先日のパリでの悲劇的なテロについて、ここのところ毎日考えていた。その前日にベイルートとバグダッドでもテロが起きていた。それぞれ43人と45人の死者数を出したとされ、負傷者の具合によってはあがるかもしれない。その2週間前にはロシアの旅客機がエジプトで爆弾によって墜落していた。
集中した期間でIS(通称イスラム国)が引き起こしたテロなのだから一連の事件とみていいのではないか、フランスの被害者に追悼の意を表明するのであればこれらの人々の死も同じ重みでとらえるべきだ。そういう意見を見た。その視点は非常に大切だと思う。
この2週間に制限しなければどうなるだろう。パリテロの数日後気になって調べた。イラクでここ4週間、IS犯行とされるテロ事件は先述のほかにも3回はあり計32人の死者がでている。今年に広げると、西側諸国で報道されているイラクでのISテロは少なくとも20回あり、総死者数は45
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「合理性」と言う事の明らかな限界を見据える、心を育てる事以外に、人類が生き延びる道は無いのでは?と思います。
当然のことながら、死んだ人たちは、言葉を発することがない。死んだ人たちに、どのような感情移入するかは、その人の、常に考えている世界によって,個々異なってくる。
西欧側だけを見ていれば、西欧の死者が最大の問題になる。イスラムの世界から見れば、イスラムの死者が、最大の問題になる。西欧だけでなく、イスラム世界だけでなく、世界全体を見ている人にとっては、テロがなぜ起きるのか、テロの原因がいかなるものか、どうしたらテロがなくせるかということになる。テロにとらわれることなく、対峙するのでなく、犠牲者に対し悲しみが深くなる。言語表現では難しくとも、「広い深い豊かな普遍的慈悲の心」すなわち「宗教心」が求められるのでしょうか。
In Other Words=Fly Me To The Moonは大好きな曲ですが、似ても似つかない内容で...
しかし、もしかすると孫崎(享)さんのように「本音をズバリ言ってこそ」-という含みもある気が致します。
左右社の「玲の南カリフォルニア便り」に以下の文章を見た。TPP]の恐ろしさを実感する。
古本屋のおばさんは、瞳こそキラキラしていたけど、失礼ながら、全体的に健康状態がよくなさそうであることが気になった。健康にトラブルがあるといっていた。一般の国民の食生活の悪さも30年遅れのインフラ整備と並んで新世紀アメリカの現実だ。まず、食品規制が恐ろしく緩いから、肉類とかオーガニックでない野菜は気を付けないと恐ろしい量の抗生物質と農薬を摂取することになる。
>>1
確かに別の世界といってしまうこと自体合理的思考の限界を示しているのかもしれませんね。あるいは「いいかえれば」というフレーズが指し示すようにそれは現実の写し鏡なのかもしれません。どちらがどちらに作用するのか、もちろん等価なのでしょう。
詩の内容はあまりピンとこないものな多いけれど、一番さんのいうように合理的思考というより、現実にしがみつこうとする習性からはなれなさいといっているようないっていないような。手塚葵が「岸を離れる日」という谷山浩子の曲を歌っている。この歌には実は隠れ3番がある。最後のフレーズに「離れてそしてもう一度巡り会うための長い旅」というのがある。合理主義というものが何かを切り離してきたとしたら、現在はその切り離されたものにもう一度出会う段階に入っているのかもしれない。テロとの戦いなど切り離しの思想の典型だ。戦うならもっと違う意図を持って毅然と戦わなければならない。
私はこのエッセイを読んでピカソの「ゲルニカ」を連想しました。
ドイツ・ナチスのヒトラーがスペインのファシスト・フランコ政権を支援するためにゲルニカ無差別爆撃を行った。自由と民主主義を求める多くの若者がスペインに入国し内乱に参加した。その一人が米作家のアーネスト・ヘミングウエイ。ピカソはこの爆撃に激怒し「ゲルニカ」を描いた。ゲルニカは芸術として今も尚高く評価されている。
孫崎 玲さんのこのエッセイは中東で進行中の戦争をピカソと同じ動機で書かれたものだと私は感じます。この戦争は明らかに米国とイスラエルがシリア攻略の為に仕掛けた戦争なのに西側のメデイアをフォローする限り何が何だか分かりません。そして、何故かISというデーモンがスペイン風邪のように中東を飛び出し世界を徘徊しています。孫崎 玲さんのエッセイはそういう摩訶不思議な戦争を言葉で描ききったもので芸術まで高まっていると私は高く評価したい。