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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「佐々木健介」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!



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――今月のテーマは佐々木健介さんです! ヴァー!!

小佐野 健介とはこないだ久しぶりに会ったんだよ、天龍プロジェクトの島田紋奈代表の披露宴で。その前に会ったのは2015年3月のサイパン。レストランで奥さんとメシを食っていたら健介ファミリーと偶然会って。

――健介さんとはいつからの付き合いなんですか?

小佐野 ジャパンプロレスで彼がデビューする前から知ってるんだけど。新弟子時代から引退まで見届けた選手ってそんなにいないんですよ。あの時代でデビュー前から知ってるのは小橋建太、菊地毅、小川良成とかになっちゃうんですよね。

――小佐野さんにとって健介さんも思い出深いレスラーのひとりになるんですね。

小佐野 ジャパンプロレスの歴史自体は短かったけど、健介と私を結びつけたのは、あの団体なんです。ジャパンが崩壊して、彼が長州さんたちと一緒に新日本プロレスに移ったあとも、私個人に連絡はあってね。海外遠征先のハノーバーから電話をくれたんだけど、当時の健介の気持ちはジャパンプロレスのままなんですよ。「いまの新日本は、いまの長州さんは……」って批判をしてて。彼は新日本に移籍したわけじゃなくて「長州軍団として殴り込んでる!」という意識が強かったから。

――でも、ボスの長州さんは新日本の現場を仕切ってますよね。

小佐野 長州力は新日本の中枢に入っていった。でも、健介は「なんで同じ控室で新日本の奴らと仲良くなきゃいけないんだ!?」っていう感情があったんです。だから本人は新日本に移ってからもジャパンのジャージを着ていたし、新日本の控室に入らない。通路や階段のところにいたんです。

――反骨精神ですねぇ。

小佐野 話は前後するけど、健介は馳浩より2ヵ月先にジャパンに入門したんだけど、そのときはデブだったんですよ。身体を大きくしないと入門できないと思ってかなり太ってた。

――健介さんは背丈はないですから、厚みを増そうとしたんですね。

小佐野 でも、馳が入門した頃には20キロ近く痩せていてね。なぜそんなに激ヤセしたかというと、もちろん練習も厳しかったんだけど、雑用がもの凄く大変だった。当時ジャパンの新弟子は健介ひとりだったから。

――すべての雑用を健介さんがこなしていた。

小佐野 練習が終わりそうになると、買い出しに出かけて、1時間以内にひとりでちゃんこを作る。巡業のときはひとりでセコンドについて、その合間に先輩たちがホテルに戻るためのタクシーを呼んで、控室では先輩レスラーの汗を拭いたりする。ホテルに帰ったらみんなの洗濯。

――休むヒマもない!(笑)。

小佐野 ホテルの近くにコインランドリーがない場合は、自分の部屋の風呂場で洗濯。洗濯ヒモを持ち歩いていたから、ホテルのボイラー室で洗濯物を乾かして。やっと雑用が終わっても、当時は24時間のコンビニなんかないから、メシもろくに食べられない。早起きして先輩たちを起こさないといけないから、寝る時間もない。そうやって20キロも痩せたところに馳がさっそうと入団したので「この2ヵ月はなんだったんだ!?」と(笑)。

――心がボルケーノと化したんですね(笑)。

小佐野 しかも馳は年上だから「さん付けで呼べ」と命令されて。馳は長州さんの付き人だけが仕事。長州さんの面倒を見ればいいけど、健介は全員の面倒を見る。

――もしかして健介さんは新弟子というよりは、雑用係として採用されたいうか……。

小佐野 たぶんそうだろうね。前回の馳でも言ったけど、長州さんは「育てるのに時間のかかる選手は獲らない」と即戦力以外は欲しくなかったんだから。健介は一番下っ端でつらい思いをしたからなのか、全日本で同じ境遇だった小川良成と仲が良かった。全日本もずっと新弟子が入ってこなかったから、小川良成がひとりで雑用をやっててね。晩年健介がNOAHに上がっていた頃も凄く仲が良くてね。「小川」「佐々木」と呼び合う仲。

――苦楽を共にしたんでしょうねぇ。

小佐野 健介は新日本に移ったあとも全日本の会場に来てたからね。試合を見たり、小川に会うために。それが許されていた。入り口には元子さんがいるから、新日本に移ったレスラーたちは出入り禁止なんだけど、健介はオッケーだった。元子さんからすれば「この子は何も事情がわからないまま、先輩についていくしかなかったのね」ということで。

――小佐野さんは前座時代のプロレスラー佐々木健介には、どんな印象があったんですか?

小佐野 試合はね、正直モノにならないと思った。不器用だし、身体は小さいし。回転エビ固めをやってもきれいに回れない。新日本の前座時代は見てないんだけど、藤原(喜明)さんに教わったりしてたみたい。あとはマサ(斎藤)さんのマンションに住んだことが大きかったらしいね。マサさんは「おまえは身長がないんだから、身体を大きくしろ!!」と。マサさんも背は低いけど、身体をブ厚く鍛えることでアメリカで生き抜いてきたでしょ。

――「パンプアップしろ!」ってことですね。

小佐野 マサさんの影響で健介もああいう頑丈な身体になった。マサさんには凄く感謝しているから、健介オフィスを法人化したときにアドバイザーとして迎え入れたんだよ。

――WJ崩壊後行き場を失っていたマサさんに恩返しをしたんですね。

小佐野 健介はいろいろと言われがちだけど、情は深いんですよ。涙もろいところもあってね。海外遠征は最初プエルトリコ。「ササキサン」というリングネームを勝手につけられて、ミスター・ポーゴと組んでたんだけど。そのときにジャパン女子からイーグル沢井とムーン章子も遠征に来てて。彼女たちが先に日本に帰るとき、空港に見送りに来ていた健介が涙を流すという(笑)。

――なぜだ(笑)。

小佐野 さびしかったのかな。イーグル沢井は健介のことをなぜか「クジラくん」と呼んでいたんだけどね(笑)。そのあとはカルガリーで北原(光騎)とタッグを組んで、そのあとハノーバー。90年春に凱旋帰国した。

――同時期に華々しくし帰国した武藤(敬司)さんとは、扱いに差がありましたよね。

小佐野 健介本人は「……またか!」と憤ったんだって。ジャパンのときは馳がポンと入ってきて、凱旋帰国のときは武藤だけがスポットライトを浴びる。だから新生UWFに行く可能性があったんだよ。

――“選ばれし者”佐々木健介誕生の可能性!

小佐野 新日本の前座でやりあっていた鈴木みのるから誘われたんだと思う。健介に「なぜ行かなかったの?」って聞いたことがあるんだけど、本人は「情」と言っていた。自分ひとりの力ではなく、みんなのおかげでプロレスラーになれたからUWFには行けなかった。新日本のほうがUWFより団体として魅力があるとかじゃなくてね。

――自分を育ててくれた長州さんやマサさんのもとでやっていきたいという。

小佐野 それまではジャパンプロレスの意識が強かったけど、「自分の根っこは新日本だ」って折り合いをつけたみたいだね。そこから新日本に順応するのは早かった。だって馳と一緒に道場のコーチをやってたくらいだし。

――外様の2人があのキャリアで道場を仕切るって凄いですよね。

小佐野 当時の新日本って専属のコーチはいなかったんじゃないかな。昔は山本小鉄さんが教えてんだろうけど、その時々道場に熱心にくるレスラーが自然に……。

――一番練習熱心だったのは馳と健介だったそうですし。

小佐野 橋本は道場にいる時間だけは長かったんだろうけど。エアガンでスズメを撃ったりとか遊んでいたからね(笑)。

――道場滞在時間は同じでも内容が違う(笑)。

小佐野 健介は橋本真也のことを凄く意識してたよね。2人は感情をガンガン出していくタイプだったし、年齢も近い。でも、健介は橋本のように身体が大きくないから練習するしかない。馳が「なぜ三銃士と互角に試合ができたかといえば、あの人たちはナマクラだから」って(笑)。

――そこまで三銃士って練習してなかったんですか(笑)。

小佐野 彼らが新日本に入った頃のコーチは荒川さんでしょ?(笑)。

――ハハハハハハ! 荒川さん、亡くなってしまいましたねぇ。ご冥福をお祈りいたします!

小佐野 荒川さんにはダンスを踊らされたとか、ソープランドに連れて行かれたとか、そんな話ばっかだから(笑)。練習に耐えられなくなった武藤が小鉄さんに「やめます」と言ったら、「やめるな!」と引き止められた世代だし。

――早すぎた“ゆとり世代”だったんですかね(笑)。

小佐野 試合会場に置いたあった祝杯用のビールを橋本と武藤が「これはいいや」って試合前に飲んじゃったとか(笑)。

――とてもコーチを任せられない!!(笑)。

小佐野 そうじゃなかったら、あの3人がいるのに馳と健介がコーチをやってるのは変だもん(笑)。そこから健介の“鬼コーチ伝説”が始まるわけだけど……

――健介さんの鬼指導はいろいろと伝説になってますね。

小佐野 みんな言うよね。小島聡は「石鹸の匂いを嗅ぐと、新弟子の頃と思い出す……」と。風呂場の掃除がダメだと殴られるから。真壁刀義は包丁で野菜を切るときに健介を刺すことを想像しながら、ちゃんこを作ってたとか(笑)。

――ど、ど、ど、どんな目に遭ってたんですか!!(笑)。



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