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> その背後に「対米従属」の思考があります。
もはやパブロフの犬であり、「思考」無しでないか。
イラク戦争を振り返るRTの記事から、今次ウクライナ紛争も「ならず者国家」米国(DS)による毎度お馴染みの「狼藉」でしかないことが解る。武器/兵器で大衆がどれだけ犠牲になろうが全く意に介さない戦争屋(DS)にとっては、ウイルス/ワクチンで大衆がどれだけ死のうが知ったことでない。ウクライナ紛争、台湾有事、ウイルス/ワクチン大量死の背後に同じ勢力(DS)がいると考えることに何の矛盾もない。そんな極め付きの悪党に ひたすら「従属」するしか能がない日本は、ストックホルム症候群 同然でないか。
RT 28 Jan, 2023
「これが悪でないなら、悪に意味はない」:転機となった演説は、米国が死と破壊を解き放つ道を如何に開いたのか
https://www.rt.com/news/570557-iraq-and-big-american-lie/
2003年1月、当時の米国指導者は議会で、イラク攻撃の意図を示す演説を行った-
マキシム・フヴァトコフ記
国際安全保障、中国の政治/ソフトパワーのツールを専門とするロシアのジャーナリスト
「もしこれが悪でないなら、悪には意味がない。そして今夜、私は勇敢で虐げられたイラクの人々にメッセージを送る。あなたの敵はあなたの国を取り囲んでいるのではない。あなたの敵はあなたの国を支配しているのだ。そして、彼と彼の政権が取り除かれる日が、あなた方の解放の日となるだろう」-この約束は、ちょうど20年前の2003年1月28日、当時のブッシュ米大統領が議会への年次メッセージの中で述べたものである。イラクのサダム・フセイン大統領に関するこの演説は、大規模かつ長期的な軍事衝突の始まりへのプロローグとなり、その結果に今日でも彼の地域は対処を強いられている。
イラクが大量破壊兵器(WMD)を開発しているかもしれないという根拠のない非難は、3月20日に始まった侵攻の主な口実となった。しかし、フセインは退位させられ、処刑された。そして、米国はイラクを占領し、国を混乱に陥れ、今日に至るまでその克服に苦心している。
「だからといって、何が違うんだ?」
-とは、2003年12月、イラクで大量破壊兵器が見つかっていないことを指摘した発言に対するブッシュの反応である。
2019年の国防総省のデータによると、イラク戦争全体における米軍人の損失は4,487人に上る。民間人の正確な死者数は計り知れないが、数十万人単位で計測されていることは間違いない。
「この戦争は、米国への信頼を失墜させた。国際法を無視して、理由もなく、口実もなく、他国に介入することが可能だという例として、反米派はみなこの戦争を利用するようになった。米国を専門とする政治学者のマレク・ドゥダコフ氏は、2003年3月の決定がもたらした結果について、「米国は欧州の同盟国との関係を複雑にし、世界の非西洋諸国におけるワシントンの評判を損なった」と述べた。
■敵の敵は味方
米国のフセインに対する非難は、肥沃な土地に降り注いだ。2003年の初めには、イラクの指導者の評判は、以前の紛争における彼の行動によって、すでに絶望的なまでに傷ついていた。1980年のイラン・イラク戦争では、イラク軍がハラブジャで行ったガス攻撃により、クルド人を中心に5,000人もの死者が出た。この8年間の戦争で、化学兵器によるイラン側の直接の犠牲者だけでも、少なくとも2万人に上る。その数は、化学試薬の長期的な影響により、敵対行為の終了後に大幅に増加した。
しかし、当時の米国は、1979年にイスラム革命が起こったイランをより危険な敵として認識していたため、フセインの残虐行為には、控えめに言っても目をつぶっていた。そのため、イラクによる攻撃であることを十分認識しながら、米国はハラブジャの悲劇をイランになすりつけることを選択した、とヨースト・ヒルターマン氏はニューヨーク・タイムズ紙の記事で指摘している。
イラク戦争の初期には、米国はバグダッドの本格的な同盟国として行動していた。ニューヨーク・タイムズ紙は、情報当局と国務省を引用して、レーガン政権が1982年春にイラクに極秘の情報データを提供し、また米国の同盟国がフセインを助けるために米国の武器を売ることを許可していたと報じている。
イラクの独裁者に対するワシントンの態度が変わったのは、1990年8月のイラクによる石油資源が豊富なクウェートへの侵攻に始まる湾岸戦争が原因である。その年の 11月29日、危機を平和的に解決するようバグダッドを説得することが何度も失敗した後、国連安全保障理事会は決議第 678 号を採択した。これはフセイン政権がクウェート占領を止めるのに1ヶ月半の猶予を与えるものだった。しかし、彼がそうするのを拒否したとき、米国主導の多国籍軍連合 (MNF) は「砂漠の嵐」作戦を実施し、長い空爆の後にクウェートを解放した。 この紛争が冷戦終結後、ソ連が米国を外交的に支援した最初の紛争であったことは注目に値する。
興味深いのは、1991年、統合参謀本部長のコリン・パウエルが、すでにフセイン打倒を唱えていた国防総省のトップ、ディック・チェイニーと論争したことである。しかし、ブッシュ大統領はこの時、あえてそのような冒険に乗り出すことはなかった。
「砂漠の嵐」終結後、国連はイラクに対し、大量破壊兵器の在庫とその製造計画を廃棄し、その証拠を査察官に提供するよう要求した。バグダッドはこの決議を受け入れたが、実際にはすべての要求を満たしたわけではなかった。1998年、サダム・フセインは、査察団を「スパイ行為」と非難し、アクセスを完全に遮断した。
しかし、2002年、国連や欧米諸国の圧力により、イラク大統領は思いがけず査察に同意した。IAEAのモハメド・エルバラダイ委員長の報告書は、イラクの施設への査察で、禁止されている活動の兆候やバグダッドが核兵器開発を再開した証拠は何も発見されなかったと結論づけた。ハンス・ブリックス委員長は、この調査結果にはあまり自信がないものの、これを否定する証拠を提示することはできなかった。実際、唯一の違反は、イラク空軍に関する文書で、イラクが約6000発の化学ロケットを破壊できなかったと記されていたことである。
国際査察の結論は、ブッシュ大統領率いる米国にとっては、さほど重要ではなかったのである。
■米国は自国の都合で動く
イラクに最初に警鐘を鳴らしたのは、2002年1月28日の米議会演説で、米国大統領がイラクをイラン、北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸」の一角と烙印を押したときである。しかし、その時、米国の指導者は、イラクには たった1パラグラフを割いただけだった。
「イラクは米国に対する敵意を誇示し、テロを支援し続けている。 イラクの政権は10年以上前から炭疽菌や神経ガス、核兵器の開発を企んできた。この政権は、すでに毒ガスを使って何千人もの自国民を殺害し、死んだ子どものそばでうずくまる母親の遺体を放置しているのだ。国際査察に同意しておきながら、査察官を追い出した政権だ」とブッシュは言った。
2002年10月、議会は大統領にイラクへの武力行使を許可した。この時、生物兵器に関する議論に加え、イラク政権による弾圧に関する記述が非常に役に立った。フセインがアルカイダと密接な関係を保っているという疑惑も浮上したが、米国当局の最新のデータでは、その証拠は見つかっていない。
マレク・ドゥダコフがRTとの会話で指摘したように、その頃、米国の体制はサダム・フセインとイラク政府を絶対悪とみなしていた。イラクの指導者は何度もヒトラーと比較され、核兵器を含む大量破壊兵器を保有しているとする報道へのリークが何度もあった。
「大統領府は、ブッシュの支持率を維持するため、また9月11日以降の愛国心熱を維持するため、こうした恐怖心を積極的に煽ったのである。あのテロ事件の後、米国は明らかな敵を必要としていた。『国際テロ』という概念は、どこか抽象的で理解しがたいもののように思えたからである。さらに、アフガン作戦の初期の成功が、ホワイトハウスの頭をもたげたのかもしれない。イラク作戦を素早く無血で実行し、フセインを打倒し、中東を自分たちのために改革できると思ったのだろう。そうすれば、イランの立場は弱まり、同時に米国にとって少なからず重要な石油埋蔵量を支配することができるようになる。このような理由から、米国はイラクに関与せざるを得なかったのだ」とドゥダコフは言う。
前出のディック・チェイニーは、G・W・ブッシュ大統領政権で副大統領を務め、イラク戦争の影の立役者の一人とされる。彼は政府要職を務める傍ら、油田サービス会社ハリバートンの最高経営責任者を務め、後に占領下のイラクで油田の復旧・開発を初めて請け負った人物である。
>>6
■彼は何かを隠している
2003年1月、米国大統領は議会演説で、議会が認めた権限を行使して侵攻することを明らかにした。
「我々は協議する。しかし、誤解のないように。もし、サダム・フセインが我々の国民の安全と世界の平和のために完全な武装解除をしないなら、我々は連合軍を率いて武装解除するだろう」
ホワイトハウスの主張の一つは、フセインは「国連と世界の意見を全く軽んじている」ので、それに答えなければならないというものであったから、その時点ではおそらくまだ国連の承認を受けることを期待していた。
ブッシュは、サダム・フセインが、国際査察団が彼の国で活動している間でも、化学、生物、核兵器の開発に従事していると主張した。国連への言及は、米政権の意図に合うように紡がれた。ブリックスが口にした疑念に重点が置かれ、要するに、フセインはすでに有罪と推定されたのである。「彼は、それ(大量破壊兵器)を破壊したという証拠を何も示していない」とブッシュは何度も言った。
大統領は、米国の情報機関のデータを引用し、それによると、サダム・フセインは化学試薬を使用できる弾薬を最大で3万発保有していた。しかし、その少し前に専門家が発見したのは16個であり、ブッシュ大統領は、イラクは「残りの29,984個の禁止弾について説明をしていない」と主張した。
この告発の中で、米国の指導者は、イラクがアフリカでウランを探していたという英国政府の話や、1990年代後半にイラク政府が複数の移動式生物兵器を保有していたと主張する3人のイラク人亡命者の話にも言及した。
「サダム・フセインは、これらの活動について信憑性のある説明をしていない。彼は明らかに多くのことを隠している」
ブッシュはまた、2002年の国連安全保障理事会決議1441号にも言及し、この決議がイラクに「軍縮の義務を果たす最後の機会」を提供したと述べた。この決議には、不履行による必然的な影響は明記されていなかったが、それでもホワイトハウスは、ブッシュが発表したパウエル国務長官の発言予定の国連安保理会合に大きな期待を寄せていた。しかし、その5日前、ブッシュはブレア英首相と会談し、パウエル国務長官が「国連の腕をひねってでも侵攻決議を得る用意がある」と発言していたことが判明した。
■パウエルの試験管
パウエル国務長官は、2月5日の国連安保理特別会合で、バグダッドに大量破壊兵器が存在するという「反論の余地のない証拠」を1時間半かけて提示した。その中には、衛星写真やラジオの傍受、イラク人亡命者の尋問による情報も含まれていた。しかし、パウエルが注目したのは、現状ではなく、すなわちフセインの悪評であった。
米国務長官は、国連特別委員会(UNSCOM)が査察を始めてからわずか4年後にイラクが生物兵器の保有を認めたことを指摘した。また、パウエルによれば、1995年にバグダッドが保有を認めた炭疽菌の量、8,500リットルは、極めて低く見積もられているとのことである。
パウエルはフセイン政権の危険性を強調するために、白い粉を入れた試験管を同僚に見せた。彼はこの物質が危険だとは言っていないが、2001年に2人の上院議員に郵送された炭疽菌の芽胞が議会を閉鎖させるに足る量であることを示したかったのだと言った。
「イラク人は、彼らが持っていると認めた生物兵器のすべてを説明したことはなく、我々は彼らが持っていることを知っている・・・実際、彼らは1ヶ月で何千何万という人々を殺すのに十分な量の乾燥生物製剤を生産することができる。この種の乾燥剤は、人間にとって最も致命的なものだ」と、国務省のトップはその場にいる全員を怖がらせようと必死で述べた。
侵攻後判明したことだが、戦前のイラクに生物兵器の移動式製造ラボがあるというCIAの情報は誤りであった。このことが公表された後、パウエルは「あの演説を後悔しているが、罪の意識はない」と何度も言っている。
「私は嘘をつかなかった。真実でないとは知らなかった」
「私は国務長官であって、情報長官ではなかった」と、G・W・ブッシュ政権からの離脱を求められてから数ヶ月後の2005年のインタビューで説明している。
モスクワ大学のフランクリン・ルーズベルト米国研究財団のディレクター、ユーリ・ログレフ氏はRTへのコメントで、イラク情勢に関して米国人が行った虚偽の保証は、歴史上、初めてでも何でもない、と指摘した。
「この演説を節目の瞬間とは思わない。例えば、ベトナム戦争が始まるキッカケとなった偽旗工作のトンキン湾事件があったし、米国はパナマやグレナダなどにも様々な口実で侵略してきた。イラク侵攻までの間に特徴的だったのは、大量破壊兵器に関する非難だけである。米国がイラクに対して一方的に決断したことは、いろいろな面で世界秩序にとって大きな意味があった。議会は許可を出したものの、米国内でも強い反対があった。国連は、米国にイラク侵略の許可を与えていなかった。NATOの最も近い同盟国であるドイツとフランスでさえも反対した。しかし、米国は、自分たちが正しいと思うことを、他の意見に関係なく行う用意があることを公然と示し、とにかくこの一歩を踏み出した」と、ログレフ氏は結論づけた。
■最後の試み
3月10日の国連安全保障理事会の前夜、戦争につながる決議に反対する理事国が依然として多数を占めることが明らかになった。しかし、それは米国を止めることができなかった。それでもロシアは、戦争を阻止するために最後の必死の努力をした。
2003年3月18日、プーチン大統領の命により、国家会議副議長で元首相のエフゲニー・プリマコフがバグダッドに急行したのである。大統領を辞めなければ大惨事は避けられないと、フセインに自主的な辞任を申し出た。
「私は彼にこう言った。もし、あなたが自分の国と国民を愛し、国民を犠牲から守りたいのなら、あなたはイラクの大統領を辞めなければなりません」と、プリマコフはジャーナリストに語った。これに対してイラクの指導者は、「第一次湾岸戦争の時も辞任するように説得されたが、いずれにせよ戦争は避けられないことが分かった」と言った。「その後、彼は私の肩を叩いて去っていった」と語った。また、ロシア代表は、イラクが『"国際査察団の活動を円滑にするためにあらゆることを行う必要がある』"と強調した。プリマコフ氏によると、この会話の後、イラクはそれまで拒否していた禁止ミサイルの廃棄を本当に始めたという。
しかし、3月20日、米国は国連安保理の承認なしに、ブッシュの言うように、「イラクの武装解除、イラク人の解放、そして全世界を深刻な危機から守るための軍事作戦」を開始したのである。作戦は、バグダッドへの空爆で始まった。イラク軍は3週間で敗走し、フセインは打倒されたが、真の勝者はいなかったのである。
>>1
>信頼性がなく、人の物を平気で自分のものといって恥じない気質が国民性であれば、侵略されない事を第一に考えることが不可欠でしょう。日本人だけ善人面しても始まらない。
このての偏向した中国批判は論理性と合理性に欠けるため、淘汰されることでしょう。まさに私が定義するウヨクそのもの。
こうした不見識を、どうどうとこの場に開陳できるところが、change氏のスゴイところ。
しかも、この程度の批判は、アメリカにも日本にも当てはまりますから。どの口が言う?みたいなもの。
「日本人だけ善人面」とは失笑です。私は日本人の国民性を考える際、少なからず「恥」の観念を持っていますし、近代史の観点から日本人として、日本を「善人」と見做すことに多いに躊躇いがあります。
ご年齢を推察すると、軍国少年の感性のまま、生きてこられた自己肯定感の遺物、或いは怪物でしょうか?change氏は興味深い人です。
>米国に従属しても米国の力が弱くなれば侵略される可能性が大きくなる。
では、一つの質問です。中国に従属する選択肢があります。中国に従属することによる平和と安定が有り得るなら、それはあなたはどう考えますか?
>>8
私の脳裏には、20世紀の3大悲劇が浮かんでいる。
アルメニア人虐殺とホロコーストとホロモドールである。
1932~1933年にスターリンの時計画され実行された大飢饉であり、「ジェノサイド」といわれるようなものである。
ウクライナの農民が強制的に移住させ、家畜や農地を奪った結果大規模な基金が発生330万~600万人とおもいわれる餓死者、犠牲者を出した。ウクライナ人のロシアに対する不信感は消え去ってはいない。
日本人が米国に負けたからといって戦後の米軍は情け深かった。我々は給食によって餓死することなく今日まで生きてきた。私達はウクライナの人々がソ連から受けた「ジェノサイド」といわれるような餓死経験をしていないからソ連の非情さを理解していない。
ソ連は隠ぺいしていたが、1980年代になって大飢饉による餓死者の存在を認めた。
中國はウイグルの問題を隠ぺいしているが同じように「ジェノサイド」と見ている。
このような国々に従属するなど考えられないことです。
>>9
>日本人が米国に負けたからといって戦後の米軍は情け深かった。
いやはや・・・。絶句です(笑)。戦後?
アメリカによる沖縄戦、鉄の暴風。原爆投下。都市大空襲。
お忘れのようですね。しかし、高齢だから忘れているとしても、やはり非論理的であり、不合理な思考であり、偏向していることには変わりはありません。
あなたな、親米ウヨクですか?
だとすると、石原慎太郎にすら、及ばなくなっている。絶句・・・。
>>10
changeさんの年代の日本人にはよくあるようですよ。
キチクベイエイの軍国少年が終戦後、裕仁からマッカーサーへ
一瞬にしてあがめる対象を変えてしまう。
アメリカ的なものはなにもかもがすばらしい。
アメリカ万歳。
わたしは岡崎久彦なんて人物にもそれを見ていました。
良いも悪いもない。
米国に一目惚れ、ああ、米国人に生まれたかった。
それではいくら何でもカッコ悪いので、
アングロサクソンは怖いぞ。
日本はけっしてアングロサクソンに逆らってはいけない。
なんてエクスキューズを言って内心の真実をごまかした。
あんなのが外務省の要職にいたのでは日本が道をあやまるるのは
当然でしょうね。
岡崎的な戦中派日本人はごろころいると思います。
>>11
>岡崎的な戦中派日本人はごろころいると思います。
ホント、そうなんでしょうね。
ただ、岡崎さんはウィキペディアによると幅のある人物だったようです。このへんの思想的「幅」については、先ずは孫崎先生の受け止め方に従いましょう。
一方、change氏にどの程度「幅」があるのか、今のところ見えません。それどころか、自らの意見の応援団だからかどうか知りませんが、ネトウヨを「評価」する始末。
人生の年輪と見識は一致したいものです。これは私の自戒であり、ヒトのことではありませんが。
はは、今回はスルーのつもりだったが、喧嘩売られてるので、買っておこう。
ほんとはネトウヨと言う言葉の使い方にも、問題あるけど、
今回はパス。ただしネトウヨってのは罵倒表現ですからね。
で、
※ 自分のきらいなBさんを、Aさんが評価してるように自分にみえるから、
Aさんはダメだと赤の他人の前で言う
ってのが今回の低学力氏ですね。
こういう言い方は、見識のあるひとはしないものですよ。
人生の年輪と見識は一致したいものですねえ。
>>13
まあ、ですがわたしの中では岡崎という人物は、日本を
米国追従の奴隷国家の道に引きずり込んだけっして許せぬ男のひとりとして
ながいあいだわたしの中で定着しています。
いくら孫崎さんが、良いところがたくさんあった、教わることも多かったと
おっしゃったところで、そりゃ上司と部下ではそういうこともあるだろうと
思いますが、岡崎久彦は今日の日本のありようについてけっして免責されない
悪人とわたしの中では定着されています。
>>15
>岡崎久彦は今日の日本のありようについてけっして免責されない悪人とわたしの中では定着されています
確かに人間性により悪行が免責されるわけではないですね。人間だれでも、多少なりとも「人間味」はあるでしょうから。私の考え方は次元の違う論理でした。
今や対米従属論=日米安保体制は危険な時代錯誤でしかないと考えています。
ご指摘、よくわかりました。