私達は、どこまで正確な情報を原発事故の時に受けていたのか。
坂井宏著『報道の正義 社会の正義』より(部分的引用)は貴重な問題提起をしている。
我々は今日報道を100%信ずることが出来ない、証拠の一つだ。
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福島第一原発が水素爆発を起こした3月12日午後から13日にかけて、現場近くで活動していたさまざまな企業や組織と同様に、メディアの記者、カメラマンも大半が、本社からの指示で危険な絵エリアから避難した。
放射線被ばくの不安におびえる住民を置き去りにし、記者が逃げ出していいのか。朝日は2012年11月、この問題の検証をt連載企画で始めた。勝ち回目の連載でいわき市在住の元朝日新聞記者、丸山賢治が登場する。後輩記者たちがいつの間にか消えてしまったことを知り、丸山はかつての同僚に次のようなメールを送る。
「全国紙記者は地震翌日、原発が深刻になっ
コメント
コメントを書く権力側は、権力側に都合の悪い情報は隠蔽する。
隠蔽する理由が、敵対する国家間のことにつながるのであれば許容される。
国民の直接的危険につながる情報が隠蔽されることが許されるのか。
この判断が正常になされる組織はどういうものか。
この本質論を棚上げにして、国会に隠蔽を防止する方策を海外に求めても土台があいまいでは、机上の楼閣になってしまう。
何故、現在のような、無思慮な現実的権力者ばかりが闊歩する時代になってしまったのか。
平和を貪る無気力な体制任せの人間が多くなってしまったということでしょうか。
正常に批判が機能しない体制社会からは、危険を察知することも出来ず、夢も活力も沸いてこない。
社会全体が病んでいる、狂っているのではないかと、考えることは無駄ではない。
貴重なご投稿であり、ありがたい。
かなり焦点がぼけたことを書くけれどご容赦ください。秘密保護法も通って原発の正確な情報が伝わらない世の中になっていくのは覚悟しています。そこに権力側がつけいる隙があることもわかっています。それを前提に言わせてもらえば、その隙を埋めるのは市民の力で我々自身が試されているのであって、その気になればそんな壁は大した壁ではなくなる可能性もあります。それも市民次第です。それから利害が衝突するという批判は、個人的には正しくないと思っている。レイアーの違う話で、それぞれにベストを尽くしてもお互い利害が衝突することはありえない。どちらか一方を選べという意見はそれで状況が改善すると思っているのだろうか?より良くなると考えているのだろうか?少なくとも僕はそんなこと考えたこともないし、絶対にしないで欲しいと思っている。
少し靖国に触れる。過去の失敗から学ぶこと、敵の姿を認識することは必要だと思うが、自己否定や必要以上の感情の浪費は必要ないと思う。むしろ怖いのは周辺諸国の無理解で、最大の壁はここだと思う。でも人間を深く理解するものならきっと受け入れてくれるはずだ。そういう国になればいいと思う。問題をきちんと見つめていけば、どうしてこんなことに必要以上にとらわれていたのだろうと思うのではないかと個人的には思う。
悪いことは悪いといって欲しい。間違っていることは教えて欲しい。価値観はぶつかり合うこともあると思う。それが歴史というものではないだろうか?
各メディアは「ただちに人体に影響はない」という政府発表をそのまま報道する一方で、住民に何も知らせずに社員を避難させた。
政府発表をそのまま報道するのはメディアとして当然の行為である。メディアが政府以上に科学的な状況判断ができるとは思えないから。また、政府の発表を信用しないで、自社の社員を避難させるのはメディアの法人としての行動は、個人が同様な行動をとるのとおなじである。メディアには一般の個人、法人に課せられている以上の特別な義務はない。メディアの報道を信じるか信じないかは個人の自由である。
「ただちに人体に影響はない」という政府発表は、災害から3年近く経った今、振り返ってみて正しい判断であったと言わざるを得ない。放射能で病気になったり、死んだ人はほとんど無い(或いは皆無である)から。
原発が爆発した途端に逃げ出した記者たちは、単なる「野次馬」に過ぎず、ジャーナリストではないと思います。
これでは、現場の緊迫した情報を伝えられるはずがありませんし、まして、根源に潜む重大な問題点など、記者自身が認識できないでしょう。
イラク戦争の時も、現地住民にカメラを預けて情報提供を依頼し、記者たちは帰国していました。
さらに深刻なことは、政治がおかしな方向に偏っているのに問題点には目もくれず、表面的な報道しかできなくなったマスコミが、責任感すら感じていないことです。世界から非難を受けても、政権に不都合なことは報道しないメディアに、存在価値があるでしょうか。
>>5
メディアに過大な期待をしてもしょうが無いでしょう。どうしても戦争の実態を知りたければ自分で現地に行けばよいでしょう。あなたがメディアに払っている金額は僅かなものであり、メディアの人間に、あなたが自分では怖くてできない行為を要求する権利があなたにはあると思いますか。そんなメディアでは意味がないというなら、あらゆるメディアを無視するしかありません。メディアは情報を売るという、1つの商売に過ぎませんから。官僚、政治家、メディアに対して不満なら、自分でやることを考えてみたらいかがでしょう。他人を批判するだけの市民に何かの権利があるでしょうか。市民の権利は税金分しかないと考えるべきです。自分の属する国が不満なら、好みの国に移住するしかありません。国と言う組織は所詮それだけのものです。
報道記者は事実を正しく報道しようと心がけずに、本社の意向を気にしたり、自分の安全を先ず第一に考えてるに違いありません。自分さえよければよいという風潮です。給料をもらえて自分が食べていければそれで良いらしいのです。
ほんとうに真なることを求めません。ゆえに大切な記事を読むためにはwebsite for justiceに私は頼ります。
日本には神、仏、八百万の神があり、「およそ真なること」を求める人たちは少ないのです。故に一神教の人たちからみれば、日本は変な社会です。人々は物事の内容をよく確かめないで、上からの命令に従います。
敗戦後民主主義が与えられましたが、それが意味することは複雑です。小学校4年生の時に新憲法を教えられた私は疑問がたくさんありました。しかし多くの人は言葉の意味を深く理解しようとはしませんでした。
安倍氏が国会で矛盾することをいわれても「変だな」と気が付くひとが」少なすぎます。
5年くらい前NHKの英語指導の番組で米国人が「このお記事はほんとうかなと疑問を持つことが大切だと云っていました。
安倍氏は外国のトップと会談して、軽く見られても全く気が付かない人として、普通の日本人と全く同じです。これでは日本は国際社会の中では生きていけません。真なることを求める訓練を皆自分で努力しましょう。
新聞報道を鵜呑みにしてはいけません。
>>5
お怒り、至極全うな見かた考え方と思います。メディアが自由に競合して、記事の内容を競い合うようになれば、お話のようなことがなくなり、私達国民が自由に情報を選択しえられます。残念ながら、日本では政府が既存大手マスコミを規制で保護し、体制の広報機関にしています。現在、NHKに受信料を払っていますが、米国のCSテレビのように、自由に国民が好きな番組を見られるようにすれば、今のようなくだらない番組でなく、私達国民が自由に情報を得られるようになります。日本は、民主主義社会のようですが、国家政府の都合の良い情報だけを得られるようにされていると考えるべきでしょう。マスメディアに問題があるというより、制度に問題があり、日本を普通の国にするためには、マスメディアに競争を入れなければならないのです。本来あるべき姿で言うと、TPPはメディアを対象にしなければならないのです。