私は羽生善治氏の著作はかなり読んでいる。
厳しい勝負の世界で、長年、第一人者の座を自らの力で持ち続けるのは大変なことである。
『捨てる力』で気になった記述を記してみたい。
・将棋では自分が蒔けたことを誰のせいにも出来ない。そのため自己を律する心、
・根っこにあるのは、自分で決めたことを思い切ってやること。「運命は勇者に微笑む」。小学生に「挑戦する勇気」。
・相手に個性を引き出してもらいながら自分の可能性に挑戦、
・「通用した」は事実ですが、これからも通用するかわからない。通用したものと違うやり方を見つけること、「今は最善だけれど、それは今の時点であって“今”はすでに過去」
・守りたければ攻めなければいけない、負けない手をさしていても勝つことは出来ない。
・時には、ブレーキから足を外してガムシャラに「行け!」が必要
・敗北に対してどうやってダメー
コメント
コメントを書く小さい頃将棋をやっていたので羽生の強さはよくわかります。長い間王者であり続ける羽生は天才と称されて当然です。ただ少し思うのは、羽生が10代の頃羽生世代の森内や佐藤と「チャイルドブランド」といわれて、中原や米長たちを蹴散らかしていました。彼らの将棋は深い読みに裏打ちされていて、「〜流」と称される個性豊かな将棋をデジタル脳が駆逐していったのです。今の若い人の将棋は概して強く、あの世代の人間は絶対に太刀打ちできません。データーは蓄積され、情報についていけない人間は勝てません。そしていまやコンピューターソフトがプロを脅かす時代です。羽生や森内や渡辺といった超一流が敗れる日もそう遠くはないかと思います。そういう時代に羽生がこういう本を書くというのが、なんというかある意味感慨を感じます。いいとか悪いとかそういうことではありません。
ゲームと人生は違います。ゲームにはルールがあり勝ち負けがあります。原理的には、先手必勝か後手必勝か最善を尽くせば引き分けか、結論は決まっています。でも人生には勝ち負けはなく、また何が最も大切なのかも人によって違うでしょう。羽生は「将棋人生」から抽出したエッセンスを言葉にしたのだと思います。なんというかゲームのような人生からは早く卒業すべきだと思いますね。
私はとても下手ですけど、囲碁も将棋もやります。最近は専ら将棋です。ニコニコ動画で観戦するのが最高の楽しみの一つです。電脳とプロの試合もとても好きです。
最近電脳が優位に立っています。その背景には、将棋の伝統的な戦術、戦略、哲学を全面的に否定したところからプログラムを作らざるを得ない宿命が電脳にあることらしいのです。つまり、電脳は一手一手をゼロから考える。歴史、前例に沿って、つまり弁証法的に考えがちなプロとは電脳は根本的に違うと或るプロが話していました。
羽生さんは電脳に最も近い頭脳を保有している偉大な棋士だとそのプロは話していました。
将棋のプログラムは作った経験がありませんが。
ある時点の状況では「何をもって最適なのか」が判断できませんから、
遺伝的アルゴリズムのような「最適化問題」とは違う。
だとすると単純な「ルート検索」の問題であり、これって、
単純な再帰アルゴリズムとコンピューターのパワー(速度、記憶容量)
さえあればできそうな気がするのですが、そう簡単な話ではないのかな。
分岐するルートの数が無限にあり過ぎて、ディスク容量に限界が来る
だろうし、ある程度プログラムの制作者が条件分岐を入れてやらないと、
再帰スタックを保持するのが困難だろうか。
少なくとも、プロと対決する場合、「定石」のような「パターン化」は
あまり意味を持たないと思う。
おそらく、プログラマー側は、棋士とは間逆の発想(推論)が必要で、
如何に不要・無駄なルートを潰して、コンピューターの負担を減らすか
が肝になる気がする。
その場合、戦況(有利、不利)を何かの基準で定量化する必要があると
思うが、何を変数とするのだろうか。
まあ、将棋プログラムなど沢山転がってるので、
わざわざ作る気もないですけどね。
でもそう考えると、人間の頭脳って凄いですね。
目先の問題を処理することだけでなく、処理した経験から副産物として、
さらなる高次の哲学(=経験則)まで生み出すことができる。
将棋ソフト開発ではポナンザの山本一成さんとかツツカナの一丸貴則さんとか、若い人たちが頑張ってますね。彼らからは一様にオートクチュールのファッションデザイナーのそれみたいな優しい性格が見てとれます。
羽生さんはいずれ電脳がプロに追いつきそして負けるようになるだろうと10年くらい前に話したらしいですけど、今まさにその予言通り追いつかれた状態らしいです。勿論、私の認識が間違っているかもしれません。
まー、しかし、人間の頭脳は偉大です。これは間違いない。ハイデッガーの哲学、ニーチェの哲学、アインシュタインの一般相対性原理、ジェームス・ジョイスのユリーシーズ、フィネガンズ ウエイク、中里介山の大菩薩峠、こういうものが分かると言う人がいるのに、凡な私には分からない。そういうものを人間は創れるのですから。
孫崎さんの言いたいことは何だろうか。
外交交渉など交渉事は、相手の長所短所を的確に見る目を養い、信念をもって相対することが大切と言っておられるのだろうか。相手を知らずして有利な展開が望めない。冷静な理性が求められるのでしょう。今、政治家とか、官僚など社会的リーダーにもとめられる大切なことなのではないか。
>>4
フレデイさん、結構詳しいですね。昔AI将棋で遊んでいましたが、そのころでもアマ5〜6段はありました。最近の将棋のソフトにはプロの棋譜がすべて入っていると思います。序盤は一から考えるというようなことはコンピューターもしていないと思いますね。プロの世界でも今では80手まで同一局面があるなんて結構あることです。今までと違う手をさすと新手と呼ばれて話題になります。逆に終盤はコンピューターはすべての手を読むので無敵です。終盤まで互角で進行すれば、プロでも多分羽生でも、絶対に勝てません。勝ちがあれば絶対に逃さないのです。秒読みで時間に追われる人間と、すべてを読み切っているコンピューターとでは勝負になりません。
昔、ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズウェイク」を読みました。日本語だったので「フィネガンズウェイク」はさっぱりでした。どうして彼が20世紀最大の作家なんてしょうね。ただの酔っぱらいのように見えますが。ただ「意識の流れ」と言う概念は確かにあるなと思いました。それは思考方法を変えるし、文体を変えるし、言葉を失っていくし、そして人間を変えてしまいます。問題はユリシーズのように自らの足でたてる岸辺にたどり着くかどうかだと思います。
>>6
nakaBBさん、返信ありがとうございます。私は人の話を聞いて勝手に自分流の認識を作り上げてしまう悪癖があり、家人からも批判されています。「将棋のソフトにプロの棋譜が全部入っている」は私にとって新しい識見になりそうです。
ジョイスの文学をかじり始めたは年齢が60台になってからです。確か雑誌で英文学の研究員たちがジョイスの文学は大変難しいと言っているのを読んで天の邪鬼の性格も手伝って挑戦し始めました。挑戦をずっと続けていきたいと思ってます。
>>5
younghopeさん。確かにおっしゃる通りです。孫崎先生の狙いは将棋の話じゃないと思いますね。将棋の話に入り込んで失礼しました。
以下は私の独断です。孫崎先生のいくつかあるテーマの一つが外交や戦争を進めるにあたって情報が先か、戦略が先か、どちらなんだ、という疑問に解答をどう与えるか、だと考えます。孫崎先生は戦略を優先すると正しい情報が歪められることがあり、情報が戦略の上位にあるべきだとのご主張をお持ちだと思うのです。外交はゲームの一種でもありますから、ゲームである将棋の大家である羽生さんの箴言を興味をもってご覧になっていると思うのです。
ただ、私の頭は粗雑ですから、残念ながら、羽生さんの箴言が外交ゲームにどう絡むのかコメントする能力を持ち合わせていません。そんなことから電脳の話に入り込んじゃいました。
>>8
情報が戦略に先行するのは、「問題解決の基本」ですね。
情報システムの構築にしても、まずは現状分析による現行業務や
既存システムにおける問題点の把握から入ります。
それでから問題の解決方法を考案し、実現および運用方法を検討する。
技術論文にしても、特許明細にしても、書き出しは既存技術(手法)
の問題点を挙げるところ(現状分析)から入りますしね。
ただ、実は深い意味はなく、先生がただ将棋がやりたくなった
という理由だけだったりして・・。(笑)
>>8
天邪鬼というか、常識的な物の見方考え方にとらわれることを嫌い、人と違った物事の本質を見るように努めています。人の書いたものをそのまま己の考え方とするのを嫌っているわけは、何故なら、起点に偏向性があり、発展性が乏しく、書いた人の思考領域に停滞することになってしまうからです。私の物の見方考え方に基づきつぶやいただけですが、私の思考性に付き合っていただき恐縮しています。ありがとうございました。