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ロード・ウォリアーズの衝撃■斎藤文彦INTERVIEWS
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ロード・ウォリアーズの衝撃■斎藤文彦INTERVIEWS

2020-11-08 20:16
  • 7
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマはロード・ウォリアーズの衝撃です!




Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー

日本発世界…コロナ禍の近未来ビジネスモデル

■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代

■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論

■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方

■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』


AEWチャンピオンベルト盗難事件

■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう


■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する


■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性

■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される
 

■レッスルマニアウィーク現地取材レポート

■平成という「アントニオ猪木が去った時代」

■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか

■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか


【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった


■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ


■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』


■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか


■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」


■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で


■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に

■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――

■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう 

■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活

■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括

■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語

■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」


旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー

■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!

■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!

■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇

■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ

■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」

■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る

■『1984年のUWF』はサイテーの本!
■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 

■「現場監督」長州力と取材拒否

■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男


■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか


――
フミさんはロード・ウォリアーズとは長い付き合いだったんですよね。

フミ かれこれ36~37年の付き合いでした。ホークの家にもアニマルの家にも行ったことがありますし、ホークの結婚式にも行きました。1回目の結婚式ですけどね(笑)。

――
“1回目”(笑)。

フミ
 いま40代から50代のプロレスファンだったら、ロード・ウォリアーズが歴史に残る偉大なタッグチームだったということは認識できているはずですけど、プロレスファン層にも乖離があって。30代のファンからすると、WWEのリージョン・オブ・ドゥーム時代のウォリアーズの姿しか知らない。そうすると「プロレスの歴史を変えたタッグチーム」として見えなかったりするんです。

――
80年代の彼らの快進撃を見ないと、ウォリアーズの衝撃は伝わらないですね。

フミ
 それはウォリアーズにかぎらず、すべてのプロレスに世代の断層はできているのかもしれませんが、ボクの中の理解ではWWEにいた頃のウォリアーズは幸せなチャプターではなかった。WWEで光るスーパースターもいれば、 WWEの中では光を消されるというのかな、そういうタイプのスーパースターもいた。他団体のメインイベンタークラスがWWEと契約した途端、WWEの方法論の中に押し込まれてしまって、なかなか魅力を発揮できないケースは多かった。光を消されてしまったプロレスラーがいたのは事実です。

――
ウォリアーズが最も輝いていたのはWWE入りする前のことですね。

フミ
 ロード・ウォリアーズとしてのデビューは1983年。ホークとアニマルは前年にそれぞれシングルプレイヤーとしてデビューしてるんです。2人は出身地のミネソタ州ミネアポリスにあったエディ・シャーキー道場でプロレスを学びました。マニアならばエディ・シャーキー道場のことは知っていると思いますが、そこからロード・ウォリアーズ以外にもリック・ルード、 バリー・ダーソウ(クラッシャー・クルスチェフ、デモリッション・スマッシュ)、ジョン・ノード(バーザーカー)、トム・ジンク、ウェイン・ブルームとマイク・イーノス、アニマルと親友だったニキタ・コロフ、ちょっと年下だとウォーロード、女子ではメドゥーサを輩出していますね。 

――
そうそうたるメンツですねぇ。

フミ
 エディ・シャーキー道場出身ではないんですが、スコット・ノートンはホークの高校の同級生でした。

――
ホークとノートンが同級生って“暴力教室”の匂いしかしないですね(笑)。

フミ
 “ミスター・パーフェクト”カート・ヘニングもミネソタ出身で、ホークと同じ学年で隣町の高校。お父さんがラリー・ヘニングという有名なプロレスラーだったこともあって、ハイスクール時代はエバっていたらしいんですよ。

――
リングだけじゃなくて高校時代も鼻持ちならない キャラだった(笑)。

フミ
 ホークとヘニングが18歳の頃、ボーリング場の駐車場でみんなが見ている前で決闘してるんですよ。ホークがヘニングのことを「殴る」と言い出して。デビューしたあと2人は親友の間柄になるんですけどね。じつはエディ・シャーキー道場とはいっても、 ちゃんと看板を掲げてレスリングスクールをやっていたことは一度もなくて。スポーツジムの一角を借りて若者を集めて稽古させていたんです。しかもリングはなかったので、マットの上でどったんばったん練習をするという。

――
実態はプロレススクールと呼べるものではなかったというか。

フミ
 プロレスラーになりたい若者のたまり場でもあったんです。ホークたちは80年代初頭に通ってましたが、エディ・シャーキーがコーチとして初めてデビューさせたレスラーは70年代のジェシー・ベンチュラなんですよ。ベンチュラは80年代WWFの名物解説者として人気があり、俳優業もこなしてアーノルド・シュワルツネッカーの『プレデター』にも出演。その後は政治家に転向してミネソタ州ブルックリンパークの市長にもなり、なんと1998年にはミネソタ州知事にまで上り詰めましたからね。そのベンチャラはミネアポリスに会員制ウェイトトレーニングジムを経営していたんですが、そこで毎日トレーニングしていた20歳の頃のホークがベンチュラに「プロレスラーになりたい」と相談したんですよ。でも、ベンチュラは「オマエじゃあ無理だ」と。

――
あのホークに!

フミ
 その頃のホークはジムでウエイトトレーニングをしている素朴な青年ですからね。それにAWAで人気レスラーだったベンチュラにそういった相談する若者はゴマンといたと思うんですね。ホークは何度もベンチュラに相談して、そのうちエディ・シャーキーを紹介されたんです。エディ・シャーキーは元レスラーなんですけど、本職はプロレスのコーチではなくバーテンダーだったんですよ。現役時代、バーン・ガニアと揉めてAWAの事務所のドアにピストルを撃ち込んだという有名なエピソードの持ち主。犯罪まではいかないですけども、危ない仕事をなんでもこなすオッサンで。

――
『あしたのジョー』の丹下段平的キャラというか。

フミ
  教えることは嫌いではなかったんで、集まってきた若者は昼間はジムでウェイトをやって、夜は酒場のバウンサー。日本でいうと用心棒なんですけど、 アメリカのバーというのは必ず入口のところに体格のいいバウンサーが座ってて、いわゆるセキュリティですよね。エディ・シャーキーがバーテンダーをやっていた「グランマビーズ」というバーのバウンサーをしてたのがアニマル、ニキタ・コロフだったりするんです。

――
バウンサー軍団だったリングスオランダに引けを取らない(笑)。

フミ
 ホークが働いていた「モービーディッグ」というバーには、WWEで囚人キャラをやっていたネイルズもバウンサーとして働いていました。なぜこれだけプロレスラー志望の若者が多かったといえば、ミネアポリスはAWAの本拠地だったので伝統的にプロレス人気の高い土地。それにレスリングはハイスクールだとウィンタースポーツですよね。北部で雪国のミネソタはレスリングが強い土地柄だったんです。

――
土地にプロレスが根付いていたんですね。

フミ
  AWAという団体は日本のプロレスと構造が似ていて、選手を30人近く抱えながら北部、中西部の各州をサーキットしていたんです。テレビ中継は土・日の朝11時から放送してて、週末には家族が集まってAWAのプロレス番組を見るのがミネソタの習慣。プロレスが身近にあったことでプロレスラー志望の若者が多かったんですが、その入口としてはミネソタにはレスリングスクールが2つあった。そのひとつのエディ・シャーキー道場はどちらかといえば裏街道、もうひとつはメインストリームのブラッド・レイガンズ道場。レイガンズ先生は76年のモントリオール五輪のレスリング代表でした。 

―― 経歴だとバーテンダーとは格が違いますねぇ。

フミ
 レイガンズ先生はプロレスに転向したんですけど、選手としてはそこまで欲がなかったというか、大成しませんでしたが、どちらかといえばトレーナーやコーチタイプとして優秀なんですよ。レイガンズ先生がコーチする選手は、すでにデビューしていてブラッシュアップが必要な選手だったり、上がるリングが決まっていた選手だったり、他のアマチュアスポーツで実績を残してる選手がプロレスラーに転向するときに、8週間とか短期間で集中的に教えてくれるんです。

――
特別キャンプを張るわけですね。 

フミ
 レイガンズ道場でトレーニングしたのはベイダーやWWEで活躍したJBL、 マサ斎藤さんからの依頼で新日本でデビューすることが決まっていたトニー・ホームやドン・フライ、すでにデビューしていたんだけど、試合経験が足りなくてあまりうまくなかった新日本来日直前のスコット・ノートン。レイガンズ先生が手塩にかけて指導して、新日本プロレスのリングに送り込んでくるわけです。 蛇足になりますけど、レイガンズ先生の最高傑作はなんといってもブロック・レスナーですね。

――
逸材を商品として磨き上げるのがレイガンズってことですね。 

フミ
 そんなレイガンズ道場とは違って、エディ・シャーキーに習った人たちは、プロレスラー志望の地元の若者たちでした。アニマルはザ・ロード・ウォリアーやジョー・ローレンというリングネームでノースカロライナで、ホークはクラッシャー・フォン・ヘイグというドイツ人キャラでカナダのバンクバーでそれぞれデビューするんですけど、シングルプレイヤーだとあまりうまくいかずミネアポリスに帰ってきちゃうんです。 しばらくしたらジョージアのマッチメイカーだったオレイ・アンダーソンが選手を探しにミネアポリスにやってきます。彼の目的は、まだ露出しておらず、そこまでギャラが高くない才能のあるルーキーを探すこと。オレイ・アンダーソンは視察したエディ・シャーキー道場の若者の中から、「キミとキミ」とホークとアニマルの2人を指差してアトランタに連れて帰ります。それがロード・ウォリアーズが誕生した瞬間でした。
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次週が非常に楽しみです

No.1 41ヶ月前

このシリーズも大変興味深い。

No.2 41ヶ月前

中身は殆ど今月のkaminogeの連載を読めば事足りる内容。
同じ期間に同じ人が同じことを聞かれると殆ど焼き直しみたいな内容になる。
アポロもそうだった。
宝島、kaminoge、このマガジンに最近はGスピもリンクし始めて読者舐めてんのかと思う。

No.3 41ヶ月前

ベンチュラ? ベンチェラ? ベンチャラ? メチャクチャだな

No.4 41ヶ月前

それがプロレスと思います。マスコミ含めて。俺は週プロのフミさんの連載嫌いだったけどdropkickのインタビューは楽しみ。

No.5 41ヶ月前

フミの週プロコラム好きだったけど
この人香山リカの事実婚の旦那なんだってね‥‥

No.6 41ヶ月前

>>6
だからなんだよ
記事の内容と全く関係ない個人のパーソナリティについてあれこれ言うべきではない

No.7 41ヶ月前
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