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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマは
2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアットです!
 


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――
今回は急逝したWWEスーパースター、ブレイ・ワイアットについて語っていただきます。

フミ テリー・ファンクさんと同じ日にお亡くなりになったのですが、79歳のテリーの場合は天寿をまっとうした感がありましたが、36歳のブレイ・ワイアットにはあまりにも早すぎたんじゃないかという思いがあります。

――
ショッキングでしたね……。

フミ
 そんなに長いレスラー生活ではなかったけれど、2010年代で最もセンセーショナルな活躍をしたWWEスーパースターだった。太く短く生きたというか。

――
デビューしたのが2009年ですね。

フミ
 ブレイ・ワイアットに変身したのが2012年ですから、あのキャラクターで活躍したのは10年ちょっとだった。WWEを熱心に見ているファンならブレイ・ワイアットがいかにビッグなスーパースターであったかを理解できますが、日本のプロレス・シーンとそれほど関わりがあったわけではないので、日本のプロレスを中心に見ているファンにはそれほど馴染はないかもしれない。日本との接点ということをいえば、ブレイ・ワイアットのお父さんはマイク・ロトンドですよね。

――オールドファンからすると、マイク・ロトンドのほうが知っているかもしれないですね。

フミ
 マイク・ロトンドはバリー・ウィンダムとのUSエクスプレスという人気タッグチームでWWEで活躍し、“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスとのコンビではIRSというリングネームでも活躍。WCWではマイケル・ウォールストリートというリングネームでnWoのメンバーだった。そのマイク・ロトンドがバリー・ウィンダムの妹と結婚して生まれた子がブレイ・ワイアットだった。

――
ブレイ・ワイアットにとってバリー・ウィンダムは叔父さんにあたるんですね。

フミ
 ブレイ・ワイアットは1987年生まれ。1987年といえばアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの巌流島があったり、それこそ新旧世代闘争があった年ですね。バリー・ウィンダムとマイク・ロトンドは86年に全日本プロレスに来日したんですが、ボクとかはマイク・ロトンドがバリー・ウィンダムの妹と結婚するという話をそのときに聞いてたんですよ。

――
その翌年に生まれた子がブレイ・ワイアットだったわけですね。

フミ
 本名はウィンダム・ローレンス・ロトンド。ファーストネームのウィンダムはバリー・ウィンダムからもらったんです。ブレイ・ワイアットが亡くなったあと、WWEのTVショーが始まる冒頭でワイアットを偲ぶ“イン・メモリー・オブ”のグラフィックが映し出されましたが、そのときはブレイ・ワイアットではなく「ウィンダム・ロトンド、またの名をブレイ・ワイアット」と本名が先に紹介されていたのが印象的でした。

――血筋も紹介したってことなんですね。

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フミ
 マイク・ロトンドの長男で、バリー・ウィンダムとケンドール・ウィンダムの甥っ子。ウィンダム兄弟の父親、つまりブレイ・ワイアットの祖父は新日本、全日本、国際プロレスにも来日したブラック・ジャック・マリガン(本名ボブ・ウィンダム)。由緒正しい三世レスラーです。だから、デビューしたころはアクセル・マリガン、タンク・マリガン、タンク・ロトンド、デューク・ロトンドといった試作品のリングネームを使っていました。

――
プロレスファミリーをアピールしていたと。

フミ
 ブレイ・ワイアットはハイスクール時代はレスリングでステート(州)選手権のチャンピオンになっている優秀なアスリートだった。フットボール奨学金で大学に進み、カレッジでは4シーズン在籍した。

――
あの巨体だからフットボールでも活躍できますね。

フミ
 体重は285ポンドですから130キロぐらいあるんですが、アメリカのフットボール選手の特徴で、どんなに巨大でも動きが速い。巨体なのに身軽といえばバンバン・ビガロみたいなタイプですよね。2016年にWWE日本公演が両国国技館であったとき、ボクがバックステージをウロウロしていたら、ローマン・レインズやセス・ロリンズ、ディーン・アンブローズ時代のジョン・モクスリーが歩いていた。みんな背が高いんですが、向こうから歩いてきたブレイ・ワイアットもまた大きかったですね。

――
血筋も体格もプロレスラー向きだったと。

フミ
 大学はフットボールのシーズン後、卒業前にやめてしまって、2009年にWWE直営のレスリングスクールFCW(フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング)でプロレスを学び始めます。当時はWWEのパフォーマンスセンターができる前だった。FCWでは叔父さんのバリー・ウィンダムやスティーブ・カーンといった名だたる元レスラーからコーチを受けてその年にデビューしました。

――
卒業前にやめてまでレスリングスクールに入ったということは、もともとプロレスラー志望だったんですね。

フミ
 そこはもう子供のときから運命づけられていたのではないでしょうか。あの独特のプロレス的頭脳を見れば、三代続くプロレスのDNAは明らかでした。少年時代からプロレスラーになるつもりだったわけですから、当然、筋金入りです。

――
頭脳、血筋、体格。すべてを兼ね備えていたわけですね。

フミ
 それでもすぐに売れたわけではなかった。ブレイ・ワイアットの身体つきはWWE的じゃない。ヒゲのない素顔はすごく優しい感じで、ぽっちゃりしていた。WWEでは、とくにトリプルH以降の世代はやっぱりボディビルダータイプ、逆三角形の身体を求められますよね。


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