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NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア■斎藤文彦INTERVIEWS
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NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア■斎藤文彦INTERVIEWS

2021-03-26 16:00
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
    斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
    今回のテーマはNWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニアです!



    ■エンド・オブ・デケイド――プロレス界の2010年代

    ■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論

    ■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方

    ■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』


    AEWチャンピオンベルト盗難事件

    ■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう


    ■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する


    ■ネット社会に出現したニュータイプAEW、その可能性

    ■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される
     

    ■レッスルマニアウィーク現地取材レポート

    ■平成という「アントニオ猪木が去った時代」

    ■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか

    ■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか


    【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった


    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ


    ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』


    ■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか


    ■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」


    ■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で


    ■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に

    ■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――

    ■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう 

    ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活

    ■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括

    ■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語

    ■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」


    旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー

    ■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!

    ■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!

    ■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇

    ■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ

    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」

    ■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る

    ■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 

    ■「現場監督」長州力と取材拒否

    ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男


    ■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

    ■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか



    ――
    今回のテーマは先日お亡くなりになったジム・クロケット・ジュニアです。なんといってもNWA会長として「NWAの最後を看取った男」がクロケットなんですが、なぜ時代に飲み込まれていったのかをお聞きします。 

    フミ わかりました。世代によってはジム・クロケット・ジュニアという名前すら知らない、あるいは名前しか知らない人もいるんでしょうね。40代後半から50代、もしくはいま60代で80年代の記憶が鮮明に残っているプロレスファンならば、NWA会長としてWWEのビンス・マクマホンと戦った人という印象は強いはずです。いまやNWAという世界最高峰だった組織自体が神話というか伝説になっていますけど。

    ――
    NWAとはかつて全米をまとめていたプロモーターの加盟組織ですね。その最後の会長がクロケットで。

    フミ
     ジム・クロケット・ジュニアは今年の3月に76歳で亡くなりました。どうやら新型コロナウイルスが原因だったそうなんです。 

    ――
    ああ、そうだったんですか……。

    フミ
     クロケット・ジュニアは1944年生まれなのでビンス・マクマホンの1つ年上になります。名前に「ジュニア」がついてますが、 「ビッグ・ジム」と呼ばれていたお父さんのジム・クロケット・シニアは1935年からプロレスのプロモーターをやっていました。そのシニアが亡くなったのは1973年。 ようやく50年前の話になってくるんですけど、シニアは63歳で心臓麻痺で突如この世から去ってしまうんです。 クロケット家には3人の子供がいて、お姉さんのジャッキー、長男のデーブ、そして当時29歳だった次男クロケット・ジュニア。シニアの地盤を受け継いだのは若き日のジュニアだったんです。

    ――急死ということですが、跡継ぎの準備はしてなかったんですか?

    フミ
     やっぱりプロモーター一家ということで、お姉さんや長男もその道には入っていたんです。たとえばシャーロット・オリオーズというマイナーリーグのオーナーであったり。プロレス事業の後継者となったのはジュニアでした。地盤はノースカロライナ州シャーロットをはじめサウスカロライナ、バージニア、西バージニアの各州。いまやシャーロットといえば、WWEで活躍するシャーロット・フレアーですね。彼女はリック・フレアーの娘で、シャーロットは自分のホームタウンをリングネームにしました。そのリック・フレアーはクロケットプロモーションからスターになった選手です。

    ――
    所縁のある土地名からネーミングされたんですね。 

    フミ
     クロケットプロはお父さんの時代から統一世界王者ジム・ロンドスの派閥の流れをくむ有力なプロモーターで、戦後はNWA の加盟団体だったので定期的にNWA のチャンピオンが遠征してきましたが、シャーロットはお世辞にも大都会とは言える場所ではなかったけれど、大西洋沿岸エリアのビジネスを大きくしたのがクロケット・ジュニアなんです。70年代の半ばから80年代にかけて、ものすごく人気のあるテリトリーに成長するんですが、その理由はNWA世界チャンピオンになる前の若き日のリック・フレアーや、バカ売れする直前のジミー・スヌーカ、 WWE登場直前のロディ・パイパー、スーパースターに変貌していくリッキー・スティムボートたちがフルタイムで活躍していたからです。

    ――
    ブレイク前夜のスーパースター候補が集ってたんですね。 

    フミ
      日本でいうとちょうど闘魂三銃士や四天王が切磋琢磨していくことによってスターになっていくのと同じような過程が70年代前半当時のクロケットプロモーションにあったんです。 フレアーがスターになるきっかけも運命的で。昔のフレアーはかなり太っていて髪の毛も金髪ではなかったですが、1975年のセスナ機墜落事故によってその人生はいっぺんするんです。

    ――
    同乗していたジョニー・バレンタインが半身不随になった事故ですね……。

    フミ
     ジョニー・バレンタインは「金髪の妖鬼」と呼ばれ、猪木さんのライバルとして東京プロレスや日本プロレスに来日していましたが、クロケットプロでもトップレスラーで有名なUSヘビー級チャンピオンでした。当時は広いテリトリーを移動するために自家用セスナ機を使うことが多かったんです。墜落事故でジョニー・バレンタインは両足を複雑骨折してしまいやむなく引退。後部座席に乗っていたリック・フレアーも背骨に大怪我を負うんですが一命を取り留め、リハビリを経て半年後にはシェイプアップして痩せた身体と別人のようなルックスで復帰するんです。

    ――
    事故によってモデルチェンジでしたと。

    フミ
     これも興味深い話ですが、飛行機に乗る直前にフレアーはバレンタインと座席を交換してるんです。フレアーが後ろに座ったことで……。

    ――そこが運命の分かれ道だったんですね……。

    フミ
     生まれ変わったリック・フレアーは、当時のスターだった大ベテランのワフー・マクダニエルと戦うことによって覚醒していきます。リック・フレアーの代名詞はバックハンドチョップですよね。 日本でいえば逆水平チョップ。あれはワフー・マクダニエルと何百回も戦ってるうちに、トマホークチョップと呼ばれたマクダニエルの必殺技を自分のものにとしてアダプトしたんです。ワフー・マクダニエルはネイティブアメリカンのプロレスラーですが、リック・フレアーの「Wooooo!!」という雄叫びも、ワフー・マクダニエルの雄叫びをオマージュしたところから始まってます。 そういう背景を見ると、ものすごく面白いんです。

    ――フレアーはワフー・マクダニエルのフォロワーだったと。

    フミ
      クロケットプロにはNWAフロリダからダスティ・ローデスがエース兼プロデューサーとして合流します。クロケット・ジュニアは現場のことはローデスに任せていたんです。当時のNWAは主人公がハーリー・レイスからリック・フレアーに移り変わるときで。83年の「スターゲート」というビッグイベントでフレアーがレイスに勝利したことでリック・フレアー時代が到来します。

    ――
    「スターケード」というイベント名がつくのは珍しいですよね。「レッスルマニア」以前ですし。 

    フミ
     これはダスティ・ローデスのアイディアです。「スターケード」はスターのアーケードという造語で、スーパースターの品評会というニュアンスでした。いまではビッグイベントにこういったタイトルがつくのはあたりまえになってますから、プロデューサーのローデスには先見の明があったということですね。フレアーがNWAのエースとなったこの翌84年からビンス・マクマホンによる WWE全米侵攻がスタートするんです。

    ――
    ハルク・ホーガンをエースにして。 

    フミ
     WWEにはジミー・スヌーカやロディ・パイパー、リッキー・スティムボードも移籍。 NWAもなんとか対抗するんですけど……。まずNWA の本拠地と呼ばれていたミズリー州セントルイス地区が潰れてしまうんです。翌年にはセントラルスイーツ、フロリダ地区も倒産するんですが、それらをクロケットプロが買収していきます。

    ――
    だからNWAは生き永らえてるように見えて。

    フミ
     NWAというのはひとつの団体じゃなくてローカルごとの団体の加盟組合です。全米各地のローカル団体が加盟して、その地区を1人のNWA世界 チャンピオンを回りながら運営されていくという70年代までは成立していたビジネスモデルだったんですが、それがWWEの全米侵攻作戦によって破壊されていきます。倒産していく各地方のNWA系団体をクロケットプロが引き継ぐことで 、クロケットプロの存在が大きくなっていきますが、NWAという組織が形骸化していったのは事実です。そしてクロケットプロは84年からNWA世界チャンピオンだったリック・フレアーと独占契約を結んでしまったんです。 そうなるとフレアーはこれまでの王者のように各地をサーキットすることはなく、基本的に1年中クロケットプロで試合をすることになりました。

    ――
    こうしてクロケットプロとNWA がイコールになってしまったんですね。
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