臆面もなく、「“川内”優先審査 原発を再活用する第一歩に」という標題をつけた。
「電気料金が上がった。再値上げを検討中の電力会社もある。産業や国民生活への影響が深刻であることを軽視すべきではない」、、しかし、今福島原発事故の処理に一体いくらのお金を国民の負担で払っているか。おれは本来原発の電気代に組み込まれるべきもので、その際は途方もなく高額になる。経済面で原発国とは決して約区はない。
凄い文がある。
「懸念されるのは、規制委が、審査書案の段階で意見公募や公聴会の実施を予定していることだ。」
国民の意見など聞くなと言っている。
「そもそも、自らが科学的観点からまとめた審査書案に、改めて外部の意見を求めるのは、規制委の信頼を損なうものだ」と、密室で決めたらそれを実施しろと言う。批判にさらすなと言う。
「膨大な意見への対応に相応の人員を割くことになり、肝心の川内原発
コメント
コメントを書く原発存続の可否を検討するに耐えうる一つの論文がある。2013年1月9日付け公益社団法人日本経済研究センターの「震災を超えて、原発存続の条件を考える」である。あらゆる側面から分析しているが、存続する条件はかなり厳しくなっている。どちらを選択するかは、国民の選択に委ねるべきであり、少なくとも、今回の自己責任を免れない政府、官僚、電力業界、マスコミが自己主張する資格はないといえる。先ず原発収束、国民に安心を与えてから発言すべきであり、存続問題については、「まな板の鯉」であるべきです。孫崎さんご指摘どおり、読売は事故の責任の一翼を担っていながら、規制委員会の手足を縛りかねない発言をするのは、無責任極まりないといえます。
当然の事ながら、存続を決める権限を持っているのは甚大な被害を受けた国民一人一人であり、本来は国民投票によって決めていくのが、民主主義国の本来あるべき選択です。
>>1
『福島原発事故の処理費用を、ある電力の専門家が計算して数字を見たことがあるが、大した額ではなかった。』とするoldjapさん。大した額では無かったと言うのであれば、国民から上乗せ徴収は如何なものか。事故は東電の「自己責任」が新自由主義下の資本主義の大原則。幾百万の国民に負担させれば、一見すると「小さな額」という数字のマジックを識らなさすぎる、批判さきにありきの批判意見。
なぜ読売が国民のための新聞でない、と国民自身が気づかないか。
世の中全体が右に大きく傾いているからでしょう。
田原総一朗が産経が右、読売が真ん中で朝日が左と言っていました。
まともなひとなら産経を一般紙のくくりには入れないとおもいますが
(一般紙のふりをしてるイェローペイパーでしょう)それはともかく
彼自身、世情にあわせてゆっくりと、しかしおおきく右旋回しました。
宮崎哲弥などむかしの発言からすると別人に変わりました。
営業上必要な変身なのでしょう。ヒトは経済動物の代表ですから。
そういう世の中です。
安部政権が誕生したとき「右翼が総理大臣に舞もどっちまったなあ」と
わたしが嘆いたら、そばにいた友人が(健全な常識人です)そんな極論を
かるがるしく自国の総理大臣にたいしていうものじゃないと私をたしなめ
ました。
右翼を右翼団体の構成員であると狭義の意味にとったのかと思いきやそうでなく
安部の体質から危険な戦前回帰思想をまったく読み取っていないのです。
ふつうの総理大臣とおもっています。
そういう時代です。
そりゃ読売はのさばるでしょう。
>>2
今の日本は決して民主主義とは言い難い国家になっている。民主主義とは主権者の国民が決めて統治するシステムの筈。しかし主権者国民の意志に関係無く、マスコミを裏動員したりカムフラージュを施しながら「政官財癒着」ムラの輩が勝手な統治を進めている。ほんの一握りの収奪者とその取り巻きの利益のために。北朝鮮を嗤ってはいられないほど日本の民主主義は劣化している。
>>1
事故処理の金を東電は払えないでしょ?大した額じゃなければさっさと払えばいいじゃん。
>>1
事故処理の金を東電は払えないでしょ?大した額じゃなければさっさと払えばいいじゃん。
> 読売新聞は国民のための新聞ではない。大企業に奉仕する新聞だ。何故多くの読者はそれに気づかないのであろう。
読者がそれに気づこうが気づくまいが、読売のみならず、大手は何処も彼処も、多かれ少なかれ「御用メディア」化する一方でしょう。
何故か。一昔前なら、孫崎さん他、かつて権力の中枢におられたような方が、一般国民向けに権力側の嘘と詭弁を日々バラすようなことなど、あり得なかったわけです。
それが、このネットの時代、連中のデタラメが連日「種明かし」されてしまう。
こうなると、政府、大企業、etc.ら支配層を国民から「守る」ために、こと政治/経済絡みの記事については、もう必死に提灯記事を書くしかありますまい。
>>1 Oldjap氏へ
批判も結構だが、もう少し「論理」というものを考えていただきたい。
孫崎氏が「途方もない高額」と書けば「抽象的な表現では全く説得力がない」と言われるが、ご自身が「大した額ではなかった」と主張される際にはどのように「大した額」でないのか具体的な説明がない。人のいうことは「抽象的」に思われるようだが、第三者の目からするとご自身の説も同様に「抽象的」で「全く説得力がない」。単に自分の主観でケチをつけているだけ。
昨日は伊予灘で地震があった。九州在住の自分も地震にあった。揺れは結構長く感じられれ、一分くらいは続いただろうか。幸いに自分の身の回りでは被害はなかったが、改めて原発事故への不安を感じた。今回の震源地は伊方原発のすぐ近くである。今回は無事だったようだが、次はどうか?東南海地震が来ても大丈夫なのか?もし伊方や玄海や川内で事故が起こったら、日本全体が放射能で汚染されてしまう。
こんな不安を全国50基の原発の周りでみんなが抱えている。全ての原発が、今後どのような天変地異が起こっても事故を起こさないという「奇跡」が続かなければ我々の生活は成り立たない。なぜこの様な不安を抱えたまま生きていかなければならないのか。
原子力は嫌だ。絶対に嫌だ。百歩譲ったとして、なぜこんな地震だらけの日本に原発なんか作るのか。そんなに原子力が好きなら、読売は福島第一原発のすぐそばに社屋を移して、社員は地産地消で放射能が入っているかもしれないが「直ちに影響はない」レベルの「国の基準では安全な」食べ物を食べて生活して欲しい。それが出来ないなら原子力を肯定するような主張は直ちに止めていただきたい。
この3年で損害賠償支援機構から東電への資金援助は既に4兆7888億円に上り、そのうちの1兆円は返済しなくても良いそうです。更に今後交付金枠は9兆円に拡大、8兆円弱の借り入れ金に加えて2兆円の借り入れ計画とか。総額20兆円に及ぶ借金を東電は抱えるそうです。年間1000億の返済でも200年かかる返済って返す気無いですよねw,てかありえませんよ。そんなにまでして東電を残す意味なんてどこにあるんですか?借金返済で大変だから原発被災者への中途半端な賠償、中途半端な事故対応、中途半端な除染で許されるというのでしょうか。原発事故の責任を誰一人として取っていない、事故の収束の見通しすら立っていない、こんな時こそ読売は大新聞としての自覚を持って、まずこの事故の責任問題を追求し(当然東電の経営責任もです)、第一に福島県民の救済、第二に放射能汚染拡大の防止と事故収拾を訴えて行くことが重要なのではないでしょうか。
原発との関わりが深かった読売こそ責任をもって、国民の命が原発より大事だということ、福島県民の方が東電より大事だということを訴えていくべきだと思います。