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“α-Synodos” vol.275(2020/5/15)
2020-05-15 16:56262pt〇はじめに
みなさん、こんにちは。シノドスの芹沢です。「αシノドス」vol.275をお届けします。
最初の記事は「学びなおしの5冊」。島村一平さんの「「モンゴル」、あるいはコロナ禍の中でモンゴルを考える」です。モンゴルと聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか? 一昔前なら大草原とゲル、いまならお相撲さんでしょうか。しかしここに紹介されている書籍の紹介を読めば、モンゴルが歴史的にも文化的にも、はるかに深い奥行きをもった、とても魅力的な国だとわかると思います。ぜひ気になった一冊を読んでみてください。
ついで、石川義正さんの「社会の分断を見つめる──現代日本「動物」文学案内」。社会の分断をめぐっては、これまで多くの社会科学的な議論を取り上げてきました。しかしこのトピック、当然、文学者たちもまた早くから取り扱ってきたものです。そして、そうした文学に触れようとするとき、質のよい批評を横において読むと、きわめて豊かな読書体験がもたらされるものです。ぜひ、石川さんの批評とともに、言及されている小説を手に取ってみてください。
そして、志田陽子さんの「「捏造」という言葉の重さについて――批判の自由か《排除》か」です。昨今、気に入らない言論を土俵の外に追いやろうとする動きが目立ちます。これは保守だけでなく、リベラルにも見られる振る舞いです。しかしそうした振る舞いは、そもそも言論を支えている土台自体を蝕んでしまい、最後はたんなる殲滅戦にいたるでしょう。健全な「批判」がやり取りされる土台を、われわれは全力で守らなければなりません。そのために、この志田さんの文章をぜひとも熟読してください。とても平易に、本質が説かれています。
ついで、馬場靖人さんの「なぜ私は「色盲」という名にこだわるのか?」。じつはぼくは色弱なのですが、そのため「色盲」という言葉が大変気になっていました。「色盲」という言葉は差別的だという人もいるなかで、なぜあえてこの言葉にこだわるのか、当事者である馬場さんの言語「戦略」をお読みください。ポストモダンの議論は、現在ではあまり振り返られなくなりましたが、そこにはとても繊細な「手触り」がありました。馬場さんの文章を通して、ぜひその豊かな世界の一端に触れていただければと思います。
そして、菅(七戸)美弥さんの「アメリカ・センサスと「人種」をめぐる境界――個票にみるマイノリティへの調査実態の歴史」。菅さんは膨大なアメリカのセンサスをもとに、統治権力の意思を読み解く作業を行っています。この文章を読んでいただければわかるように、誰かを分類し、名付けるという作業そのものが、まさに統治権力による政治です。また、そこには幕末から明治にかけて、アメリカに移住した日本人の姿も見出すこともできます。歴史的にもきわめて興味深いセンサスをめぐる政治をどうぞお読みください。
最後は、平井和也さんの「コロナウイルスでグローバリゼーションは終焉を迎えるか?」。コロナウイルスの拡大によって、アフターコロナ、あるいはウィズコロナの世界をめぐってさまざまな議論が現れてきています。なかでも関心の的となっているのは、グローバリゼーションは今後どうなるのか?という疑問でしょう。平井さんに、アメリカのシンクタンク、英BBC、そしてジョージ・フリードマンの議論をまとめていいただきました。
次号は6月15日配信です。お楽しみに!
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