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晩年のロード・ウォリアーズ■斎藤文彦INTERVIEWS
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晩年のロード・ウォリアーズ■斎藤文彦INTERVIEWS

2020-12-11 10:25
  • 5
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマは晩年のロード・ウォリアーズです!




Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー

■ロード・ウォリアーズの衝撃

■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代

■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論

■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方

■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』


AEWチャンピオンベルト盗難事件

■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう


■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する


■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性

■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される
 

■レッスルマニアウィーク現地取材レポート

■平成という「アントニオ猪木が去った時代」

■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか

■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか


【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった


■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ


■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』


■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか


■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」


■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で


■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に

■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――

■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう 

■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活

■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括

■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語

■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」


旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー

■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!

■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!

■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇

■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ

■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」

■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る

■『1984年のUWF』はサイテーの本!
■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 

■「現場監督」長州力と取材拒否

■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男


■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか



――
今回はロード・ウォリアーズ後編です。 前編はこちら ■ロード・ウォリアーズの衝撃

フミ  スーパースターとなったロード・ウォリアーズはついにWWE(当時WWF)に移籍することになりますが……その前にWCWで数年過ごします。WCWの前身はNWAクロケットプロ。1984年から開始されたWWE全米侵攻作戦により、各地のマーケットは次々に潰れていきます。バーン・ガニアのAWAや、フリッツ・フォン・エリックのダラス、シークさんのデトロイトやディック・ザ・ブルーザーのインディアナポリス、NWAフロリダ、NWAセントラルステーツといった主要マーケットも潰れてしまって、アメリカの勢力分布図ががらりと入れ替わったんです。その中で唯一勢力を拡大していったのはノースカロライナ州シャーロットを拠点とするNWAクロケットプロでした。

――
クロケットプロは弱体化した各地のマーケットを吸収していったんですね。

フミ
  それまで栄華を誇っていたNWA加盟団体の最後の砦で主役はもちろんリック・フレアー。フロリダからダスティ・ローデス、レックス・ルーガーたちがクロケットプロに移籍。ロード・ウォリアーズも加わることで、WWEに唯一対抗できるメジャープロモーションだったんです。しかし、急激に巨大化したことで制御できなくなったこともありNWAクロケットプロも88年11月に頃に沈没してしまいます。そこでNWAクロケットプロは、テレビ王テッドターナーのTBSに身売りすることになったんです。TBSが放送していたNWAジョージアのテレビ番組のタイトルが「ワールド・チャンピオンシップ・レスリング」だったことから、その略称のWCWがそのまま団体名になりました。ロード・ウォリアーズはそのままWCWにスライド移籍しますが、1990年にWWEと契約を交わします。

――
WWEにはすでにウォリアーズをマネたタッグチームがいましたよね。アックス&スマッシュのザ・デモリッション。

フミ
 ビンス・マクマホンは以前からロード・ウォリアーズを取りたがっていたんですけど、なかなか契約できなかった。だったらウォリアーズそっくりなタックチームを作ってしまえ!ということで、まずはデモリッションが登場しました。アックスの正体はマスクド・スーパースター、クラッシュは元ロシア人キャラのクラッシャー・クルスチェフ。もともとは地元ミネソタでウォリアーズとはトレーニング仲間だったバリー・ダーソウですね。

――
よくそんなパチモノを作りますよね(笑)。 

フミ
 メジャーリーグには「ウチに来るまではメジャーじゃない」という感覚があるんでしょうね。日本からはWWE がウォリアーズのコピー版を作ってそれっぽく売ろうとしてるなって見えるんですけど、アメリカには「WWEしか見ない」というファン層がいるんですね。 大げさに言ってしまえば、WWEのテレビに映っていなければプロレスにあらずと。

――
いまのアメリカもそんな雰囲気ですよね。 

フミ
 他の団体でメインイベンターだったとしても、WWEにくれば、あくまでもWWEのお作法やマーケティングに乗らなければいけない。ウォリアーズが最初にWWE と契約したときには、マネージャーのポール・エラリングは必要とされなかったんです。 ポールが“3人目のロード・ウォリアーズ”としてホークとアニマルの隣にいたからこそ、ウォリアーズは突然変異的なかたちで大ブレイクした。テレビ画面からはポールの重要さは伝わりづらいですけど、ポールは若手だったホークとアニマルに「こういう風にすれば売れる」とレクチャーしてきたんです。海千山千のプロモーターたちにうまく利用されず、ウォリアーズのブランドを壊されないように、あそこまでノシ上がれたのはポールのおかげといえる。どの土地で試合をしようが、誰が相手だろうが「負けない」ことを徹底してきた。ポールはウォリアーズの知恵袋として重要な役割をはたしてきましたが、WWEからすればもう彼は必要ではないと。ホークとアニマルの2人だけと契約しました。

――
でも、これからはWWEがプロデュースすると。

フミ
 その話の流れでいえば、ウォリアーズは自分たちの版権や知的所有権を管理してグッズなどのビジネス展開をしてきたんですが、 WWEからするとキャラクターの権利は団体が管理するのがあたりまえ。それでウォリアーズは「リージョン・オブ・ドゥーム」(以下LOD)にリングネームを変えざるをえなくなったんです。

――
それも凄い話ですよね。ロード・ウォリアーズという名前に頼らないと。

フミ
 これもまた恐ろしい話なんですか、WWEだけを見てるファンからするとロード・ウォリアーズという名前にはピンとこない現実もあるんです。 WCWもメジャー団体でしたが、ニューヨークが拠点のWWEからすると「南部のプロレスでしょ?」となる。ニューヨーカーの傲慢さといったらそれまでの話ですが。 

――
プロレスいえどもWWEは別世界ということなんしょうね。
フミ 日本から見るとさらに異様なのは、ウォリアーズがLODとして参戦したときに、ウォリアーズを模倣したデモリッションはまだ活動していて、さらにアルティメット・ウォリアーがシングル部門のトップだったんです。

――
アルティメット・ウォリアーもウォリアーズのコピーですね。

フミ
  当時のWWEの番付ではアルティメット・ウォリアーのほうが上にレイアウトされていました。 顔のペイントにしても、3分レスリングの暴走ファイトにしても、ありとあらゆる作品のモチーフはウォリアーズで、そのウォーリアーズがいなければアルティメット・ウォリアーはそもそもプロデュースされてないんですけどね。ホークとアニマルはWWEでは特別扱いされなくなったということです。対戦相手もアースクエイクを名乗っていたジョン・テンタとタイフーンの巨漢コンビだったりして、彼らと向かい合うとウォリアーズのほうが小さくみえてしまったんですよ。

――スーパーヘビー級相手だとウォリアーズ得意の暴走ファイトも難しくなりますね。

フミ
 とくにホークは自分の感性で試合をするタイプなので、WWEからあれやこれや言われるのがストレスになっていったんです。リング外でも「この飛行機に乗らなくちゃいけない」「何時にこの会場に着かないといけない」とか管理が厳しい。何か不満があっても、ビンス・マクマホンにも簡単に会って話をすることはできない。WWEのビジネスモデルというかプロレスのかたちには馴染むことができなかったということですね。

――
ウォリアーズいえどもビンスと会うことは難しいんですね。

フミ
 特別扱いはしない。LODのグッズもあることはあるんですけれど、あんまり力を入れて作ってない感じはありましたし。ロード・ウォリアーズはメインイベントに置くと輝くチームなんですけど、アルティメット・ウォリアーとの6人タッグで脇を固めたり、サバイバー・シリーズでは5vs5や4vs4の中の2人という扱いだったりすると……。

――
それだとアルティメット・ウォリアーの家来に見えちゃいますね。

フミ そのレイアウトだとそう見えちゃいますよね。それでもWWEに馴染もうと努力していたアニマルと比べると、ホークの不満はどんどんと募っていって。ウォリアーズは最終的に3回ぐらいWWEを出たり入ったりしてますね。

――
元マネージャーだったポール・エラニングもWWEに合流したり。

フミ
 ウォリアーズが最初に契約してから2年後にポールは呼ばれています。ホークとビンスが揉めてしまってポールがいれば丸く収まるだろうと。ホークがいなくなればウォリアーズでさえなくなっちゃいますからね。アニマルは「もうちょっと我慢しよう」と説得するんですが、ホークは「俺はもう出ていく」と。

――
ちなみにホークとビンスはなぜ揉めたんですか?

フミ
  ひとつだけの理由ではなく積もり積もったものがあったんでしょうね。他人が聞けば「えっ、そんなことで!?」と思ってしまうことかもしれないけど、本人からすれば「俺は絶対にこれはイヤだ」と。WWEを離れたホークは一時、髪の毛を伸ばしたそうです。とはいってもスポーツ刈りぐらいの長さですけどね。その頃にヘルレイザース計画が動き出しました。

――
パートナーはパワー・ウォリアーに変身した佐々木健介。

フミ
 ヘルレイザーズの発案者はマサ斎藤さん。ホークが1992年の秋、新日本と専属契約を交わして健介をパートナーする。最初は「ニュー・ロード・ウォリアーズ」という名前にしようとしたんですけど、ホークは「ロード・ウォリアーズは自分とアニマルのチームだから、 それは使いたくない」と。面白いのはチーム名が決まらないままシリーズが始まってしまったんです。2週目ぐらいにヘルレイザースと決定するんですけどね。

――チーム名のアイデアは他に用意されてなかったんですか?

フミ
 マサ斎藤さんや新日本プロレスは「ニュー・ロード・ウォリアーズ」という名称が使えるという感触で進めていたのかもしれませんね。ヘルレイザーズに決まったのはホークが六本木のミストラルというお店で飲んでいるときに、 店内に流れてきた曲がオジー・オズボーンの「ヘルレイザー」だったんです。ロード・ウォリアーズのテーマ曲はブラック・サバスの「アイアンマン」だった。「ヘルレイザー」はブラック・サバスからソロになったオジー・オズボーンの曲ということで、ホークの中で何かピンときたんでしょうね。
この続きと、斎藤裕、北尾vsテンタ、斎藤裕、所英男、西良典、スダリオ剛…などの12月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ

https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1980138

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コメント コメントを書く

最後の最後にビンスの新しい伝説ぶっ込んできたなw

No.1 41ヶ月前

ハロルド・メイの事否定するなら昔からレスラーと一緒に練習してみたりレスラーより目立とうとしたりした上にファン見下してた田中ケロなんかどうなんよ?って話で

No.2 41ヶ月前

結局ビンススゲーってなりました。ウォリアーズのWWFコピー版パワーズオブペインがなぜか好きでした。

No.3 41ヶ月前

しれっとメイ社長のことを笑

No.4 40ヶ月前

ブルータス・ビーフステーキ?
ビーフステーキ??

No.5 33ヶ月前
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