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二月のいつ頃だったか、大学の卒業式には出ないと言ったら、案の定、母親が騒ぎ出した。
「せっかくなんだから出ときなさいよ」あらゆることで何回繰り返したかわからない言葉が口にされる。「元号またいで通った大学じゃない」
「何それ」と私は口を曲げた。「そんな子供みたいな理由で出ないよ」
「子供じゃないって言うの?」
「もう二十三なので」
「卒業してもすね囓る気満々のくせに」
「それはそうね」と努めて謙虚に私は言った。「休学して一年余分にかかっちゃったし、黙って言うこと聞くべき。でも友達もいないし、出たって悲しくなるだけでしょ。ゆき江ちゃんだって、出なくていいって言うはず」
これは少しデリケートな話題ではある。ゆき江ちゃんというのは私と大の仲良しだった叔母のことで、彼女は故人であったから。わざわざ自分からその名を出したところを見ると、私も相当に行きたくなかったのだろう。ただし、母の反応は予想外のものだった。
「それが、そうでもないのよね」
不敵な笑みを見とがめて、私は「何よ」と思わず神妙な声になった。「何かあるの?」
「あんたの卒業よ」母は挑発するように顎をしゃくって言った。「小学五年生以来のね」
いつも単刀直入なくせに謎めいたことを言うものだから、またそれが全然身に覚えのないものだから、私は黙ってその目を見据えた。
「まあ、いいでしょう」母はそれを楽しみながら余裕たっぷりに言う。「もう子供じゃないってことでいいんでしょ?」
「そういうこと」訝しみながらも、片を付けるつもりできっぱり言ってやった。「だから、卒業式に行くか行かないかぐらい自分で決める。お母さんだって来るわけじゃないんだし、それでいいでしょ」
母はこちらを見た。是非もなしという決意を漲らせた表情に私はひるんだ。
「行く」
「は?」
「家族みんなで」
それからというもの、リビングのカレンダーにこれ見よがしに赤丸のつけられたその日のことが私の頭を離れない。小学五年生以来の卒業とは、一体どういうことか。それに叔母が関係するとは何事か。
少しでも手がかりを集めるつもりで、私は鍵付きのキャビネットから小学生の頃の日記帳を引っ張り出した。紺色で丸背みぞつきの上製で、二〇〇八年十一月八日、叔母が小五の女の子にあげるにしては木訥が過ぎるそれをくれたから、私は日記を書き始めたのだった。しかもその日の私はひどい熱で、ベッドに寝たままそれを受け取った。叔母は手渡す時「お願いだからくれぐれも」と前置きした上で「私に読まれないようにね」と言った。私は火照った満面の笑みでこっくりうなずいた。叔母が日記を読もうとしてくる楽しみに、顔は輝いていたことだろう。裏表紙に阿佐美景子と自分の名を書いて、その日の日記はとても短い。
記念すべき日。だけど私は風邪で寝ている。お父
さんもお母さんも洋一郎もいないけど、ゆき江ちゃ
んが看病に来てこの日記帳をくれた。日記の初日は
元気がない時に限るからということらしい。意地悪
なゆき江ちゃんは「私に読まれないようにね」とも
言った。
さんもお母さんも洋一郎もいないけど、ゆき江ちゃ
んが看病に来てこの日記帳をくれた。日記の初日は
元気がない時に限るからということらしい。意地悪
なゆき江ちゃんは「私に読まれないようにね」とも
言った。
しばらくの間、私の記述はアンネ・フランクやアナイス・ニンよろしく日記の周りを嬉しそうに駆け回っているが、どうもそいつに名をつけたり、擬人化して「あなた」と呼んでみたりという文化には、試みこそすれ馴染めなかったようだ。「あなた」に向かって相談事(朝会で行う冬休み中の注意喚起の劇のヒロイン役を我の強いクラスメイトにそれとなく譲る方法はないかしらという他愛のないもの)を持ちかけてみた翌日、こんな風に書いている。
恥ずかしい昨日の日記を消そうかどうかさんざん
迷ったけど、結局消さずに書き始めた。なぜって一
行消してみたら、その隠そうとした跡が死ぬほどみ
っともなかったから。昨日の私はバカだった。「あ
なた」が何を答えてくれるって言うのだろう。何に
も答えるはずがない。そんなこと期待するのは、き
ちんと考える気のない卑怯者って感じがする。だか
ら私は、日記を書く時はいつも「あんた、誰?」か
ら始めることにする。
迷ったけど、結局消さずに書き始めた。なぜって一
行消してみたら、その隠そうとした跡が死ぬほどみ
っともなかったから。昨日の私はバカだった。「あ
なた」が何を答えてくれるって言うのだろう。何に
も答えるはずがない。そんなこと期待するのは、き
ちんと考える気のない卑怯者って感じがする。だか
ら私は、日記を書く時はいつも「あんた、誰?」か
ら始めることにする。
翌日の日記は、ご丁寧に「あんた、誰?」から始まっていて微笑ましい。心なしか棘のある筆跡で、その書き出しは一年以上続いた。
例えば、二〇○九年七月三十日。
あんた、誰? 塾の夏期講習に行って帰ってくる
だけの毎日が始まってやっと一週間、早くもうんざ
りしてる。学校の宿題は、自由研究と読書感想文以
外は今日で全部終わり。感想文は相澤忠洋の『赤土
への執念』で書くことにした。歴史で習って馴染み
があるからってのもあるけど、一番の決め手は、ゆ
き江ちゃんが「私もこれで書いたことある」と言っ
たから。ゆき江ちゃんの書いた作文が読めたらいい
のに。
だけの毎日が始まってやっと一週間、早くもうんざ
りしてる。学校の宿題は、自由研究と読書感想文以
外は今日で全部終わり。感想文は相澤忠洋の『赤土
への執念』で書くことにした。歴史で習って馴染み
があるからってのもあるけど、一番の決め手は、ゆ
き江ちゃんが「私もこれで書いたことある」と言っ
たから。ゆき江ちゃんの書いた作文が読めたらいい
のに。
例えば、二〇〇九年九月十七日。
あんた、誰? お父さんは出張、お母さんは短大
時代の友達とスペイン料理。だから今日は、学校帰
って洋一郎と二人で留守番中。夕方にはゆき江ちゃ
んが来てごはんを食べる。
時代の友達とスペイン料理。だから今日は、学校帰
って洋一郎と二人で留守番中。夕方にはゆき江ちゃ
んが来てごはんを食べる。
お母さんがいないから、リビングのテーブルで早
めの日記を書いている。私はつるつるして重たいこ
のテーブルと椅子が好きだからほんとはいつもここ
で書きたいんだけど、お母さんの前で書くのはいや
だ。だから今日はと思ってたら、弟がちょっかいを
かけてくる。オセロ将棋を断ったらすぐこれだ。今
度は、マドレーヌの上にくっついてたアーモンドス
ライスを飛ばしてきて、それがちょうど、私が目を
落としてる、今まさに書こうと鉛筆を構えてたとこ
ろに落ちた。カッとなったその一瞬で、私はその下
に「マドレーヌ」を書き置くことを思いついた。そ
して、その素晴らしさに免じて弟を許してやること
にした。だからつまり、本物のアーモンドスライス
が、この日記の最初の「マドレーヌ」(点をつけた
やつ)の上にはのっかっていたのだ。
めの日記を書いている。私はつるつるして重たいこ
のテーブルと椅子が好きだからほんとはいつもここ
で書きたいんだけど、お母さんの前で書くのはいや
だ。だから今日はと思ってたら、弟がちょっかいを
かけてくる。オセロ将棋を断ったらすぐこれだ。今
度は、マドレーヌの上にくっついてたアーモンドス
ライスを飛ばしてきて、それがちょうど、私が目を
落としてる、今まさに書こうと鉛筆を構えてたとこ
ろに落ちた。カッとなったその一瞬で、私はその下
に「マドレーヌ」を書き置くことを思いついた。そ
して、その素晴らしさに免じて弟を許してやること
にした。だからつまり、本物のアーモンドスライス
が、この日記の最初の「マドレーヌ」(点をつけた
やつ)の上にはのっかっていたのだ。
オセロ将棋についても一言。これは、私たちの間
で流行の兆しを見せているゲームのことで、オセロ
と将棋を交互に進めて、オセロでひっくり返した数
だけ、将棋の手を進めることができる。もちろん、
真面目にやったら中盤ですぐに将棋が終わってしま
うから、このゲームの面白さは、私の手加減の具合
にかかっている。いかにしびれる勝負を弟に演出し
てあげるかというのが、私にとってはゲームなの
だ。でも、そんなだから、どうせすぐに飽きてしま
うだろう。
で流行の兆しを見せているゲームのことで、オセロ
と将棋を交互に進めて、オセロでひっくり返した数
だけ、将棋の手を進めることができる。もちろん、
真面目にやったら中盤ですぐに将棋が終わってしま
うから、このゲームの面白さは、私の手加減の具合
にかかっている。いかにしびれる勝負を弟に演出し
てあげるかというのが、私にとってはゲームなの
だ。でも、そんなだから、どうせすぐに飽きてしま
うだろう。
そんなことも知らないで、弟は「やろうやろう」
の一点張り。今も言ってる。無視していたらしまい
に後ろから椅子をけってきた。私は怒って、でも少
しはふざけた気持ちで、ねじ木(これは、お母さん
のタンスの上に置いてあるねじれた木の棒のこと、
ほんとに、まったくの木の棒、どうしてこんなもの
があるのかはわからないけど、縁起物ということら
しい)まで突っ走って、そいつで弟のおしりをたた
こうとした。でも、狙いがはずれて腰の横の硬い骨
に当たって、カツンと高い音が響いた。弟は崩れ落
ちて、よくわからないけど笑っていた。それを見た
私も、こうして日記にもどってきてからもずっと笑
っている(字がふるえているでしょう)。
の一点張り。今も言ってる。無視していたらしまい
に後ろから椅子をけってきた。私は怒って、でも少
しはふざけた気持ちで、ねじ木(これは、お母さん
のタンスの上に置いてあるねじれた木の棒のこと、
ほんとに、まったくの木の棒、どうしてこんなもの
があるのかはわからないけど、縁起物ということら
しい)まで突っ走って、そいつで弟のおしりをたた
こうとした。でも、狙いがはずれて腰の横の硬い骨
に当たって、カツンと高い音が響いた。弟は崩れ落
ちて、よくわからないけど笑っていた。それを見た
私も、こうして日記にもどってきてからもずっと笑
っている(字がふるえているでしょう)。
私は、どこの誰に向けて「オセロ将棋」や「ねじ木」の説明をしているのだろうか。叔母はこういうものを読みたくなかったのかも知れない。なぜなら、それは意識的にせよ無意識的にせよ、また遅かれ早かれ、叔母に向けて書かれているに決まっていたからだ。
私は叔母に褒めてほしかった。素敵なアーモンドスライスの思いつきを、今にすれば気取った自己注釈を、余さず読んで欲しかった。だから、近所の祖父の家(開業の眼科医で、住まいは二階と三階にある)に住まう叔母が訪ねてくるたび、リビングで話に興じて油断したり、うっかり机の上に出しておいたまま遊びに行ったりしていたというのに、最後まで手を付けることはなかったようだった。
もちろん、こっそり読んでいないとも限らないけれど、それを確かめることもできない。笑いやんでいるところを見ると弟のしびれも治まったようだし、叔母も亡くなってしまった。もう三年になるが、ねじ木だけが相変わらず簞笥の上に立てかけてある。