです。
新潮の編集者は、老人にはこの程度の文章を与えておけば、売れるのではないかと思ったのかもしれませんね。
わたしに限らず、比較的若い世代はバカはきらいなので、こういう低レベルなものはまったく支持できません。
それにしても、比較的最近、シャルリー・エブドのときに、サヨクの多くはボルテールを持ち出すまでもなく、表現の自由を擁護していたとおもいます。
当時、しばき隊的なものが出現しはじめたころだったと思いますが、サヨクのなかでも、しばき隊的なものに近い人は、ムスリム擁護をおずおずとしていた。
あれから、しばき隊的なものが広く蔓延し、影響をうけやすい人たちが、すっかり影響を受けて劣化してしまったのだなあと確認したおもいです。
>>17
あれ、驚いた。私が、NO.6でコメントしていることと同じではないか。
再度言えば、LGBTの「存在性」を否定しないが、「種の継続性」も否定しない。どちらも間違っていない限り、逃げかもしれないが、どちらにも与しない。どちらも認めていくしかないでしょう。
NO。20の、NO.6といっているのは、NO.8の間違いです。
>>21
1.種の継続性を唯一のものとして尊重しLGBTを否定する立場。
2.種の継続性の重要性を受け入れ且つLGBTの存在をも受け入れる立場。
上記で私と同様にあなたはどうも2の立場であることは推測できるのですが、この件で肝の課題である1.の立場に、あなたは賛成なのか、賛成しないのか、ノコメントなのか、旗幟を鮮明にしなさいと言っている訳なんですが、お分かりになりますかな。
>>22
ご指摘の通りです。あえて、遺伝のことをコメントしたので、ご理解いただけるかと思いましたが、「1」の立場は一切コメントでも言っておりません。両方を並列的にコメントしています。
>>23
なるほど。あなたは面白い人ですな!
「ポリコレ棒」というのがあります。わたしは、しばき隊のひとりが、木製バットの全体に釘を無数に埋め込んでいるものを「ポリコレ棒」と称して威嚇的に持ち歩いているのを写真で見たのがそれを知った最初です。もう、わりと前のことになってしまいました。
今では意味が抽象化して、具体的な棒ではなく、主にサヨクらが「自分の正義を、意に沿わない他人、それも藁人形論法で変形され類型化された他人に押しつけ、(比喩的に)殴りつけるために使う一連の価値観」が総称されて「ポリコレ棒」と呼ばれていたりしますね。
学生運動華やかなころに「ゲバ棒」というのがあったそうですが、抽象化された「ポリコレ棒」は、体力の衰えた老人でもぶんぶんぶぶんと振り回すことができて、愛用者が多いようです。
杉田氏は、今回ポリコレ棒でなぐられるちょっと前に、サヨク学者の科研費の使いみちについての問題提起をしていました。学問の自由がありますから、科研費の使いみちを政治的立場から云々するのは勿論ご法度ですが、そもそも学問といえることに使われているのかどうかという提起を具体的にしていたとおもいます。
そしてこうなってしまったわけですね。
三島由紀夫はLGBTの用語でいえばゲイでした。別にLGBTなら左よりというわけではありませんし、LGBTを政治的立場と結びつけるのが、そもそもどの論者にとっても無理があるとおもいます。
しかし、なんらかの補助金利権をLGBTに関連してつくるのは、政治的立場が左よりのひとの得意とするところだと杉田氏は認識したのでしょう。補助金利権を攻撃するつもりだったが、LGBTのひとびと自体を攻撃していると藁人形をつくられてしまったのだろうとわたしは思っています。そんなふうに目をつけられる直接の原因が科研費(もちろん公金です)問題への取り組みだったのでしょうね。慰安婦問題の嘘にも積極的に取り組んでいましたし。