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“α-Synodos” vol.261(2019/03/15)
2019-03-15 14:59262pt〇はじめに
αシノドスの読者のみなさま、こんにちは。シノドスの芹沢一也です。「αシノドス vol.261」をお届けします。
最初の記事は教育社会学者の中西啓喜氏へのインタビューです。はじめて、中西さんの論文を読んだとき、教育格差における家庭環境要因が、思っていたよりもはるかに大きいと知ってびっくりしました。記事内にもグラフを貼りましたが、勉強の効率性の部分ですでに大きな差がついていて、学校に上がってから同じ時間勉強しても、勉強の仕方を知っている子とそうでない子との間には大きな差が出ています。学校に過度の期待を抱くことの愚かさと、幼児教育の重要性が改めて理解できるかと思います。
つぎに社会福祉学を専門とする竹端寛氏に「今月のポジだし」をお書きいただきました。近年、日本でもオープンダイアローグという言葉を耳にする機会が増えてきました。これは「ダイアローグを大切にしながら、薬を使わずに精神症状をダイアローグで鎮める、組織内・組織間のコミュニケーション不全をダイアローグの中で変えていく手法」です。オープンダイアローグは精神医療の分野にとどまらず、さまざまな領域におけるコミュニケーションのあり方に画期的な変化をもたらすものだと思います。ぜひみなさんも、実践なさってみてください。
ついで、グローバル・ガヴァナンス研究を専門とする佐々木葉月氏に、日本のテロ対策についてお書きいただきました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックが近づくにつれて、テロ対策について報道される機会も増えてきました。また、東京オリンピック・パラリンピックで不安に思うこととして、「開催中に国内でテロなどの大事件が起きる」が61%と最多であったとのことです。しかし、そもそも日本のテロ対策はどのような状態にあるのか、多くの方がご存じないかと思います。ぜひ佐々木氏の論考を通じて、その概要を知っていただければと思います。
みなさんは、「市民」という言葉を耳にしたときどのように感じますか? 権力の暴走に歯止めをかけるために、もっと「市民」は立ち上がるべきだと考えるでしょうか。あるいは、上から目線の説教臭い「市民」にうさん臭さを感じますか。いずれにしても、現在の日本社会では「市民」という言葉のすわりはそれほどよいものではないと思います。思想史を専門とする小野寺研太氏が、小田実の思想を手掛かりに、「市民」という言葉がもつ両義性を検討しました。小野寺氏の考察を通じて、みなさんもぜひ「市民」の可能性について考えていただければと思います。
今月の「学び直しの5冊」のテーマは「動物」です。動物倫理を専門とする久保田さゆり氏にご執筆いただきました。近年、動物を倫理的な配慮の対象にするべきだとする議論が、説得力をもって受け止められるようになってきています。動物を苦しめるような行為は許されるべきではないと、直感的に考える人が増えてきていると思います。しかし、首尾一貫したロジックとして動物保護を組み立てるためには、いったいどのように思考すればよいのでしょうか? ぜひいちど、本格的な動物倫理の本を紐解いて、動物保護の根底にある倫理的な考え方に触れてみるのはいかがでしょうか。
ついで、鈴木崇弘氏の連載「自民党シンクタンク史」の5回目です。今回は郵政民営化選挙のころを扱っています。読んでいて小泉政権のころの、国民の政治への熱気を思い出しました。この時期、自民党に民主党も党改革を積極的に行い、国民にアピールするという機運が高まっていました。そうしたなか、政権交代に向けて、党としての独自性を国民に訴えるアジェンダの一つとして、両党が党内に独自にシンクタンクのつくるという動きがでてきます。そこでキーパーソンとなった鈴木氏が、当時の状況を振り返ります。
最後は、教育社会学者の山本宏樹氏による論説です。2017年9月の黒髪染髪訴訟をきっかけに、ブラック校則問題が大きな話題となりました。そうしたなか、昨年は「ブラック校則」追放運動も盛り上がりました。しかし、今年に入って逆風も吹き始めているようです。1月に、男性教師が校則指導をめぐって生徒と口論になり、男子生徒を殴る様子を撮影した動画がツイッターに投稿されましたが、この事件をめぐって、「学校の秩序を維持するためには『ブラック』な校則指導もやむなし」という意見が勢いを取り戻しているようにも見えると山本氏はいいます。混迷する「ブラック校則」問題、今後どのように議論を進めていけばよいでしょうか?
次号は4月15日配信予定です!
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