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αシノドスvol.110、藤村龍至×南後由和 / 建築と社会学の新しいアドレス、ほか
2012-10-15 19:22262ptはじめに 荻上チキ
■こんにちは。ここしばらく、10月から11月に立て続けに発売される新刊3冊の発売と、いじめ対策サイト「ストップいじめ!ナビ」の作成などに集中する日々が続き、うわ言のように「温泉……温泉……」とつぶやいている荻上チキです。「αシノドス vol.110」をここにお届けいたします。
■今号も刺激的なコラボレーションが目白押し。トップ記事では、建築家・藤村龍至氏と社会学者・南後由和氏の対談を紹介。建築の役割が「建物をつくる」ことから徐々に変わってきたのではないかと指摘される機会も増え、「場所」という概念の再解釈が活性化している中、両氏がこれからの建築の役割をいかに捉えているのかを語り合います。
■丹野清人氏の寄稿「日本の外国人労働者――何が変わって、何が変わらないのか」では、外国人労働者の置かれている状況がいかなる変化を遂げてきたのかを歴史的に振り返ります。不安定な収入構造が続く「ジェットコースター賃金」状態や、労働者として受け入れてはいないというタテマエを掲げる「サイドドアからの受け入れ」といった構造が、リーマン・ショック、そして震災以降にはどのような姿をみせているのか。
■エコノミスト・片岡剛士氏と障害学研究者・熊谷晋一郎氏の対談後編では、日本経済を語る際に「消費が飽和したから云々」と言われる一方で、「障害者のニーズはまだまだある」という現状とのギャップをいかに捉えればいいのか、双方の視点から語り合っています。
■経済学者・安田洋祐氏と歴史学者・與那覇潤氏の異分野・若手・同級生対談の第二回では、与那覇氏が率直な経済学イメージを語ることで、安田氏から「経済学の便益とその歩み」を丹念に引き出す魅力的な対話になっています。対談ものといえば、「キリッ」としたものが多いわけですが、教え・教えあい・笑いあう、この二人の対談……友達って、本当にいいものですね。
■建築家の浅子佳英の寄稿「いかにして未来を設計するか」は、奇しくも藤村×南後対談とセットで読まれるべき建築論です。縮退化している現代日本では、「つくらない」ことが重要となるとなる議論が増えている現在、山崎亮氏らへの議論に応えながら、建築家の職能=社会への応答性について吟味していく論考は、他分野の広義のアーキテクトにも示唆的な議論になっています。
■今号の synodos journal reprinted は、やはりなんといっても、八代嘉美氏の「ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか」です。ノーベル賞受賞に沸き、iPS細胞研究が注目される今、八代氏の論考でその可能性と注意点を共有して行きましょう。
■次号は vol.111、11月1日配信予定です。お楽しみに!
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★今号のトピックス
1.対談/藤村龍至×南後由和(司会:荻上チキ) 建築と社会学の新しいアドレス1
2.日本の外国人労働者――何が変わって、何が変わらないのか ………………………丹野清人
3.対談/片岡剛士×熊谷晋一郎(司会:荻上チキ) 障害者の経済学を阻むもの(後編)
4.対談/安田洋祐×與那覇潤 歴史学と経済学の交わるところ「歴史研究と社会科学の接点」2
5.いかにして未来を設計するか ………………………浅子佳英
6. synodos journal reprinted ヒトiPS細胞研究はどこまで来たか ………………………八代嘉美
※epubファイル(.epub)の閲覧方法は下記をご参照ください。 http://synodos.livedoor.biz/archives/1861348.html -
αシノドスvol.109 、安田洋祐×與那覇潤 / 歴史学と経済学の交わるところ、ほか
2012-10-01 19:35262pt対談/安田洋祐×與那覇潤 歴史学と経済学の交わるところ 「歴史研究と社会科学の接点」1
地を這う実証研究か、空翔る一般理論か、現実をより正確に描くとは どういうことだろう、理論と歴史は果たして相容れるのか 歴史研究と社会科学の接点を探るクロスオーバートーク 與那覇潤 氏 http://on.fb.me/OGJlJu 安田洋祐 氏 http://on.fb.me/RzsXeX
◇経済学者と歴史家
安田:僕は小さい頃から数学が好きで、それが思わぬ形で大学に入ってから経済学の勉強で役に立ったのですが、歴史の場合には、最初に本格的に勉強しようとしたときに方法論的なものってあるんですか?
與那覇:いきなり答えにくい質問ですね(笑)。僕もたぶん、狭い意味でのプロパーな歴史学者ではないところがあるので……。ざっくりいうと「文学部史学科」で教えているのが、日本の場合は狭義の歴史学です。それ以外のどの分野でも、例えば、数学や物理学といった理系や建築・美術などでも「~史」とつく分野はあるけど、いわばザ・歴史学は文学部でやることになっている。
文学部系の王道的な歴史学の特徴は、一次史料の発掘とセットになっていることだと思います。とにかく手書きだったり、どこにあるのかわからなかった資料を集めてきて、活字に直して資料集のような形に編纂するなり、自分で資料を翻刻して自分の論文の中で使う、といった作業の比率が高い。
この一次史料という言葉に二つの意味があるのでわかりにくいですが、歴史学ローカルの一次史料というのは、「まだ他の人が使っていない生資料」という意味でいうことがある。すでに活字化されているものではなくて、自分で発掘してきた手書きの文書が一次史料、みたいな使い方をする。基本的には、文学部系の歴史学が中心的にそれを担当する形になっています。もちろん、経済学部にいる経済学史の人がそれをしているケースもあるのですが、例えば岡崎(哲二)先生とかはちょっと違うタイプの歴史研究ですよね。
安田:違いますね。
與那覇:それを基にして、政治学的にこういう理論がつくれないかとか、経済発展というのはこういう条件が整った時に起こるのではないか、といったインプリケーションを探求するのが法学部の政治史だったり、経済学部の経済史だったりしますよね。
安田:一次史料を発掘するというのは、古い蔵に行ってこういう文書が出てきた、といったお宝鑑定団的な感じなんでしょうか。新たな資料を見つけてくるだけでも論文になるのか。それとも、単なる発掘だけでは不十分で、この点が面白いとか、新しいとか言わないとダメですか? その辺の論文のスタイルって一体どうなっているんでしょう。
與那覇:論文のスタイルも、「私はこの命題を証明する」的なサマリーで始まる経済学とは全然違いますね。極端にいえば、そのまま、こんな史料を見つけましたよと報告するだけの場合もあって、翻刻とか資料紹介とか資料集として出すという形がそれです。それ自体が貴重なものだと、それだけでも業績になります。例えば、原敬の日記を全部文字にして刊行するとか、今はもう出ているから誰でも使えますが、最初にやった人はすごい業績です。
もちろん、普通は単なる翻刻と研究論文とは区別されます。論文の場合は仰るとおり、自分なりに問を持って、自分が見つけてきた資料を並べて再解釈すると、この時代のこの地域でこういうことがあったことが分かります、というところまで持っていく必要がありますね。
安田:文学部にいる歴史系の研究者のメインの仕事というのは、とにかく一次史料の発掘の旅に出かける、というイメージなんですかね。
與那覇:たぶん、それの究極型が例えば史料編纂所でしょうね、東京大学の。
安田:ちょうど僕たちの中高の同級生が史料編纂所に勤めているのですが、彼はいつも、いろいろなところにいって一次史料を探しているのかしら?
與那覇:それもあるけど、史料編纂所くらいになるともうすでに所蔵していて、まだ読まれていないものがたくさんあるんじゃないかな。ほかにも近代の政治家関係では国会図書館の憲政資料室にがばっと集まっているけれど、そのすべてを全部読んだ人はもちろん誰もいない。外交文書だったら外交史料館とか、そういう施設が同じ機能を果たしています。
安田:それは考古学っぽいイメージで良いんですか? 眠っている資料を見つけてくる。
與那覇:難しいな。
安田:うーん。分野外の人間からすると、歴史学って、意外と何をやっているか分からないものなんですよ(笑)。
與那覇:それは、経済学部に経済史があるから逆に分かりにくいのでは? もう各学部に「○○史」があるのに、なんでそれと別に「歴史学」が要るの、って発想になるのかな(笑)。
安田:それもそうなんだけど、歴史学に限らず、やはり分野が違うとイメージがわきにくい。経済学部であれば経済について何かしら研究なるものをやっているのだろう、歴史学についても歴史について何かやっているんだろう、ということまではみんな漠然とわかるんだけど、具体的に何をやれば学術業績になるのか、普段はどういう仕事をしているか、についてはあまり知らないよね。
與那覇:歴史学の業績が評価されるポイントは何かということですね。どんな学問でも「オリジナリティ」がないと業績にならないけど、歴史学の場合はその含意が二重になっているので、わかりにくいのかもしれません。誰も使っていなかった資料を見つけてきましたというオリジナリティと、みんなが知っていた資料だけれど、こういう解釈したのは自分が最初でしょう、というオリジナリティの両方があるんですよね。
文学部系のプロパーな歴史学だと、一つ目のオリジナリティが占める割合が八割くらいだったりするケースもあるわけです。逆に、自分みたいなそういうことをあまりやっていない歴史研究者だと、自分が見つけてきたわけではないけれど、こういうふうに読んだ人はいなかったよねという具合に、二番目のオリジナリティの方の比重が大きくなる。そのバランスは個々の研究者による、という感じかな。
安田:文学部の中の歴史系の研究者だと最初の方の比重が大きいという話だったよね。
與那覇:逆に、例えば思想史などは二番目の比重が大きい。福澤諭吉全集がもうあるわけだから、「福澤諭吉という思想家は、僕が発掘したんです」などということはもうない(笑)。でも、福澤の思想をこう解釈してきた人はいないよね、という研究は、これからも出てくる。文学史もそちらに近いでしょうね。
もちろん思想史でも、福澤の未発掘の書簡を見つけてきたらそこにすごいことが書いてあったとか、そういうことがあれば第一のオリジナリティの比重が高まる。文学部の歴史学というのは、ある種それ以外の要素をそぎ落とした純粋歴史学というか、一番目の比重がかなり大きい歴史学だとは言えると思います。
◇方法論の違い
安田:歴史研究というのは、経済学の中の経済史、政治学の中の政治史みたいに、各種ディシプリンの中にある、というのがちょっと変わっているように見えます。ただ、現在ではそれぞれのディシプリンに分かれている学問も、古くは分かれていなかった。思想家とか哲学者みたいなのがいて、何でもかんでも議論していたわけです。それが、ある程度は対象に応じて独自の方法論で分析したほうが見通しがよくなることが次第に分かってきて、どんどんと細分化していきました。
歴史についても、もし細分化せずに単一のディシプリンとしてのみ歴史学があったとすると、相当分析が難しそうですよね。歴史というのは広い意味では、人類の今までのすべての活動、過去の積み重ねのすべてなわけですよね。切り口を切ってあげないと、いくらでも“歴史”を掘れてしまう。こう考えると、何もディシプリンに頼らずに歴史を発掘するというのは、そもそも無理な話な気がしてきます。そういう意味では、現在を分析するディシプリンごとに、それぞれ歴史研究が存在するというのは自然なのかもしれません。
與那覇:歴史の側から見ると、時々不思議なのは、経済学部のコースの中に経済史というものがあって、科学史とかも似たところがあるけど、その意義というのが、ちょっと見えないところがある。いったい、歴史学とは違う学問を掲げた学部で、どういう位置づけになっているのかなと。それは、どうですか。
安田:僕自身は歴史を研究しているわけではないので、あまりはっきりしたことは言えないんですが、理論的な科目を通じて経済の見え方を勉強します。それは、日本の景気はどうなっているのか、経済政策はどうすればよいのか、というような現在の話だけではなくて、過去がどう見えるのかについても応用できるわけです。そういう視点で見ると、経済学のツールを使って過去の日本の経済がどう見えるのかについて関心が出てくる、というのは健全なモチベーションではないでしょうか。
実際に、ある程度同じ経済学の方法論を共有している人たちが経済に関する歴史を見てくれているわけですね。これは他の学部の歴史研究にはない要素でしょう。
與那覇:なるほど。
安田:アメリカ経済とか、中国経済とか、日本から離れた経済圏については、日本にいる限り直接実感を持って見ることは難しいですよね。でも、そういった海外の経済動向に関心を持っている人は多い。同じように、二百年前の経済史なんかは、直接的には絶対に見ることができないわけですが、関心自体は持っていても不思議ではないでしょう。そういう意味では、外国を見るというのと過去を見るというのはそんなに違いはないわけですよね。
少し脱線しますが、なぜ今日本で経済活動がきちんと回っているのか。お店に行けば、大体欲しいものが売っていて―僕は、今日行きたいラーメン屋に行ったら「満足のいくスープができなかったから」という理由で閉まっていた、というアクシデントに遭遇したんですが(笑)―まぁ、大体目星をつけて何か買い物にいったら品切れになっていることも少ないし、物をめぐって取り合いになっているわけでもないし、一定の秩序があって経済活動が行われている。それが、学生時代の僕にはかなり不思議だったんですね。
別にそれだけが経済学の勉強を始めた理由ではないんですが、目に見える普段の生活の中で、なぜこんなにうまく、ある種の調和みたいのが取れているのか、というのは素朴に疑問でした。逆に言うと、発展途上国なんかでは、全然違った仕組みで経済が動いているはずです。おそらく、日本ほど上手くは機能していないような仕組みの中で経済活動を行っている。そういった場合でも、なぜそうなっているのか、何かしらの理由があるのではないか? と考えてもみたり。
経済史の話で言うと、数百年前の日本でどういう形で経済活動が行われていて、なぜそういう仕組みになっているのか、その仕組みの中で個々の人々がどういう暮らしをしていたのか、という問題には興味がありますね。現在の経済活動とは全然見た目は違うはずですが、それぞれに調和のようなものがとれていた可能性はある。
理想的には、ある程度同じような方法論で、特定の経済の仕組みが異なるいろいろな場所で見られるとか、仕組み自体は全然違うのに、その中で動いている人々の行動をつぶさに観察すると、同じような動機に基づいている。それにも関わらず、結果的には違うシステムができあがってしまったとか、少ない仮説の下でいろんな地域とか時代の現象を分析出来たらよいな、というのはかなりの経済学者が関心を持っていると思います。
與那覇:それは経済学に限らず、社会科学全般の志向としてありますよね。可能な限り少ないツールで、適用範囲がひろい図式を構築したいという。
安田:でも、他の社会科学の人と話すとあまりそう思っていないような気もする(笑)、経済学者は特にそうなのかもしれない。
與那覇:だよね、経済学が特に一番強い。
安田:強すぎるかもね、ちょっと。
與那覇:逆に社会学なんかは、それを目指したけれど挫折したという感じなのかな。でも、ルーマン社会学とかだと、「システム」の概念で全部記述できるという話を今もやっているわけだから、やっぱりゼロになったわけじゃない。
今回事前に送ってもらった、岡崎先生、黒崎(卓)先生、吉川(洋)先生の鼎談(「鼎談 経済史の可能性 経済学と歴史学の境界を探る」『経済セミナー 特集:経済史研究の新潮流』2012年、8.9月号)でも、関係する問題が議論されていたと思います。単純化して言うと、経済学と歴史の関係を考えるときに、まず経済モデルが先にあって、それをテストするための「事例」として過去(歴史)がある、という捉え方が一つありますよね。
一方で、もう少し歴史学よりの捉え方をすると、とにかく過去のことを最初にいっぱい調べてみて、昔の事実が出てくれば嬉しいし、そこからなにか普遍的な法則を見いだせればもっと嬉しい、となる。前者の方が純粋経済学よりだし、後者の方が経済史、歴史学に近い方向性だろうなと思います。
◇経済学の歴史と歴史の経済学
與那覇:安田さんの場合は、ゲーム理論という今、ある意味で経済学理論の王道のところに行ったと思うんだけど、経済学部に行ってそちらではなくて経済史を選択するという人は、どういうタイプが多いんですか。
安田:あまり僕の回りにはいませんでしたね。
與那覇:やっぱりレアキャラなのかな、経済学部で経済史に進むのは。
安田:これは歴史系の研究と大きく違うところだと思うんですが、経済学研究科の場合には、大学院に入ってまずみんな同じようなトレーニングを受けるんですよ。
與那覇:コースワークですね。
安田:ミクロ経済学とマクロ経済学と計量経済学、この三つを最初に徹底的に叩き込まれます。だけど、東大に関して言うと、経済史を専攻する人というのは、そもそもコースワークを全然とらないとか、部分的にしかとらなくて、あまりクラスメイトという感じがしないんだよね。
與那覇:お互い最初から「別の人たち」扱いなんだ、学部がたまたま同じなだけで。
安田:あと、最近はカテゴリーもかなり希薄になってきたみたいだけど、経済学研究科自体が、いわゆる現在の標準的な経済学である近代経済学(近経)とマルクス経済学(マル経)、それに統計という三つに分かれています。
ここからはあくまで僕の印象ですが、経済史を志す人はいまだにマル経グループに多い。ただ、今は人数的には三つに勢力が分かれている感じではなくて、大半は近経で普通の経済学をやっています。で、経済史を含む、マル経の若手研究者が最近どうなっているか、僕は全然知らないんだけど……。
與那覇:さすがにマル経は、今は理論だけやっているというわけにはいかないでしょうね(笑)。
安田:近経のアプローチを経済史に持ち込むというのは岡崎さんが典型ですが、岡崎さんくらいの世代だとかなり珍しいタイプだと思います。若手ではそういう研究者がある程度増えている印象です。
與那覇:なるほど。経済史にしぼると、昔はマル経の方が経済史の主流で近経の方が異端だった。確かにそうだよね。封建地代をめぐる闘争がこう変遷したのは、マルクスが説明したように……という話をやるのが、昔は経済史だったから。逆に、ゲーム理論のような道具を歴史に持ち込むのは新しい。
安田:鼎談の中でも触れられているけれど、岡崎さんが仰るには、古い経済史はマルクス経済学の影響をかなり受けていて、マルクスの理論自体が歴史理論を含んでいる点に問題がある。歴史が普遍的にこういう発展段階を遂げるということが、そもそも理論の中に入ってしまっている。
與那覇:テストするまでもなく、最初から答えがあることになっていたんだよね。マルクス先生の基本法則はすべて正しいことが前提だった(笑)。
安田:そうそう。もちろん、何も理論なしで歴史を見ていくというのは、理論なき計測でよくない、と岡崎さんも認めています。でも、逆にマルクスの理論みたいに歴史自体がこう進むんだ、という風に何でもそれで説明できる歴史理論を持ってきてしまうと、現実や歴史の見方をゆがめてしまう、あるいは非常に狭い見方を強制することになってしまうから、弊害が大きいと仰っているわけですね。
さっき與那覇さんが言及した、ゲーム理論が何をやっているのかについても触れておかないといけませんね。マルクスの理論が経済史の人にとって使いやすかったのはまさに歴史について話してくれていたからで、一方、近代経済学がずっとやってきたのは市場の理論なんです。市場というのは、ただの市場ではなくてかなり理想的な市場をずっと研究してきた。
もちろん、上手くいかないようなケースも研究はされていたんですが、大半の研究が焦点を当てていたのは理想的な市場、専門的には完成競争市場と言われるものです。供給と需要を表すバッテンがあって、価格と数量はその交点で決まる。交点で決まる価格と数量は効率的です、というような話を、いろいろ複雑な状況、例えばたくさん商品がある場合や、いろんな異なる時間で取引が行われている場合に拡張するような研究をずっとやってきた。
それはそれで一つの美しい体系でいいのだけれども、では、経済史の問題に使えるか、というと疑問なわけです。どうしてかというと、経済学者の考えてきたような理想的な市場が経済史にはほとんど登場しないからです。
もちろん、厳密に言えば、現在であっても文字通り完全競争市場とみなせるような市場は世界の何処にもないわけです。では、近似的に成立しているのは何処かと言ったら、やはり市場制度がある程度整っていて、私的所有なんかが当たり前のように成立しているような世界でしょう。それ以外の経済では、いわゆる市場モデルはあまり説明能力がない。
過去に行くと、そもそも市場を介した取引自体がかなり少ないでしょうし、市場があったとしても、競争的とはとてもいえない価格がついていたりする。そうなってくると、経済理論を使って過去を説明しようとか、過去の経済活動を理論的に見ることができないわけです。
だから、長い間、経済史の問題には近経的なアプローチでは手が出せなかった、という背景もあると思う。おそらく、単純にマルクスが良い悪いという話だけではなくて、近経には当時ほとんど分析ツールがない一方で、マル経は歴史について明確に何か言ってくれていたから、その分相性が良かった、という面があったのではないでしょうか。
で、近経が長らく提供できなかった理論ツールの急先鋒がゲーム理論と考えることができると思います。ゲーム理論は、市場とか特定の制度を前提としなくても様々な社会現象を理論的に分析することができるツールだからです。
與那覇:なるほど。抽象化を究極まで推し進めることによって、かえって具体的な歴史の分析にも持ち込めるようになった、という感じなのかな。
安田:もちろん、ゲーム理論は市場分析にも使えるんだけれど、市場がない、例えば交渉によって取引がどう決まるかとか、どうやって長期的な商行為が維持されるかとか、古い経済学が説明できなかった問題の分析にも役立てることができます。
加えて、ミクロレベルの現象に関して説明が出来るようになった、という点も大きい。どういうことかというと、バッテンが書かれているような経済学の入門書のテキストにのっている話というのは、参加者が十分にいるような大きい市場、つまりマクロレベルの経済現象を説明するのには向いているんだけれど、ミクロの経済活動に直接応用することができません。例えば、村の中や家族内、地主と小作人の関係というような限定された環境における経済活動の分析には向いていません。これらをゲーム理論は分析できるのです。
また、往々にして、経済史ではそうした限定された商行為や経済活動の理解が重要になるわけです。歴史研究に必要な昔のリアルな経済を分析するツールとしてゲーム理論が入ってきて、どの程度当てはまるかわかりませんが、すくなくともベンチマークを提供できた。それをデータとしてもう一度調べてみようとか、そういう研究がその後出てきました。
岡崎さんがまさに日本でそういったスタイルの研究をされているわけですが、アメリカでは、アブナー・グライフという経済学者が最初にゲーム理論的なツールを歴史研究に持ち込んで話題になりました。
與那覇:マグレブ商人の話ですね。
安田:実は、グライフを一躍有名にしたマグレブ商人の話も、数年前に批判論文が出てきたりもしていて、そんなに明確に理論で説明できた、という話ではありません。ただ、やはり理論モデルにもとづいて資料を調べていく、昔の経済現象を分析する、というタイプの研究アプローチと、何もなしに手探りで探していって「こんなの出てきました」というのとでは、かなり質が違うというのが僕の考えです。
與那覇:実直な資料発掘に基づいて文学部系の歴史学をやっている人には、それ以外の専門の人に理論で整理されてしまうと何か、こう「イラッと」来るところがたぶんあるんですよ(笑)。グライフとか歴史家でもないのに、勝手に大雑把な説明をして、もっと細かく見たらお前のモデルとは違っているじゃないか、という不満はどうしても出てくる。
安田:そうなんですよ。
與那覇:でも、逆に言うと一回モデル化してくれたからこそ、「厳密に言えば違う」という議論も意味を持ってくるわけでしょう。はじめに誰もモデルをつくらなかったら、皆がばらばらにやっているだけで、それぞれの地域のことが「明らかになりましたね」で終わってしまって、普遍的な結論は導けない。だから僕はやはり、相互に批判することも含めて、資料発掘系の歴史も理論化志向の歴史も、一つの共同作業なのだという気がします。けれど、あんまり、そうならずに相手の批判ばかりしている人もいるよね(笑)。
安田:自然科学とのアナロジーで言うと、何らかの理論や仮説に基づいて、私はデータをこう解釈しました、というタイプの研究を批判する場合は、やはり対立仮説を持ってくるのが筋なんだよね。その仮説に関して現実を上手く描写できないところがあります、というのも当然批判にはなるわけですが、あくまで仮説とか理論モデルというのは現実の単純化に過ぎないわけですから、きちんと説明できない点は山ほど出てくる。とりわけ、資料も満足にそろっていないような昔の事例を分析する上では、仮説も大胆になるしかないわけです。
與那覇:自分の目で見た人がいないわけだものね、誰も。
安田:それを批判するのに、単に当てはまらない、というだけでは不十分ですよね。何らかの別の仮説を持ってきて、こっちの方が当てはまりが良いということをきちんと立証して、初めて一歩前進と言えるわけです。
與那覇:そこが重要で、どこかで理論が限界に突き当たるからこそ、それも含めて説明できるようにしようという形で、さらにエボリューションが起きるわけだよね。 (※この記事は「SYNODOS」のブロマガから一部抜粋したものです)
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